1054. 怖いです


「ダメです瑞希さんっ、飛び込まずブロックを! 比奈ッ、裏を警戒し――!」


 琴音が大慌てで指示を飛ばしている。


 それもその筈。再開から僅か五秒。

 町田南は、一瞬でチャンスを作り出した。



「クソっ……!」

「まーくんッ!?」


 キックオフ直後、比奈へボールが渡ったと同時に、栗宮胡桃が猛烈なプレッシング。慌てて蹴り出し一度は難を逃れるが。


 鳥居塚がすぐさまロングフィード。真琴の背後を狙った、ギリギリでタッチを割らない厭らしいパスだった。


 これに合わせて、町田南は一気に敵陣へ侵入。フォローも間に合わず、真琴はあっという間に囲まれボールを奪われてしまう。


 対戦相手を悉く餌食にして来た、前線からの強力なハイプレス戦術、ストーミングだ。立ち位置と運動量でパスコースを限定し、真琴のミスを誘った。



「コースを塞ぐんだッ! 構えろ楠美!」


 来栖が拾い一気に逆サイドへ展開、ジュリーへ。ロングボールが入ったタイミングで比奈のいる方に流れていた。徹底的なミスマッチ狙いだ。


 身体を大きく広げる比奈。だがジュリーは、そんな一種の隙を見逃さない。足元のケアが薄くなった、その瞬間を突く。



「あっ……!?」

「ザンネンムネン、またライネン!」


 足裏でひと舐め、からの正確なコントロールショット。スピードも抜群だった。琴音の伸ばし切った腕を掠め、サイドネットを貫く。


 怒涛の連続ゴール、そして逆転。

 アリーナが、揺れている。



【後半01分22秒 ジュリアーノ・カトウ

 山嵜高校3-4町田南高校】



「だから言ったのだ……ッ! おい、さっさと眷属を試合に戻せ! すべて台無しにするつもりか!?」


 聞いたことも無いミクルの怒号。峯岸の指示を待たずビブスを脱ぐ。彼女の言う通りだ。このままでは逆転どころでは済まない。



「監督ッ! ポジションは!」

「…………っ……」

「しっかりしろ峯岸ッ!!」


 茫然自失の四文字が何より似合う。感情がままに怒声を飛ばすと、ようやく我を取り戻した。峯岸でさえこうなるのか……!



「……右アラだ。ゴールだけ考えろ……!」

「了解ッ! 比奈、交代や!」


 戻って来た比奈にビブスを受け渡す。

 その手が震えていた。比奈、お前も。



「……ごめんね。ごめんね……っ!」

「反省は終わってからや! なにが起こった? 何を感じたか教えろ……!」

「分からないっ……アイソレーションから、急に流れが変わって、相手の動きが全部早送りみたいに見えて……!」


 震える肩を叩き、ベンチへ送り届ける。今はこれしかしてやれない。兎にも角にも、この悪過ぎる流れを止めなければ。


 確かに落ち度はあった。向こうがベストメンバーで来ている以上、残りのプレータイムを犠牲にしても俺が出場するべきだったかもしれない。


 だが結果論だ。最初の一分はむしろ山嵜のペース。割り切った守備陣形は確実に町田南の冷静さを奪っていた。


 なのに、あのアイソレーションで。

 すべて、何もかも引っ繰り返った。



(手を抜いていた、だと……!?)


 誰よりも栗宮胡桃の実力を知る彼女の証言だ。だとすれば奴に限らず、彼らはこの後半、アイソレーションのタイミングまで……。



「ハルト……ッ」

「追い付くぞ……必ず追い付く……!!」


 不安な面持ちで声を掛ける愛莉は、正直ほとんど見えていなかった。変わらぬ余裕面でコートを眺めるあの男に、腹が立って仕方がない。


 見抜かれていた。

 相模はすべて見抜いていたのだ。


 まるで俺たちが、作戦が機能し上手く試合を進めていると、勘違いしているのを分かっていて……それを楽しんでいたんだ……ッ!!



(舐めやがって……ッ)


 俺がコートにいなければ、山嵜攻略など屁でもない、そう言いたいのか。

 いや、事実そうだ。たったワンプレーで流れを一変させ、逆転まで持って行った。


 だが腑に落ちない。先に来栖が見せた気迫の籠ったプレー、パスを選んだジュリー、囮になることを許容した栗宮胡桃。


 どれもこれも、すべて相模のイメージ通りだと言うのか? なら前半からそうさせれば良かったのに。それさえも奴の作戦なのか? 手を抜いていたと?


 なら、許し難い。

 とてもじゃないが許容出来ない。


 俺の信じたチームが、チームメイトが。

 ただ純粋に『劣っている』などと。


 認められるか。そんな事実は無い。

 このコートのどこにだって……ッ!!



*     *     *     *



「怖いです。予想通り過ぎて」

「なにを言う良い笑顔で」

「褒めているんですよ、監督」

「じゃあ胴上げでもして貰おうか」

「勝ったらしますよ。本気で」


 眼鏡を掛け直し不敵に笑う兵藤を、アップに集中しろと鼻で笑い飛ばす相模。試合は再開された。だが、もう見る必要も無い。


 瑞希がサイドで胡桃に捕まり、またもボールを失う。鳥居塚に戻すまでもなく、自らシュートを放った。惜しくも枠を逸れるが、コートの面々、そしてベンチ組もまったく気に留めない。


 普段は激励やコーチングの少ないチームだが、これも前半とは一変した。山嵜サイドの声がまったく聞こえないほど。



(廣瀬をスタートから使えば、まだ分からなかったがな……偶には分の悪い賭けも良いものだ。終わったら宝くじでも買いに行くとするか)


 陽翔のプレータイムは残り9分弱。試合を決定付ける終盤に使いたい筈だ。そのために、序盤は女性陣のみで凌ぎ切る。


 そんな峯岸の戦略を、相模は完璧に読み切ってみせた。攻め急がず山嵜にペースを与えるのも、すべて戦略通り。


 尤もそれは、後半見違えるように自信を持ってプレーし始めた、選手たちの躍動あってのモノ。目に掛けている二人のことではない。



「凄げえ、マジで動きが全然違げー……ッ」

「お前もそうなるだろう。違うか?」

「へへっ……当然だっつーの。アイツらだけに良い顔させれるかよ……っ!」


 前半の決定機逸からあれだけ落ち込んでいた砂川も、今ではすっかり元気を取り戻している。まるで魔法にかかったかのように。


 そう。二分前、ハーフタイム。

 相模は選手たち全員へ『魔法』をかけた。


 彼からすれば戦略とマネジメントに基づいた論理的な話だが、少なくとも彼らには魔法のように見えた。

 たった数分の小話が、彼らのモチベーションに火を点け、本来の実力以上のモノを植え付けたのだ。



「よしっ、行けジュリー!」


 またも決定機。陽翔の単独突破からシュートが生まれるが、佳菜子が好セーブ。すかさず投げ飛ばしロングカウンターが発動。


 兵藤の後押しに乗り、ジュリーが一気に仕掛けていく。堪らずストップに入った愛莉を嘲笑う華麗なバックヒール。


 拾ったのは鳥居塚。中央を割って入り、真琴が寄せ切る前に弾丸ライナーを叩き込む。バーに直撃、危うく五点目が生まれるところ。



「行くぞ。砂川」

「っしゃ! 任せろ」

「おっとタイムアウトか」

「んだよっ!?」


 堪らず山嵜がタイムアウトを取る。陽翔の緊急投入で流れを引き込む筈が、これではどうしようもない。いよいよ薄笑いの止まらない相模である。


 帰って来た面々には笑顔と、前半には無かった自信が満ち溢れている。終始笑いっぱなしのジュリーと、微動だにしない胡桃を除くが。



「良くやってくれた。流石は俺の教え子たちだ……それを求めていたんだ、来栖。お前はもう一皮、二皮も剥けられる。そうだろう?」


 世にも珍しい監督の笑顔に、まゆはタオルでツインテールの汗を拭き取り、不敵に微笑む。



「鳥居塚。山嵜の技術の高さを前に、無意識にオフェンスを控えていただろう。必要無い。自分の力を信じろ。次は必ず仕留めるように」


 半ば造反染みた抗議を見せた鳥居塚でさえ、相模の言葉に深く頷く。前半とは様変わりしたその光景を、山嵜ベンチにはどう捉えているのか。


 簡素な指示を与え、すぐさまコートへと散らせる。明海に代わってベンチへ下がったジュリーは、どよめくスタンドを一瞥し、呟くのであった。



「そうだヨ、ミンナ。ボクはこれが見たかっタ。このチームで戦イ、彼に勝つためニ、ここへ来たんダ……!」




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