1036. 知らない世界


 第一試合の視察を終えた峯岸と聖来が帰って来た。コートの清掃、スタンドの入れ替えが行われ、十分後には準決勝二試合目が始まる。


 控え室を兼ねた武道場は否が応でも緊張感で埋め尽くされている。聖来もそれを感じたのだろう。私物のノートパソコンを抱きかかえ喉をしならせた。



「……川崎英稜の勝ちじゃ。2-1」


 頭上から甲高い歌声が聞こえて来る。ファビアン率いる子ども応援団の可愛らしいチャントは、試合を重ねるごとに鋭さと声量を増していた。サッカー部の連中も新たに加わったのだろう。


 スタンドは六割方埋まったらしい。競り上がるアリーナの高揚が一階まで届いているようだ。緊張しないと言えば嘘になるが、悪い気分でもない。



「さて……アップで痛めた奴はいないな?」

「みんな元気ですよっ、峯岸監督」

「うむ。最終確認だ、スタートはファーストセット。前半五分で廣瀬以外はセカンドセットに入れ替え、十分で廣瀬はトラショーラスと交代」

「後半は?」

「そんとき言う」

「……じゃあ、監督のイメージ通りの試合になるよう、頑張らないとですねっ」


 靴ひもを結び直し、比奈は揚々と立ち上がった。巻いてあげるよ、とキャプテンマークの装着に苦労していた瑞希のもとへ歩み寄る。



「んへへっ。さんきゅー」

「緊張しちゃって、可愛いんだから」

「JK日本代表のひーにゃんに言われてもなぁ~」

「え~? 瑞希ちゃんには敵わないよお」


 のほほんとしたやり取りにみんなクスクス笑っている。おかげで肩の力も抜けるようだ。アレを狙って出来るから比奈は凄い。


 このゲームに渦巻く様々な因縁や執着……それらすべてを抱え込んだ上で、自分たちは自分たちらしく、いつも通り戦おうという、彼女なりのメッセージなんだと思う。まったく頼りになるよ。



「この期に及んで町田南がどれだけ強いとか、そんな話はしない。ただ強いて言えば…………準決勝だ。分かるか? どれだけ低く見積もっても、お前たちは関東で四番目に強い」

「エライことになったわ。初心者だらけのチームが、たった一年で」

「かもな。だが偶然じゃない。勿論奇跡でも……お前たちの滲むような努力が結んだ、必然のベスト4さね。だったら、勢いのまま絶対王者を下して決勝へ進むくらい……なんてことねえだろ?」


 お決まりのニヒルな笑みを綻ばせ、峯岸は面々を見渡す。期待通りの返事が返って来たからか、ますます頬を緩ませた。


 そうだ。俺たちには勢いがある。この一か月弱、決して盤石ではなかったモノさえも。気付けば確固たる自信へ変わった。



 勝てばジャイアントキリング?

 下馬評は圧倒的不利?


 知った事か。俺たちは、俺たちの信じたモノを今日ここでも貫く。その先に待つのは奇跡なんかじゃない。必然に塗れた勝利のみ。


 例えそれが、数え切れないほどの屍の上に立つ、決して美しくはない光景だったとしても。だったらなんだ、大人しく人並みで居ろと?


 御免だね。そんなつまらない未来は。

 血みどろでも笑っていた方がマシさ。



「――――勝つぞッ!! 強いのは俺たちや!!」


 感情がままに叫ぶと、みんな口々に似た言葉を訴えて、締まりの悪い円陣が完成して。やはり同じようなモノが並んだ。


 さっさと始めよう。

 もう我慢出来ない。


 今こそ、すべてを解き放つときだ。



【全国フットサル高校選手権ミックスディビジョン

 関東予選 準決勝】


 GK

 No.1 楠美琴音  No.1 横村佳菜子

 FP

 No.2 倉畑比奈  No.2  鳥居塚仁

 No.5 廣瀬陽翔  No.9  砂川明海

 No.7 金澤瑞希  No.14 来栖まゆ

 No.9 長瀬愛莉  No.77 ジュリアーノ・カトウ


【山嵜高校(神奈川)-町田南高校(東京)】



「おぉ~っ、雰囲気あるな~」

「結構大所帯なんだな、山嵜のサッカー部」

「ねー」


 選手の入場と共に、聞き馴染みのあるチャントの大合唱が轟いた。メインスタンドの控えめな後部座席に構える藤村俊介、堀省吾の二人は、船頭に立つファビアンら子どもたちが気になるようだ。


 八月から始まるインターハイ本選に向け忙しい身分の二人だったが、主将の権限を存分に発揮し、特別に休暇を貰い観戦へ訪れていた。元チームメイトの対決をはじめ動機は幾つかあったが。



「あーあ。こんなとこで暢気に試合観てる場合じゃなかったんだけどなー」

「本当にな。なに準々で負けてんだよ」

「直接対決で負けたトーソンに言われたくないね~第二PKフェスティバル始まんなかったらこっちが勝ってたもんね~!」

「お前もファールしてたじゃねえか……まぁでも、お前らに勝つだけのチームではあったな。川崎英稜」

「ねーっ。9番フツーに凄かったんだよ~」


 山嵜との対戦を待たず、準々決勝で敗れてしまった堀率いる埼玉美園高校。白石姉妹をはじめ女性陣の奮闘を前に、ついぞゴールを奪えなかった。


 グループリーグの際に立てた約束を翻意にされ藤村も少々呆れるところではあったが、先の第一試合を観て納得。

 攻守にオーガナイズされた好チームで、市原臨海が誇るエースを見事に封じてみせた。



「分かっちゃいたけど、男女混合と言えレベルの高い大会だよな……まだ関東予選だなんて信じられねえ」

「羽瀬川理久も出るくらいだからね~。九州はもう終わってるんだっけ?」

「あー、だったっけな。まぁそうは言っても……優勝はこのどっちかだろ」


 挨拶と写真撮影が終わり、両校のスターターがコートへ散らばる。試合前の発表通り、栗宮胡桃の姿は無かった。


 あろうことにベンチを二つ使い寝そべっており、スタンドから少々笑いも零れている。だがこれは、彼女の突飛な言動に見慣れていない者の反応だ。



「相変わらずやりたい放題だな、栗宮」

「トーソン面識あんの?」

「いや、近くで見ただけ。U-18と女子のA代表でダブルヘッダーがあってさ。そんときもテクニカルエリアでアイス食ってたわ。前半だぜしかも」

「普通にしてればただの可愛い子なのにね~」


 女子サッカー界の新星、栗宮胡桃の名は男子界隈でも特に有名だ。競技に関心の無い一般層にさえ『癖の強い選手』と認識されており、現場レベルの彼らともなれば入って来る噂話は枚挙に暇がなかった。


 これだけ多方面から注目を浴びるのは、やはりサッカーとフットサルの二刀流という、前例の無い身の上が故に他ならない。


 かつて興行的な理由でフットサルのA代表に選出されたサッカー選手がいたが、トップレベルのプレーヤーによる兼業は極めて稀。単なる一選手の枠組みを超えた、常識を打ち破る存在。それが栗宮胡桃であった。



「にしても、町田南かぁ……サッカーの方はそんな強くなかったよね?」

「調子良い年でも都のベスト8とか、それくらいだったっけな。昔からフットサルに力入れてる高校なんだってよ」

「知らない世界もあるモンだねえ~」

「ジュリー以外のフィールドプレーヤーも、全員A代表らしいぜ。男女どっちもここ七年くらい公式戦無敗とか」

「詳しいねトーソン」

「次で当たるかもしれなかったからな、ちょっとは調べたよ……見た? 試合」

「無いのよこれが、準々も町田南の次だったし。それにほら、せっかくジュリーも観れるんだから、楽しみは取っておいた方が良いじゃん?」

「ビックリするぜ」


 お手並み拝見だ~、と暢気に笑う堀を藤村は鼻で笑い飛ばす。一分後、このヘラついた顔が蒼白で染まっているのは間違いないだろう。


 藤村にしても生で観戦した経験は無く、映像でその戦いぶりを拝聴しただけだ。だが彼は知ってしまった。否、悟ってしまった。


 恐らく。いや間違いなく。この大会において、廣瀬陽翔延いては山嵜高校の真のライバルは、自分や西ヶ丘ではなく……。



(知らない世界……か。いやもう、マジでそれ。知りたくなかったわこんなチームがいるとか……頼むから負けんなよ廣瀬)


 長いブザーが鳴り響く。ホーム側、黄色のユニフォームを纏う町田南のキックオフで試合が始まった。否やアウェーの白いユニフォーム、山嵜は一斉に自陣へ引き返す。



「おぉっ、ジュリーいきなり来たッ!?」

「早速見せ場か……っ!!」


 開始から僅か三秒。

 アリーナは未曾有の狂乱へと包まれる。


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