993. 拳で


「瑞希センパイ、おはよーございますっ! ハグしましょうハグ!!」


 翌朝。早い時間にインターホンが連打され何事かと思ったら、玄関先でノノと文香が待ち構えていた。


 様子を窺うと、応対した瑞希が二人に暑苦しいハグを噛まされている。後ろには有希とミクルもいた。アパートの住民が勢揃いだ。



「んだよいきなりっ!? あっちーな!」

「たまには良いじゃないですかぁ~! あ~~成長期貧弱ボディ尊み~♪」

「言ったな! 貧弱って言ったなァ!?」

「へへーん♪ ウチの豊満な柔らかボディに嫉妬せんといてな~♪」

「だからッ、テメーより乳あるわ!!」


 朝っぱらから馬鹿に喧しいのはともかく、二人の熱烈な歓迎に満更でもなさそう。

 挨拶代わりのハグと言えば瑞希の専売特許みたいなものだ。偶にはされる側に回るのも悪くないか。



「どした急に。今日祝日やっけ? 瑞希の健康を国民全員で祝う的な?」

「あはははっ。じゃあそうしましょうっ。えっと、ノノさんが『みんなでお迎えに行こう』って、それでみんなで来たんです」


 有希も朗らかに微笑み、続いて輪へ飛び込んでいく。よく分からないが瑞希記念日らしい。なら毎日ギューってされる俺は一年中祝日か。神かよ。



「ほらっ、ミクルちゃんも!」

「うっ……うむ」

「うぇ、マジで? チビ助もやんの?」

「気紛れだ、こんなもの……っ」

 

 そのまま有希に促され、ミクルまで懐へ収まる。誰かに甘えるのも珍しければ、そもそもこの時間に起きているのもある意味で奇跡。


 瑞希も驚いているが、首筋まで真っ赤に染める彼女を前に自然と笑顔も零れる。

 頭をポンポンと叩かれると、力の無い唸り声を上げる汐らしいミクルであった。なんだこの微笑ましい光景は。愛の具現化か。


 面白がって写真を撮っている有希と文香を尻目に、ノノがアイコンタクトを送って来る。

 華麗なウインクが決まり、一連の謎めいた儀式の真相を悟った。



「サンキュー、ノノ」

「はて? なんのことでしょう~?」


 ノノが言い出しっぺ、ということは、昨日の一件を境に思い付いた彼女なりの作戦なのだろう。昨晩の悪夢を思い出させないように。


 みんなからの愛情を目に見える形で表現することで、不安な気持ちを忘れて貰おうという魂胆だ。いつも瑞希から貰っているものをお返しすると。



「じゃ、学校行きましょっか!」

「えー。あたし一限じゃないんだけど~」

「兎にも角にも!! さあさあっ!!」

「ちょっ、分かった分かったって!? 着替えっから待てや犬川!」

「犬川!?」



 学校へ到着すると、今度は真琴、慧ちゃん、聖来の三人が待ち構えていて、またもハグの応酬に遭う瑞希。


 教室前では比奈と琴音に捕まった。駆け足で寄って来る二人を、瑞希も『あ~またか~』みたいな、若干諦めた顔で出迎える。でもニヤついてる。



「あんしんアタ~ック! おはよう瑞希ちゃんっ♪」

「ぐへぇ~~やっぱりやられた~~」

「わたしもっ……えいっ」

「くすみんしゅき~~……♪」

(目に蕩けてやがる)


 羨ましい。俺もあんしんアタックされたい。


 これで愛莉を除いて全員だ。やはり夜の間にそれとなく周知があったのだろう。おしくらまんじゅう状態で教室へ進む三人を眺め、フットサル部の結束と言うか、隙の無さを改めて実感する。



(すげえよなあ……こういうの、すぐ思いつくんだから)


 今回は居合わせたノノが発端だったが、緊急事態が起これば誰かが音頭を取って纏めてくれるし、みんなも労を惜しまず集まってくれる。いや、労とすら思っていない。それが全員にとっての当たり前。


 ただの部活仲間ではこうはならない。みんなとっくに、フットサル部というファミリーにおける行動規範が身に付いているのだ。

 それも形だけではない。瑞希への強い愛情が為せる、唯一にして最良の手段。



「んっ……おはよ、瑞希」


 水曜が一限からの愛莉も到着を待っていた。彼女を見つけるや否や、瑞希も『して貰えるもの』と軽い足取りで席へと向かう。



「よっ、長瀬」

「……なによ。元気そうじゃない」

「いや~。朝からトーブンスギオーなんだわ、これが」

「過多、でしょ。バカ瑞希っ」


 クラスメイトの目を気にしていたので、比奈、琴音と協力しそれっぽく壁を作ってやる。まぁ完全に見えないってわけじゃないだろうけど。


 ぎこちない動作で立ち上がり、ほんのり頬を染め歩み寄る。恥ずかしいからやりたがらないだけで、彼女も気持ちは一緒だ。



「……ホント細いわねアンタ。ご飯食べてるの?」

「んー? こないだラーメン食ったよ?」

「あっそ……デブまっしぐらね」

「心配せんでも長瀬みたいにはなんねーから」

「だから、デブじゃないわよっ!」

「へへっ。冗談だっつーの!」


 悪口ブッ叩きながらハグという、なんとも奇妙な絵面が完成している。まぁでも、これはこれで二人らしい光景かもしれない。


 偶々創設時のメンバーというだけだ。見た目、性格、何もかもが正反対。実は相性の良くない彼女たちである。

 軽口を飛ばしてばかりで、真面目な話をしている姿なんて見たことない。フットサル部という共通項が無ければ、友達ですらなかったかも。



「喧嘩するほど仲が良いって、誰が言い出したんだろう」

「さあ。でも、良い言葉だと思います」

「トムとジェリーが人間だったら、こんな感じかな?」

「どっちがどっちか分かりやすいですね」


 比奈と琴音も微笑ましそうに二人を見守る。片時も離れない幼馴染がいれば、喧嘩しっぱなしの親友だって居るものだ。


 性格の不一致なんて大した理由にはならない。他でもない彼女たちの一年間の歩みが、すべてを証明している。


 だからこそ。

 いや、お節介も良いところだが。

 どうしても思ってしまうのだ。


 はじめはバラバラだった俺たちでさえ、こんな風になれるのに。だいたい、親にしたって元々は他人の筈なのに。


 どうしてああなってしまうのだろう。

 家族って、そんなに重いモノなのか。


 良いところと悪いところ。俺はどっちも知っている。知ってしまったから、やっぱり言いたくなるんだ。このままではいけないと……。





 

「そうか。そんなことが……なら今日の動きも納得さね。良かったよ、ラーメンの食い過ぎじゃなくて」

「馬鹿言え、そっちの方がマシやっちゅうに」


 ミニゲームを眺める峯岸はタオルで首元を拭き、悩まし気に唇を尖らせる。

 公立中学の体育館に澄んだ冷房の息は届かない。窓を全開にした意味も無かった。


 今日くらいは練習を休むべきだと一応には提言したが、瑞希は頑なに断った。三日後には準々決勝なのだから、と。


 この程度のことで休んでいる場合では無いと啖呵を切った理由も分かるし、せっかく回復した熱量を盛り下げるような真似も憚れる。


 だが、動きは明らかに悪い。

 自慢の足裁きがどうにも鈍いのだ。



「時にアンタ、どこまで知っとんのや」

「中学の頃に離婚したのと、片方が驚異の毒親ってくらい。聞いた限りだけど」

「会ったことあるのか? 母親」

「無いよ、一度も……ったく、困ったものさね。せめて一回は親同意の書類を提出して欲しいものだが」

「今までどうしてたんだよ」

「その都度頭を下げれば済む話さね。修学旅行はかなりギリだったけどな」


 峯岸も母親の怠慢には悩まされているようだ。噂を聞けば聞くほど、親云々の以前に社会人としての在り方さえ怪しい。


 なんなら、仕事を言い訳に俺と関わろうとしなかった我が両親より酷いかもしれない。あらゆる言動の前提に『娘』がそもそも存在しないのだから。


 なんとなく使うのを避けてきた毒親というワードも、瑞希の為を思えば否定しない方がむしろ良いのかもしれない。そんな風にも思う。



「気になるのか?」

「たりめえやろ。瑞希と母親の件は、百歩譲って家族間の話やとしても……問題は再婚相手の男や」

「金澤も目立つからなァ……そういう男に限って、無駄に行動力があって困るんだよ。全国の会場まで押し掛けて来てもおかしくねえ」

「週末に会えるかも分からんで」

「だったらもっと最悪さね……」


 最も危惧される展開だ。俺とて詳しくないが、もし母親が本当にあの男と再婚して、名ばかりでも瑞希の父親になってしまったら。


 書類上のみの関係とは言え、家族の持つ拘束力は侮れない。強引な手段を用いて俺や山嵜フットサル部から引き離す可能性だってある。



「早めに動いた方が良いかもな。家庭訪問っつう体で、一社会人として大々的に説教噛ますってのも、まぁ出来なくもないが」

「その男が家にいたらどうすんねん。再婚相手に躊躇いなく手を上げるような奴やぞ、アンタが危険な目に遭ったら……」

「ハッ。心配してんのか?」

「仮にも若い女やろが。自覚せえ」

「仮にもって、お前な」


 理由としてはまだ半分だ。今までも学校側からのアプローチに耳を傾けなかったのだから、この期に及んで受け入れるとも思えない。


 重要なのはやはり、瑞希と母親が話し合う時間を持つことだ。親子なら分かり合える、なんて甘っちょろい未来は期待していないが。


 最低限の共通理解は必要だろう。そうすれば結果的に、再婚相手の男を遠ざける要因にもなる。だってあの時、母親は瑞希のことを……。



「……なあ廣瀬。再婚相手の男、背丈はどんくらいだったって?」

「背丈? あー……俺と同じくらい言うとったな。ほんで小太りとか」

「ふむ。ともすれば人員は必要最低限、限られた精鋭で乗り込むべきか」

「……え、なにが?」


 立ち上がるや否や峯岸は突然、屈伸をはじめ準備運動を繰り出す。


 乗り込むって……もしかして、金澤家に?



「ちょっと学校戻るわ。連絡網取って来っから。お前は菫のとこ行って、備品を持ち出す許可を貰え。野球部のバットか、剣道部の竹刀が良いな。あと拘束用のロープも必要だ」

「……いや、大会中なんですが。先生」

「ハッ。前でも後でも関係ねーよ。だいたい、こっちは女だらけで暴力野郎のところへ乗り込むんだぜ? んなん、正当防衛に決まってんだろ!」

 

 待ってください先生。

 拳で解決しようだなんて、そんな野蛮な。


 ……え、本当に?


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