1051. 前に出るしかない
ロッカールームへ引き下がる選手たちを、万雷の拍手と歓声で見送るスタンドの観衆たち。ブザーの音はとうに掻き消されるほどで、誰もがそのスペクタクルな展開に酔い痴れている証左でもある。
尤も、当事者となれば話は少々異なる。力無く座席にへたり込んだ彼らは、目下のプレーヤーと同じかそれ以上に疲労困憊だった。
「すっげえ試合だ……」
「勝ってるからまだマシだけどね~……」
武臣、哲哉の二人は手付かずだったドリンクを勢いよく飲み干し、ようやく一息つく格好となった。
見所の多いゲームに越したことは無い。
が、あまりに過多。
フットボールのイロハを知る者ほど、この15分間が単なる点の取り合いでないことに気付く筈だ。同様に背もたれへ体重を預け、克真も首を垂れる。
「まだ半分……心臓いくつあっても足りないっす」
「本当にね。オレらがこうなるんだから、実際にやってる選手がどんなものなのか……」
困り顔で谷口も同調する。後ろの席でキャーキャー喧しい、ニワカ全開の生徒会コンビに思うところもあった。
一点のリードと侮るなかれ。常勝無敗の町田南が、更にギアを上げ殴り掛かって来るのだ。想像するだけでも恐ろしい。
「後半、どうなると思います?」
「サッパリ。廣瀬くんの出てない時間帯にどうなるかって、始まる前は思ってたけど……関係無いっぽいな」
「ですよね。向こうの監督、30分間トータルでしっかり絵を描いているっていうか。なんならビハインドの折り返しも想定内なんじゃないかって」
「そう? いやぁ、流石にそれは……」
と、谷口が議論を始めようとしたその時。清掃員しかいなかった筈のコートに、一人の選手が現れる。それも、リフティングをしながら。
「栗宮胡桃……?」
克真の呟きと共に、スタンドにはざわめきが広まっていく。戸惑う清掃員を押し退け、一人でシュート練習を始めたのだ。
「ウォーミングアップ?」
「いやいや、前半も出てたっしょ」
眉をひそめる武臣と哲哉に続き、今大会最大のスター登場に色めき立つ観衆。だが間もなく、喧騒は沈黙へと変わった。
フローリングを擦る鋭利な足音と、痛々しい破裂。コートの端まで移動し、反対側のマウスへ左右問わぬ強烈なシュートをお見舞い。
そのすべてがクロスバーに直撃し、彼女の足元へ返って来た。まるでCGを見ているかのような曲芸に、サッカー部の四人は息を呑む。
「あれ、狙って当ててるのか……?」
「ぽいねぇ……俺らも遊びでたま~にやるけどさあ。しかも全部ダイレクトって」
「仮にも女の子に、こんなこと言いたくないけど……ちょっと、化け物だな」
クロスバー当てゲームはサッカー部も日常的に行うレクリエーションの一つ。ただこうも連続で当てるとなると、もはや奇跡の領域だ。
比較的落ち着いて眺めていた克真さえ、その異様な命中率に目を疑うばかり。似たような光景を何度か目撃していれば、尚更。
「……廣瀬先輩がやってるとこ、見たことありますか?」
「ヒロロンが?」
「あっ、そっか。フットサル部の練習後だから、そりゃ無いか……よくやってるんですよ、金澤先輩と。二人とも遠くからメチャクチャ当てるんで、最後は外した方が負けになるんですけど……」
正確なキックは陽翔の代名詞でもある。だが、当たり出すのは何度か試行を繰り返した数本目から。百発百中ではない。
「おかしいですよ、アレ……普通最初はフィーリングを合わせてからなのに、いきなり当てるなんて。キックの種類だって違うのに……!」
右インフロントの弾丸シュート。
次は左インサイドで擦り上げるショット。
今度はチップ気味のループ。
そのすべてが、クロスバーに着弾する。
「正直、先輩がしょっちゅう栗宮胡桃の名前を出すのも、あんなに意識していることも……不思議に思ってました。だって先輩は男で、あの人は女子です。体格も明らかに違う」
「まぁ、比較出来ないよな。普通なら」
「先輩が手放しで褒める選手なんて、それこそバッジョくらいですよ……きっと分かってるんです。自分より技術のある選手だって」
「……マジで? 廣瀬より上なの?」
「そりゃ信じたくないですよ……でも見る側のオレたちも、覚悟はするべきだと思います。プレータイムの制限がある以上、先輩がこのゲームに与える影響力は、恐らく栗宮胡桃には及ばない……」
鬼気迫る克真の演説に、武臣は喉をしならせた。陽翔より優れたプレーヤーなどお目に掛ったことがない。あの小さくて可愛らしい少女は、そんな彼をも上回るというのか。
一方、克真の考察は理に適ったものでもあった。陽翔の実力を痛いほど知っているからこそ、このゲームにおける働き振りは少々物足りない。
当然と言えば当然で、唯一の男性選手として守備に時間を割くのは致し方ないこと。相手は鳥居塚に兵藤、ジュリー。ベンチには男子がもう二人控えている。
「じゃあ、さっきの質問の答えとして……オレが言うまでもないけど。廣瀬くんをいかに自由に、ストレス無くプレーさせられるかが」
「カギになると思います。でもそれは、これまでの試合も同じだった筈です。マークも日に日に厳しくなって、簡単にはプレーさせて貰えない」
「でも勝ち上がって来た。それはつまり……」
「先輩の他に、もう一つ矢が必要です。今まではあったけど、少なくともこのゲームでは持ってないように見える。意外なところからゴールは生まれたけど、みんな本当の意味では相手の脅威足り得ていない」
大吾の言葉を継ぎ足し、克真は力強い眼差しでコートを見下ろす。今は胡桃しかいないが、もう一人の存在が朧げながら見えていた。
これさえも陽動作戦なのではないかと、彼は思っている。既にコートで待ち構えていた彼女を見て、山嵜に『栗宮胡桃』を強く印象付け……あの男の影を薄めようとしているのではないか。
「それこそ、町田南にとってのジュリアーノ・カトウですよ。栗宮胡桃の力だけでは、どこかで躓くかもしれない。今日のウチみたいな相手とぶつかったとき、五分五分の戦いになってしまう」
「……栗宮は、温存されている?」
「恐らく。怪我もしてないみたいですし」
要は『栗宮胡桃抜きでも勝てるチーム作り』をしているわけだ。大吾も腑に落ちるところ。
なんせ今大会、胡桃はトータル10分弱しか出場していないし、今日ようやく三点目を記録したほど。
当落線上のセカンドセットの選手たちの方が、多くプレータイムを貰っている。この試合だってゴールの瞬間以外は寝ていたようなもの。
導き出される結論は一つ。
町田南。否、敵将・相模淳史は……。
「……通過点なんですよ。たかが全国出場なんて。あの監督のマネジメントの中では、山嵜とのゲームも、一つの課題でしかない」
「舐め腐ってやがるな……ッ」
「でも事実です。前半のアンバランスな状態も、実戦の場で解決に取り組んでいるからこそ。栗宮胡桃とジュリアーノ・カトウ。この二人に、他の選手がクオリティーで追い付いたとしたら……今の山嵜には、止められない」
だから矢が必要なんです。苦虫を嚙み潰す武臣へ、あどけない顔つきの少年は腹の据わった低い声を轟かせた。
入学当初は同級生にさえ舐められていた彼が、あまりに恐ろしい、鬼に食われたような表情をするようになったのか。
武臣はまたしても唾を飲んだ。こんな姿、先のインターハイでさえ見せなかったのに。
が、再びコートへ集まり出した彼らを眺め、すぐに納得した。彼は自分たちと少し違う。とっくの昔から、あのチームの『当事者』なのだ。
「廣瀬先輩の心配なら、ちっとも必要ありません。問題は他のみんなです。この後半、町田南が本来の姿を取り戻すとしたら……まだまだ、全然足りない」
「……実力が?」
「いえ……もっと重要なことがあります」
哲哉にこうは言うが、既にヒントを掴み掛けている者もいる。
単なる幸運ではなく、それが三つのゴールに繋がったのだ。それさえも克真は見抜いていた。
「……人間は、肉食動物です。目は横に付いていない。なら、前に出るしかないんです。逃げ道を作っちゃいけないんですよ……ッ」
「えんっ? 肉食? なんて?」
「小手先の戦術も必要無い。相手が、身の毛もよだつ化け物だったとすれば……それをも上回る狂気で、迎え撃つ以外に無いんです……ッ!」
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