1056. 火傷には気を付けろ


「……飲まれたな」

「だね。完全に持ってかれた」


 町田南の攻勢が続く。


 ラフなロングボールを明海が収め、縋る瑞希を振り切った。シュートはバーの僅か頭上を越える。得点後、一分間で二度の決定機。


 試合の決まる6点目が早々に生まれてもおかしくない。沸き立つスタンドの観衆とは対照的に、藤村、堀の敗退組は冷静だった。


 或いは諦めにも似た境地。オーロラビジョンでは未だに5点目のシーンがリプレイされている。

 崩れた均衡とゲームを行く末をその都度見せつけられるようで、二人の表情に曇りも増す一方。



「分かってないなあ~運営。ここじゃないんだよ、一つ前のプレーからだ」

「流したくないんだろ。栗宮胡桃が止められたシーンなんて。大会ナンバーワンスターだからな」

「だったら流すべきでしょ、尚更。一人で持ち込むよりチームの勢いに乗ることを選んだ、革命的なワンシーンなんだから。時代が動いたんだよ」

「大袈裟だな……省吾、本当にそう思うか? わざと8番に潰されに行ったって」

「間違いないね」


 カウンターの応酬の最中、一度は真琴にドリブルを阻まれた胡桃。だがこれは意図的なモノであると、堀は自信満々に語る。


 似たようなシーンが訪れた。右サイドで受けた胡桃はすぐに勝負へ行かず、まゆの攻め上がりを待っている。手数を掛けない速攻を好む彼女にしては、少々珍しい選択と言えた。


 対峙する愛莉は機を見てアプローチ。すると混戦の末、駆け上がるまゆの足元へボールが転がった。サイドが解放される。



「ここも。8番がフォローに来ないから、9番が一人で晒されている。一人で仕掛けて、シュートまで行ける筈だ……でも、行かない」


 ダイレクトの折り返しは、真琴が脚を伸ばし辛うじて掻き出す。ゴール前に構える明海へ通れば一点モノのプレー。



「ナイスクリア。でも後手後手だね。8番はカットインを警戒していたんだろうけど……気を取られ過ぎたら、他のところを活かされる」

「それがさっきのゴールに繋がったと?」

「ターンで躱したまでは良かったけどね。鳥居塚が奪いに来ているとこまでは見えていなかった。7番も同じだよ。栗宮胡桃とだけ戦っているんだ。そのつもりは無いにしても、現にコートへ現れている」


 コーナーキック。


 胡桃がハイボールを供給し、ファーへ流れた鳥居塚がボレーで叩く。陽翔が寄せ切り枠内へこそ撃たせなかったが、これも危ないシーン。



「アニキは気付いてるっぽいけどね。マークは9番だったけど、ニアの砂川を気をして背後が疎かになっていた」

「……だったな」

「ホント成長したよねえ~。って、上から目線でアレだけどさ。守備でアラートが利くような選手じゃなかった」

「それはやり合って思った。フォアザチームの精神の欠片も無かったからな、アイツ」

「気持ちは分かるけどねえ~。ただでさえオフェンスはスペシャルで、守備も惜しまずこなしてくれる……最高に頼り甲斐のある選手だよ。今のアニキは。でも、だからこうなっている」


 目下の光景が何よりの証明だ。必要以上に首を振り現状把握に必死な陽翔を、藤村も難しい顔で見下ろし頷いた。


 動きは軽快だが、どことなく余裕が無いようにも見える。外野に尋ねるまでもないだろう。あれは本来の廣瀬陽翔ではない。



「……省吾の言った通りだったな。今日まで栗宮胡桃にほとんど出番が無かったのは、そういうことか」

「多分ね。他の選手にも、栗宮胡桃のレベルに追い付いて貰いたいんだと思う。精度はともかく、イメージを共有させたいんだ」

「ジュリーみたいに?」

「モデルか先生役、ってとこ? ジュリーを一旦下げたってことは、この時間帯はそのテストだね」

「はぁ~……しっかしよくやるよな、相模って人。全国の懸かったゲームで、しかも山嵜相手に」

「だからこそでしょ。山嵜くらいのレベルじゃないと、意味が無いってことじゃない? 山嵜っていうか、アニキの割合がデカいと思うけど」


 尤も、このまま町田南が勝ち切るとも、相模淳史のプランが問題無く遂行されるとも、堀は思っていない。否、思いたくはない。


 本来の目的までは見失いたくなかった。堀にしても藤村にしても、冷やかしのために練習をサボりアリーナへ訪れたわけではない。


 彼が全国への切符を掴み、再び表舞台で躍動する、その貴重な第一歩を目の当たりにしに来たのだから。



「まっ、外から見える範囲で言えるのは、ここまでだね。あとは現場が、選手がどう動くか。サポーターの出来ることにも限度がある……」

「……このまま終わるような奴じゃねえさ」

「だね」


 一抹の想いを乗せ、藤村は重苦しく息を吐く。その重圧を取り払ってやるみたいに、堀は微笑み軽薄に呟いた。



(大丈夫だって、トーソン。なんてったって、僕らが心底憧れ、気が狂うほど嫉妬した、あの廣瀬陽翔ですから……さあ、ここからなにを魅せてくれる?)



【in/out 山嵜

     金澤瑞希→市川ノノ

     長瀬愛莉→シルヴィア


     町田南

     鳥居塚仁→兵藤慎太郎

     来栖まゆ→桐谷瑠香】



 チャンスが無いわけではない。スイッチが入らなければ栗宮胡桃の守備はそれほど脅威でないし、鳥居塚は基本、頂点の愛莉を監視している。


 砂川、来栖ではそもそもミスマッチだ。俺を起点に何度か決定機は作っていた。膠着気味だった前半とは違い、シュート自体は撃てている。


 なのにこうも劣勢が続くのは、偏にカウンターの精度が高過ぎるからだ。チャンスを作った数だけ、相手にもフィニッシュまで持って行かれてしまう。



「切り替えろ愛莉、また出番は来る!」

「…………ッ……」


 本当は近くまで駆け寄りたかったが、砂川がリスタートを狙っており暇が無かった。悔しそうに唇を噛み、愛莉はコートを去って行く。


 キャプテンマークを乱暴に外し、琴音へ投げ渡した瑞希も同様。三年生中心で流れを取り戻す筈が、二人ともほぼ何も出来なかった。


 致し方ない部分もある。鳥居塚に徹底マークされては愛莉のフィジカルも強みにならないし、瑞希にはアラとして守備の負担も掛かる。華麗な個人技を100パーセント活かせる状況には無い。



(ノノとシルヴィアか……圧力を掛けて素早く攻めるには適任。しかし……)


 峯岸の狙いは分かるのだ。俺と愛莉、瑞希の持つ『個』の力。そして巧みな連携は、大半のチームにとっては脅威。だが勢いを増した町田南相手には、五分五分の勝負を強いられる。


 加えて『半端にキープ出来てしまう時間帯もある』から、その分カウンターを喰らう温床にもなり得る。

 ならノノを投入し守備の圧力を強め、シルヴィアを走らせる。相手に持たせて、ショートカウンターを狙うのは正攻法。



「ナイスノノ先輩ッ!」

『こっちよノノ!』


 代わって入った19番から、早速ボールを刈り取ってみせたノノ。すかさず逆サイドを駆け上がるシルヴィアへロングフォード。


 が、同じく投入された兵藤に、ヘディングでクリアされてしまう。天を仰いだシルヴィアは、キックインで後方の真琴へ大きく戻す。組み立て直し。



(これやと前半の繰り返し……プレータイムを悪戯に消費して、スコアが動かないまま俺の出番も……ッ)


 鳥居塚のプレータイムの問題もあるだろうが、兵藤が入って来たということは、つまりそういうことだ。俺を塩漬けにしようとしている。


 突破口を見出さなくてはならない。

 例え、分の悪いギャンブルだとしても。


 誰かが突き抜けなければ。

 一皮剥けなければ。

 ゲームは、このまま終わる――。



「……良いですよ、センパイ。好き勝手やって」


 シルヴィア狙いのロングフォードは大きくズレた。その担い手であるノノは、僅かな隙を縫い俺へ近付く。



「好き勝手……?」

「ノノとマコちん、そしてシルヴィアちゃん。この三人が揃った理由をよく考えてください……! センパイが一番興奮しちゃう三人でしょうが!」


 コートを退屈そうに浮遊する栗宮胡桃を睨みつけ、ノノは肩を揺らし低い声で凄む。苦しみ藻掻くその最中にも、力強さが垣間見えた。


 興奮するって、ノノ。こんな時に、いったいなんの冗談だ。全員漏れなく魅力的に決まっているだろう。それはコートの中でも外でも一緒で……。



(……この三人って、そういうことかよ)

 

 確かに、言われてみればそうだ。

 俺と似たような性質の持ち主ら。



「山嵜が上へ、全国へ行くためには……センパイだけが活躍するチームじゃ、絶対に無理です。もっともっと、みんなが欲張りにならないと……!」

「……ノノ」

「だから、まずはノノです。センパイの狂気に着いて来れるのは、今はノノだけです。愛莉センパイには、暫く指でも咥えて貰いますよ……!」


 酷く口元を歪め、歯茎剥き出しで笑うその姿は、一見冷静さを失ったようにも窺える。ただ、それを制する気にも、宥める気にもなれなかった。


 なるほど。つまりなんだ。

 三人掛かりで、俺を焚き付けるつもりか。


 飛びっきりのエゴを見せつけて。

 俺の理性を、グチャグチャにする気だな?



「…………パス。全部俺に寄越せ」

「そのつもりです、最初からッ!」


 横村のロングスロー。ターゲットは砂川。真琴が激しく競り合い、セカンドボールは兵藤の足元へ。


 良いだろう。理性など置き去りだ。

 但し、火傷には気を付けろ。


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