1047. 蟻地獄


「ジュリアーノだッ!」

「また撃って来るぞ!」


 スタンドの誰かが興奮気味に捲し立て、数秒後には終わっていた。何度目かという強烈なショットが辛々とゴールマウスを逸れ、ため息へと変わる。


 勝ち越し弾の直後、町田南はすかさずファーストセットの面々を投入した。

 引き続きプレーする栗宮胡桃に加え、鳥居塚仁、来栖まゆ、ジュリーの四人だ。



「立てるか瑞希!」

「余裕だっつーの!」


 身を投げ出した決死のブロックでピンチを救った瑞希は、差し伸ばした手を力無く掴み、ようやく立ち上がった。


 滑った箇所を清掃員がモップ掛けしている間、電光掲示板に目を向ける。先のゴールからまだ一分しか経っていない。


 たったそれだけの時間で、いったい何本のシュートを撃たれたのだろう。もはや数えるのも億劫だ。

 こちらのパスはまったく繋がらず、すべてショートカウンターに繋げられ、フィニッシュまで持って行かれている。


 

「ハルト、もう時間が……!」

「分かっとるッ! コーナー集中しろ!」


 キックインを待つ愛莉。度々の接触で痛めたのだろう右肩を気にしながら、そんなことを言う。俺としてはそっちの方が心配だが。


 ただ、気にしてしまう理由も分かる。前半ラスト五分、俺はベンチへ退く予定だった。後半にプレータイムを残すためだ。


 尤も栗宮胡桃の登場と痛恨の失点により、計画は破綻してしまった。実のところ栗宮の投入に関わらず、俺は下がる筈だったのだ。ところが、この一分の攻防がそれを許してくれなかった。


 いや、違う。攻防ですらない。

 奴が現れてから、守備しかしていない。



(どうする、峯岸……! このままやダメージしか残らへんぞ……!)


 険しい顔つきでテクニカルエリアに立つ彼女は、未だに交代を渋っているようだった。

 それもそうだ。俺が下がってしまったら、リスク上等で三点目を奪いに来た町田南を止め切るのは極めて難しい。


 三年組の実力なら追い付ける可能性もあると、必死に我慢しているのだろう。ただこうも攻められっぱなしでは……。



「潰せ愛莉ッ!」

「くすみんっ、来るよ!」


 キッカーは来栖。ゴール前を固めた俺たちの頭を越える、ファーサイドへの緩やかなクロス。ターゲットは鳥居塚。


 狙いは明らかだったが、先の失点が脳裏を過ぎったのだろう。ニアで構える栗宮に気を取られたか、愛莉は強く当たりに行けない。ボレーが来る!



「ふっ……!」

「ナーイスひーひゃん! セカンド!」

「お前が拾えやボケッ!!」


 低い軌道の弾丸ミドル。比奈が右脚を伸ばし掻き出すと、すかさずジュリーが反応。ダイレクトで狙って来る。が、俺が身を挺してブロック。


 それでもクリアはし切れず、ゴール前で暫しの混戦。ジュリーの足元へ零れキープされてしまう。俺と瑞希、二人掛かりで掴めるが、奪えない。



「比奈、コースをっ!」


 サイドへ展開、来栖と一対一に。クロスでなく勝負を選んだ来栖、カットインからインサイドで巻いたコントロールショット。


 伸ばした脚の股下を狙う厭らしいシュートだ。ただこれは枠を逸れ、ゴールクリアランスになった。やっと流れが切れた……ッ。



「ええぞ! 良く守り切った! 琴音、ビビんなよ! 時間掛ければ掛けるほど出し辛くなるぞ!」

「は、はいっ……!」


 ボールを抱え出し処を窺うが、リアクションからして動揺は見て取れた。全員ぴったりマークされ、どこに投げても次の一手が開かない。


 これもこの一分間で何度も見た光景。落ち着いてパスを繋ぐ時間さえ作れないのだ。ドン詰まりも良いところ。


 

(栗宮一人でこうも圧が違うのか……!)


 連動したハイプレスからのショートカウンター。町田南の戦い方はセットを問わず終始徹底している。


 それでも前半の間、何度かチャンスを作れたのは……俺か瑞希が個人技でファーストディフェンダーを剥がし、敵陣まで前進していたからだ。


 そのファーストディフェンスを担っていたのが砂川であり、先ほどまで出場していた男子の11番。それが栗宮胡桃に代わった途端、この有様。



「クソがッ……!」

「わぁ~! ナイス寄せですよぉ胡桃せんぱ~い!」


 ゴール前で数本繋いだが、比奈のところで詰まってしまった。栗宮の素早いチェックで前を塞がれ、敵陣へ大きく蹴り出す。


 以前のスパーリングではまったく守備をしなかったのに、今日は完璧なポジショニングでパスコースを塞いでみせる。

 なんなら動き回って圧を掛ける砂川より対応しにくい。まさかこの試合のために隠していたのか……?



「怯むなッッ!! 一つ剥がせばチャンスは作れる! 自分を信じろッ!」


 口煩いくらいに喝を入れ直しても、皆の反応はどうにも鈍い。あれだけ騒がしかったベンチからも、ほとんど声がしなくなった。


 かく言う自分も人のことを言えない立場。頭では分かっていても、心が追い付いて来ないのだ。無意識のうちにロックが掛かっている。


『一つのミスが失点に直結する』

『栗宮胡桃を止めるにはどうすれば』

『隙を見せればジュリーに仕留められる』

『鳥居塚のミドルが来るかも』


 あらゆるが脳裏を支配し、身体の自由を奪う。そして、トランジションが利かなくなる。守備で時間を浪費する。悪循環。


 前後半一つずつのタイムアウトを消化しているせいで、ベンチから立て直しも出来ない。

 ファーストセットの強度相手では、下級生を投入することも出来ない。


 コートに立つ五人でなんとかするしかない。のに、出来る気がしない。


 分からない。こんなの初めてだ。

 どうすればこの蟻地獄から抜け出せるのか。


 活路が無い。

 勝ち筋が、見えない――。



「痛っ゛た!?」

「オット! 失敬シッケー!」


 左サイドでやり合う瑞希とジュリー。派手に転んだが、粘り強く対応しジュリーのファールを誘ってみせた。体格差のおかげで甘く見て貰えたか。


 ただライン際、ゴールからも遠い。ここから狙っても横村佳菜子に加え鳥居塚が君臨する手前、セットプレーの旨味もそれほど……。



(…………ファール?)


 ちょっと待て。

 町田南のファール、今ので何個目だ?



「角度は悪くないわね……どうするハルト? 狙っ」

「タイム。瑞希と話し合うフリだけしといてくれ」

「えっ。う、うん?」


 ボールをセットした愛莉を置いて、俺はベンチへと向かった。どうやら似たようなことを考えていたようだ。峯岸とも寄って来る。



「五つ目やな?」

「ああ、ファイブファールさね。あと一つで」

「第二PKが貰えますね……むふふっ」

「せやからお前、暫く静かにしとったのか」

「ぴんぽ~ん♪」


 セカンドセット同士でやり合っている間、ノノがファール数を稼いでいたことを思い出したのだ。もう一度貰えば、エリアから少し離れた位置から自由に撃てる絶好機、第二PKが与えられる。


 しかもこれ、六つ目七つ目と重なると、その度に第二PKとなる。後半になるとリセットされるが、前半の間はやり放題。


 

「……狙ってみるか」

「同感。ただ、ファールを貰えずカウンターを浴びたときのリスクも考慮したい。そこでだ……おい、早坂! 厨二! 準備は出来てるか!」

「は、はいっ! できてますっ!」

「誰が厨二だ貴様ッ!?」


 峯岸は振り返り、黙々とアップを続けていた有希とミクルを呼び付ける。厨二て。せめて名前で呼んでやれよ。



「市川、お前も入れ。意図は分かるな?」

「ほほー。こうもチビッ子ばかりということは……そーいうことですねっ?」


 体格差のギャップを利用し、ファールの貰いやすい状況を意図的に作り出そうという魂胆だ。


 相手ベンチを窺い、二人は企み顔で口角を吊り上げた。ジュリーと栗宮を一旦下げ、兵藤と6番を入れるようだ。こちらの意図に気付いていない。



「廣瀬も一旦下がれ。というか、他にタイミングが無い。この時間帯で同点にすれば、向こうも無理はしない筈さね」

「分かった。頼んだぜ、ノノ」

「お任せください……ッ!」


 ハイタッチを交わしコートへ送り出す。ちょうど同時期に、主審がホイッスルを強く吹いた。早く再開させろと促している。


 ここですかさず愛莉と比奈を呼び寄せ、有希とミクルを投入。プレータイムの懸念がある俺はともかく、フィニッシャーの愛莉を下げるとは思わなかったのか。相模はこちらを一瞥し眉を顰めた。



「ねえちょっと、この四人って?」

「落ち着けって。信じて待とうぜ……」


 心配する愛莉を余所にホイッスルが鳴った。キッカーは瑞希。投入された三人はエリア内を耐えなく動き回り、マークを分散させている。


 尤も、あまり脅威には映っていないのか。鳥居塚も兵藤もゴール前にどっしり構え、本格的に捕まえる気は無さそうだ。


 ただ、一人だけ。

 明らかに面倒臭そうな顔をしている奴が。



「――――市川、裏ッ! 走れ!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る