1019. マジで最高で、ハッピーでラッキー


 夕方まで八中の体育館が開かないので、時間が来るまで談話スペースでぐうたら過ごしていた。あまりにも暑過ぎる。動くのは夜からで良いか。


 さほど心配はしていなかったが、試験で泣きを見た者は一人もおらず。


 愛莉が返却されたレポートを読み返し勝手に凹んでいるくらいだった。採点した先生に『どうぞお幸せに』と一言添えられていたらしい。ウケる。



「瑞希ちゃんは? 来てないの?」

「昼飯。峯岸とどっか行った。そろそろ帰るやろ」

「間に合うかなぁ~」


 窓越しに皆を眺め、暢気に呟く比奈。


 手洗い場にどこからか持ち出したホースを繋げ、下級生たちがコートで水遊びをしている。間違いない、帰って来たら速攻混ざるだろうな。



「二人が並んでいると、ここが縁側みたいですね」

「ははっ。孫が遊んどるの見とるみたいな?」

「えぇ~? まだ早いよ~」


 早々にターゲットとなり、ずぶ濡れで更衣室へ向かった琴音が先に帰って来た。瑞希さんはいないんですか? と似た質問をし、同じように返すと。



「結局、暫くご実家に留まるそうですね」

「みたいやな。ノノが寂しがってたわ」

「……私でも喜んでくれるでしょうか?」

「なに? 予定あんの? 香苗さん泣くで」

「早いうちに準備をした方が良いと言われました。父の了承も得ています。まぁ、短大へ行くとは言っていませんが。まだ」

「わぁ~、外堀埋めてる~♪」


 保育士を目指すことになった琴音は、ここからやや県南のところにある短大に進学先を絞ったらしい。遅くても春までには同棲が始まるだろう。まぁノノの部屋なんだけど。


 一方、夏休みを目安に我が家へ転がり込む予定だった瑞希は、もう暫く実家で暮らすそうだ。

 慧ちゃんパパの策略通り母が保科家への住み込みを始めれば、その限りでもないだろうが……。



「でも良かったの? 引き留めなくて」

「んー……? そりゃまぁ、一緒の方が嬉しいけど」


 曖昧な返事に留まる。


 数時間前に見た名作の影響は、少しだけあると思う。でも間違った選択ではないという、確固たる自信もあった。



「どっちが軸とか、大事とか、そういう話でもないけどさ。家族が二つあんねんから、蔑ろにするのもアレやろ?」

「……そっか。それもそうかもね。ちゃんと気付けたんだから、勿体ないよね」


 当面の危機的状況が落ち着いたというだけで、あの親子にはまだまだ問題が山積みだ。すべて解決するまでお預け、とまでは行かなくても、もう少しだけ猶予を見るべきだろう。


 何もかもを赦す必要は無い。彼女が『これくらいで良いか』、母親が『最低限のことはやった』と、双方がある種の納得を得るまで。


 何度でも喧嘩すれば良いし、一時的に避難したって良い。好きに振る舞って欲しい。俺たちはその都度受け入れるだけだ。



「学校来る前にさ。一緒に映画見てん」

「メリーポピンズ?」

「むっちゃ面白かってんけど……なんか、アイツの深層心理っていうか、そう言うの透けて見えるなって」


 仲直りした両親とバンクス家の子どもたちを見て、メリーは自身の役目が終わったことを悟り、雲の上へと帰ってしまう。


 今に至るまで瑞希がメリーポピンズに惹かれているのは、家族というあるべき姿への憧れが捨て切れないからなのだろうか。

 しかし、どれだけ願い焦がれても、彼女の望む『正しい家族』は二度と実現しない。



「そうだね。瑞希ちゃんは……ジェーンとマイケルが羨ましかったんだと思う。いつかメリーがやって来て、お父さんとお母さんが仲直りしてくれるのを、ずっと待ってたんじゃないかな」

「……かもな」

「でも、もう子どもじゃないから。だからメリーになろうとしている。なろうとしたんだよ。だから辛かったのかなって……今は違うのかな?」

「そりゃそうやろ。見りゃ分かる」


 間違いない。俺たちにとっての瑞希はメリー・ポピンズそのもの。まさしくスーパーナニー。

 欲しがるだけ、与えられるだけだった子どもは、たった一年の間に恐ろしい速度で成長した。


 ただ問題なのは、それがあまりにも早過ぎたことだ。だから時折、大事なモノを忘れそうになる。落したまま走り続けてしまう。



「……メリーには、家族は居ないんでしょうか?」

「あぁ~。本編には出て来ないねえ。一応、バートさんが恋人なのかな?」

「そんな感じやなかったけどな。さっき観たのやと。親友ポジ的な?」

「ん~。じゃあちょっと違うのかも。でも確かに陽翔くんって、そういう意味では瑞希ちゃんにとってのバートさんだよね」

「えー。俺、あの大道芸人かよ」


 メリーの隣にいる快活な青年だ。俺みたいな奴とは似ても似つかない……そんなことを考えていると、大きな声と共にカーテンが大きく揺れて。



「そーだよっ! ハルはバートさんじゃないっ!」

「ううぉっ!? おまっ、いつからおってん!?」

「さっきだよさっき! 混ぜろその話っ!」


 突然現れる。気付かぬうちにカーテンへ隠れていたようだ。驚かせようと思ったのに! とヘラヘラ文句を垂れながら、ソファーへ飛び込んで来る。



「いねーからって好き勝手言いやがって! 別にシンソーシンリとかねーし! フツーに好きなだけだし!」

「分かった、分かったって! 髪引っ張るな!?」

「バートさんはメリーの親友なんだよっ! ハルがバートさんだったら、恋人じゃなくなっちゃうじゃん! そこ重要なんですけど!!」


 彼女なりの強い拘りがあるらしい。馬乗りでボカスカ俺を叩く姿を見て、とてもじゃないが強く賢く美しいスーパーナニーには見えないと、比奈と琴音は呆れたように笑うのであった。


 いや、痛いって。やめて。



「これだからハルはセンスねえからダメなんだよな~! てゆーか、ひーにゃんも! あたしのこと過ぎな!」

「買い被り?」

「それっ! メリーはメリーだから! あたしはメリーポピンズのふいんきってゆーか、そーゆーの自体が好きだから! あんだすてーん!?」

「あはははっ。うん、そっかそっか。ごめんね、変なこと言っちゃって」

「分かればよしっ!」


 ご満足の様子。そりゃ満足する筈だ。こうも俺をタコ殴りにすれば。いつか復讐してやるベッドの上で。


 すると帰って来たことに気付いたのか、びしょ濡れの下級生たちが談話スペースへ現れた。ノノと慧ちゃんが腕を引っ張る。



「センパイセンパイっ! 待ってましたよ!」

「水当てたら交代する鬼ごっこっス! ナガセ先輩メッチャ弱いんで、鬼役やってください!」

「えぇ~? ったく、しょうがねえな~!」


 シャツをぐっしょり濡らした愛莉が寝そべる。瑞希がいないから代わりに玩具にされたようだ。後ろでニヤニヤしている真琴の差し金に違いない。



「もうやだ……暑いし寒いし……ッ!」

「はいはい、お寝んねちましょうね~♪ 床で」

「助゛けて瑞希ぃぃ~~……!」



「……バートさん、こっちかな?」

「賢さが足りないかと」

「大道芸ちゃうな。リアクション芸や」


 探すまでもなく適任がいた。

 では然るべく彼女に任せよう。


 茹だるような暑さも彼女の前ではまるで無力。ホースを握り煌びやかな笑顔を輝かせ、下級生たちを追い掛け始める。


 当人はああ言うが、飛び切りの魔法を駆使し子どもたちへ笑顔をもたらす、その姿はスーパーナニーの如く。子どもたち、って歳でもないけど。背丈は似たようなモンだ。特にミクルとか聖来とか。



「んふふっ。どうするの? 陽翔くん。バートさん役クビになっちゃったけど」

「元からやれてねえって」

「ならジョージお父さん? それともブーム海軍大将?」

「いつ時報代わりの大砲ブッ放したってんだよ」

「えっ? だって陽翔くん、大砲……」

「どこ見て言ってんだよやめろアホ…………いらねえって、そういうの。バンクス家の二番煎じなら勘弁やな」


 誕生日の夜。涙ながらに心内を明かした彼女へ、俺は言った。誰にも真似出来ない新しい家族の形を、自分たちの力で作るのだと。


 メリーに家族はいない。だから、俺たちが寄り添うのだ。今はまだ不完全でも、いつか本物になる日が来る。そう信じている。



「呼ばれてますよ」

「えー。だる。琴音も行こ」

「私はもうやりましたから。貴方の番です」

「ちぇっ。つまんねえの……ブラ透けとるで」

「むんっ!?」



 難しい話はしたくない。気付いたらの家族も、全部一緒くたになってしまえば良い。丸く収まってしまえ。


 夢のような妄想だ。

 でも、瑞希。お前なら叶えられる。


 だって瑞希、お前は。


 聖母で、魔法使いで、スーパーナニーで。どうしようもなかった俺たちのために、それこそメリーみたいに、雲の上から飛んで来たんだから。



「ハルぅーっ! 遊ぼうよぉーっ!!」



 どこにも行かせやしない。

 死ぬまで我が家へ留めてやる。


 そして、一緒に歌い続けよう。

 マジで最高で、ハッピーでラッキーな歌を。


 そしたら全部、馬鹿馬鹿しくなるから。


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