1048. 遊び尽くせ


「えっ、左!?」

「それや!」


 愛莉が驚くのも無理は無い。キッカーの瑞希は利き足の右でなく、左でゴールから逃げるようなクロスを送った。それも、ファーサイドへ。


 ここへ飛び込んだのがノノ。

 大外へ大きく膨らみ、折り返しを狙う。


 対応していたのは6番だった。

 そう、これが肝。

 

 なんせ前半の間、ファールを重ねたのはこの6番である。それも半分はノノとの競り合いで取られたもの。理由は分からないが、この試合中ずっとノノ相手にフィーリングが悪い。


 どちらかと言うと守備寄りの選手で、相模もその特徴を把握しているからこそ、このセットプレーのタイミングで送り込んだと思われるが。


 今回ばかりは裏目に出た。というより、再開直前にノノが出て来たから、相性の悪さを考慮する時間が無かったのだろう。



「やばっ……トラップ!?」

「痛ったああああアアアアァァァァ゛!!!!」


 鼓膜を突き破るような絶叫がアリーナ中へ響き渡った。出処はやはりノノ。ド派手に転倒し、右足首を抑えコートをゴロゴロ。


 素晴らしい機転。ダイレクトの折り返しでなく、胸トラップからの前進を試みたのだ。裏を取られた6番はそのままシュートを撃たれるのを嫌い、ノノのユニフォームを引っ張ってしまった。


 ホイッスルが鳴る。



「わああっ! 凄いノノちゃん!」

「っしゃ!! 狙い通りッ!!」


 歓喜に沸く山嵜ベンチ。エリアの外なのでPKにはならなかったが、ファールであることに変わりは無い。町田南、六つ目の反則。


 山嵜に、第二PKが与えられた……!



「やりましたっ! ノノはやりましたよぉ~!!」

「お前今日どうしたッ!! むっちゃ神やん!」

「おほほほほほっ! もっと褒めてください!」


 まるでゴールを決めたかのような喜びよう。抗議する町田南ファイブを尻目にベンチへ飛び込んで来たノノである。ちゃっかり怪我はしていない。


 あれだけ閉塞感の漂っていた数秒前が嘘のようだ。正攻法ではどうにもならなかった難しい展開を、ノノの頑張りとアイデアが打ち破ってくれた。


 ともかく絶好機だ。

 同点のチャンス、キッカーは……。



「蹴る気満々だね、未来」

「うむ、なら任せるか……いやでも怖っ」

「気持ちは分かるケドさ」


 ホイッスルが鳴った瞬間から、一度たりともボールを離さなかったミクル。勝手にポジションへセットし、早くも臨戦態勢。



「栗宮ちゃん、PKってどうなんスか?」

「上手いで。一応。でもミクルってのがな」

「わははは……ごめん栗宮ちゃん、否定出来ないアタシを叱ってくれっス……!」


 確かにミクルのキック技術は部内でもトップレベル。川崎英稜との練習試合で決めた実績もある。大会直前の紅白戦でも琴音を出し抜いてみせた。


 本来ならキッカーは俺、愛莉、瑞希の順。ただ、ここまで数多の決定機を横村佳菜子に防がれている手前、イメージが湧きにくいという点もある。


 俺はプレータイムの問題があるし、故にコート上で一番上手いミクルが蹴ること自体、問題は無いのだが……不安がる真琴と慧ちゃんの気持ちも、頭を抱える峯岸の葛藤も理解の範疇。


 だって、ミクルだし。

 どう足掻いてもミクルだし……。



「せわーねー。栗宮さん、練習が終わったあと、ずーっと一人でPKの練習しとったの、わしゃ見ょった」

「……聖来? そうなのか?」

「恥ずかしいんじゃよ。努力しとる姿を見られるのが……みんなが帰ってから引き返して、わざわざ川原先生に鍵借って、体育館開けて貰うて。休みの日はわしもてごしたりしとったんじゃ。あんまり役にゃあ立てなんだけど……」


 両手をギュッと握り、祈るような瞳でミクルを見つめる聖来。知らなかった。陰でそんなことをしていたのか。


 思い返せば、町田南との対戦が決まった準々決勝後。いや、大会が始まってからずっとそうだったかもしれない。

 厨二語録こそ相変わらずだが、余計な茶々を入れ練習を中断させることも無くなった。


 忘れもしない。あの日、市立体育館でトラウマを叩き付けられたのは真琴だけではなかった。彼女も……。



「……待ちに待った姉貴との対戦だものな」

「信じちゃってつかぁせぇ。あねーに頑張って来たんじゃけぇ、絶対に決められる筈じゃ……!」


 再開を促すホイッスル。同時にスタンドからは、山嵜応援団の力強い声援と小刻みな打楽器の音色が飛び交う。



「あぁ~~どうしようぉぉ~~……!?」


 第二ペナルティーマークはゴールから10メートルの距離。ゴレイロはその間を自由に動いたり、前に出ても良い。例に漏れず横村佳菜子も、身体を大きく広げステップを踏んでいる。


 なにを不安な顔で。甘ったるい声色と鋭い身のこなしがまったく釣り合っていない。どこに撃たれても対応出来るよう、イメージを重ねているのだ。


 背丈の低い横村だが、輪に掛けて小さいミクル。あれでは枠がほとんど見えていないだろう。


 さあ、どこに蹴る。

 なにを狙っている……?



『すっごい長い助走……全力で蹴るつもり?』


 シルヴィアは不安げに呟く。

 自陣まで戻ってしまった。


 そしてミクル、ベンチに佇む姉を横目に。



「…………刮目せよッッ!!」


 一気に駆け出す。全速力だ。

 力強く右脚を踏み込み……!



「――――――――ふぁああああアアアア!?」


 沈黙を切り裂く、横村佳菜子の悲鳴。

 否、奇声。


 ゆらゆらとした不規則な軌道が。

 ネットを、揺らした。



「パッ、パネンカァァァァ!?」

「すっげーーー!! やりやがったアイツぅぅ!!」


 どよめきと歓声で沸き上がるアリーナ。零れ球に詰めようと駆け出していた瑞希は、興奮のあまり勢いままにミクルへ飛び付く。


 全速力の助走からは予想も付かない、滑り込んだ横村を小馬鹿にしたようなチップキック。あの鬼気迫る思い詰めた顔振りからしても、まさか頭上を狙って来るとは横村も思わなかっただろう。


 しかしこのパネンカ、見覚えがある。まさに川崎英稜との練習試合で、兄の弘毅が決めてみせたものと瓜二つだ。もしや練習していたPKって。



「これじゃっ! にぃに!」

「ハハッ……心臓に毛が生えとるわ。剛毛や剛毛」


 歓呼の輪という名のおしくらまんじゅうから帰還したミクルは、ぐしゃぐしゃにされたツインテールを振り払い、ベンチをジッと見つめる。


 ビブス片手に立ち尽くす姉へ、その力強い瞳だけで『どうだ』と言わんばかり。まぁ、向こうはノーリアクションだが。


 それでも幾らかの鬱憤は晴らせただろう。何もさせて貰えなかった一か月前のスパーリングから、ここまで成長したのだ。PKではあるが、このゴールはミクルの大きな財産となるに違いない。


 勿論、彼女だけではなく。

 山嵜にとっても貴重な、貴重な同点弾。



「……あと五分、どうなるかしら」

「さあ。サッパリ分からん」


 ブザーが鳴り、町田南のタイムアウト。失点の起点となってしまった6番を筆頭に、多少はテコ入れをしてくるだろう。


 喜ぶのも程々に、次の一手を考えろ。フットボールの神様が、俺たちに浮かれ過ぎないよう釘を刺したような。けれども、面白い試合をありがとうと労っているようにも聞こえる、不思議な音色だった。


 愛莉の言う通り。まだ同点だ、ここから町田南がどう動いて来るか。

 そして、それらを跳ね除け勝ち越すために必要なモノを、もう一つ手繰り寄せなければならない。問題は手付かずのままだ。


 ただ、一つだけ確かなことは。



「堪んねえよな。なあ愛莉」

「……えっ?」

「文香とミクルが点決めるなんて、誰が予想したよ。ノノのマリーシアが伏線になるなんて、当てにするにもリスキーだろ……」


 今日これまでの積み重ねも、勿論ある。対策やシステム変更がハマった側面もある。

 だが、ゲームを動かしたのは他の要素。それもまったく考慮していなかった、斜め上の角度から訪れた幸運。


 要するにこのゲーム。

 もう腹の探り合いじゃ、どうにもならない。


 いや、最初から分かっていただろう。

 全国の切符を掴むため、いま何よりも必要なモノ。



「気合入れ直すわ。この程度で動揺しちまうようじゃ、和製ロベルト・バッジョの名が廃れるってモンよ」

「う、うん……ハルト?」


 足りない。足りない。

 まだまだ、全然、足りてないんだ。


 余りある情熱と焦燥を。

 膨らむ勝利への渇望を。

 顎を外すようなアイデアを。

 身の毛もよだつ恐怖を。

 世界中を巻き込むほどの狂気を。

 

 何もかも解き放ち、突き付けろ。


 そして楽しめ。遊び尽くせ。

 やり切った奴が、最後に笑うのだ。



【前半11分02秒 栗宮未来

 山嵜高校2-2町田南高校】


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