1055. 天高く
「良いか落ち着いて聞けッ……連中のプレスの強度は、前半より明らかに上がっている。プレーエリアを下げず、躊躇わず前に出ろ! パスコースを探す暇は無い、自分で持ち出せ!」
一息つく余裕も無い、身振り手振りの激しいアプローチ。峯岸に気付かされるまでもないだろう。誰もが一変したその流れを肌で実感している。
冷静さを失っては元も子もない。
だが、理性的に振る舞うのも限界があった。
この最悪の展開を打破するには、もっと他の要素が必要だ。恐れず前へ出る勇気、たった一歩のエネルギー……そして、勝利への強い意思。
「マコ!! なんのためのコンバートだよ、ハルに守備の負担掛けんな! マコのこのゲームに賭ける思いって、そんなもん!?」
「分かってます! やります、やれますっ……!」
「姉妹揃って飲まれてんじゃねーッ! ストライカーだろっ、あたしたちのエースだろ長瀬! お前がやんねーで誰がやんだよ!」
「ッ……!!」
キャプテンマークを力強く握り、瑞希は思いの丈をブチ撒けた。グラつく瞳には隠し切れない動揺。
指摘を受けた愛莉は喉をしならせ、やり場の無い衝動を拳へ集める。整わない呼吸もそれらを物語っていた。
「愛莉。俺を見ろ」
「……っ」
「目を逸らすなッ!! 俺を見ろ!!」
肩を掴み、力づくで視線を合わせる。
もう半分は泣いているようなもの。
山嵜フットサル部史上、最大の苦難。廃部寸前まで追い込まれた、たった一年前の記憶が嫌と言うほど脳裏を過ぎるのだろう。
誰よりも勝利を求め、それ以上に敗北を恐れて来た愛莉。動揺しない方がおかしいのだ。だがそれでも、彼女の力無しには……。
「俺が前までボールを運んでやる! 忘れるな、このチームの主役は俺や。それだけは譲ってやれねえ! でもエースは愛莉なんだよッ!!」
「…………ハルトっ……」
「俺を信じろッ! みんなを信じろ! 自分を……このチームで戦って来た、自分自身を信じろ!! 出来る出来ねえじゃねえ! やれッ!!」
ブザーが鳴り、タイムアウトが終わる。
一方ならぬ決意を瞳に漲らせ。
流れるひと雫を振り払い、愛莉は頷いた。
こちらのメンバーは変わらない。町田南は砂川が入るようだ。下がるのは……ジュリーか。プレータイムの問題もあるが、これは少し助かった。
とは言え栗宮胡桃がコートに残る以上、油断は禁物。ただでさえ鳥居塚、来栖のプレー精度も見違えるほど向上している。
突破口はやはり、9番砂川か。
前半の大チョンボを引き摺ったままなら有難い。ただ、あの様子を窺うに……。
「しゃあっ、どんどんパス寄越せよな! アタシが全部ブチ込んでやるぜ!」
再開を待つ傍ら、積極的に声を飛ばしチームを鼓舞している。すっかり調子を取り戻したか、或いは開き直ったのか。
どちらにせよ、あの男の貢献無しにあり得ないだろう。表情が読めなかった前半も前半だが、ああも晴れやかな顔をされては、殊更に癪。
(どんな魔法を使いやがった……)
この一分弱に起きた事態を、単なる『ギアチェンジ』と捉えるのは簡単。戦術的な要素も勿論あるだろうが。
よりメンタルに訴えるような、何かを施した筈だ。淡々とプレーする印象の彼らが鉄仮面の栗宮胡桃を除き、顔色まで良くなっている。
その秘密を是非とも解き明かしたいところだが……再開のホイッスルが鳴った。
良いだろう。まずは同点へ追い付き、そして逆転。こちらが全国出場を決めた試合後に、たっぷり時間を掛けて聞き出してやる。
「琴音! 上や、上に投げろ!」
「陽翔さんっ!」
鳥居塚のシュートで終わったので、再開は山嵜のゴールクリアランスから。言われた通り琴音は、下手投げでボールを天高く放り投げる。
後ろで細かく繋いでも、ハメられてショートカウンターを喰らっては失点シーンの二の舞。なら中盤を省略し、さっさと前線に運べば良い。
「気張れジンッ!」
「フッ……!!」
さながらバスケのジャンプポールが如く。お互い限界点まで高く飛び上がり、肩をぶつけ激しく競り合う。
ほぼ同時に触れ、セカンドボールは愛莉と来栖の元へ。前半のミスを取り返すチャンスだ、ゴリ押しで持ち込め!
「ハァァッッ!!」
「退けやデブゥゥーーッ!!」
互いにユニフォームを引っ張り、意地でもマイボールにせんとデュエルを繰り広げる。先に懐へ入ったのは愛莉だが、来栖も負けていない。
やはり前半とは見違えた。球際の攻防に拘るようなタイプではなかった筈だ。愛莉相手に一歩も引いていない。
「負けんな長瀬! 撃てッ!!」
逆サイドに構える瑞希。それを囮に使い、愛莉は強引にターンを試みる。背負った来栖を引き千切り、右脚を振り抜く!
「ナイス佳菜子! って、うわ!?」
「まだだっ……!」
シュートは来栖にディフレクション。コースが変わったが枠へ飛んでいる。だがこれを横村佳菜子、左脚一本で掻き出してみせる。
ふわりと浮いたセカンドボールは、戻っていた砂川の身体にヒット。ここへ俺と鳥居塚が飛び込む。出足はこちらの方が早い……!
「クソッ!! 愛莉!」
「ああっ……!?」
右脚つま先で押し込むが、またも横村が立ち塞がる。その零れ球へ愛莉が反応するも、来栖に引っ張られバランスを崩し、満足なシュートとはならず。
ボールはタッチを割っていない。
砂川がスコップし、一気に斜めへ展開。
その先には……栗宮胡桃。
「止めろマコッ!!」
「真琴さん!」
右サイドからのカットイン。瑞希がフォローへ戻り、一対二の状況。カウンターではあるが分の悪い勝負だ。どう来る……!?
「……っ」
「胡桃ちゃん!?」
「ええぞ真琴っ、よく耐えた!!」
味方の上がりを待ったのか、それともただの怠慢か。奴は勝負を仕掛けなかった。
その隙を狙い、巧みに刈り取ってみせる。遂に栗宮胡桃を止めた!
「んにゃろっ……!」
「Whoa! おっしゃれ~!」
ベンチのノノも目を飛び出させる。ルーズボールへ反応した瑞希は、華麗なマルセイユルーレットで砂川と入れ替わり、そのまま置き去りに。
一転、三対二のショートカウンター。
仕留めなければ……!
「ひぎゃッ!?」
「ファールやろレフェリー! クッソ……!」
だがこれを読んでいた鳥居塚。素早い寄せであっという間に距離を詰めると、瑞希は力づくで振り飛ばされてしまう。笛は鳴らない。
そのまま鳥居塚はグングン加速、大迫力の攻め上がりを見せた。自陣から運ぶドリブル、コンドゥクシオン。
背後からストップに掛かるが、町田南では抜けて筋肉隆々の鳥居塚、多少のチャージはビクともしない。これがA代表のフィジカル……!
「愛莉さん12番を、サイドのケア……あっ!?」
奴を警戒したが故のコーチングだろう。だが裏目に出た。砂川が愛莉から離れ、逆サイドへ膨らむ。プルアウェイの動きだ。
ポッカリ空いた左サイドのスペース、砂川はここを使った。栗宮と対峙している真琴、鳥居塚を止めに行った俺では埋め切れない。
「ブロック愛莉! 琴音ッ!!」
鳥居塚を諦めコースを塞ぎに掛かる。
キラリと光った八重歯が、その未来を描いた。
なんと言ってもシュート意欲の高さ。パスを受けるや否や砂川、寸分の狂いなきトラップから、瞬く間に左脚を振り切ってみせる。
それでも意地を見せた愛莉、遅れて入った左脚にどうにか当てる。ディフレクションは高く舞い上がり……。
「クッ゛……!?」
必死に身体を伸ばすが、届かない。
俺の頭上を掠め、ボールはペナルティーエリアをゆらゆらと浮遊する。
砂川を止めに行ったのは間違いだった。いや、間違いになってしまった。このハイボールを処理するのが真琴でも、瑞希でも分が悪過ぎる。
そこへ飛び込むのは、他でもない。
攻め上がっていたあの男なのだから。
「カラスちゃんっ!」
その一撃は大砲か、それとも格闘家の放った渾身のストレートか。バチンッと鈍いを音を立て、ヘディングシュートはゴールマウスへ突き進む。
恐るべき滞空時間の長さ。真琴も瑞希も寄せてはいたが、ジャンプから着地までまったく重心がブレない。無意味な抵抗でしか無かった。
「――Joãoは卒業か」
色味の無い声で、栗宮胡桃は呟く。
【後半02分35秒 鳥居塚仁
山嵜高校3-5町田南高校】
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