1014. 忘れちゃいけないって
【準々決勝:試合終了】
廣瀬陽翔 藤村俊介
長瀬愛莉
金澤瑞希
【山嵜高校(神奈川)3-1西ヶ丘高校(東京)】
残り五秒では西ヶ丘と言えどなにも出来ず。ロングボールがそのままラインを割り、琴音が投げ入れたところでブザーが鳴った。
同時に拍手と大歓声がアリーナを包み、柔を持って制されるみたいに、みんなコートへ倒れ込んでしまう。これだけの死闘だ、当然だろう。
「んだよ。後半ちょっとしか出てへんやろ」
「はぁ、はぁーっ……最後の利いたぁぁ~……!」
「来週までに鍛え直しやな」
「えぇ~!? やだぁ~!」
仰向けで天井を眺め、肩を大きく揺らす瑞希。しゃがんでお凸を突っついてみると、大人に弄ばれる幼子みたいにキャッキャと笑った。
藤村を抜いてシュートを撃った後、暫く立ち上がれなかったのだ。脚もぷるぷると痙攣している。やはりコンディションは万全ではなかったか……それでも結果を残すんだから、大した奴だよな。
聖来らベンチの面々を呼び寄せ、アイシングがてら面倒を見て貰う。俺も結構疲れた、さっさと帰って慧ちゃんパパに施術を頼もう。
あー、でもあの人、いまお母さんの病室に居るんだっけ。夜までに帰れるかな…………っと、なんだアイツら。元気そうじゃねえか。
「お疲れさん」
「…………疲れてねえよ。そんな」
「なら疲れるまで走れよ。野郎の癖に」
「出来るならそうしたかったけどな……最後の最後にどうやって走れば良いか、分からなくなっちまったよ」
ため息片手に達観染みた微笑を綻ばせる藤村。腕を引き上げると、そのまま手を掴んで来た。なんだ、馬鹿に素直だな。
「……強いな。山嵜」
「せやから言うたやろに」
「いや、想像以上だった。舐めてたわけじゃねえけどよ。でもマジで、戦わないと分かんねえわ……あー、だりぃ~~」
口ではそんなことを言うが、幾分かスッキリした顔をしている。ええんかお前それで。絶対にもっと出来ることあっただろ。
「あ~。もう良いわ。全部どうでも良くなって来た……」
「清々しい顔すんな似合わん顔して」
「やっぱまだビビってたわ。認める。認めるっつうか……全然残ってたわ」
「あ? 残ってた?」
固く握られた拳には力が入る。
スタンドを見つめ、藤村は語った。
「分かんだろ? 要するに、廣瀬恐怖症……俺だけじゃねえ、セレゾンの奴らはみんな持ってる。一生モンの傷だよ。トラウマってやつ」
「なにを大袈裟な……なんもしてねえよ」
「そりゃお前は気付かねえよ。イジメた側は覚えないってよく言うだろ」
「人を悪の化身みたいにな」
「化身? 馬鹿言うな、悪そのものだっつーの……忘れた気ではいたんだけどな。自信もあった。なのに、同じコートに立ったらさ……やっぱ思い出したよ」
憑き物が取れたみたいな、あまりにも綺麗な顔をするものだから、それ以上何を言う気も無くなってしまった。知らない藤村がそこに居る。
「どこまで行ってもさ。大事なのは根っこの部分で、ガワじゃねえんだよ。いやまぁ、ガワっつっても、俺はこのチームのこととか、ここで学んだ時間も中身も全部すげえモンだと思ってるし、リスペクトしてるけどよ」
「……おう」
「肝心の俺自身が、それを信じられなかったら……もう意味が無いんだよな。セレゾンでの記憶を清算するつもりで、今日までやって来たけど……あれだ、アレ。本末転倒ってやつ。結局お前のこと、意識したままだったしさ」
曖昧な物言いに首も傾げたくなる。でもどこか既視感があったのは……たぶん、東雲学園の皆見と、どこか背景が被って見えたからだ。
俺に近付こうとした皆見と、俺やセレゾンの幻影から離れようとした藤村。動機は異なれど、起点となるモノはどうしても一緒で。
「いい加減卒業しろよ。俺なんか」
「いや、一回した。したつもりだった。だから俺は今日、西ヶ丘のユニフォームを着て、アウェーのフットサルに乗り込んで、正面から勝負出来た。そこには自信と誇りを持ってる。こっからは、俺の問題だ」
「はあ?」
「忘れちゃいけねえんだよ。根っこの、一番大切な……俺が、お前に勝ちたいっていう、そういう気持ちだよ。だから、卒業しなくて良い!」
馬鹿に晴れ晴れとした笑みを浮かべ、馴れ馴れしく肩を組んで来る。なんだよ、やめろ。男の汗は女の涙の次に嫌いなんだ。離れろ。
「なあ、落ち着いたらで良いからさ……全員連れて大阪帰ろうぜ。俺いま、すっげえアイツらとボール蹴りたいんだわ」
「南雲と堀?」
「そうだよっ! あんときとは違うけどさ、でもっ、同じようにやろうぜ。やろうって言うか、そうなるんだけどな! 廣瀬がずーっとボール持って、俺らは暇しててさ……! なんか、忘れちゃいけないって思うんだ……!」
一転、今度は泣きそうになる。
どういう感情だ。気持ち悪いな。
(……まぁ、ええか。なんか嬉しそうやし)
大阪を離れて、彼にしか変わらない葛藤やプレッシャーがあったのだろう。実家を継ぐ云々の話もそうだし、手応えを掴みつつも煮え切れない日々だった。
それが今日、俺たちと……いや、俺と戦って、色々と区切りが付いたみたいだ。大変厳しい言い方をすれば、その『俺と戦った』こと自体が、ある意味の敗因ではあるのだが。
それが彼には必要だったのだろう。今持ち合わせる限りの、西ヶ丘の藤村俊介として逃げずに戦って、何かを掴んだんだ。
結果的に元の鞘へ収まっても。卒業出来なくても。
結構なことじゃないか。
彼は納得したんだ。あらゆる苦悩と葛藤へ。
「いやマジで、マジで良かった。今日ここで、お前とやれて良かった。勝てれば最高だったけどな! でももう自信しかねえ。功治なんてすぐ追い抜くわ……!」
「お、おう。頑張れよ。神戸やっけ?」
「その前にインターハイだな。選手権は出るつもりねえんだわ、ヂエゴも広島内定してて卒業前に合流で……なあヂエゴ!! 帰ってグラウンド開けて貰おうぜ! マジ動き足んねえ!!」
整列の挨拶も程々に、憮然と立ち尽くす松永へダル絡みを始める。流石に鬱陶しかったのか、或いは『そんなに元気ならもっと上手くやれただろ』という気持ちの表れか、割と冷たくあしらわれる藤村であった。
まぁそうだ。聞いた話では、この大会への参加はほぼ藤村のエゴが理由だったらしいからな。
それでいて、負けたのにあんな元気じゃ困るだろう。そういうところだよお前が突き抜けられないのは。
「なんか、元気ね」
「普段ああいう奴ちゃんねんけどな」
「そうなの?」
「怖い」
やたらハイテンションでチームメイトに絡み続ける藤村を眺め、愛莉も呆れ顔で呟く。少し痛めたのか、膝にテーピングを巻いていた。
「大丈夫か?」
「膝? まぁ、ちょっとピリッと来るって程度……苦戦はしたけど、終わってみればって感じね」
「ハッ。そりゃ決勝ゴール決めればな」
「うん。スッキリした」
多少の痛みも苦にはならないだろう。終わってみなければ、そこへ辿り着かなければ理解し得ないモノが、このコートには詰まっている。当事者にしか味わえない奇妙な感覚だ。分かって貰えなくて結構。
そう、なんと言うか、上手く言えないけれど……勝ち負けよりも大事な、何か意味のあるモノを、ここにいる全員が掴んだって。そんな気がするんだ。
「ねーねーハルっ! このあとどーするの? すぐ町田南の試合っしょ?」
「いや、見ない。行くとこあるし」
「はぇっ? そーなん?」
ロッカーへ引き下がる道中、みんな囲まれ軽快なステップを踏みやって来た瑞希へ、俺は振り向きもせず答える。
せっかく勝ったというのに、藤村だけ楽しそうでなんかムカついたんだ。せっかくの機会だろう、どうせなら全部解決してしまいたい。
「あぁ、俺と瑞希と……じゃあ愛莉も。あとは会場残って視察するなり、しっかりケアするなりやってくれ。琴音、あとは任せた」
「はぁ。どこかへ行かれるのですか?」
「病院。愛莉が痛めたらしいから」
「ではどうして瑞希さんも?」
首を傾げる琴音へアイコンタクト。ハッと口を開き、続いてみんなも気付いたのか、一斉に視線を隣の彼女へ寄越した。
「そろそろ追い出されとるかもな……でも、家族の面会なら文句無いやろ?」
「…………えっ?」
「逢いに行こうぜ。瑞希」
一緒に行こう。そして今度こそ、納得しよう。
そこに答えが無くても。
二人にしか掴めない、未来の切れ端がある筈だ。
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