1030. マンガで読んだ


「栗宮選手! 全国出場の掛かった準決勝に向けて……!」

「かつて日本一の若手プレーヤーと呼ばれた廣瀬選手と対戦するわけですが、彼についてコメントがあれば……」

「栗宮さーん止まってーー!!」

「一言! 一言だけでもお願いしますッ!」

「うーん、今日もダメか~……」


 市営バスを降りアリーナへトコトコ歩く彼女を、瞬く間に十人弱の取材陣が囲んだ。だが口を割る様子は無い。


 どこから情報が漏れたのか、練習場所がここ市立体育館であると特定され、メディアが押し掛けてくることも今日日珍しくは無くなった。


 ところが、代わりにウキウキでインタビューを受けるまゆにすべてを任せ、胡桃は大会期間中、ひたすら沈黙を貫いている。



「よう栗宮。重役出勤って知ってるか?」

「邪魔」

「せめて『おはようございます』だろ、ボケ。ジュリーならもう準備してるぞ」

「口が臭い」

「おぅっふ」


 関係者入り口を少し進んだところで、町田南フットサル部総監督、相模淳史が待ち構えていた。

 集合時間をちっとも守らない胡桃へお小言の一つでも、と部員たちに頼まれ顔を出してはみたものの、この始末である。


 胡桃のコミュニケーション能力不足は今に始まったことではない。そもそも会話が成り立たないので、明海、まゆ、佳菜子らレギュラー組を除いてロクに関わりすら無いほど。


 それでも、部の一員として最低限の規律は守っていたし、何より圧倒的な能力と実績。

 アンタッチャブルな存在として扱われることもある意味当然と、部員たちもこれまでは許容していた。していたが……。



「おい、胡桃。また遅刻か……!」


 既にコートではトレーニングの真っ最中。現れた胡桃のもとへ鳥居塚が険しい顔で歩み寄るが、彼女はこれも相手にしない。


 遠巻きに窺っていたリザーブ組の選手たちは、そんな胡桃の態度へあからさまに嫌悪の輪を広げた。アリーナに渦巻く小さくない疑念と不信感。


 尤も大会直前『今後のトレーニング方針に一切口を出すな』といつになく恐ろしい眼差しで相模に釘を刺した件を、リザーブ組が知る由もない。



「監督ッ……まだ放っておくつもりですか?」

「分かってる、分かってるさ。そうおっかない顔で睨むんじゃない。二人は俺が見る、お前はやることをやれ」


 今日で何度目かという嘆願を退けられ、鳥居塚は深く肩を落とす。このように、部員たちの抱える不満を把握こそしていれど、これと言ってアクションは起こさず静観している相模である。


 継ぎ接ぎと後始末は自分次第でどうとでもなる。余計な手を下す必要はない。指導者として長らく第一線に立つ相模の決断を前に、流石の鳥居塚と言えど一介のプレーヤーに甘んじるばかり。



Finalmenteやっと来たな! さあクルミ、早くやろウ!」


 孤立もやむを得ない状況のなか、彼女へ笑顔で声を掛ける人物が一人だけいた。


 大会数日前、長い別メニュー調整からようやくトレーニングへ加わり、瞬く間に男子ナンバーワンプレーヤーの座を奪い取った俊英。


 ジュリアーノ・カトウ、その人である。


 褐色肌と硬さの残る天然パーマ。あどけないそばかすの跡には、第二次成長期前の面影さえ残っている。一方、背丈は幾ばくか伸び、やや不自由な日本語も相まり殊更に掴みどころがない。



「こラ、カナコ! そっちじゃないヨ! キミはボクたちノ相手をするんダ!」

「もう勘弁してくださいよぉぉ~! もうすぐ準決勝だっていうのに、これじゃわたし網戸と変わんないですよぉぉ~……っ!」

「A-ha-ha! 面白イ例えだナ! すべてを跳ね返ス鋼鉄の網戸ダ! 頼りにしてるヨ、カナコ!」

「全然面白くないですぅ~……ッ」


 正ゴレイロの威厳もへったくれもない。横村佳菜子はジュリーに首根っこを掴まれ、アリーナの端に用意されたゴールマウス前へ強制連行。


 直属の先輩である胡桃へ文句を言える筈も無く。この一か月弱、佳菜子は二人のシュート練習に夜遅くまで付き合わされ既に疲労困憊。


 誰に対しても強く出れない彼女のキャラクターもまた、周囲の二人に対する不満へ拍車を掛ける要因であった。



 だが、そんな歪なチーム事情など胡桃は勿論、ジュリーも気にすら留めない。


 噛み合わないやり取り、たった一つのボール。二人が紡ぎ出す至高のコミュニケーションにおいて、これ以上の要素はまるで必要無かったからだ。



「さア……始めようカ!」


 巧みなボールリフトから胡桃へ蹴り渡す。

 アップも無しに1on1が勃発した。


 内容はいつも同じ。どちらかがゴールを奪えば攻守交代、ただそれだけ。


 アイソレーションをはじめ一対一の場面が少なくないフットサルにおいて、欠かせない要素である一方、全体練習に混ざらないのは大問題。



 だがそれでも、一度二人のトレーニングが始まってしまえば、残る選手たちも固唾を飲んで見守ることしか出来なくなる。


 目の前で繰り広げられる『異次元の戦い』から目を背けられるほど、彼らも出来たプレーヤーではなかった。敵に回さず済んだ安堵感か、或いは傍観者としてこの場に立っていられる幸福感か。



「イイネ! だいぶキレが戻ってきたナ!」

「――――寄越せッ!!」


 足裏を駆使したきめ細やかなコントロール。だがそれも付随物に過ぎない。締め切っている筈のアリーナが突然雷雨に晒されたかのよう。


 電光石火。一瀉千里。疾風迅雷。あらゆる語彙で埋め尽くしたとしても、その脚裁きを捉えるに事足りない。コンマ何秒のなかに、いったいどれほどの数の駆け引きが詰め込まれているのか。



「Uau! こりゃたまげタ!」

「余計な口を挟むな!! 次だッ!!」


 一度目の勝負は時間にして約十秒。胡桃が僅かな隙を突いてボールを掠め取り、ゴールの位置を確認もせず、左脚を振り抜き決着が付いた。


 恐るべき反射神経を兼ね備えるあの佳菜子が、一歩も反応出来なかったほどだ。仮に実戦で決めれば拍手喝さいのファインゴールにも関わらず、胡桃は一切表情を変えず、二度目の勝負を急かす。



「何度見てもイカレてるわね……っ」

「アイツらと言い廣瀬陽翔と言い、どーしてウチの年代はこうマンガみてーな化け物ばっかなんだ……?」


 もはや全体練習が練習になっていない。遠巻きに眺めていた明海とまゆもボトルを手に取り観戦に没頭し始める。


 二度目はジュリーの勝利。小柄な胡桃を片腕で巧みに制し、強引に右脚を振り抜いてみせた。辛うじて反応した佳菜子だが、腕ごと持っていかれる。


 敗北がよほど気に障ったのか、胡桃はアリーナ中に響き渡る意味不明の怒声を轟かせ、一心不乱にツインテールを掻きむしる。あまりの迫力と得体の知れなさに、思わず乾いた笑いを溢す明海であった。



「多分だけどさ……アタシらのせいだよな?」

「そう、なのかしら……でも胡桃ちゃん、あの日から一度もまゆたちとお喋りしてくれなくなったよね……」

「元々会話成り立ってねーけどな。ったく、相模も相模だぜ。なに考えてるのか知らねーけどよ……山嵜だってそこまでヌルイ相手じゃねーんだぞ?」


 徐に二人へ近付く相模を一瞥し、明海は不機嫌交じりに鼻を鳴らした。彼のここ最近の仕事は、専らジュリーへ守備の対応を仕込む程度。


 二人を除くレギュラー組も大会期間中ほとんど放置されている。それでも結果を残し問題無く勝ち進んでいるだけに、明海にしてもこれ以上大事にするつもりは無かったが……。



「やろう、二人とも。仁もいじけてないで。宿題なら沢山貰っているだろう、文句を言うならそれをクリアした後だ」

「兵藤……お前はどうなんだよ? なんとなく分かんだろォ? 予選はまだしも、全国の良いとこで変に躓くパターンだぜこれ! マンガで読んだ!」

「現実との区別くらい付けてくれ。とにかく、こっちはこっちでやることをやらなくちゃ。それとも町田南フットサル部は、あの二人に頼らないと予選すら優勝出来ない程度のチームなのか?」

「アァっ!? んなわけねーだろッ、バカにすんな! おらっ、やっぞまゆ!」

「あぁ~ん! 待ってぇ明海ぃ~~!」


 慌ててボールを取りに行った明海をまゆが追い掛ける。残された兵藤は未だ憮然としたままの鳥居塚へ、眼鏡を掛け直しこう問い質した。



「君はそう思うのか? あの日以来、随分調子が悪そうじゃないか。廣瀬陽翔の足元にも及ばなかった事実がそんなに不満?」

「……ッ! 馬鹿なことを言うな……!」

「だったら改めてくれ。プロ入り前にケチが付いたままじゃ困るのは君だろう……僕らに求められているのは結果の二文字だけだ。って、誰の口癖だっけ?」

「……分かった。集中する」

「それで良い」


 いつになく凄みを発揮する兵藤に鳥居塚も観念したか、手を叩き棒立ちで勝負を観戦していたチームメイトらを纏め始める。


 だがトレーニングが再開されると、鳥居塚は再び彼へ近付いた。発破を掛けておいて、自分だけ1on1を眺めて続けている彼に思うところもあり。



「慎太郎。お前、相模さんに何か言われたか?」

「何かって、なにを?」

「……雰囲気が悪いことくらい分かってるだろう。以前までのお前なら、一番に相模さんへ文句を言いに行った筈だ。チームワーク無しに勝てるほど甘いスポーツじゃない……こうも言っていたな?」

「ああ。僕の信条と言っても良いね」

「だったら……」


 首を傾げる鳥居塚に、兵藤は手を差し伸ばすだけで制してみせる。そして彼にだけ聞こえるほどの小さな声で、自身にもまた言い聞かせるよう呟いた。



「この程度の揺らぎで壊れるなら、絶対王者の称号なんて捨てた方が良いね……僕らが目指すべきは、プロとか、トップレベルとか、そんなチャチなものじゃない。甘えているのは君の方じゃないか?」

「……慎太郎?」

「僕は覚悟を決めた。ジュリーと、そして胡桃と……僕らの代で、すべて変えるんだ。日本のフットサル界、丸ごと全部ね……!」


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