1050. ヒューマンエラー
圧倒的なポゼッションを保ち、前半を締めに掛かっていた町田南。投入された19番にも当然、その意図は伝えられている筈。
故の油断だろう。後方に鳥居塚、兵藤とキープに長けた男子二人が揃っていて、対峙するのは露骨に守備の下手なアイツ。
多少のプレッシャーは問題無い。
後ろに戻せばすぐ組み立て直せる。
そんな見え見えの、この緊迫したゲームには到底不釣り合いな、あまりに軽いプレーを――――ミクルは狙っていた!
「うそっ奪った!?」
「すごい、未来ちゃん!」
バックパスの瞬間を狙い身体を当ててみせた。愛莉と比奈が驚くのも無理は無かろう。これまでの練習でも、一度だってチャージを成功させたことが無かったのだから。小さいし。フィジカル激弱だし。
ただこれは19番も同じ。まさか本気で狩るつもりとは思わなかったのか、明らかに準備が出来ていなかった。腰が高かったのだ。
バランスを崩し転倒する19番。
ホイッスルは……鳴らない!
「あわわわっ!? こ、コース消してくださぁぁい!!」
「チビ助! 逆サイド!」
「ノノもいますよォォーー!!」
突如勃発したショートカウンター。ここぞとばかりに瑞希とノノが攻め上がる。やはり鳥居塚と兵藤が構えてはいるが、数的優位に違いはない。ただ、奴に二人が見えているかどうか。
いやまぁ、その言い方も違うな。
だって、ミクルの考えていることなんて……。
「栗宮さんっ! 勝負じゃ!!」
「ゴーゴーっス!!」
「シュートだよ、未来ちゃん!」
ベンチを飛び出した同級生たちの声援に押され、果敢にも兵藤相手に一対一を仕掛ける。その表情には余裕すら見て取れた。
左アウトで切り返し、鋭くカットイン。ファールで止めればまた第二PKとあって、兵藤は強く当たりに行けない。ミクルの奴、そこまで織り込んでこのタイミングで仕掛けたのか!
「慎太郎……!」
「分かってるって!」
目もくれぬ速さで左脚を振り抜く。ただここは兵藤も上手い。適度に距離を保ちつつ、身体を倒してコースを塞いでみせた。
ディフレクション。シュートは横村と、逆サイドからフォローに入っていた鳥居塚のちょうど中間辺りに落っこちる。
「よし、横村――」
「助かりまっ――――ほえっ?」
そこに、穴があった。
誰も予期しなかった落とし穴。
「――――お見合いしてんじゃねーっすよ!!」
二人の間に生まれた僅かなスペースへ、猛然と突っ込む薄ゴールドの影。いつかのワールドカップで観たような、渾身のつま先が、先に届いた。
「仁!」
「しまっ……!?」
目の前に横村はいるわけで、流石にコースを狙う余裕も無く。一度はブロックされてしまうが、それさえも町田南にとっては悪手。
横村に当たり。
辛うじて反応した鳥居塚の身体にも当たり。
零れ球は、ポッカリ空いたファーサイドへ。
そこに居たのは、ただ一人。
「――――
インサイドで巻く正確なショット。
悪戯な笑顔が、爆音の歓声と共に弾けた。
【前半14分03秒 金澤瑞希
山嵜高校3-2町田南高校】
「っしゃああああアアアアああああ!!!!」
「わああああきたああああアアアアーーーーッ!!」
「よしっ! よしッ! ぃよぉぉぉぉし!!」
まるで決勝ゴールのような騒ぎだった。流れるままスタンド下まで駆け出した瑞希を、コートの面々もリザーブも、大挙して押し寄せ潰してしまう。
前半残り一分だというのに、一分以上は喜んでいた。主審はおろか本部のスタッフまで飛んで来て皆を制している。今大会こういうの多いな。さぞかし心証が悪かろう。まぁ、どうでも良いけど。
「さいっこー瑞希ッ! よく決めたわ!」
「へへへっ♪まーほとんどチビ助のゴールっしょ♪」
「だとしても! だとしてもですっ!!」
最後まで傍を離れない長瀬姉妹は特に嬉しそう。ただ彼女の言う通り。このゴールの立役者は他にもいる。
「よう撃ち切ったな、ミクル」
「ふんっ。手柄を掠め取られては意味があるまい」
「だったらちゃんと決めれば良いんですよ~!」
「煽んなこんなときに。ナイスプッシュ」
「むへへへへ~~♪」
スコアラーにこそなっていないが、今日のノノは攻守に大活躍だ。アホ毛を思いっきり潰すと馬鹿みたいにニンマリ。
そして何よりミクル。よくぞ19番の慢心を見破ってみせた。兵藤相手に勝負を選んだ度胸も百点満点だ。元よりパスする気も無かっただろうが。
(さて……流石に焦ったか?)
逆起点になってしまった19番を下げ、砂川を入れるようだ。後半まで我慢出来なかったな、相模の奴。
再開直後から前掛かりになる町田南。その砂川へ縦に付けて、遠目からでもシュートを狙って来る。
が、真琴とノノが立ちはだかり、簡単には撃たせない。枠外へ大きく逸れ、山嵜側のスタンドからは歓声が飛び交った。
「まさか動くとはな……」
「こんなモンやろ。天下の町田南と言えど、ミス一つしない完璧なチームってわけじゃねえ。まっ、ほとんどミクルの功績やけどな」
喧騒が収まりベンチへ戻った峯岸は、お馴染みのスカした面はどこへやら。軽く放心状態のようだった。
自ら口にしたように、1-2になってから峯岸は効果的な采配を打てていない。でもコレ、アンタのおかげでもあるんだぜ。
「ミクルを残した時点でちょっと予感はあったよ。隙さえあれば一発噛ましてやろうって、思ってたんだろ?」
「いや、全然」
「あれ」
「……最低限の守備はやるようになったし、点取って動きも軽くなるだろうって、割と雑な理由で残したわ」
「ハハッ。らしくねーな。まぁ良かったじゃねえか」
「うーん……いや、結果的にな……?」
この惚けた顔を見るに、どうやら本当に偶然の産物だったみたいだ。理論派を気取る彼女にすれば納得いかないのも致し方ないところか。
でも、それで良い。
偶然でもラッキーでも、俺たちはゴールを奪った。
転がっていたツキを活かしたんだ。
(……なるほどな)
そう。この逆転劇も、俺の予感を確信へと変える代物に過ぎない。一見完璧で、付け入る隙さえ無いように見えた町田南、そして相模のゲームプランにも、致命的な穴はあった。
いやどうだろう。
実際のところ、穴らしい穴は無くて。
どのゴールも相手の些細なミスやうっかり、ちょっとしたマークの受け渡しから生まれている。先の得点も言ってしまえば、鳥居塚と横村がお見合いをして、ノノに触られてしまったが故の交通事故。
なんとなく脳裏を過ぎった『机上の空論』という言葉が、今では一層身に染みるようだ。指揮官がどれだけ完璧なプランを用意しても、結局のところ遂行するのはコートに立つプレーヤー。
「あっ、また!」
「だぁァァーー!? 惜しいっスぅぅ~~……!」
今度は来栖が軽率なパスを出してしまい、真琴に奪われた。カウンターを狙いロングフィードを送るが、残念ながらミクルには届かない。
「……ミス、増えて来たね?」
「せやな」
「不思議だねえ。さっきと正反対になったみたい」
隣に立つ比奈も、落ち着かない展開にどこかふわふわした面持ちだ。一転したコートの様相に説明が付かないのだろう。
「多分やねんけどな」
「うん?」
「向こうの監督……相模の提示したゲームプランに、選手が追い付いてないんじゃないかって、そんな気がするんだよ」
「監督さんのプラン?」
「理屈は分かんねん。最終的に勝てば良い、過程は二の次……町田南ほどの強豪なら、それくらいはやれるとは思う。ただ……」
町田南はまたもパスが乱れる。横に渡そうとした兵藤のキックを、鳥居塚が受け損ねたのだ。もっと前へ出せ、と鳥居塚がジェスチャーしている。
一方、兵藤に焦りの色は見えない。ごめんごめん、と軽く腕を上げて、険しい顔つきの鳥居塚を軽く受け流す。
同点のまま前半を終わらせるつもりだった筈だ。その役目を課された兵藤がああも冷静で、鳥居塚が露骨に焦っているのには、必ずワケがある。
「ヒューマンエラーを考慮してない、ってこと?」
「ヒューマンエラー?」
「なんの用語か忘れたけど、人間だからどれだけ気を付けてもミスはするよね、っていう、そんな感じの言葉。向こうの監督さんは、それを考えないでプランを立てているから、選手が着いて来れない……とか? 違った?」
博識の比奈は脳内辞書から聞き慣れない用語を引っ張り出し、設問に応えようとする。面白い言葉だ。言い得て妙。
ただ、それ以前の問題だろう。今し方のゴールが相手のエラーだったとして、それが起きるような状況を生み出してしまったのは相模の責任と言え……。
(ッ……! わ、笑ってる……!?)
つい声が漏れそうになった。
目元は見えないが、明らかに口が緩んでいる。
どっ……どういうことだ。懲罰交代で引っ込めた砂川を再投入するほど、余裕が無かったんじゃないのか? 事前に立てたプランが予期せぬエラーで崩れたとして……あんな顔をするか?
(悟られないようにしているだけか……?)
せめてサングラスを外せば分かり易いだろうに。知る限りの言動を顧みるに、とてもそうとは思えないのがますます悩ましい。
町田南のベンチワークと、一部の選手の意志が一致していない。これだけは確かなのだ。すべては前半の三得点が証明していた。
勝負を掴み取るための運も、実力も、そして勇気も。俺たちは持っている。現にリードを奪ったのは山嵜だ。
不安要素があるのはむしろ町田南。手放しでは喜べずとも、一息つくだけの余裕はある筈だろうに。
ふざけるな。なんでお前が笑うんだよ。
どう考えてもこっちの権利だろうが……!
(これさえも想定の範囲だとでも……? 馬鹿言え、全国の懸かった試合やぞ。ビハインドを許容してまで、なにを目指すってんだよ……!)
嫌なものを見てしまった。
暫くは忘れられそうにない。
相模淳史、なにを企んでやがる――。
【前半終了
山嵜高校3-2町田南高校】
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