1063. どうして


「――――ぁぁあああああっ!!」

「ウソオオォォおおおお!?」

「セカンド、セカンドッ!!」


 あちこちを飛び交う悲鳴。

 渾身の一撃は――クロスバーを叩いた。



「ジン、こっちだ!」


 零れ球はそのまま鳥居塚の足元へ。プッシュは叶わず、高く蹴り上げられてしまう。ただのクリアではない。落下地点には、待ち構えていた砂川。


 瑞希が懸命に競り合うが、シュートを撃ったばかりで身体が追い付かなかった。ヘディングで繋がれ、逆サイドへ展開される。



「クソ……ッ!?」

「出番ダ、クルミ!」


 カウンターの出足こそ潰したが、ジュリーの華麗な足技に翻弄され、完全には防ぎ切れない。冷静に栗宮へ流される。


 不味い、飛び込んだら……!



「――――っ!?」

「一人」


 ファール覚悟で脚を滑らせた比奈の股下を通し、更に加速。遅れてフォローへ入った瑞希は、鋭い反転でそのまま置いてきぼりに。



「二人」

「なっ!?」

「三人」


 背後から掴みに掛かった愛莉は、勢いのまま成す術も無くコートへ沈んでいく。

 細やかなダブルタッチで目先をズラされてしまった。信じられない。あのスピードを維持しながら、重心がまったくブレないとは。


 さっきと同じだ。俺が潰しに行けばジュリーが丸々フリーになる状態まで、簡単に追い込まれた。



「陽翔さっ……! ハッ!?」

「四人」

 

 堪らずエリア外まで飛び出した琴音は、目を見開き唖然としたままボールの行く末を眺めた。選択したのはまたも、ジュリーへのパス。


 がら空きのゴール。懸命に戻り辛うじてコースだけは塞いでみせたが、もはや無意味な抵抗だった。


 身体を大きく広げた俺の、遥か頭上を通過するチップキック。逆サイドへ流れていた栗宮は、コートを力強く踏み切り。



「――――五人」


 アクロバットなジャンピングボレー。

 着地と同時に、ネットが突き揺れる。



【後半09分24秒 栗宮胡桃

 山嵜高校6-7町田南高校】



 微動だにしない仏頂面のまま、栗宮は耳に手を当てゴール裏へテクテク歩き出した。ひび割れるような歓声が木霊し、コートの選手たちはおろかベンチ組も、彼女の元へと駆け出す。


 山嵜ファイブを悉く翻弄した圧巻のドリブル。カウンターを一人で完結させたこともあり、アリーナの熱気は最高潮。爆音のBGMが鳴り響き、見上げた天井を突き抜け空へ届くようだった。



「……やられた……っ」


 シュートコースを塞ぎに行った選択は、決して間違っていなかったと思う。寄せなかったらそのまま栗宮に撃たれていただろう。


 ラストパスを選んだジュリーが一歩上手だったということだ。いつもなら自分で撃つところを、冷静に俺の背後を突いた。


 伏線と言えるほどのモノでもない。直近のミスを取り返そうとジュリーが自分で撃ちに行くと、ある程度は腹を括って飛び込んだ。そして、駆け引きに敗れた。賭けに失敗した。それだけのこと。


 要するに、積み重ね。

 最後の最後で奴らは、この状況を打破するためのカードを潤沢に揃えてみせた。こちらは用意出来なかった……その結果が、これだ。



「……まだ、まだ終わってません。立ってください、陽翔さん……っ!」

「琴音……っ」


 肩を擦られ、俺は力無く立ち上がった。勿論、心まで折れたわけではない。プレータイムは一分半近く残っている。チャンスを作っているのは山嵜も同じだ。残り時間を考慮しても、逆転は十分に可能。


 でも、言葉が出て来なかった。

 ポジティブに務めようとする琴音は何も間違っていない。その通りだ、まだ時間はあると、無理をしてでも言うべきだった。



「陽翔、さん……っ?」

「……分かってる。分かってんだよ……ッ!」


 奴の瞳が、脳裏を離れない。


 この期に及んでビビったわけじゃない。あの女をも上回る狂気とアイデアで、俺は。俺たちはこの数分間、すべてを出し尽くし食らい付いた。


 欲しかった愛莉のゴールも生まれた。横村佳菜子の牙城を破った。ギアを入れ替えた町田南の攻撃を、何度も止めてみせた。


 なに一つ不足はない。

 俺たちは、出来る限りのことをやっていた。

 なのに、それなのに。


 どうしてだ。湧き出るほど溢れていた、勝利への活路が。渇望が。アイデアが。イメージが。手の届くところまで近付いていた、美しい結末が。


 見えない。

 目を閉じたみたいに、真っ暗で。


 あの冷たい視線だけが、脳裏に刻まれたまま。

 いつまでも、離れてくれないんだ――――。



【in/out 山嵜

     金澤瑞希→市川ノノ

     長瀬愛莉→シルヴィア

     倉畑比奈→長瀬真琴


     町田南

     ジュリー→兵藤慎太郎

     栗宮胡桃→来栖まゆ】



「……万策尽きた、か」

「重過ぎたね。あの一点は」


 試合が再開されてからも、山嵜応援団は静まり返ったままだった。オーロラビジョンでは先のスーパーゴールがくどいほど流れ、その度に彼らを除く観衆らは挙って歓声を上げる。


 力無く呟いた武臣、哲哉の二人は、スタンドに町田南の生徒がほとんどいないこと。そしてこの会場においては、山嵜の決勝進出を望んでいたのが自分たちだけだったことに気付いた。


 こうなることが、まるで運命だったかのように。仕組まれていたかのように思えて、無力感でいっぱいだった。



「まだよっ、終わってない! 終わってないでしょ全然!! あと五分も残ってるんでしょ!? さっきも二点差を追いついたんだから、絶対逆転出来るわ!!」

「会長……」

「廣瀬くん、長瀬さんっ!! みんな下向かないでっ! まだチャンスはあるわ! 葛西くん、声出してよッ!」


 武臣の肩を叩き、一人懸命に声援を送る薫子。だが、誰もそれに続こうとはしない。意気消沈する応援団に業を煮やし、彼女は真っ赤な顔で声を荒げた。



「なによっ!? 私だけ応援して、馬鹿みたいじゃない!! さっきまでの元気はどこ行ったのよぉぉ!!」

「橘田先輩……プレータイムが、もう無いんです」

「……えっ?」

「男子は一試合で、20分までしか出場出来ません。廣瀬先輩は……これ以上、プレー出来ないんです」

「そう、なの……?」


 一入のやり切れなさを拵え、克真は唇を噛んだ。それを証明するかのように、陽翔が遠方から強引なミドルを放ち、枠を逸れていく。


 外れたことを確認すると、陽翔は肩を揺すりながらゆっくりとベンチへ歩き、文香の背中を叩いてコートを去った。残り4分、ここからは陽翔抜きで戦わなければならない。それはすなわち……。



「……向こうも動きましたね」

「鳥居塚か……彼もプレータイムいっぱいだったからね。7番と13番でラインを組んで、ゴール前に鍵を掛ける筈だ」


 ただでさえこの後半。ゴールは陽翔自身が奪ったものか、彼を経由して生まれたモノ。圧倒的な違いを創り出せる陽翔の存在無しに、守備固めへシフトした町田南を打ち破るのは極めて難しい。



「でもっ! 向こうだって上手い選手が下がって、チャンスになるかもしれないじゃん! 諦めちゃダメだよ!!」

「分かってる。真奈美、そんなことみんな分かってるんだ……僕も言いたいよッ、諦めるなって! でも……分かるんだよ……っ」

「……大ちゃん?」


 谷口だけではない。誰も彼も、このスペクタクルに満ち溢れた最高なゲームの、最悪な結末を予感していた。

 フットボールを知る者であればあるほど、栗宮胡桃がもたらしたゴール以上の何かを、感じずにはいられない。


 文香が幾度となくフリーランから突破を試みるが、真琴もノノもラストパスの供給に苦心していた。そして。



「あぁ……!? やられちゃった……」

「そんなっ……」


 追加点が生まれた。真琴の縦パスが引っ掛かりショートカウンター。まゆが一人で持ち込み、グラウンダーで折り返し。

 ファーで構えていた明海が冷静に押し込んだ。6-8。生徒会の二人はガックリと肩を落とす。


 張り詰めていた糸が。数分前までは間違いなく差し込んでいた、希望の光が。プツリと切れてしまったようだった。


 自分の仕事は終わり。そんな態度でアイシングを始めた彼女を一瞥し、克真はその信じ難い光景を否定するよう、重々しく首を振る。



(……矢を隠し持っていたのは、彼女もそうだったんだ。それを突き刺す瞬間を、あの時までずっと狙っていた。狂気に溢れているように見せ掛けて……一人だけ、ずっと冷静だった。化物だ。栗宮胡桃……ッ)



【後半11分10秒 砂川明海

 山嵜高校6-8町田南高校】


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