1006. 元気?
「もっと早くボールを動かした方が良いわ。持てる時間は相手がベタ引きになるから、詰められる前に遠目から撃って……」
「キックインのリスタートなんですけど、正直に蹴らせるより壁作ってコース消しましょう! そのときマコちんはニア寄りに立って、陽翔センパイは……」
「比奈。縦に出した後は止まらないで、もう一度フォローへ入るように動き直しを……」
ロッカールームはいつもに増して騒々しい。公式戦五試合目ともなれば、前半で得た手応えと課題を言語化する作業も捗る一方。頼もしい限りだ。
すると遅れて峯岸と瑞希、そして聖来が戻って来た。聖来相手に軽くボールを蹴らせて、コンディションの確認をしていたのだろう。皆の注目が集まる。
「……七割ってところさね。まぁ、イケるだろ」
「っ! やった……!」
「ただ、スタートは様子を見る。一番怖いのは、ロングボールの蹴り合いになって頭の上を往復する展開だ。出し処は私が見極める。それで良いな?」
「ありがと峯岸ちゃんっ!」
そのやり取りを機に、ロッカールームの空気は一段と活気付いた。愛莉が彼女を連れ出して、ホワイトボードに書き込んだ項目を細かく説明し始める。
峯岸が懸念するように、激しい肉弾戦に軽量級の瑞希がすんなり入って行けるかどうか。でも、様子を見る限り心配は要らないと思う。
彼女がこの試合において、最も必要なピースであることを、全員が分かっているからだ。瑞希の余りある個性がゲームの分岐点足り得る瞬間が、必ずどこかでやって来る。
「さて、後半のスターターだが……ハイボールで来る想定で、一旦組んでみる。まぁ駄目だったらすぐ代えるから、そこら辺は私に任せろ」
ホワイトボードに名前を書き込んでいく峯岸。ゴレイロは変わらず琴音、フィクソの真琴、右アラの俺、ピヴォが愛莉……あれ、左アラは?
「保科。行くぞ」
「……ほわっ!? あっ、アタシっスか!?」
「スタートの位置は左サイド。ただ、基本は廣瀬と長瀬妹の後ろに構えろ。相手の11番、あのデカい女だ。分かるな? アイツを潰すのが仕事だ」
「俺と真琴でセカンドボールを拾って、ロングボールを蹴らせないようにするってわけやな」
「そういうこった」
なるほど、慧ちゃんはスイーパーの役割か。確かに前半は、俺と真琴が競った後にボールを回収出来なくて、ずっと蹴られっぱなしだったからな。理に適った整理整頓だと思う。
足元の技術こそ覚束ない慧ちゃんだが、空中戦、特にヘディングの強さはチームでも随一だ。仮に制圧し切れなくても、彼女が自陣で構えているだけで相手にはプレッシャーになる。
「難しいことは考えるな。無理に繋ごうとしなくて良い、とにかく弾き返せ。パワーのゴリ押しさね。そういうの得意だろ?」
「そっ、それはそうっスけど……」
「大丈夫、慧ちゃんなら出来るよ! 落ち着いてこ!」
有希が肩を叩いて励ますが、やや顔が強張っている。これまでのプレーは大差の付いた楽な展開がほとんどだったし、五分五分の状況で投入されるのはさしもの慧ちゃんでも緊張するか。
「頼むぜ、慧ちゃん。この仕事は慧ちゃんにしか出来ない。もし失敗しても、あの慧ちゃんでもダメなんだって、それこそ諦めも付くさ」
「……ヒロセ先輩」
「だからビビらないで、思いっきりプレーしてくれよ。秘密兵器だなんて誰も思っちゃいねえ。立派な戦力だから、みんな慧ちゃんに頼るんだぜ!」
「……は、はいっ! 頑張りまっス!!」
「よし! それでこそ慧ちゃん!」
「頑張って、慧ちゃん!」
有希と一緒に手を掴んでやると、次第に強張りも解け力強く何度も頷く。きっと大丈夫だ。この四カ月、彼女も必死に練習を積んで来たのだから。
ポテンシャルの高さは言わずもがな、その溢れんばかりの向上心は誰もが認めるところ。努力と献身は決して裏切らない。このチームでなら尚更だ。
瑞希の一件にしたって同じ。ただでさえ不利の多い山嵜フットサル部にとって、同じ矢印を向いて戦うことがどれほど大切なことか。
全員の足並みが、意思が揃うことで。
初めて俺たちは補い合える。
支え合えるチームになれるのだ。
「んにゃ……電話鳴っとる?」
「ほえっ? あ、アタシのっス」
聖来が指差す先から、やたらパンキーな音楽が大音量で聞こえて来る。慧ちゃんのスマホの着信音だ。ガサゴソと鞄から取り出すと……。
「アァ? 親父?」
「試合中やぞなに考えとんねん」
「たはははっ、すんません馬鹿親父が……」
どうやらパパさんからの電話らしい。まさか励ましの一報か。だとしても試合中だろ。始まる前に掛けろって。
「そう言えば慧ちゃんのお父さん、今日スタンドにいなかったかも?」
「せやなあ。声デカいからだいたい気付くわ」
比奈と文香は口を揃える。実は俺も気になっていたり。予選は毎試合観に来て応援団の音頭を取っていたのに、今日は姿が見えなかった。
試合中も基本叫びっぱなしなので、スタンドが埋まっている割にどうも静かで『なんか物足りないな』とちょっとだけ思っていた。こういうハードな試合にこそ居て欲しいサポーターなんだけどな、なんて。
「なに、どーしたの! ハーフタイムだって!」
『おう良かった良かった! ならちょうど良いな! ビデオにしてくれねえか!』
「はーん? ビデオぉ?」
流石の慧ちゃんも今ばかりは『茶々入れんじゃねえ』と怪訝な顔つきだが、何度も連呼され呆れ果てたのか。指示に従いビデオ画面をオンにする。
すると、そこに映し出されたのは……。
『悪りぃな! 金髪の姉ちゃんに代わってくれよ!!』
「ほわっ!? カナザワ先輩の……!?」
「……えっ?」
端でアップを続けていた瑞希は、突然のご指名に目を丸くしている。画面にはパパさん。その隣には……瑞希のお母さんがいた。
「ちょっ、え、はい!? どういうこと!? アンタ知り合いやったんか!?」
『よう廣瀬! いやぁ、慧にどの病院か聞いてたからよ、ちょっくら凸ってみたっつうわけ! サプライズだよサプライズ! ほら、さっさと代わってくれ! 俺いま無断で病棟入ってんだわ!!』
「はいぃ!?」
豪快な笑い声がスピーカー越しに響き渡る。あのオッサン、試合に来ないで病院に行ったのかよ。いやサプライズて。意味分からん。
「……病院の場所教えたの?」
「あぁ~……言ったような言ってないような……?」
「お喋りさんめ……ッ」
冷や汗ダラダラの慧ちゃんである。いっつも散々愚痴っておいて、ちゃっかり仲良し親子じゃねえか。まぁ良いけど。まぁ、って言うか、もう。
「ど、どうする? 瑞希」
「…………っ」
いきなりもいきなりで動揺を隠せない彼女は、頻りに目を泳がせ皆の様子を気にしている。躊躇うのも当然だ。この一件でチームに迷惑を掛けてしまったと、少なくとも瑞希はそう思っているのだから。
が、俺が何を言う前に、事は早々に片付いた。
あやすよう背中を擦り、愛莉はこう語り掛ける。
「顔だけでも見ときなさいよ。入院してから会ってないんでしょ?」
「……で、でもっ……」
「ミーティングは終わってるし、気にしないで。みんなも分かってる。それにこのままだと、慧ちゃんのお父さんがただの犯罪者で終わっちゃうから」
「なんとか出禁で勘弁して欲しいっス……!!」
ほろほろと薄目で涙を垂れ流す慧ちゃんに、ロッカールームは暢気な暖かい空気で包まれた。まぁそういうことだ。誰も止めやしない。
覚束ない足取りで一歩踏み出し、スマホを受け取る。力無くベッドへ横たわる母の姿に、瑞希は喉を強くしならせた。
「……よ、よう。元気?」
『…………それなりに』
「そっか……なんか、ごめん」
『謝られても……それよりこの人、本当にその……アンタの知り合いなの?』
「うん。後輩のお父さん」
『あぁ、そう……病院、凄いことになってる。受付もしないで入って来たみたいだから』
「んふ。やば」
途切れ途切れのあやふやなやり取り。その最中、瑞希はほんの少しだけ笑顔を綻ばせた。パパさんの奇行がよほどおかしかったのか、それとも他に理由があるのか。いまいち判断が着かないけれど。
でも、笑えている。
母親に、笑顔を見せている。
「……いま、ハーフタイムなんだ」
『ハーフタイム? なにそれ』
「試合の休み時間。ったく、それくらい知っとけよ。スペイン何年住んでんの?」
『仕方ないでしょ、サッカー興味無いし……』
「違う。フットサルだよ。あーあ、しょーがねーな……今度ちゃんと教えてやるから、さっさと怪我直して。分かった?」
『……明日には退院出来るから』
「あー、そーなの? じゃー迎えに行くから」
『良いわよ、そんなの』
「あたしが行きたいんだって」
『…………勝手にして』
「ん。おっけー」
やはりと言うかなんと言うか。試合中だと伝えたというのに、ついぞ『頑張れ』の一言も出て来ない。相変わらずである。
ただ、こうして遠くから見守ることで……少し分かったこともある。この人、本当に口下手なんだ。あの日は見ているだけに無性に苛付いたのに、今では何故か微笑ましささえ覚えてしまう。
我ながら単純過ぎるだろうか。いやでも、おかしなことではない筈だ。だって瑞希も、こんなにも楽しそうなのだから。
そうだ。たったこれだけで、十分なんだ。
こんな程度だ。きっと。
親子なんて、家族なんてものは。
『……その試合、勝ったらどうなるの?』
「んー? あと一回勝ったら、全国だよ」
『全国……? そう、なの?』
「強いんだよウチ。あと、めっちゃ面白いから。リハビリには持って来い。分かんないけど」
『……そう』
「だからさ……その、外出れるようになったら……」
暫し言い淀んでいると、それを打ち切るように既定の時間を告げるベルが鳴り響いた。タイミングが悪い。あと少しだったのに。
だが瑞希は気落ちすることなく、息を深く吐いて、穏やかな声色で告げる。
「じゃ、行って来るね」
『……じゃあ』
「ばーか。こーゆーときは……ウソでも『がんばれ』って言うんだよっ!」
思いっきり終話ボタンを押して、強引に通話を打ち切ってしまう。慧ちゃんにスマホを投げ渡すと、振り向きざまに彼女は叫んだ。
「……行こうっ、みんな! 絶対勝とうなっ!!」
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