1013. Adiós
(クソッ、枠に飛ばねえ……!!)
パワープレーへ移行後、西ヶ丘のシュート本数は二桁を優に超えていた。数的優なのだから、相手のレベルに関わらず当然の展開ではある。
が、肝心の同点ゴールが生まれない。遠目から狙った松永の強引なシュートは、バーの遥か上を通過。藤村は歯を食い縛り天を仰いだ。
「もういいヂエゴ、下がって来るな! ゴール前にドンと構えろ、それだけで良い!」
「それじゃ埒が明かねえ……!」
「俺に任せろッ!! 絶対になんとかする!!」
山嵜のゴールクリアランスを待つ最中、藤村は必死の形相で檄を飛ばす。足を止めた松永は汗を振り払い頷くが、表情は今一つ冴えない。
言い分は理に適っている。陽翔を除けばコートには小柄な女性選手しか残っていない。あの男さえ攻略すればゴールは目前。
(なにが……何が足りない……!?)
「時間ねえぞッ! ライン上げて奪いに行こう!」
自陣でパスを回そうとする山嵜ファイブ。藤村の号令を合図に、両アラの女子二人が激しくフォアチェックへ。
この時間帯ともなれば流石に疲労が見える山嵜。陽翔はともかく、コンディションが万全でない瑞希、前半に激しい肉弾戦へ晒された比奈のプレー精度は決して芳しくはなかった。度々ボールを失い掛ける。
アウトプレーの数も増える。キックインこそ山嵜ボールにはなるが、どちらに勢いがあるかは明白だった。
(どうしてマイボールにならない……!!)
リードを保つべく受け身に回る山嵜と、同点に向け勢い付く西ヶ丘。何かが起こるとすれば、ポジティブなマインドで走り続ける西ヶ丘へ『機』が転がるのは自然な流れの筈だ。
なのに、奪えない。
電光掲示板が秒表示へ切り替わる。着々とタイムアップが近付くなか、松永は未だかつてない無力感に襲われていた。
三年組を中心とした山嵜の円滑なパスワーク。自身の不慣れなポジション。様々な事象が重なったが故の結果にしても、だ。不思議なくらい『チャンスが訪れる』予感がしない。
「比奈さんっ、こっちです!」
「ナイスフォロー!」
タッチラインをなぞる縦パス。サイドへ流れた有希にズバッと通り、西ヶ丘はネガティブトランジションを強いられる。
「ファール! 西ヶ丘10番、プッシング!」
「ああっ、クソ……!」
二次対応に当たった藤村が有希を後ろから倒してしまう。激しい接触ではなかったが、如何せん体格差の大きい二人だ。心証も悪かったのだろう。
有希の手を掴み引き起こす。接触のあった箇所を清掃員がモップ掛けする間、藤村は何の気なしに口を開いた。
「悪いなッ……こっちも必死でよ」
「構いませんっ、お互い気を付けましょう! 廣瀬さん、今みたいな感じでアバウトに出しちゃってください! わたし、頑張ってキープしますっ!」
お喋りする気は更々無いようで、さっさと藤村の元を離れてしまう。この子もアイツのお手付きか、と余計なことを考える余裕も無い。
(研究通りなら、14番が山嵜で一番序列の低い選手……にも拘らず、この厳しい時間帯で投入された。何か意味があるのか……?)
プレス・カウンター要員なら元気のあり余っている文香の方が適任。事実、ここまで藤村は有希のディフェンスをそれほど苦にしていない。
だが結果的にファールを取られ、山嵜に精神的余裕を与えてしまったのが現実。このギャップこそパワープレーが機能しない理由の一端ではないかと、藤村は酸素の足りない頭で思案を巡らせた。
(向こうの面子がフレッシュだから……? 確かにバックラインの繋ぎは安定している。そりゃ廣瀬が居るんだ、当たり前だろ……違う、重要なのはそこじゃない。この四分間でチャンスは幾らか作った)
(付け入る隙は何度もあった。なのに決まらなかった……俺はまだ動けてる。ヂエゴに良いパスも入ってる。サイドの二人もまだ死んでない……なら、どうして決まらない!? この閉塞感はなんだ……!?)
(……ビビってるのか? この期に及んで失点を……決定的な三点目を恐れているのか? 取りに行くしかない状況で? 違う、そんなわけない……ッ!!)
フリーキックで再開。キッカーの瑞希はシュートを撃たず、自陣深くへ下がった陽翔へバックパス。
身構えていた西ヶ丘ファイブは、重い腰を上げ敵陣へ駆け出す。その瞬間、藤村は酷く後悔の念に苛まれた。
(そうだろッ、時間を使うに決まってる! なんで『シュートが来る』って思った!? なんで考えも無しにブロック作ったんだよ……!?)
残り三十秒。攻め急がなければならない西ヶ丘はまたもイニシアチブを握られ、ボールを追い掛ける羽目になった。
ブレている。
考えが纏まっていない。
だから行動が中途半端になる。
自覚が無いわけではなかった。それらを振り払うべく、ポジティブに務めようとしている。なのに、ギャップが埋まらない。指針が揃わない。
思うように、身体が動かない。
(どんなトリックを使いやがった、廣瀬……ッ!)
【後半14分32秒
山嵜高校2-1西ヶ丘高校】
(土壺にハマったな……)
残り三十秒弱。セーフティーリードではないが、西ヶ丘の出足はあからさまに遅くなっていた。このまま回し続ければ勝利は固い。
勿論疲労もあるだろうが、それ以上に意思統一が出来ていない印象だ。どうやってボールを奪えば良いのか分からない。
「有希っ……いや、ごめん! 瑞希!」
「はいよーっと!」
斜めに抜け出す良いランニングだったが、藤村も着いていた。ここも背後の瑞希に預け作り直す。
西ヶ丘ファイブはそれはもう、ガクっと肩を落とした。出してくれれば奪いに行けたのに。なんて思ったのだろう。
(面白いな……オフェンシブなタスクを振られただけで、有希がこうも脅威に映るか……!)
元来、有希は単独で仕掛けるような選手でない。比奈と似た特性を持っていて、ポジショニングと懸命なランで全体を整えるタイプだ。
彼女の投入は『このままゲームをクローズしろ』というメッセージそのまま。根本的にはネガティブなマインドである。
だったら西ヶ丘は、多少のリスクを背負ってでも奪いに来た方がチャンスを作れる筈。迷う理由が無いのだ。
なのに、前へ出れない。
膠着しているのは何故か。
簡単だ。『攻めて来そう』だから。
一度スペースを与えれば、俺や瑞希が個人技で刺しに来る。或いは、フレッシュな有希に押し切られてしまうかもしれない。
下手に出れば、試合を決定づける三点目を奪われてしまう……そんな恐怖心が、彼らの足を止めてしまった。
恐らく、藤村が過剰に俺を恐れているのも一つの原因だ。いや、過剰なんてことは無いのだろうが……半端に俺の実力を知っているから。
心のどこかでロックが掛かってしまい、それがチーム全体へ伝染しているのだ。まだ現実に起こっていない『仮定』を必要以上に警戒してしまっている。
「蹴れよ!! 俺がなんとかする……ッ!」
「……頼む、ヂエゴ!!」
永遠に続くかと思われたパスワークもここで終わり。藤村がポジションを捨て、比奈に激しくチャージしたおかげだ。キックインで西ヶ丘ボールに。
残り十秒。ここまで来れば腹を括るしかない。
キッカーは藤村。松永が俺の前に立ち、両サイドのアラ、更にビブスを纏ったパワープレー要員の女子も高いポジションを取った。
シュート性の弾丸ライナーが来る。触れば一点、押し込むだけという状況を作るつもりだろう。強みを最大限生かした、理に適った賭けだ。
(――でも、怖いよな?)
確かに西ヶ丘のハイボール戦術は、ゲームを通して山嵜を大いに苦しめた。セカンドターゲットの外木場が居ないとは言え、危険性に変わりは無い。
だが見落としてくれるな。
お前らそれで、今日一点でも取ったか?
結果は出てないよな?
「瑞希。壁入ってくれ。分かるな」
「んふっ。おっけー♪」
「比奈はこっち。ただ……」
「おぉ~……ん、分かった」
外に聞こえないよう耳打ち。
言われずとも二人も分かっていた。
「有希ッ、琴音の隣に立て! 怖がらず頭から突っ込んや! 気合や気合!」
「はいっ、任せてください!」
指示を送りつつ、スポットに立つ藤村を横目で確認。最後の絶好機だ、これ以上無いほどに感覚は研ぎ澄まされている筈。
なら、聞き逃さないよな?
お前ほどのプレーヤーなら。
僅かな隙も見逃さない、徹底的に勝利へフォーカスした、そんな選手になりたかったんだろう。だからロマン主義のセレゾンを離れて、西ヶ丘を選んで。理想としていた選手像を、今にも掴もうとしているのだろう。
要は俺みたいになりたかったわけだ。結局。
違う角度から、少しでも近付きたかったんだろう?
なら教えてやる。
親愛なる戦友へ、最後の餞だ。
隙は見つけるものじゃない。
ましてや与えられるわけもない。
自力で作るんだよ。こうやって。
「――――出ろ比奈ッ!!」
「なっ!?」
「おい俊介……!?」
切れ味鋭い絶叫が重なる。
裏腹に、ボールは暢気なほどゆっくり転がっていた。
藤村が選んだのは、ゴール前へのライナー……ではなく、組み立て直し。8番を呼び寄せ、ドリブルで前進しようとしたのだ。
気持ちは分かる。フィールドプレーヤーの一人である有希がゴール前にベッタリ張り付いていたし、ただでさえゴレイロを引っ込め数的優位。
キックインからの直接ゴールは認められないが、一度パスを交わせば自分で撃っても良いわけだ。意外は意外だが、合理的な選択と言える。
それだよ、それ。
お前ならそうすると思ってたよ。
ロジックじゃねえんだって。
こんな手汗握る熱い展開なら、そりゃ尚更。
チームを、味方を信じたから報われる?
甘えだね。そんなの。
フットボールは女神は理不尽かつ不公平。
みんな振り向いてもらおうと毎日必死。
だから走るんだ。最後まで欲しがるんだ。
そういう奴にだけ、チャンスは与えられるのさ。
「奪った!!」
「比奈先輩、そのまま!」
『いや、ミズキがフリーよ!』
キックインと同時に飛び出した比奈が、8番へ猛烈なチャージを噛ます。ダイレクトで戻そうとした8番は、あまりのスピードに一瞬面食らった。
恐らく振り向いた方が往なせると思ったのだろう。だがその先に、比奈の足が出て来た。交錯の末、身体が入れ替わる。
「クソがああああアアアア!!!!」
「仕留めろ、瑞希ッ!!」
ダッシュで帰陣する藤村を確認し、落ち着いて展開。壁役と思われた瑞希は、比奈のボール奪取を確認もせず逆サイドへ走り出していた。
ゴレイロ不在。
抜けば一点モノの大チャンス。
まぁでも、惜しかったよ。藤村。
確かにフットボールの女神は気紛れだけどさ。
だって、元々こっちにいるんだもの。
ハナから勝負になるわけねえって。
「――――
軽々とボールを拾い上げ、捨て身のスライディングをジャンプで躱してしまう。軽快に振り抜いた左脚が、無人のゴールネットを揺らす。
爆発する歓声。揺れるスタンド。
その中心には憎たらしいまでに笑顔の、天使のようで悪魔のような、大好きな、いつも通りの彼女がいた。
【後半14分55秒 金澤瑞希
山嵜高校3-1西ヶ丘高校】
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