1038. こっちにおいで
「先制パンチは決まらず、ですね」
「一発目はな」
「……注意しましょうよ、胡桃」
「俺が何を言ったところで聞く奴か」
アップを終えた兵藤が苦笑いで歩み寄る。椅子を二つ使い優雅に脚を伸ばす胡桃は、薄い目で退屈そうにゲームを眺めていた。
どこから点が入ってもおかしくない状況だが、相模淳史は静観を決めベンチから動こうとしない。前もって作戦の一端を授けられた兵藤だが、あまりの不動ぶりに聊か心配にもなって来る頃。
「流石にこれまでのチームとはレベルが違いますね……特別凝った守り方ではないけど、シュートコースはしっかり切って来る」
「開始一分でまだ無得点とはな。新記録だ」
「記録もなにも……でも大丈夫ですかね。幾らなんでも、ジュリーを自由にし過ぎな気がしますが」
五分五分の激しいスクランブルが続いている。互いに相手のハイプレスでパスを繋げず、ロングフィードでその場を凌ぐ傾向が強い。
とは言え愛莉のポストプレーはここまで鳥居塚に制圧されており、効果的な一手とはなり得ていなかった。
対する町田南も、ジュリーの前掛かりなポジショニングがいまいちハマらず、やや窮屈な印象。
それもその筈、三人はジュリーを使って攻める気があまり無かった。事実上の数的不利にあることを、スタンドの観衆たちも気付き始めている。
「大人しく見ておけ。さっき話しただろう、先制点はくれてやる覚悟だ。それまでに連中が意図に気付けば儲け……なんのためにジュリーを左サイドでスタートさせたと思う?」
「廣瀬を釘付けにするため」
「その通り。奴の重心が低い間は、山嵜も効果的なオフェンスは仕掛けられない。9番も鳥居塚が潰している、問題は無い」
「7番も思ったより仕掛けて来ないですからね」
「砂川のパラレラ狙いに気付いたんだろう。だがそうは続くまい。なんせとっくにストレスフルの筈だ……使わざるを得ないと悟るさ」
この日初めて見せた不敵な笑み。
兵藤も釣られるように口角を捻り上げた。
(凄いな……博打じゃない、全部計算の内なんだ。どこからゲームが動くのか、そしてどこへ向かうのか……この人はもう見えている)
過剰とも呼べる栗宮胡桃によるワンマンチームを作り上げたのは、他でもないこの相模淳史。
かく言う兵藤も、かつては『不健全なチーム状態だ』と彼を批判する部員たちの筆頭でもあった。
ジュリーが本格的に合流する少し前。近く特別扱いが更に一人増えると明かされ、業を煮やした兵藤は相模に直談判まで行ったほど。
だがそこで彼は、相模が思い描く『壮大な計画』の一端を目の当たりにした。
「五分で交代だ。準備しておけ」
「了解です」
実のところ、兵藤がスターターから外れているのは実力が理由では無かった。代表歴こそ鳥居塚に敵わないが、相模の評価は世間のソレと異なる。
町田南を絶対王者足らしめる名将。その意思を引くコート上の指揮官として、兵藤には多くのモノが託されていた。
それらが必然の成り行きであったこと。このタイミングで自身が動くことさえ、彼が見抜いていた事実に兵藤は震えた。
そして、すべてを預けたのだ。
この男に従事するとはつまり、約束手形。
望外の未来をも手中へ収められる……。
(どうする。舐められてるよ、仁。まゆも明海も……早くこっちにおいでよ)
開始二分。
ゲームが遂に動く。
【前半01分58秒
山嵜高校0-0町田南高校】
(休む暇がねえ……ッ!)
電光掲示板を確認し、あまりの時間経過の遅さに驚いたくらいだ。脚も頭もフル回転、拭った汗に脳ミソの欠片でも引っ付いているんじゃないか。
一向に落ち着かない。互いに即時奪回を志しているスタイル故、トランジションに次ぐトランジションで目が回る。
加えて町田南はキックインのリスタートが非常に早く、息を整える余裕も与えてくれないほど。
「愛莉っ、ダイレクト!」
「ハイッ!」
鳥居塚の厳しいプレッシャーを掻い潜り、ワンタッチで落としてみせた。スピードに乗り右サイドを破りに掛かるが。
「チッ……!」
「どうすル!? 勝負しないノ!?」
誤算と言えば誤算。
ジュリーが予想以上に守備で粘って来る。
中央への折り返しは叶わず、コーナーアーク付近で彼を背負う格好となる。ヒールで股を狙っても良いが……カウンターのリスクが高過ぎるか。仕方ない、一旦コーナーに逃げよう。
「オッケーオッケー! 時間使ってこーっ!」
「良いですよぉカトウさんっ! 前を向かせなければ怖くないですからぁ!」
瑞希に負けじと相手ゴレイロ、横村佳菜子も声を張り上げる。ここまでジュリーに好意的なコーチングをするのは彼女だけだ。
対して鳥居塚仁、砂川明海、来栖まゆの三人は、露骨にジュリーへフラストレーションを溜めている。俺への対応を除きアリバイ臭い守備しかしないのだから、不満が募るのも当然だろう。
(どこまでが巻き餌だ……?)
コーナーのセット中、ふとそんなことを考える。
このように、町田南にまったく隙が無いと言えばそうではない。一人だけ守備強度の低いジュリーは明らかに穴だし、それを埋めようとして鳥居塚のポジション取りも曖昧になる。
だがしかし、この『露骨な弱点』が曝け出されていることによって、こちらがやや攻め急いでしまう傾向にあるのも事実。
(砂川と来栖のチェックは確かに脅威。脅威だが……無理やりコントロールしようと思えば、決して不可能じゃない。ジュリーを囮にして、バランスを崩させようとしているのか……?)
こちらの攻めっ気を膨らませ、体力を削り取り隙を突いてカウンター。確かに相模が考えそうなプランだ。
となると不可解なのが、カウンターへ転じる際にジュリーをあまり使わないフィールドプレーヤーの三人。
序盤の幾つかのチャレンジを除いて、安易に彼を使うパスを出さなくなっている……まさか、縛りプレイ?
いやまぁ、コイツらならあり得なくも無いが……流石にリスキーが過ぎやしないか?
(或いは東雲学園のような、分断の危機に陥っているか……だとしても、相模がそれを許容するか?)
止めだ、考えても分からん。
まずはこのチャンスをモノにしなければ。
「陽翔くんっ、こっちこっち!」
「ファーでも良いよ~!」
比奈と瑞希がペナルティーエリアに入りマーカーの気を惹いている。だがこれは囮。狙いは後方に構えた……愛莉!
「へへっ、ジンの真似かぁ!? コイツじゃ枠に飛ばせるかも怪し……オホッ!?」
「どりゃああああアアアアッッ!!」
逆サイドへのチップキック。砂川はあまり警戒していなかったようだ。愛莉の強烈なボレーがゴールマウスへ向かう!
「フンッ……!」
「さんきゅーカラスちゃんっ!」
が、これは鳥居塚が身体を張ってブロック。リスタートボレーの本家相手に得点とは至らず。クソ、枠にすら届かないか……。
「行っくよ~アケミぃ~!」
「愛莉、ファースト!」
「分かってる!!」
そのまま自陣からドリブルを始める来栖。すかさずシュートを撃った愛莉が潰しに掛かるが、来栖はあくまでも冷静。
「え、そっち!?」
「あぁ~ん♪ 残念おデブちゃん!」
「なァッ!?」
サイドへ逃げるフリをして、足裏で素早く引き反対へプッシュ。愛莉は逆を突かれてしまう。おいおい、自陣ゴール前で……ミスが怖くないのか!
「止めろ長瀬ッ!? 最悪ファール!」
「クぅッ……!」
決して速くはないものの、腕を巧みに使い愛莉を寄せ付けない。それどころか、アタックを利用し加速しているようにも見える。
来栖まゆ。異端派揃いの町田南において、ズバ抜けて目立つ存在では無いが……平均値以上のテクニックと大胆かつ冷静なキープで、ゲームに色を付ける優れたプレーヤーだ。侮れない。
「遅らせろ比奈!」
「了解っ!」
来栖は右サイドへ流れた砂川へのパスを選択。比奈がガッチリと対峙し、一先ず前へは進ませない。
だが油断するな。コイツは来るぞ……!
「――止めてみやがれッ!!」
「っ……!?」
「比奈!!」
反発ステップから一気にトップギアへ。きらりと光る八重歯を置き土産に、砂川は右サイドを突き破った。
あまりの急加速に比奈の対応は遅れる。琴音の悲壮な叫びが、彼女には届いただろうか。
ゴールへの嗅覚・執着心に掛けて、恐らく女子フットサル界隈に砂川明海を差し置いた存在はいない。A代表でも発揮しているその決定力は本物。
直線的かつ破壊的なフィニッシュへの意欲は、さながら獲物を屠る肉食動物。
パワー型の愛莉やラインブレイカーの文香とも違う、ボールさえ持てば『なんとかしてしまう』タイプ。守備者が一番嫌うストライカーだ。
「こっちダ、アケミ!」
気付けば先と似たようなピンチ。尤も、砂川はシュートを撃つだろう。ジュリーは視界に入っているだろうが、今までの傾向を見るにクロスは選ばない。
琴音も再び前に出て、必死にコースを消そうとしている。レンジは狭い、これならディフレクションする。凌ぎ切れる……!
「チィっ……!」
「よしっ、ええぞ琴音!」
結局シュートを撃ち切れず、アウトサイドで琴音を躱しに掛かった砂川。コーナー付近まで追いやられる。
比奈と交錯、キックインは町田南ボールに。完璧だ、上手く守り切った。あとは愛莉を鳥居塚に着かせて、ボレーを警戒すれば。
……って、あれ?
ジュリーはどこ行った?
「……あ゛ーッ!! 次はねーかんなっ!」
「愛莉ッ、そっちやない!! 邪魔やクソが!」
「えっ……」
すぐさまリスタートさせた砂川は、コート中央へロブ気味のパス。先ほどのコーナーで俺が蹴ったのと、ほぼ同じような弾道。
ターゲットは鳥居塚、の筈だった。
だが奴はそこにいない。
いつの間にかゴール前まで走り込んでいたのだ。背後から俺の肩を掴み、動けないよう捕獲。
マークを務めていた愛莉は当然そのまま鳥居塚へ着いて来ていて、ジュリーを見ていない。ということは……。
「――――そうダ、それでイイ!!」
「瑞希ィィィィ!!」
やられた。スイッチしやがった。
ジュリーを楽に撃たせるための布石か!
「やばァッ……!?」
遅れて戻った瑞希が身を投げ出すが、ジュリーはそこまで予期していた。ボレーで叩かず、足裏でピタリと静止。そして、ひと舐め。
愛莉も飛び込むが流石に間に合わない。どうにか鳥居塚を引き剥がしブロックへ入るが、やはり遅かった。
火の噴くような弾丸ミドル。
琴音は手を伸ばすことしか出来なかった。
ゴールマウスが、豪快に揺れ動く。
「
【前半02分26秒 ジュリアーノ・カトウ
山嵜高校0-1町田南高校】
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