1052. これで良い
後半に向け、峯岸から与えられた指示はそれほど多くなかった。
勇気を持ってパスを繋げ。激しく競り合い、イニシアチブを握らせるな。粘り強く対応しろ……そして、勝ち切れ。
終了間際の逆転だったこともあり、ロッカールームの雰囲気も上々。
絶対王者からリードを奪った勢いのまま、自信を持ってコートへ帰って来た。
「な、なに……?」
通りで外が煩いと思った。コート中央へ鎮座し華麗なリフティングを繰り出す栗宮胡桃を、愛莉は怪訝な目で窺う。
アリーナの天井まで届きそうなほど高く蹴り上げ、右足アウトでピタリと静止。その一挙手一投足でスタンドはどよめく。
プレータイムの少なさを考慮しウォーミングアップをやり直した、わけではないだろう。
挑発しているのだ。この空間はすべて自分が掌握したと……いかにも栗宮胡桃らしい言動と言える。
「気にするなよ。ただのかまってちゃんや」
「そーそー。長瀬と同じってな!」
「うっさい瑞希……大丈夫、分かってる」
背中を叩き合い、二人はコートへと駆け出していく。ハーフタイムの間も口数が少なかった愛莉は、やはり前半の決定機逸を少々引き摺っていた。
不安が無いと言えば嘘になるが、それを察した瑞希がしつこいくらい絡んで、発破を掛けてくれている。
ホイッスルが鳴れば忘れるだろう。
否、忘れて貰わねば困る。
愛莉の活躍がこの後半、必須条件なのだから。
「しっかしまぁ、思い切ったなセンセー。あーりんとミクエル並べるて、ホンマに機能するんかいな」
「いや、理に適った対策や思うで」
隣に座る文香は、前半に痛打した腹部をググっと伸ばし、少々落ち着かない様子で問い掛ける。
逆転ゴールのときも輪に混ざらずベンチ横で寝っ転がっていたから、今日のミクルのプレーを把握していないのだろう。
「下手したらここにおるなかで、アイツがいっちゃんキレとるからな。自由に動いてくれた方が、愛莉にとっても良いブラフになる」
「にゃっはーん……縦関係やな?」
「ご名答。相手のフィクソを前へ釣り出して、ゴレイロと距離を取らせる……その空いたスペースを突くわけや」
「このあと、颯爽と現れたウチがな!」
「出れんのかよ」
「もう元気やもーんっ♪」
調子を取り戻した文香は実に頼もしいとして、つまりそういうことだ。
鳥居塚にしろ兵藤にしろ、ゴール前にベタ引きされるとチャンスを作れてもフィニッシュまで至れない。横村にまで届かなかったのが前半。
そこで、文香の同点弾。
アレを再現したい。
俺が出場出来ない間、フィクソに入った比奈には積極的に縦パスを狙って貰う。ミスを恐れず、試行回数を増やすことが重要だ。
一度でもひっくり返せば、決定機へ直結する。早い時間に追加点を奪えばより理想的。二点のビハインドは町田南とて重く圧し掛かる。
……とは言え。
「信じてないわけじゃない、ケド……耐え切れるのかな、このスカッドで」
町田南は栗宮胡桃、ジュリーが揃い踏み。後方には鳥居塚と来栖。要するにベストメンバーだ。大してこちらは、俺を温存している。
完全に守備へ重きを置いた構成ではないので、真琴が不安に思うのも頷ける。それでもやって貰わねばなるまい。
俺がコートにいない時間帯も、山嵜は十分に強い。それを証明するためこの一週間、血の滲む努力を彼女たちは積んで来た。
「どこかでリスクを負う必要はある。それが今や。もしまた逆転されたら、俺たちでひっくり返せば良い。せやろ?」
「じゃ、出番が無いことを祈った方が良いネ」
「やれるさ。アイツらなら」
拳を突き合わせる。
ほぼ同時にブザーが鳴った。後半開始。
「……出て来ない、か」
早速テクニカルエリアへ飛び出した峯岸は、少しホッとしたような、されど自信を纏った声色で呟く。予想がズバリ的中したからだ。
キックオフは山嵜。まず比奈と瑞希、愛莉でトライアングルを作りパスを回す。町田南は、プレッシングに来ない。
それもその筈。2-2ボックスの布陣を敷いた彼ら、守備の先鋒はジュリーと栗宮胡桃なのだ。二人とも守備を全力でやるタイプではない。
『良い流れね。こっちはリードしているんだもの、攻め急ぐ必要は無いわ。向こうが焦れて、前掛かりになるまで我慢すれば良いのよ!』
ハーフタイムに峯岸が語ったプランがそっくり現れ、シルヴィアも手応えを口にする。最低限コースは塞ぐが、本気で狩り取る様子は無い町田南。
これで良い。
インプレーの時間を増やし、時計の針を進める。
前半、俺がやられたことのお返しだ。鳥居塚やジュリーが本領を発揮出来ないままプレータイムを削られ、いずれは交代。
そして俺が、残りの9分間を自由に使う。
決定的な四点目を奪い、ゲームセット。
「ひーにゃん、こっち!」
「瑞希ちゃんっ!」
ジュリーが寄せ切る前に縦パス。来栖に捕まる瑞希だが、華麗なボディフェイクで当たり処を絞らせない。
来栖が最後に触り、山嵜のキックイン。良いぞ、良いぞ。ここまででもう20秒も消費した。これを繰り返せば、奴らも焦らざるを得ない。
「相模も底が見えたな」
「底、ですかっ?」
「9番の砂川だよ。アイツの前線からの守備は大きな脅威や。一点取らなければいけない状況で、出し惜しみするような選手じゃない」
ウォーミングアップを続ける砂川と相手ベンチを眺め、有希は『確かにそうかもですっ』と一言、首を傾げた。
もう前半じゃないのだ、早いうちに同点へ追い付いた方が良いに決まっている。
加えて砂川の強烈なプレッシングは、比奈のような後方で捌くタイプの選手と相性が悪い。そもそものスキル差もある。
なのに出て来たのは砂川でなく、来栖やジュリー。相模はゲームをコントロールし、落ち着かせることを選択した。
「ウチが初っ端からフルスロットルで仕掛けてくると、奴は睨んでいたんだ。砂川のプレッシングは奪えば一点モノだが、全体のバランスを崩す要因にもなる……腰が引けてるんだよ」
「なるほどっ……!」
「まずは峯岸の戦略勝ちかもな。こっちがゲームをコントロールしに掛かるとは想定外だった筈や。これで一旦、後半の流れが固まった」
「なら、このまま行けば……?」
「スコアは動きにくい。崩すには何かしらの、ドメスティックな手を打つ必要がある……ただ、今のアイツにそれが出来るかどうか」
本当に、取り越し苦労だったかもしれない。
負けたら終わり、ビハインドの状況で攻勢に出ないなんて。人間として最低限の感性すら持ち合わせていないのかアイツは。
仮にセオリーを無視してでも、このゲームで『掴みたいモノ』があったとして。なら尚更、砂川はキーパーソンだろう。
奴が前半の悪いイメージを早々に払拭すれば、それだけで町田南にとっては追い風になる。なのに、出し渋っている。
何か大層な野望があるようだが。
笑わせるな。コートに立つのは選手。
お前の思い通りになるほど、このゲームは。山嵜は甘くない。精々最後まで隠し通せ。その間に、すべて終わらせてやる――。
「ああんもうっ! ドン引きしてんじゃねーよこのチキンがッ!! アンチフットボールやめろ! モウリーニョの性奴隷!!」
「おいッ、余計なこと言うな……ッ!」
キックインからポゼッションは町田南へ。
すると山嵜、ミクルを先鋒に自陣へ一気に撤退。本性丸出しで悪態を付く来栖を鳥居塚が窘める。煩い奴だ。ならお前はバルサイズムの隠し子か何かか。
結構結構。アンチフットボール上等だ。ジュリーも栗宮胡桃も競り合いは強くないし、人数を掛けスペースを埋めれば強みも半減。
鳥居塚のミドルは怖いが、ミクルがカバーリングに集中している間はそう簡単に撃てない。
対人に強い真琴より、危機察知能力に長けた比奈が選ばれたのも、セカンドボールへの対応を徹底するためだ。
とにかく焦らし、冷静さを奪う。
最初の五分はこれで良い……!
「どーすル、クルミ。舐められてるヨ」
「…………」
ドリブルを止め自陣に引き下がったジュリー。コート中央で浮遊していた栗宮胡桃へ近付き、何やら声を掛けている。
栗宮胡桃。ベンチに座ったままの相模を横目でチラリ。応じるよう相模は立ち上がった。そして。
『やれ』
声は発していない。
だが口元は、確かにそう動いた。
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