994. なにを頑張るって話


 練習後、最寄り駅には四名の部員が集められた。

 当事者たる瑞希、男手のオレ。そして。



「これ、どうやって持つの?」

「こっちの色が違うところっス! ほんで両手でギュッと握って、こうッ!!」

「わわっ!? ちょ、危なッ!?」


 人がいないのを良いことにバスターミナルで素振りを繰り返す慧ちゃん。あまりのスイングスピードに愛莉は近付くことさえ出来ない。

 凄いな。こないだスポッチョで見た文香のバッティングが吹き飛ぶ勢いだ。


 というわけで、部内屈指のフィジカル派である愛莉と慧ちゃんが招集された。


 女とガキだらけじゃ舐められるからと峯岸直々の指名だ。だったら慧ちゃんじゃなくてパパさんに頼めば良かったのに、とは思う。



「ねえねえ……ホントにダイジョーブ?」

「邪魔はせえへんやろ……たぶん」

「おーし、乗って良いぞー」


 昨日の今日で話が進んでいるため、流石の瑞希も困惑している。二人には『ヤバイ男がいるかもしれないから気を付けろ』としか言っていないので、戦力になるのか不安になる気持ちも分かるが。


 ただまぁ、先延ばしにするよりは良いと俺も思う。いつか解決しなければならない問題なら、動けるタイミングですぐに動くべきだ。やり方に一考の余地はあるとしても。



「留守電に『今から伺います』って吹き込んどいたから。文句は言わせねえ。居なかったら帰るまで待ってやるよ」

「なんか峯岸ちゃん、楽しんでない?」

「ちょっとだけな。実のところ」

「えぇ~……」


 何かあったときのために逃げ足は用意するべきと、峯岸が愛車のプ~ちゃんこと中古の外国車で迎えにやって来た。


 総勢五名が乗り込み、20キロほど離れた金澤家を目指す。でも、出来れば電車が良かった。運転荒いんだもんこの人。



「まぁ、適当に聞き流してくれると有り難いんだが」

「……ん。なに?」

「私も片親なんだよ。詳しい事情とか忘れたけど、小学生の頃に離婚してな……女手一つで育てて貰った」


 突然の告白に、助手席に座る瑞希は目を丸めている。後部座席の俺たちも驚いていた。彼女のプライベートの話は滅多に聞いたことが無い。



「どっちかっつうと父親に懐いていたからよ。なんでお前と暮らさなきゃいけねえんだって、当時は散々文句垂れてさ。誰にメシ食わされて、誰に守って貰ってるんだって話さね。ロクに感謝の言葉もねえで」

「……そう、なんだ」

「向こうも口数少ない人でさ。反抗期続きっぱなしの私を見て、半分諦めてたんだろ。会話もほとんど無かった」

「……うん」

「人と話合わせるのも辛くてよぉ。菫がさ『初めてのバイト代で旅行プレゼントしました!』とか暢気に喋ってるの見て、あー、自分んちって普通の家庭じゃねえんだなあって……」


 ミラーに映る彼女の瞳は、一抹の哀愁と悔恨で溢れている。となると、この車に乗っている人間で両親ともに健在なのは……俺だけか。



「じゃあ、今は? 仲良いの?」

「死んだ」

「…………えっ?」

「二十歳になってすぐな。致死性不整脈つって、まぁ心臓病みたいなモンだ。なんの兆候も無かったのに、そりゃもうアッサリよ」


 淡々と語られる過去に、車内は重い沈黙に包まれた。衝撃的なフレーズを前に、瑞希は隣に座る彼女をジッと見つめたまま、微動だにしない。


 窓を開け煙草を吸い出したが、インターの入り口が近付き『タイミング悪ぃ』と舌打ちを噛ますと、すぐに火を消して窓を閉め切る峯岸。



「親兄弟なんて誰も居ねえし、私も一人っ子だったから。葬儀から何まで自分でやって、大学も半年無駄にする勢いでよ……当時から反抗期のままだったし、なんもかんもかったるくてさ」

「……清々した、ってカンジ?」

「ははっ。確かに思ってたかもな。コイツのせいで私は不幸なんだって、普通の家族を知らないで大人になっちまったんだぞって……そういう気持ちもあった。でも、そっから落ち着いて数か月経って……遺品を整理していたときさね」


 目線の先には、ミラーにぶら下がる汚れの目立つキーホルダー。煙草の煙か所々黒ずんでいる。箱根の帰りに乗ったときも着けてあったような。



「これが見つかったんだよ。離婚してすぐ、私に気を遣ったのか気晴らしかは知らねえけど、シーワールドに連れてってもらってな。入場プレゼントかなんかだったと思うけど。で、私は『こんなダセえの要らねー』って押し付けてさ」

「……ずっと持ってたんだ」

「みたいだな。まぁ今でこそ汚れちまったけど、見つけたときは新品同然だった…………そんときだよ。やっと後悔した。後悔出来たんだ」

「こう、かい?」

「そう。悔しいなって。どれだけ嫌いな奴でも、それでも親なのに……どうしてもっと、真っ当な娘らしく振る舞えなかったんだろう。ありがとうの一言も言えなかったんだろうなって……」


 達観混じりの微笑は、豪快に切られたハンドルと共に長い高速道路へ置き去りになった。差し込む夕日が彼女の横顔を仄かに照らしている。



「まっ、良いんだけどな。別に思い出もなんも無いし。自分のなかで踏ん切りが付いたって、それだけの話さね。だいたい、私とお前じゃ事情が違う」

「…………それは、うん。そーだね」

「だからさ。お前もお前なりの踏ん切り付けろよ。そしたら理解は出来なくても、納得は出来っから。あくまで自分は、だけどな」

「……うん。そーする」

「アレだから。あくまで私は日頃のストレス発散のために、クソ野郎を殴りに行きたいってだけだから。あんま気にすんなよ。懲戒処分は夏休み明けまで待って貰うからさ……はっはっは」


 乾いた笑いを溢し、車は更にスピードを上げる。それはまるで、彼女の内側に眠っている本当の気持ちを押し出すような何かに思えた。


 前に進むだけでは。ただ未来だけを見据えるだけでは、大切なモノを見落としてしまうかもしれない。後で気付けたとしても、もう取り戻せない。峯岸はそんなことを言いたかったのだろう。



「……あんがとね。先生」

「じゃあ感謝の気持ちとして、火。着けて」

「やだ。匂い移るもん」

「ちぇっ」


 咥え直した煙草を吐き出し、峯岸は悪戯っぽく笑う。瑞希もホッとしたように笑った。これ以上、俺から何を言うまでも無いか。



 金澤家へは一時間足らずで到着した。瑞希が道案内をし、すぐ近くの駐車場に車を止めここからは徒歩で向かう。


 長い道路と古い建築物が並ぶ、相変わらず寂れた光景だ。瑞希の快活なイメージとはまったく相容れない。

 時折潮風が鼻を擽るが、良い匂いとは言い難かった。この街が放つ独特のオーラに、飲み込まれてしまったようで。

 


「で……なんでサングラス?」

「ズバリ、威圧感出すためっス! 親父がアドバイスしてくれたんで!」

「あ、そう……良いわね、似合ってて」

「わはははっ! ナガセ先輩はちょっとアレかもっスね! てゆーか、ヒロセ先輩が似合い過ぎっス!」

「嬉しくねえよ。ちっとも」


 サングラスとバット装備の長身女子高生。果たして威圧感なるものが存在するのか甚だ疑問だが、丸腰よりはマシか。そもそも出番があっても困るが。



「じゃ、改めて復習な。まず金澤が家へ入って、母親と男がいるかどうかを確認。男だけ居なかったらそう連絡しろ」

「わたし本当に必要かしら……」

「男が居た場合はすぐに撤退。様子を見て、まず私と廣瀬で対応する。万が一の場合はサングラス部隊で応戦だ。良いな、無茶な真似はするなよ」

「了解であります、峯岸グンソー!」


 しかしノリノリである。この二人。


 ともかく、第一の目標は母親との話し合いだ。言うことは一つか二つだけ。全国大会を観に来るよう頼む。そして、再婚相手の詳細を問い質すこと。


 男の撲殺は本懐ではない。いやまぁ、そうしたいのは山々ではあるが、変に出しゃばってこちら側に弱みを生まれるような事態は避けなければ。


 武装して乗り込んでいる時点でアウトだろ、とは思うが。もはや引き返せぬ。



「大丈夫か? ほら、肩の力抜いて」

「……んっ。さんきゅー」

「頑張れよ、瑞希」

「なにを頑張るって話だけどなっ」


 玄関前へ到着。念のためインターホンを押してからにしようと提案したが、突き出した手は明らかに震えていた。肩を掴んで揉み解すと、小さく息を吐いて口元を綻ばせる。


 あまりの急展開に終始落ち着かない様子の瑞希だったが、ここまで来れば自覚もしているし、ある程度の覚悟も出来ているだろう。


 今日ここが、彼女の長い人生における大きなターニングポイントとなる。何かが終わり、始まる瞬間が、刻一刻と迫っていた。



「……出ないな」

「カギ開けるね」

「オッケー。峯岸、一応構えておこうぜ」

「分かった。慎重にな。二人はもう少し離れた場所で待機してくれ」


 呼び鈴には反応が無い。

 明かりが点いているので誰かしらは居る筈だ。


 鍵を取り出し開錠、俺と峯岸はドアの両端に構える。瑞希はドアノブをゆっくりと回す……。



「…………どや?」

「……靴。あの人のだ」

「男は居なさそうか?」

「たぶん……」

「よし、一先ず話し合いは出来そうだな。取りあえず一人で行って来い。何かあったら必ず連絡しろよ」


 峯岸の忠告に瑞希は深々と頷き、扉を閉め一人自宅のなかを進んで行った。出会い頭の乱闘にならず一安心。


 そもそも最悪のケースを想定していただけで、流石にあの男も見境無しに誰かを襲ってくるような真似はしない筈だ。あくまで瑞希と母親だけの、穏便な話し合いが進めば良いが……。


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