1042. 見ろ、動くぞ


 あれだけのビッグチャンスを逸しては、流石にベンチの空気も重い。とは言え予想出来ない展開でもなかったのだろう、誰よりも早くそれを察し、峯岸は戦術ボードを力強く叩いた。



「ったく、落ち込んでる場合か! まだ五分、しかも一点差。むしろ、よく耐え切ったと言って良い。次の五分が勝負さね。おい市川ッ!」

「ふ、ふぁい!?」


 名指しされたノノは屈んで靴ひもを結び直しており、驚いてスッ倒れてしまう。息詰まる激戦に似合わぬコミカルな絵面に、誰からともなく笑いが零れた。


 ……そうだ。ファーストセットの戦力はほぼ五分五分と言える山嵜と町田南。何か大きな分岐点が生まれるとしたら、それはセカンドセットの攻防。



「予定通り廣瀬以外は交代。ただ、スタートのシステムを少し弄る。1-1-2、市川と長瀬妹で縦のラインを組め。Y字型だ」

「はぁ……珍しい形ですね?」

「練習でやったことあったっけ?」


 ノノと真琴は不思議そうに顔を見合わせる。


 確かに試したことは無い。が、まったく覚えがないわけではなかった。恐らくそれは、早々にコートへ現れた町田南の陣容と無関係ではない。



「兵藤と砂川のラインか」

「その通り。セカンドセットでは11番……あの茶髪の男だ。アイツがピヴォに入るケースが多い。だが、9番が残ったということは」

「裏抜け狙いっちゅうことやな?」

「それだけじゃないが、意図は透けて見える」


 忙しなくアップを続ける文香に続き、セカンドセットの陣容を確認。ゴレイロの横村、話題に挙がった砂川だけが残り、あとは交代している。


 注目は7番の兵藤。鳥居塚に代わりフィクソの位置へ入っている。同じポジションだが、プレースタイルはまったく異なるこの二人。



「中央にドッシリと構える2番と違って、7番は頻繁にポジションを入れ替える。登録上はフィクソだが、本質はパサー。まぁ倉畑と似たようなものさね」

「となると、ノノはそことカチ合うわけで……」

「違う。聞いてなかったのか? サイドに流れたがるんだよアイツ。お前を中央にピン止めすればマッチしないだろ」


 全容が見えて来た。ノノをセンターポジションに居座らせて回収役をして貰い、兵藤のプレーエリアを制限する腹積もりか。


 残るセカンドセットの6番と19番はどちらも女子。事前研究を見た限り、来栖ほど個人でどうこう出来るタイプではない。この二人を俺と文香で追い回し、ポゼッションを分断してしまおうというわけ。


 偶の砂川へのロングフィードは真琴が付きっ切りで見て、自由を与えない。なるほど、あくまで攻めの姿勢は貫くってか。



「な、なぁセンセー、それやとウチの仕事がエライ多いような気が~……」

「おう。死んで来い」

「にゃんと!?」

「勿論ゴールも期待している。ただ今日は、どちらかと言えば汚れ役さね。シンジ・オカザキを憑依させろ。ヘアレスを目指せ」

「んなデコ広ないわっ!?」


 守備はあまり得意でない文香だが、俺がコートに居ることでゴールへの嗅覚は保てるだろう。手数を掛けず、素早く完結させてしまえば良い。



「お願い、頼んだわよ真琴……っ!」

「トチんじゃねーぞ世良っ!」

「ノノ! ヤレバデキル! イキテカエレ!!」


 ブザーが鳴った。

 面々の手荒い活を背に再びコートへ。



(……まだ出てこないか)


 一先ず目先の修正は出来た。決定的逸をやや引き摺っている様子の愛莉は少々不安だが、心まで折れてはいない。


 それは俺も同じ。が、目に入ってしまったからには、気にしないわけにもいかなかった。未だにベンチで寝そべっている例の宇宙人。



(まさか、温存するつもりか……?)


 ここまでアップすらしていない。ただ正直なところ、出てこないならそれはそれで儲け。懸念材料が一つ無くなるのだから。


 構うな構うな。いない奴の話はここまで。

 まずはこの五分、必ず追い付いてみせる。


 調子乗ってんじゃねえ。出て来る頃には、もう手遅れにしてやる。ウチのセカンドセットは凄いぞ。なんせお前と同じくらい、理不尽な個性の集合体だ。



【in/out 山嵜

     金澤瑞希→市川ノノ

     倉畑比奈→長瀬真琴

     長瀬愛莉→世良文香


     町田南

     鳥居塚仁→兵藤慎太郎

     来栖まゆ→仁科夢乃

     ジュリー→桐谷瑠香】



「なにサなにサ!! 前半は10分使うって言ったじゃないカ! サガミの嘘つキ! ドロボー! スダレハゲ! ムメンキョウンテン!!」

「おい冗談でもやめろッ! ……ったくアイツ、余計な日本語教えやがって」


 試合前の約束を反故にされ怒り散らかすジュリーを、いちいち大声で騒ぐなと鳥居塚が強い口調で窘める。


 一プレーヤーとしてはともかく、自由気ままな性格まではコントロールし切れない。否、責任が負えない相模淳史であった。


 

(まぁ良い、試合にさえ出せばあれ以上文句も言わんだろう。点も取ってるしな……さて)


 相模の関心はコートの中に無い。腹心とも言える兵藤を送り出した今、彼にやることは無いも同然。


 当面の問題はこの選手。失点にこそ至らなかったとは言え、鳥居塚のファインプレーが無ければ無失点記録が途絶えていたところ。



「すいません監督、あれは俺のミスです。撃ってからの切り替えが遅……」

「いやお前は良い。来栖」


 一頻りジュリーの相手を終え、鳥居塚は反省顔で指揮官の元へと向かう。だが相模は彼を退け、アイシング中のまゆを呼び付けた。



「何故交代させられたか分かるか」

「エ゛ッ。あー、いやその、えーっとぉ~……つ、疲れてたから、とかぁ……」

「舐めるなッ!!9番相手に迂闊に飛び込めば躱されると、ミーティングから散々言った筈だ! いつまで甘えている!!」


 滅多に感情的にならない彼にしては珍しく、語気の強い叱責。ベンチを囲んでいた和やかなムードが一瞬で消え去る。


 あまりの迫力に、楽天家のジュリーと生真面目な鳥居塚も息を呑むほどだ。当事者たるまゆはもっと怯えていた。


 暫く守備位置の確認を始め、怒気を孕んだ厳しい指導が続く。ここのところ影を潜めていた相模の鬼教官ぶりに、まゆはすっかり涙目。



「余計な真似を」

「……一丁前に口出しか」

「意味が無い、と言っている」


 重苦しい雰囲気は更に加速した。椅子を二つ使い贅沢に寝そべっていた栗宮胡桃は、心底呆れた口振りで相模の顔も見ずこんなことを言う。



「所詮はガバ〇ンのスイーツだ。見せ掛けの美しさに拘る浅はかさも、詰めの甘さも今に始まったことではない」

「がっ、がば……!?」

「お前がどう思っていようと、チームに必要な戦力だ。興味が無いなら口を出すな、大人しく寝とけ」

「……おい、胡桃!!」


 先に怒りを露わにしたのは、事態を遠巻きに見守っていた鳥居塚だ。大股で歩み寄り、使っている椅子の一つを無理やり剥ぎ取った。


 尤も栗宮に意に介さず、軽快に起き上がり無視を決め込んだ。だがそれでは収まらない鳥居塚、飛び交う声援に混じり怒号を響かせる。



「どれだけ特別扱いされれば気が済む……! 町田南はチームだ、お前の所有物じゃない……!」

「まじかよ。はつみみ」

「相模さん、アンタも! 今のシーンだって、起点を作った俺に非がある……優先順位が間違ってます……!」


 チームメイトへの厳しい要求も気真面目さと向上心が故。指揮官へ強く反発する鳥居塚もまた珍しい光景で、ベンチの緊張感は否が応でも高まる。


 平等な実力主義を説いておきながら、ここ数か月、胡桃とジュリーに対する扱いは聊か度が過ぎていると言っても良かった。

 決して楽な相手ではない山嵜との激戦の最中もそれは変わらず、鳥居塚は居ても立っても居られなかったのだ。


 流石に空気の悪さを悟ったのか、相模は諦めにも似た温いため息を溢す。そして、こう呟いた。



「時期が来たか」

「……時期?」

「良いだろう、話してやる。ただしこの試合に勝ってからだ。勿論決勝も……予選ですらケチが付くようじゃ、その資格は無いと思え」


 曖昧な物言いに鳥居塚は眉を顰める。そうではない。今、今この瞬間話して欲しいのだと一歩進み出た、そのとき。



「見ろ、動くぞ……骨のあるJoãoがいるようだ」


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