1061. 雷鳴


「ああっ!?」


 俯瞰で見渡せるゴレイロの横村だからこそ、腰を入れる角度、軸足の向きでギリギリ判断が付いたのだろう。そう、これはシュートじゃない。


 俺がファーに流れたことで、マーカーのジュリー、そして鳥居塚の意識も一瞬ゴール前から外れた。これこそが狙い。


 先の2ゴールも伏線に過ぎないのだ。廣瀬陽翔の決定力、勝負強さをこれ以上無いほど叩き付けた、今だからこそ。絶対にコースは空く。


 そしてそこに、お前は居てくれる筈と。

 信じてたぜ、愛莉――!



「――っっしゃああああああああ!!!!」

「あーりん来たああアアああーーッッ!」

「ううぉおおおお! ナガセ先輩っス!!」


 ゴールインと同時に、愛莉は感情剥き出しのアドレナリン塗れな顔でベンチへ駆け出した。スタンドが揺れている。


 あれほど混沌としていたゴール前の攻防からは、想像も出来ない呆気なさ。愛莉は逆サイドで、完全にフリーになっていた。


 低い軌道のライナーを、インサイドで押し込むだけ。ピンボールのように高速で弾け飛ぶ展開に、流石の横村も反応し切れず。



「愛莉っ!」

「……決めた! わたしっ、決めた……!」

「ようやった! 流石は山嵜のエース!」


 遅れてベンチの狂乱へ飛び込むと、感極まって身体ごと張り裂けてしまいそうな彼女がいた。ハイタッチも疎かに抱き合い喜ぶ俺たち。


 遂に生まれた同点ゴール。

 それ以上に大きな意味がある。


 フィジカルを活かした重戦車のようなプレースタイルは愛莉の特長でもあるが、この試合に限ってはあの鳥居塚が相手。


 男女の体格差もさることながら、振り向きざまの強引なフィニッシュは度々警戒され、ここまで本領を発揮出来ないでいた。



(それや愛莉、それが欲しかった……!)


 得意なフィニッシュの形に拘ってしまう癖を改善すべく、冬から意識してトレーニングを重ねた。

 合わせるだけ、居るだけ、押し込むだけで良い。狭いコートでは存在そのものが武器となると、口酸っぱく伝えて来た。


 なんと言ってもそれを、狂気に支配されたこのゲームの、崖っぷちの土壇場で手繰り寄せてくれたのだ。こんなに嬉しいことは無い。


 さあ、愛莉が結果を残した今。

 もはや俺たちに、死角は無いも同然。



「悪足搔きを」

「ハッ! そう見えるか?」


 自陣へ戻る道中、靴紐を結び直している栗宮胡桃とすれ違う。これと言って様子に変わりは無いが、内心如何なものか。


 ボールを持てばこの上ない脅威だが、やはり守備は本業でない。と言うかやらない。先のゴールシーンも陣地の取り合いに参加さえしなかった。



「調子悪そうやな。怪我でもしてんのか?」

「栗宮はいつでも万全。全知全能。もはや神の領域に等しい。証拠に先日、未来予知の能力を身に付けた」

「へえ。そりゃ凄いな」

「予言しよう。この試合、必ず勝敗が付く」

「……いやお前、ノックアウトのトーナメントやろ。どっちか勝つまでやるに決まっとるがな」


 結び終えゆらゆらと立ち上がる。相変わらず会話に中身が無いと言うか、適当が過ぎると言うか。この緊迫した状況でも通常運転とは。



「最高のレベルを極めるには、即興で作られる芸術が必要である。はて、誰の言葉だったか。ああ、確かジョージ・ベスト」

「…………は?」

「聞こえは良いが戯言に過ぎぬ。人は機械ではない。しかし、限りなく近付くことは出来よう。ピーター・クラウチに言っておけ。その幼稚なパフォーマンスは見るに堪えぬと」


 お決まりの理解不能な独り言。

 ただ、言い切るには少々勇気が要った。


 振り返り俺を見据える瞳は、あの日、初めてコートで戦ったときと同じ。酷く冷たくて、生気が無い。



「美しいゴールだ。長瀬愛莉に宜しく」

「……なに言ってんだ、さっきから」

「そう、美しい。故に呪われている。信仰の違いだ。だが断言しても良い。芸術とは程遠い」


 愛莉を一瞥し、また視線を戻した。


 いや、どうだろう。分からない。

 彼女は俺の、なにを見ようとしている?



「一方、栗宮は芸術である。正しき観測と体系に裏打ちされた合理性の忌み子。すなわち栗宮胡桃であり、真実であり、唯一神である」


 互いにポジションへ就こうとしないせいで、主審がホイッスルを鳴らし再開を急かしている。ように、思える。


 おかしい。

 笛の音が、良く聞こえない。


 それどころか視界までグラつくようで、無性に居心地が悪かった。吐き気を催す勢いだ。奴の理解不能な言語に耳を傾けているからだと、とっくに分かっていた。分かっていたのに。



「廣瀬陽翔。貴様もそうだろう」

「……俺も?」

「実のところ、この世に神など居ない。だが知っている筈だ。近付こうと無様に藻掻き苦しむ、過程そのものが神髄であると」

「……マジで、なんの話だよ」

「無念極まりない、という話だ。我々は同じユニフォームを着て、このコートに立つべきだった。そうあるべきだった」


 そうあるべき?

 同じ、ユニフォーム?

 


「されど道は続く。続いてしまうのだ。もはや交わることも無い…………啓示をくれてやろう。貴様の信じたソレが、一介の邪教でしかないと」


「……別れのときだ。さらば偽りのジーニアス。過ぎ去りし、我が永遠の春よ」



【後半06分59秒 長瀬愛莉

 山嵜高校6-6町田南高校】



「姉さんっ、もう一発!!」

「愛莉さーーん!」


 ポジションに戻らず言い争い(のようなもの)をしていた陽翔と胡桃に主審が割って入り、ようやく試合が再開された。


 共にベストメンバーと呼べる構成でぶつかり合う後半中盤戦の様相は、紙一重で山嵜が優勢。スイッチの入った愛莉を筆頭に、果敢な攻めを見せる。


 左サイドからの強烈なカットインシュートは、横村佳菜子によって指先一本で掻き出される。

 ベンチの真琴、有希は身を乗り出し歓喜に備えたが、あえなく空振りとなってしまった。



「クッソ……! うん、でも、全然良い、イケる! この勢いならイケる!」

「どんどん動きが良くなってるよね……!」

「ねっ。やっぱりゴールが一番の薬だ。比奈先輩も落ち着いて捌けてるし、もっと押し切れる筈……!」


 総合力では上回る町田南と言え、これだけ積極的にシュートを撃たれれば重心を下げざるを得ない。

 両サイドの胡桃、ジュリーが低い位置からスタートすることもあり、カウンターも散発で終わってしまう。



「ええでミズキチ! ガンガン潰してきっ!」

『マイボール! マイボールよ! マイボールって言ってんでしょクソ審判!! ちゃんと見なさいよおおおお!!』

「ちょっ、落ち着いてくださいっ!?」


 ラインギリギリまで飛び出て吠え散らかすシルヴィアを、ノノが寸前で制していた。イーブンの競り合いは町田南のキックインに。


 守備が不得意な瑞希も、陽翔・愛莉と三人の連携で的確なポジションを取り、素早いトランジションでカウンターの芽を潰していた。



「よしっ! 良い寄せだ倉畑!」

「先輩、安全第一っスよ!!」

「楠美先輩、集中っ、集中じゃ!」


 三人が攻守でフルスロットルに動き回るおかげで、比奈にも余裕が生まれる。鳥居塚から明海へのロングフィードも、先読みして巧みにカット。


 失点を重ねてしまった琴音も気落ちはしていない。甲高い声を張り上げ、瑞希へ守備のポジションを懸命に伝えている。



(すっ、凄い……町田南のフルメンバーと、お姉ちゃんと互角以上に……!)


 ここばかりは得意の厨二語も影を潜め、経過を夢中で追い掛けるミクルだ。三年生で構成されたファーストセットの完成度の高さに息を呑む。


 思い描いた最悪の展開を回避するどころか、絶望的なビハインドをも跳ね返さんばかりの、驚異的なリバウンドメンタリティー。


 陽翔が口癖のように叫んでいる、山嵜フットサル部の真髄を垣間見ていた。まるでチーム全体が、一つの生き物のよう。



(勝てる……本当に、勝てる……っ!!)


 自分を認めてくれなかった町田南に、永遠の憧れである姉に勝ちたい。理想を描けど夢物語でしかなかった光景が、すぐそこまで近付いている。


 冷静さを失わないよう堪えていたミクルだったが、いよいよ我慢出来ずにベンチから飛び出し、感情のままに声を飛ばした。



「脚を止めるな!! 隙を見せたら一瞬で喰われるッ、ゴールへのイメージを絶やすなっ!! お姉ちゃんはミドルよりドリブルで来るからっ!! 眷属よっ、前に出てコースを塞ぐのだ!!」


 ミクルの指示通り、パスを受けた胡桃は右サイドからドリブルで侵入。陽翔が素早くチェックへ向かい激しくけん制。


 巧みな身のこなしに遭い奪えはしなかったが、チャンスを事前に潰してみせた。明海、鳥居塚と経由し、ボールは最後尾の佳菜子へ。



「上げろ、ライン上げろ!」

「行ったれあーりん!」


 峯岸、文香の声援に押され、勢いのまま猛烈なプレスを噛ます愛莉。奪えば決定的なチャンス――。



「――――えっ?」


 刹那。

 薄ピンクの影が、コートを横切った。

 ミクルの小さな呟きは、喧騒へ紛れ消えてゆく。


 雷鳴が轟く。

 嵐の到来に、彼女と、彼だけが気付いていた。


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