1018. ゆうわく
翌日。母親は退院し、峯岸の車に乗り瑞希と実家へ戻って行った。半分恨み節みたいなメッセージが届いている。
『保険証持ってなかった? マジで?』
『マジマジ。入院費半分くらい立て替えた』
『キッツイな……財布大丈夫か?』
『取りあえずラーメン代返して』
そもそもシフトが少ないせいで、働いていたスナックの社会保険にさえ入っていなかったらしい。国保は高いので気持ちは分かるが……。
その後自宅にて、三者で今後の生活方針について色々と相談。兎にも角にも仕事と峯岸同伴で職場のスナックへ向かうと『もう辞めたものだとばかり』とかなりキツイ言葉を喰らったようだ。
ならサッパリ諦めて新しく探さないと、ということで、部内でも周知が行われ宛てを探す流れに。最初は交流センターで講師をお願いしようとしたのだが、スペイン語をほとんど話せないためご破算。
これは困ったと一度は頭を抱えるも、思わぬ助け船。今回の件で何かとご面倒をお掛けしている例の親子である。
「指先も大事だが一番は腰だ! おらっ、もっと体重掛けろ! もう怪我も治ってんだろォ!?」
「は、はい……こうですか?」
「おうよっ、そのままだそのまま! センスあんだからサボんじゃねえぞォ~!」
「んははっ。やってるね~」
「声掛ければ?」
「え~やだ~」
保科療院は朝から騒がしい。
奥さんが出て行ってしまったせいで、女手が慧ちゃんしかおらず困っているというのも前から聞いていた。パパさんも大歓迎。
月曜日。この日は店を閉め、長男さんを実験体に早くも実戦的な研修を行っている。まずはアルバイト契約だが、慣れて来たら正社員にという話。
余談だが、初めて慧ちゃんのお兄さん二人と顔を合わせた。揃って身長190センチ近いガチムチ体型で、パパさん同様に毛深い。
確かにあれは女性客が食い付かない要素満載だ……良い人たちだったけど。
「なんだよ。様子見たかったんじゃねえのか?」
「見るだけだし~」
「ったく……もう良いのか?」
「疲れた! 眠い!」
「まだ昼前やろがい」
特別に研修を見学させて貰っていたのだが、パパさんと兄二人の指導を真剣な面持ちで聞く母親を一目見て、瑞希はすぐ関心を失ってしまった。
自動ドアを潜り、軽快な足取りでアパートへ突き進む。この日はテストの返却だけなので、登校時間までまだ余裕がある。昨日から何かと疲れているだろうし、寝たいのも本当なのだろうが。
「にしても、話行ってから早かったな」
「ね~。フトコロ深すぎよなパピー。あとでケイに謝っとかないと」
「さっき話したけど、超嬉しい言うとったで。女手が増えて有難いとかなんとか」
「ケイって女の自覚あるの?」
「失礼な奴め……」
「あはははっ♪ うそうそっ!」
これも完全に余談だが、なんでも慧ちゃんパパ曰く瑞希のお母さん、出て行った元奥さんと結構似ているらしい。顔とか体型とか。
当初は住み込みまで提案したらしいが、これは丁重に断られたそうだ。まさかとは思うが、そこまで込みで先日も世話を焼いてくれたのか……?
「どうする? 慧ちゃんが妹になったら」
「ん~? いーよ別に?」
「良いんだ」
「だってみんなファミリーだしっ! 今でも妹みたいなモンじゃん? あ、でも説明するのメンドーだな……絶対あたしが妹だって思われる!」
「そこかよ気にするの」
新たに勃発したラブロマンス未遂はさておき。
アパートへ到着、瑞希は靴を適当に蹴り捨てさっさとベッドへ向かう。下級生はもう学校にいるので久々に二人きりだ。彼女も分かっているようで。
「ハルっ!!」
「どした」
「ギューーってして!!」
「は? 可愛い」
「ゴタクはいーからさっさと来い!!」
「こわっ」
周囲の目もあったので、ここまで我慢したようだ。満更でもない。毎秒ギューってしたいの必死に抑えてんだこっちは。
「ハルっ、ゲットだぜ!!」
「人をポ〇モンみたいに」
「むっふっふ……! ゆうわくしてやる~♪」
「わ~~顔が勝手に近付いてしまう~」
抱き合いながらベッドをゴロゴロ。お凸とお凸がくっ付いて、やがて唇も重なった。数秒前の無邪気さはどこへやら。
俺は目を瞑っていたのに、ずっと見ていたらしい。異国情緒漂うエキゾチックな瞳が、突然目の前へ現れて。もう、ドキドキ。
「…………んふっ♪ 照れてる♪」
「クッソ、やられた」
「なーんだよ! いい加減慣れろやっ!」
「勘弁してくれって……」
回数にして何千何万とこなしてきた筈が、瑞希を至近距離で見つめるのは未だに緊張してしまう。普通に美人だからだ。他に理由とか無い。
なのに、こうして密着している件についてはなんともない。むしろもっと体温を分けて欲しいと、そんな風に思う。不思議だ。
本来、俺みたいな男には手の届かない煌びやかな存在。ところが、気付いたらいつどんなときも傍にいる。
見掛けの情報に過ぎないと分かってはいるが、そのアンバランスさも含め、彼女の魅力なのかもしれない。
「……あっつ」
「それな。冷房入れるわ」
「んーん。待って?」
起き上がろうとした腕を無理やり引っ張り止める。再びベッドへ打ち付けられた身体へ、瑞希は甘える子猫のように擦り寄った。
「暑いのが、いーの」
「……苦手やなかったっけ?」
「ハルだからっ」
ほら見たことか。甘い言葉やシリアスな雰囲気がとことん似合わない癖して、急にこんなことを言って来る。どう対処しろってんだよ。
「……結局さ」
「うん?」
「まだ言ってないんだよね」
「なにを?」
「全国観に来てって」
すっかり忘れていた。
そもそも金澤家へ突撃したのはこれが理由。
「でも、いーや。今度言お」
「大丈夫か? また忘れるやろお前」
「へーき。明日すぐ言うし」
胸に蹲っているので、どんな表情をしているかは分からないが。でも、きっと悪くない顔をしているだろう。話題に挙げた時点で証拠みたいなもの。
そっか。と一言、更に強く彼女を抱き締める。昨日実家に帰ってからの話はあまり聞いていないが、聞くほどの内容も無いだろうと思い直した。
余計なことは言わない。
気を遣ったのではなく、必要無いと感じたから。
今ここにいるのは俺だけ。
でも彼女の心には、ちゃんと母親がいる。
言葉にしなくたって、それくらい分かるのだ。
「…………つかれた。なんか」
「お疲れさん」
「でも、良いカンジかも」
「最高やん」
「うんっ。マジでサイコー!」
むくりと顔を出し、能天気な笑顔を転がせる。俺も同じだ。小難しい話はもう散々。お前が笑顔ならなんだって良い。それだけが重要。
すると瑞希。何か思い出したようで『あっ』と小さく呟くと、途端にスルリと腕から抜け出してしまう。
鞄から見慣れない、でもどこか既視感のあるパッケージが出て来た。かなり古いもののようで、表面から角まで酷く汚れている。これは……。
「持ってきた!」
「あぁ、メリーポピンズ」
「いつにしよっかな~って、ずっと思ってたんだ。したら今日ヒマだし!」
「言うて二時間したら学校行かな」
「イケるイケる!」
約束したまま暫く放置していた。中々機会が無くて、なんなら夏休み中でも良かったが……むしろ完璧なタイミングかも。
ノートパソコンと一緒にベッドへ持って来て、DVDを器用に操作。パッケージごと持っているということは、きっと小さい頃にお父さんから貰って、ずっと見続けている宝物なのだろう。
「白黒やなくてカラーなんやな」
「そーだよっ。こんときのジュリー・アンドリュースがさ、ナニーって言うよりお姉さんっぽくて、ちゃんと女の子ってカンジで可愛いんだよね~♪」
「もう楽しそう」
女優名まで知っているとは筋金入りだ。これから二時間弱、年季の入った解説を横に楽しい時間を過ごせるのだ、自然と頬も緩む。
思えば彼女の映画趣味を、俺はほとんど知らなかった。金澤瑞希、シンプルに見えて案外複雑な人間だ。
だが、それで良い。だからこそ良かった。
こうして肩を寄せ合い、彼女の姿を紐解いていく、肉にも魚にもならないあり触れた日々が。何よりも待ち遠しい。
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