1069. 許容出来ぬ


 午後の決勝に先駆け行われる三位決定戦。既に全国出場を決めた二校の対戦と比べれば、その注目度は相対的に下がる、筈なのだが。



「お~。昨日より多いじゃん!」

「こっちのは変わらずって感じですネ……みんなミーハーだ。アリエフを観に来たんだよ」


 試合前、コートを使った最後のウォーミングアップ。瑞希と真琴は七割方埋まったスタンドを見上げ、思い思いの反応を見せた。


 サッカー部をはじめ山嵜の生徒、保護者会やファビアンらを中心とした交流センターの利用者たち。有希ママ曰く、はじめは50人程度だったのが今では200名近くまで膨らんだらしい。


 たかが一部活の応援団にしては多過ぎるくらいだ。愛莉の号令を合図にスタンドへ頭を下げると、割れんばかりの声援が飛び交う。


 ところが。

 すぐ後に発生したアリーナ中を埋め尽くす黄色い歓声で、あっという間に掻き消されてしまう。


 市原臨海の選手たちがウォーミングアップに出て来たのだ。喧騒の中心には、エカチェリーナ。



「ひぇ~……むっちゃアウェーやん」

「昨日とは真逆やな……」


 市原臨海の生徒、残りはエカチェリーナ目当てのミーハー、決勝のついでに早出した中立のファン。これで七割埋まっているのだから、いかに山嵜の応援団がちっぽけな存在か。


 準決勝とは打って変わった異様なアリーナの光景に、文香は少し気後れしているみたいだった。

 ほぼ地元みたいな場所なのに、こんな雰囲気のなかでプレーさせられるとは……変にプレッシャーを感じなければ良いのだが。



『シルヴィア。やろうぜ』

『……え、えぇ』


 はじめは二人一組のロンド。全体を通して見ても、キックのフィーリングは悪くなさそう。昨日のショックや疲労を引き摺っている者はいない。


 故に、彼女の緊張ぶりがどうしても目立つ。朝から口数も少なくて、ずっと気になっていた。反対側のエンドばっかチラチラ見やがって。



『集中出来てへんな』

『あっ……ご、ごめんなさい……っ』


 パス交換を止め歩み寄る。常に自信満々のシルヴィアには珍しく、しょぼくれた顔で素直に頭を下げてしまった。


 そこまで意識するような相手だろうか。確かに強敵は強敵だが、共に外国籍というだけで大した共通点も無かろうに。



『何がそんなに気になる?』

『ううん。なんでもない……平気よ』

『嘘吐くなって。青褪める一歩手前やんけお前……怒ったりしねえから、正直に言えよ。不安がってるamante恋人を慰めるのは、novio彼氏の仕事や』

『……ヒロ』


 チームの元気印がこんな調子では看過出来ない。俺だってシルヴィアのハツラツとしたプレーと煌びやかな笑顔が見たいのだから。自力で立ち直れ、なんて無責任に突き放したくはない。


 それに、なんと言うか……気持ちは分からないでもないのだ。昨日、あの時から心中に燻り続けている、チクチクとした痛み。


 もしかしたらシルヴィアも、同じような違和感を抱いているんじゃないかって、そんな気がした。



『……不安なの。なんだかとっても』

『不安?』

『あの人の実力は分かってる。けれど、それが問題じゃなくて……もっと大枠の、根本的な歪みがあるような……そこに付け込まれるような気がして、凄く怖くて……ごめんなさい、上手く言えなくて』


 シュート練習に励むエカチェリーナを一瞥し、酷く深いため息を溢す。無実の罪に怯え判決を待っているのような、心細げな顔つきだった。


 やはりそれは、昨日の俺と酷く似ていた。試合後、ロッカールームで捉えようの無い恐怖を打ち明けた、あの時の俺と同じ。



『シルヴィア、俺も一緒や。一晩経っても、アイツのクソムカつく顔がぼんやりと浮かんで来る。同情やないけど、でも分かるよ』

『ヒロも……?』

『だからさ。意識しないようにするのも、まぁ必要やねんけど……それより、自分に自信を持つことが大事やって思う。そういうの、シルヴィアの十八番やろ?』


 昨日の敗戦は言うならば、俺たちが積み上げて来たモノを栗宮胡桃一人に破壊されたような、そんなゲームだった。


 チームとしては思った以上に戦えていた。みんなにはそう言ったし、それもまた事実だが、心は納得していない。

 結果は結果。最後の最後に奪われたあのゴールを、冷め切った瞳を。未だに忘れられないでいた。


 ならば、この霧のようなモヤモヤを晴らすには。やはり結果が必要なのだ。

 積み上げたモノも大事だが、良い意味での根拠の無い自信。そして開き直りが、今の俺たちに求められている。



『話の流れで言っとるんちゃうで。今回みたいな試合こそ、シルヴィアの活躍が絶対に必要やって、ホンマに思う』

『……うん。ありがと』

『大会のスターとか、インフルエンサーとかさ。そんなんどうでもええねん。今日このゲームで輝いているシルヴィアが見たいんだよ。だから、いつも通りにやってくれ。そうすればきっと……』


 足元にボールが転がって来た。直前にバーへ当たったような音が聞こえたから、恐らくその跳ね返りだろう。


 市原臨海のエンドへ蹴り返す。

 受け取ったのは、渦中のスター気取り。



「何の話をしていたか、当ててあげましょうか? あぁどうしよう、わたしみたいなちんちくりんの下手くそじゃ、カーチャ様を止めるなんて絶対にムリ! 助けてぇ~パパ~~! ……なーんてねっ♪」


 昨日のアレでは物足りなかったのか、また煽りに来たようだ。試合直前によくやるな。知らん、無視無視。



「あーら、なにも言って来ないの? 張り合いが無いわねえ……まあ? 運だけでここまで辿り着いた七光りの紛い物に、本物のスターたるわたくしを止める術なんて、いくら考えたところで……」

「……ッ!!」


 ロンドを再開するつもりだったが、シルヴィアは我慢出来なかったようだ。

 まだ日本語は上手くないが、リスニングだけは完璧な彼女。余計なフレーズもしっかり耳に入ってしまった。



『その発言、即撤回しなさいッ! わたしがここにいられるのは、パパの力や運だけが理由じゃないわ! わたし自身が望み、掴み取った居場所よ!』

「凄まれてもスペイン語じゃ分かりませんわ~? 貴女、結構な期間日本にいるって聞いたけれど……まだ喋れないんですのね?」

「……ダマレッッ!!」

「おいシルヴィア!?」


 すっかり頭に血が上って、今にもエカチェリーナに飛び掛かりそうな勢いだ。慌てて肩を抑え抱え込むが、荒々しく息を溢し落ち着く様子が無い。


 そんな俺たちを見て、エカチェリーナは勝ち誇ったように高笑いを繰り広げた。嗚呼、周囲の注目が……。



「ちょちょちょっ、シルヴィアちゃん何やってるんですか!? ゲーム中じゃなくても退場処分とかあるんですからねっ!?」

「ハナシテ、ノノ! コイツ、ユルセナイ!!」

「あわわわわわわっ!?」

「落ち着きいルビルビ! はい、どーどーどー!」


 ノノと文香、三人掛かりで無理やり引き離すが一向に収まりそうにない。向こうもマーガレットも出て来て、本部のスタッフに頭を下げ釈明していた。


 なんてこった、試合前にとんだ遺恨が。


 ……って、なんだアイツ。

 一人だけ冷静ぶりやがって……ん?



「……そこの金髪の貴女、お名前は?」

「はっ!? ノノはこの世にたった一人かけがえのない市川ノノですが何か!?」


 エカチェリーナは品定めをするような余裕の面持ちで、ぺろりと舌を舐め回す。キショイ。いくら美少女だろうとこれは普通に。


 って、何故このタイミングでノノに絡んだ。同じインフルエンサーを自称するライバルとして、彼女もターゲットに加わっ……あっ。



(そ、そう言えばコイツ……!?)


 昨日、去り際にマーガレットが言っていたことを思い出した。思えばノノも似たようなことを……。



「まあ、可愛いわ……! わたくしのコレクションに加えてあげても宜しくてよ!」

「……はっ? なんですと?」

「ねえトラショーラス、賭けをしましょう! 今日の試合、わたくしが勝ったらこの子を貰うわ! 貴女には勿体ないもの!」

「ふぁっ!?」


 一同呆気に取られ、見事に動きが止まる。その間もエカチェリーナはノノにグングン近付いていた。


 慌てて退避するノノだが、エカチェリーナは止まらない。ど、どういうことだ。まさか一目見て……ってこと?



「ああんっ! 待って可愛い人! ねえ男は居ないでしょうね!? 毒刃に掛かる前にわたくしが教育してあげるわっ!」

「無理無理ムリム゛リッ!? ノノには身も心も捧げたご主人様がいるんです!」

「マーガレットと同じ待遇を用意するわ! 貴女これから、わたくしの元で一生遊んで暮らせるわよ!」

「んな安い女じゃないですからァァ!?」


 追いかけっこが始まってしまった。それも周囲の邪魔にならないよう競歩くらいのスピード感で。なんてシュールな絵面だ。


 例の噂をノノも知っているだけあって、凄まじい拒絶反応である。いやそれよりも、なんだこれは。あんなに殺伐とした空気だったのに、急にアホみたいな展開に……。


 

「ああ鬱陶しいッ! だいたい、それじゃ賭けになってないしょーが! そっちも相応のリスクを負わなきゃ話になんねーですよ!」

「リスク? あぁそうね! だったら、貴女の言うことをなんでも聞いてあげる! これでどうっ?」

「……なんでも!?」


 俺とシルヴィアの後ろに隠れ、吟味を始めるノノ。何を真面目な顔でお前は。


 奴とシルヴィアの賭けだった筈なのに。というかシルヴィアに至っては合意すらしていないのに。する必要性すら無いのに。勝手に話が進んでいる。



「良いでしょう。詳しい事情は後で聞くとして……丸々含め、厚顔無恥のノノとて許容出来ぬッ! 親友を馬鹿にした罪は重いですよっ!」

「それで、わたくしは負けたらどうすれば良いの? まあっ? そんなこと万が一にもあり得な――」

「うちが勝ったら、金輪際レズは返上して貰います! 陽翔センパイに好き放題されてくださいっ! いや、されてしまえッ!!」



 俺を巻き込むな。



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