1062. 思い出せない
「――――はっ!?」
愛莉のフォアチェックは完璧だった。外へ蹴り出すようコースを限定する厭らしいポジショニング。
ただでさえ町田南は重心が下がっているわけで、下手に繋ごうとすれば圧縮された中盤の餌食。
一発目のパスが通っても、次の展開で引っ掛かる。それくらい中はギッチリと密集していた。
なのに――。
「うっそ、自分で!?」
瑞希は目を見開き、ゴールへ向かっていた身体を180度ひっくり返した。横村が選んだのは安易なクリアでも、強引な縦パスでもない。
滑り込んだ愛莉を嘲笑うかのように、足裏でボールを引き冷静にコントロール。ドラッグバックで反対へ抜け出し、そのままドリブルを始めたのだ。
俺は逆サイドのジュリーを見ているから、すぐ当たりに行けない。あの野郎、だから中途半端な位置までしか戻らなかったのか……!
「瑞希ッ、栗宮を!」
「だぁぁ! やりゃ良いんっしょ、やれば!」
それ以上無理はせず、横村はサイドへ展開。ハーフラインで受けた栗宮胡桃は、対峙する瑞希へ目もくれず勝負を仕掛ける。
スキルと守備強度に限っては五分五分の両者だが、如何せん風向きが良くない。
押せ押せでラインを上げた直後に、最高の形でドリブルのスイッチを入れられてしまった。嗚呼、スピードに乗っ……!
「――ッ!?」
「瑞希ちゃんっ!」
イン、アウト。つま先の小さなタッチ。
アリーナに竜巻が起こった。振り乱れるピンクのツインテールが、それを更に加速させているみたいだった。
一瞬のうちに重心をズラされ、瑞希は横転してしまう。触れていないのに吹き飛ばされるその様は、本当に竜巻か台風に飲み込まれてしまったかのよう。
およそ現実的な光景ではない。
見えない膜か何かで覆われているのか……!?
「アカン比奈ッ! 飛び込むな!」
「だめっ、止まれな……っ!?」
フォローに入った比奈も爆風へ吸い寄せられ、やがてコントロールを失う。
栗宮自身、難しいことはしていないのだ。右脚を軽く上げ、トーキックでシュートを狙うような素振りを見せた。
だから比奈も飛び込まずに、コースを消しに行かずには居られない。そこをつま先で突っ突き、ミリ単位で進行方向を変える。傍目には勝手にドリブルコースが開いたように見えたのだろうか。
馬鹿を言え。あのスピード感で何度コースを変え、ペースを上げ下げしていると思ってやがる。
ボールが足に吸い付く感覚とはよく言うが、それすらも足りない。栗宮の意思に誘われるがまま、ボールが着いて行っているみたいだ。
「……っ!」
「構えろ琴音ええエエェェェェ!!」
マークを放棄し、後ろからファール覚悟のスライディング。だが栗宮はこれも予測していた。ぴょこんと飛び上がり、同時にボールを手放す。
その先には並走していた……つまり、俺の守備責任だったジュリーの姿。
そこに出すとは分かっていた。それでも、潰しに行くしかなかった。第六感が訴えたのだ。行かなければならないと。
頼む、琴音。
触ってくれ――――!
「――――だああああぁぁぁぁああああ!!」
「クロスバーかぁぁああ!!」
「たっ、助かった……!」
悲鳴から一転、アリーナはどよめきに包まれる。右脚を振り切ったジュリーの一撃は、僅かにバーを掠めゴール頭上を越えた。
フィニッシュの瞬間は見えなかったが、恐らく栗宮が逆サイドから大きく横断したせいで、振り切るスペースが無くなってしまったのだろう。
目前で俺と栗宮が交錯していたこともあり、障害も小さくなかった。
零れ球を予測し突っ込んでいた砂川が、ゴールネットにぐちゃっと絡まっている。
ファーにラストパスを出されていたら、間違いなく得点だった……あっ、危ぶねえ……!!
「さっ、サンキュー琴音……」
「いえ……反応出来ませんでしたから」
「腕伸ばしただけ大儲けや……」
俺は琴音に、栗宮は鳥居塚に引き上げられる。チャンスを逃したジュリーは髪の毛を掻き毟りながら、早々にポジションへ戻って行った。
「しかし、たった一瞬で……この試合今一つ目立っていないと思っていましたが、やはり油断なりませんね」
「あぁ、横村もあれだけ冷静に捌けるとはな。押せ押せやったと言え、安易にゴレイロまでプレス掛けるのは危な……」
「…………陽翔さん?」
自陣へ引き返した栗宮が、俺を見ていた。
いや、違う。俺ではなく、背後のゴールマウスを睨んでいるのだ。決定機を失した悔しさや、勝利への迸る熱意とはちっとも相容れない。
汗まみれのユニフォームが一瞬で乾いた。
寒くもないのに鳥肌が立つ。
あれは、殺気だ。
(……マジでヤベえ、アイツ)
願わくばその恐ろしさを、琴音やみんなへ分かり易く伝えてみたかった。だが無理だ。頭からつま先までビリビリと痺れたままで、あらゆる語彙が消滅したまま、目を離せないでいる。
あんな顔をした彼女を、俺は一度だけ見たことがあった。市立体育館で行ったスパーリング。真琴を惨たらしく蹂躙した奴へ、1on1を挑んだあの時。
こんなこと、よりによって大事な準決勝の舞台で、絶対に考えちゃいけない。脳裏を過ぎっただけでも犯罪的な何か。でも、それでも。
思い出せない。
オレ、アイツにどうやって勝ったっけ。
【後半08分43秒
山嵜高校6-6町田南高校】
その時が近付いていた。
試合は一進一退。傍目には似たような展開が続いていた。どちらもボールを握りたがり、正確かつ素早いパスワークでゴールへ迫る。
奪えば即座にショートカウンター。ただ、両者ともに最後の最後で精度を欠く。正確には、守備陣の踏ん張りでコースが無かった。
「センパイッ、12番来ます!」
ベンチのノノが甲高い声で叫ぶ。今度は左サイドからのカットイン。栗宮は明らかにドリブルの頻度を増やして来た。
ハーフコートおよそ20×10の狭いエリアだ。人を集めてブロックさえ作れば簡単には突破出来ない。が、奴にとっては些細な問題。
「サンキューハルっ! 零れ球……ううぉ!?」
「瑞希さん、目を切らしちゃ駄目です!!」
右脚を伸ばし一度は防ぐも、体勢を整えもせず足裏で回収。つま先で俺の股下を通して来る。反応したのは砂川。
鋭い反転からワンステップ、左脚でズドン。これは瑞希が身体を張って防ぐ。しかし、セカンドボールはまたもジュリーの元へ。
比奈に寄せられる前にダイレクトで、右脚インサンドで巻いたコントロールショット。これも辛うじて枠を逸れていく。歓声とため息が交錯するスタンド。
(不味い、反発力が……!)
パワーバランスが崩れ始めていた。仕掛けの大半をジュリーが担っていたここまでとは一転し、栗宮がボールを持ちたがる時間が多い。
エゴイスティックなロングドリブラーであるジュリーと違い、栗宮はパスワークのなかで自分もボールに触れ、リズムを作ってから仕掛けるタイプだ。守備で手を抜きがちな面も合わせ、勝負処以外は温存する傾向が強い選手。
ところがこの時間帯になって、なりふり構わずどこからでもドリブルを始めていた。そうなるとこちらは、どうしてもラインを下げざるを得ない。
横村がポゼッションに参加し出したのも大きかった。奪いに行くと一発でひっくり返されるリスクが、新たに生まれてしまったからだ。まさか付け焼刃でやっているわけではなかろう。
(あの野郎、まだ隠してやがったか……ッ)
横村の攻撃参加。そしてリスク承知で自由に仕掛ける栗宮。前半や後半序盤はまったく見られなかった傾向。
相模の奴、この時間帯からもギアチェンジ出来る一手を温存してやがった。
どこまでも舐め腐った……いや、大人しく認めよう。用意周到な本物の策士だ。このままジリジリと押し込まれたら。
「あと何秒ッ!」
ベンチの峯岸は指を二本立てる。
電光掲示板は9分過ぎ。残り二分、120秒か……それまでに逆転しないと……ッ。
「琴音っ!」
「陽翔さん、縦へ!」
ゴールクリアランスから再開。スローイングを受け取り、一気にギアを上げた。砂川のプレスを引き千切り右サイドを前進。
「愛莉ッ、ワンタッチ!」
「はいっ!」
裏抜けを装い引いた愛莉へくさびのパス。下手に踏ん張らずダイレクトで収め、リターンをそのまま瑞希へ展開。よし、栗宮と一対一!
「――
シザース、シザース、そしてシザース! 比奈のオーナーラップと共に鋭くカットイン、右脚を振り抜く。
シュートは枠を捉えた。しかし、またしても横村佳菜子。小さな身体をバネのように弾き飛ばし、完璧に掻き出してみせる。
ふわりと浮き上がったルーズボールは、愛莉と鳥居塚の競り合い。流石に高さ勝負では勝てないが、パスにはさせまいと懸命に肩をぶつける。
鳥居塚もゴール前でのミスを嫌らったか、ヘディングでシンプルに外へ……弱いんだよ、そのクリア!
「いつの間にっ……!?」
「――ハッ!!」
バウンドと同時に右脚でミート。
強烈なハーフボレーがゴールマウスへ向かう!
「触れ愛莉ィィィィ!!」
「わわわわっ!?」
まさに同点弾のリプレイのようだった。弾丸ボレーへ臆せず脚を伸ばすと、愛莉のつま先が僅かにヒット。コースが変わる。
横村は完全に逆を突かれ――。
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