1040. まだ足りない


 その後のコーナーキックも得点には至らず。

 苦しいビハインドの時間が続く。


 ただ、失点後の流れは決して悪くなかった。俺に一発で躱されたシーンを気にしているのか、砂川を起点としたハイプレスはやや自重気味。


 おかげで山嵜主導でゲームを進められている。無論カウンターのリスクは否めないが、俺たちはむしろポゼッション主体のチーム。


 ボールを絶えず動かし続けることで、必ずどこかにギャップは生まれる。たった一秒、一歩の隙間さえ見つければ、それだけで……ここも!



「ゴー瑞希ッ!」

「あいよぉ!」


 ダイアゴナルの強いパス。収めた瑞希が一気にトップギアへ入り縦に仕掛ける。

 この手の展開で特に強みを発揮するのは彼女だ。高い位置を取れば取るほど脅威は増す。



「ちっ!」

「来栖ッ、寄せが甘いぞ!」

「もぉ~分かってるってばぁ~~! …………あー、うぜぇわこの厚化粧……」

「アァ!? ねぇレフェリー、コイツさっきからメッチャ口悪いんだが!?」


 アタックは阻まれるも、敵陣深くでキックインを得てみせた。現役のA代表にまったく物怖じしないどころか、対等以上に渡り合うとは。


 お得意のぶりっ子を貫く来栖も、瑞希の執拗な仕掛けに手を焼き、次第に化けの皮が剝がれ本性が露わになって来た。


 苛立っているのは明らかだ。

 サイドから崩せるだろうか……。



「えぇ~? まゆよく分かんな~い♪ オバサンの勘違いじゃなぁぁ~い?」

「だっるぅぅコイツ……ッ」


 一方、立ち直りの早さもある意味レギュラーの証明か。やはり一筋縄ではいかない相手である……同学年だろ。オバサンて。


 さて、前半は4分を過ぎた頃。


 残り一分で俺を除きセカンドセットへ交代することを考慮すると、願わくばここらで追い付いておきたい。



(だが問題は……ッ)


 リスタート。愛莉が逆サイドへ開き構えているが、ジュリーがボレーを警戒している。ここには通らなそう。


 よし、一旦比奈に預けて……。



「来ると思ったぜッ!!」

「比奈、冷静にやれ!」

「んなっ!?」


 隙アリとばかりに砂川がアプローチを掛けるが、比奈は見事に逆を突いた。ダイレクトで返すフリをして、逆サイドへ大きくトラップ。


 これで自由の身を得た比奈。

 自分で持ち出しても良いが……。



「陽翔くんっ!」

「ナイス!」


 中央へ動き直した俺をよく見ていた。

 素晴らしい、完璧な選択だ!



「O quê!? ソッチ!?」


 左脚を警戒したジュリーの逆を突き、スピードを殺さず一歩持ち出す。愛莉に預けるまでも無い、俺が決める!



「――――にゃにゃああああっ!?」

「とっ、止められたッス!?」

「ウッソ、兄さんでも駄目!?」


 ゴールを確信していたベンチの面々は、スタンドの歓声に押され揃いも揃ってズッコケそうになる。


 右脚インステップで振り抜いた強烈なシュートは……またも町田南の守護神、横村佳菜子によって防がれた。



「ひぃぃぃぃ~~……!? だから左以外も警戒して欲しいって言ったじゃないですかぁぁ~~!!」

「メンゴメンゴ! 助かったヨ、カナコ!」

「感謝の気持ちは守備で表してくださぁぁい!!」


 本気で冷や汗を掻いているのはジュリーも彼女も同じだろう。が、ここまで来るともはや演技ではないかと疑うほど。


 コースもスピードも完璧なショット。なのに横村は、これと言って派手なアクションを見せず、軽く左腕を振り上げるだけで掻き出したのだ。



「……まっ、まだまだこれからよ! ハルト、集中! 左でもドンドン狙ってこ! 」


 我に返った愛莉が発破を掛ける。だがきっと、彼女も似たようなことを考えてしまって、その予感を拭い去ろうと必死なのだろう。



(入る気がしねえ……ッ)


 ここに来てとんでもない伏兵が現れた。

 横村佳菜子。今大会、未だ無失点を継続中。


 以前スパーリングで対峙した際も、そのセービング能力の高さには驚かされたものだ。ただ正直なところ『俺なら何とかなる』と思っていた節はある。


 事実その時も一点は取ったし、琴音とほぼ同じくらいの小柄な背丈。いくら反射神経が良いとは言え、パワーで押し切れば決められる筈だと。


 認識を改めなければならない。

 あの女、『ポジショニング』で止めてやがる。



(どこに立って、どれくらい腕を伸ばせば届くのか……何もかも計算済みってわけか)


 コーナーの準備をする間、彼女の動きを注視。やっぱりだ。俺がボールをセットする位置を動かすたび、横村も身体の向きを変えている。


 視線があちこちに飛び、一見落ち着きが無いように見えるのも、エリア内で絶えず動いている愛莉、瑞希の立ち位置を逐一確認しているから。


 コンマ数秒のなかで、その都度『ベストポジション』を完璧に取り続けているのだ。たったこれだけの時間にさえ、彼女の真髄が凝縮されている。



(どんなキーパーも難攻不落ってわけじゃねえ、一人で守り切るのは限度がある……)


 穴があるとすれば、身長の低さ故にハイボール処理へ適していないこと。

 そしてジュリーを筆頭に、フィールドプレーヤーとの息が今一つ合っていない点。


 ともすれば、横村をゴール前から完璧に『外す』のが近道。少しでもポジショニングをズラすためには……これならどうだっ!



「触るな愛莉!!」

「はっ、えっ!?」


 ゴレイロと鳥居塚の間を狙った、低い弾道のクロス。注文通り、愛莉は困惑しながらもスピードダウン。そのままボールは前を通過。よしっ!



「んぎゃっ!?」

「触った……っ!?」


 ファーで構えていた瑞希、自陣で見守る琴音も思わず目を見開く。恐ろしや横村佳菜子、これも右腕を伸ばし掻き出した。


 愛莉と鳥居塚がブラインドになって、反応する余地なんて無かった筈だ……不味い、アウトプレーになっていない!



「行きますよカトウさぁぁ~~ん!!」


 腰を深く落としたフォームはさながらサブマリン投法。対角線の低く鋭いフィードが、攻め残っていたジュリーへズバリ。



「陽翔さんっ、カットインです!」

「止めりゃええやろ畜生ッ!!」


 左サイドから抉るよう侵略するジュリー。

 すかさず砂川も反応しクロスオーバー。


 あっという間にカウンターへ移行。砂川は比奈が見ているからまだ良いとして、鳥居塚、来栖のトランジションも速い。

 愛莉と瑞希は追走する形となってしまい、実質二対四で守る状況。


 だが相手はジュリー。一にも二にもドリブル、結果至上主義のコイツが、これほどのビッグチャンスで好機を譲る筈が……!



「――Não dessa formaそっちじゃないよ!」

「ッ!?」

「瑞希さんッ、ブロックです!」


 サイドを颯爽と駆け上がる来栖へ斜めのパス。視線をファーの砂川へ寄越し、そのままノールックで出してみせた。や、やられた……ッ!



「遅っそ~い! やっぱりオバサンだから運動不足なのぉ~?」

「んにゃろコイツううぅぅゥゥーーッ!!」

「は~いカラスちゃ~~ん♪」


 来栖は右サイドを深く抉り、マイナスのクロスを供給。瑞希の懸命なディフェンスも間に合わない。


 ターゲットは最後尾から駆け上がって来た鳥居塚。背後から愛莉が詰め寄るが、巧みに腕を使いチャージを無力化。


 右脚インサイドで丁寧に叩いたシュートは、琴音の待ち構えるゴールマウスへ。


 嗚呼、隅の良いコースに……!



「――はああっ!」

「ううぉぉオオオオ!! すっげークスミ先輩!!」

「わあっ、琴音ちゃんっ!」


 アリーナのあちこちから歓声が上がった。

 中でも比奈とベンチの慧ちゃんは大喜び。


 逆を突かれ後ろ向きのジャンプにこそなったが、必死に左腕を伸ばし指先でギリギリ触れてみせた。シュートはポストへ着弾。


 先の横村佳菜子にも劣らぬ会心のスーパーセーブだ。まさ防がれるとは思っていなかったのか、仏頂面の鳥居塚も薄い目を見開き驚いている。



「ええぞ琴音ッ、よう止めた!」

「陽翔さん、カウンターです……っ!!」

「……分かってる、任せろ!」


 琴音の集中は切れていない。転倒こそしたが、まだエリア内に留まったままのボール、そして、すかさずフォローへ入った俺の目をしっかりと見ていた。


 セカンドボールへの対応もとっくに克服したようだ。それどころか、俺さえも想像していなかったを、彼女は見据えている。


 横村佳菜子のプレーや、コート外の来栖まゆに触発されただけではない。踏み出せなかった一歩を踏み出し、俺に沢山のモノを預けてくれた。


 そうだ。既にビハインドの状況下。

 奴らの攻撃を止めるだけ、防ぎ切るだけでは。

 このゲームの勝機は掴めないまま。


 まだだ。こんなんじゃ、まだ足りない。


 俺が、俺たちがこの一年間、貯めに溜め込んだ狂気とエネルギーは……この程度の劣勢に吞まれるような、軟なモノじゃないんだ!



「Oops!? やるねヒロセ!」

「感心している場合か! せめて遅らせろ!!」


 セカンドボールはラインを割っていなかった。偶然と言えば偶然だが、これもまた琴音や皆の意志が繋いだモノ。


 自陣エリア内から一気に縦へ。ここから一人で持ち上がるとはジュリーも想定外だったようで、ファーストチェックが遅れていた。


 前進し止めに掛かった鳥居塚、更に全速で帰陣した砂川にも挟まれ、自陣深い位置で囲まれてしまう。それでも。



「おおっ、ブチ抜きやがった!!」

「行ってまえ、はーくんっ!!」


 両者とも脚を伸ばせば刈り取れる距離感だったのが逆に仇となったか。どちらが強当たるか、無意識のうちに譲り合ってしまったのだろう。


 つま先で軽く浮かせスコップ、加速し鳥居塚、砂川を置き去りに。峯岸と文香はベンチから今にも飛び出しそう。



「愛莉ッ!」

「…………っ!!」

 

 右へ開いた愛莉に展開。ジュリーが後ろからユニフォームを掴んで来たので、ファールで止められるのを嫌った節もある。


 そのまま撃っても良かったが、逆サイドから横断するように帰陣した来栖が気になったか。愛莉はスピードを緩めた。


 まぁ良いだろう。横村佳菜子を正攻法で攻略するのも難しいだろうし。

 それに、コイツを今のうちに折っておけば……後々のリターンもデカい!



「はぁー、ハァー……んふっ♪ あれあれぇ~? もしかしてオバサンも、まゆと勝負したいのぉ~?」


 頼むぜ、山嵜のエース。

 まず一つ、仕事をこなしてくれ。


 いけ好かないぶりっ子ごと、力でねじ伏せろ。

 そして、ネットに叩き込め!!


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