1057. 眠れる獅子
「
足元を抉る深いスライディング。間一髪で躱した兵藤だが、着地に失敗しコートへ放り投げ出される。ホイッスルが強く鳴った。
次はカードだ、と忠告を与える主審に、ジュリーをはじめ町田南ベンチは不服の声を挙げ抗議する。接触していれば怪我の一つは避けられないラフプレーだ。スタンドも珍しい光景にどよめいている。
「アイツ、二点差だからって……ッ」
「落ち着けよ、焦ってる証拠だろ。廣瀬があの調子じゃ、奴らに勝ち筋はねえよ」
収まりの着かない男性選手をもう一人が宥める。肩を抑えられた11番、
ホッと息を吐く13番、彼は
「監督。この展開なら俺たちも……」
「タイムアウトの後だ。ペースを上げろ」
「よしっ! ジュリーや栗宮に任せるまでもねえ、俺たちでも廣瀬を抑えられるって証明してやるよ……! 行こうぜ侑士」
「あ、あぁ……」
重光はビブスを脱ぎ、意気揚々とウォームアップを始める。
今大会は出場機会の少ない彼らだが、モチベーションは落ちていない。ハーフタイムに『お前たちだからこそ』と相模直々に指示を与えられたのも大きかった。
ジュリー・胡桃の偏向期用に業を煮やしていたのも今や昔。世代別代表の一員として、兵藤や鳥居塚に劣らぬ活躍をと捲土重来の機を窺っている。
「どうした?」
「いや……なんでもない」
「廣瀬が気になんのか? 大丈夫だって、この展開だぜ。アイツだって冷静じゃいられ……おい、またかよッ!」
ホイッスルが響く。今度はイーブンの競り合いで、ノノが19番の桐谷を激しいショルダーチャージで吹き飛ばした。
「おいおい、荒れて来たな山嵜……まぁ99番は前半からあんな感じだけどよ」
「……ポジショニングが」
「えっ?」
先の陽翔によるファール以降、随分と険しい表情をしている濱。零れた呟きに、重光も眉を顰めた。
「見てたか? 廣瀬の……スタートのポジションが、さっきよりかなり高い。99番も。ポゼッションがすぐに詰まった」
「ライン上げてるんだろ? でも取り切れねえから、ああやってファールになるんだよ。明海に一発通ればそれで終わりさ」
「……なんか、雰囲気が違うんだよ」
「雰囲気ィ?」
セットプレーに構える陽翔を、重光は怪訝な目で一瞥した。相変わらず人相の悪い男だ、これといって変化があるようには見えない。
兵藤は後ろから繋ぐことを選んだ。すると陽翔を先頭に、ノノ、シルヴィアが一斉にプッシュ。
町田南の十八番を奪うようなハードプレスで、あっという間にパスコースを限定する。パスは乱れ、山嵜のキックインに。
「……まぁ、割り切っては来てるんじゃねえの? でも前半と同じだ。慎太郎がいるんだから、シュートは撃たせても決定機までは」
「いや、違う……」
いつの間にか二人の背後に、鳥居塚が歩み寄っていた。真琴を最後尾とする山嵜のポゼッションを俯瞰し、彼もまた意味深に呟く。
「……アップのペースを速めた方が良い。タイムアウトより前に出番が来るぞ」
「えっ、仁?」
「俺もすぐだな……」
そう言い残し、コート脇を駆け抜ける鳥居塚。すると相模も続いて、濱と重光の近くまでやって来た。
「重光、桐谷と交代だ。廣瀬のマンマークに付け。ハーフタイムに指示した通り、前さえ向かせなければそれで良い」
「あっ、ウっス……でも、今ですか?」
「念には念を、だ。兵藤の負担を増やしたくない。栗宮と砂川を残せばカウンターで刺せる……」
「わ、分かりました……?」
ビブス片手に重光はアップエリアでランニングを繰り返す。相模はサングラスを掛け直し、額の汗を拭う背番号5番を注視した。彼もまた、コート上の違和感に気付いた一人。
ビハインドで冷静さを欠き始めた山嵜。このゲームを見守る、ほとんどの者がそう思っているが……。
「……おちょくり過ぎたな。どうやら、眠れる獅子を覚ましてしまったか」
【後半04分40秒
山嵜高校3-5町田南高校】
「こっちや真琴ッ、刺せ!」
「兄さん!」
自陣深くからの縦パス。ほぼハーフウェーライン付近、後ろ向きで受け、中央からの突破を図る。すかさず兵藤がストップに掛かるが。
「ううぉっ!?」
「うんま!」
背負ったところを足裏で一気に引き、反転。
チャージの圧力を利用してみせた形だ。これで視界が開けた。兵藤以上に近くに居たノノが驚いている。おっと!
「ゲェッ!? マルセイユ!?」
「兄さんッ、前空いてる!」
スペースを詰めて来た砂川も、クルッと一回転。マルセイユルーレットですんなり躱す。続けざまの美技に、スタンドは大いに沸き上がった。
決して舐めプではない。前半にはやろうと思っても出来なかったことだ。配給役を真琴に任せ、ポジションを少し上げたから。
低い位置で持っていたときより、相手がしっかり食い付いてくれる。要は個人技による突破を警戒しての対応だが、これがむしろプラスに働いた。
「胡桃ッ、コース塞いで!」
「……っ」
町田南という強大な敵を前に、失点を恐れるあまり、無意識のうちにブレーキが掛かっていたのだろう。
だが二点ビハインドとなれば、もう四の五の言っていられない。ある種の開き直りが、プレーに、心に余裕を生んだ。
ノノには19番が着いている。シルヴィアはフリーか……悪いけど、相手が栗宮胡桃だもんでな。偶には好き勝手やらせろよ!
「来いよッ!!」
軽率に煽ってみる。だが奴も乗って来た。
一気にギアを上げ、1on1が勃発。
「撃てるよハルっ!!」
「陽翔くん!」
シンプルなボディーフェイント、からのドラッグバック。足裏で引き、舐めて、逆脚で突く。構造は単純だが、ボールを隠すことが出来る。
目指すは左サイド。栗宮胡桃も力づくで制しに掛かるが、体格差もある。右腕でガッチリ抑えこれ以上当たらせない。
「ッ……」
「突っ込めシルヴィア!」
左脚を強引に振り抜く。
シュートではない。パス。
敢えて左へ寄り対角線の関係になることで、シルヴィアがゴール前へ突っ込むスペースを与えたのだ。ここから撃ってもどうせ横村に止められる。
「なぁぁ!?」
「モロタっ!」
リクエスト通りの動き出し。ほとんど触っていないようにも見えたが、右脚つま先で若干コースを変えてみせた。横村は反応し切れない。
シュートは……!
「¡Ah!
「ハッ、口悪いな!」
思わず汚いスラングも飛び出す。ポストを掠めゴールキックになってしまった。勢い余ってコートを滑り、シルヴィアは悔しそうに地面を叩く。
大きなチャンスを逃してしまった。だがこれで良い。前半と違い、こちらから能動的に決定機を生み出せている。偶然の代物ではない。
リスクはある。一度でも失敗したらカウンターへ直結だ。守備に磨きの掛かる真琴でも、流石に栗宮胡桃と砂川、二人を相手取るのは無理がある。
だから、その前に。
たらればが起こる前に。
必ず一点、もぎ取ってみせる……!
(13番……今日は初めてか)
19番の女子が下がり、男子のプレーヤーが出て来た。そのまま俺の元へ……分かり易い対策だ。マンマーク気味に守り、兵藤の負担を減らす腹積もりか。
「行きますよぉぉー!!」
横村のゴールクリアランス。
ターゲットは砂川だ。この競り合いは……。
「はァァッ!!」
「チッ……! ちょこぜえな!」
落下地点へ直接入らず、砂川を抑えながらキックで返してみせた。よし、良いぞ真琴! そのまま押し返せる!
「もう良いデショ兄さんっ!! 決めてよ!」
幾度となくフィジカル勝負を強いられ、真琴の疲弊も激しい。ただでさえ重心が傾いているのだ、メンタル的にも厳しいところがあるだろう。
心配するな。勿論そのつもりだ。
このゲーム、もう一度ひっくり返す……!
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