989. ちょっとしたアクシデント


 翌日にはほとんどの試験を終わらせ、下級生たちも戻って来た。話を聞くに赤点覚悟の奴は一人も居なさそうだ。


 談話スペースで自己採点をしたのだが、50点を超えると分かった瞬間、全員で文香と慧ちゃんの胴上げが始まった。二回しか上がらなかった。重いんだもの慧ちゃん。文香は投げ飛ばした。



 さて、この日は八中の体育館が使えない曜日。しかし34度の真夏日を記録し、とてもじゃないが新館裏コートでの練習は気が乗らない。


 建物に囲まれているので風通しが悪いのだ。既出の通り談話スペースも冷房が届かないから暑いのなんの。



「なんやみんなして、ダラしないなあ」

「お前が強過ぎるんやって」

「なぁ~、はよやろうやあ~!」


 一人ボールを持ち出してコートへ向かった文香だが、みんなは新館の中で立ち止まりそこから動こうとしない。


 大阪は四方を山に囲まれた盆地みたいな形状だから、熱が逃げなくて夏場は特に暑い。これくらいの気温なら文香はへっちゃらなのだろう。なのに熱湯は嫌いという矛盾。超えざるラインがあるのか。


 さておき、暫く冷房の利いた部屋で机に向かっていてはギャップの大きさも無視出来まい。

 かく言う俺もこの日差しのなかで走るのは……昔は暑い方が動ける身体だったのになぁ。



「うーむ、今日明日で強度を戻しておきたかったんだがな……仕方ない、他の方法を考えるか」


 サンバイザーを外し峯岸は汗を拭う。サングラスも相まってプールの監視員みたいな出で立ちだ。似合い過ぎてて笑う。


 試験疲れで身体が鈍っている節もあるし、西ヶ丘は藤村、松永ヂエゴを筆頭にパワーのある選手も多い。バチバチのフィジカルトレーニングで感覚だけでも養っておきたいところ。


 とは言えこの暑さでは、普通に練習するだけでも殺人的行いだ。フットサルが室内競技で本当に良かった。

 当時はよくもまぁ普通にボールを蹴っていたものだ。内海はともかく、いよいよ今年あたり大場は死ぬんじゃないか。

 


『はぁ、さっきシャワー浴びたばっかりなのにもうベタベタ……ねえ貴方、なにか良いアイデアは無いの?』

『アイデアっつっても……プールもあらへんしな』


 ドリンクホルダーを玩具みたいに扱い水を飲みまくるシルヴィア。お生憎、山嵜高校にはプールが存在しない。水泳部も授業も無いし。



「プール? あるよ?」

「えっ」

「だよね峯岸ちゃん?」

「B本館の屋上にな。使われてないけど。数年前のデカい地震でテラスにヒビが入って、新学期までに補修工事が間に合わなかったんだよ。そのせいで体育の選択課程から外れて、以来ほったらかし…………イケっかな? もしかして」


 いや、あるんかい。



 早速峯岸が申請を出して、すぐ利用許可が下りた。本当にずっと放置されているようで、プール内の掃除を先にやればいくらでも使って良いとのことだ。


 一度自宅へ戻り水着を持って再集合。家の遠い瑞希とノノも、何故かアパートの撮影部屋に水着をキープしていた。周到が過ぎる。


 しかし屋上プール、想定より広いしずっと豪華だ。ああ、ヒビの入ったテラスって天井を覆っているアレか。流石は私立高校。


 専用スクールバスの存在を除いて、あまり私立っぽくない貧相な設備だとは常々疑問ではあった。いったいどこに金を掛けているのかと思ったら、ここかよ。


 

「じゃ、これブラシな。まぁ適当に磨いとけ」

「わぁぁ~……♪ ねえねえ陽翔くんっ、プール掃除、プール掃除だよっ! 学園ラブコメのお約束!」

「知らん」

「やってみたかったの~!」


 一年時から山嵜にいる比奈も存在を知らなかったようだ。お目めをキラキラに輝かせ真っ先にプールへ降りていく。楽しそう。


 というわけで大プール掃除大会が始まった。


 ただ毎年業者が入って綺麗にはしているそうで、コケも大して無いし老朽化もしていない。マジで勿体ねえ、ちゃんと使ってやれよ。どう考えても山嵜で一番豪華な設備じゃねえか。



「まっ、足腰も鍛えられてちょうどえ……ううぉ!?」

「あははははっ! 死にさらせぇー!」


 ホースをぶん回す瑞希に水をぶっ掛けられ、シャツは早くもびしょ濡れ。クソ、やり返そうにも手段がねえ。


 みんな水着の上にシャツを着て、水を掛け合ったり滑ってケツを打ったりギャーギャー騒いだり。実にのどかな光景だ。急に青春してる感が凄い。プールの魔力って凄いな。



「まさか噂に聞く旧式…?」

「なにを言う、これが正装と言うものだッ!」

 

 一人だけ変なスク水だと思ったら。

 ミクルだけ絵面が小学生過ぎる。


 そう。なんだかんだ言って水着。


 みんなの薄っぺらい恰好は大方見慣れて来た頃だと思っていたが。不味い、どうにも落ち着かない。禁欲生活の影響が出ているのか。


 水着姿を拝むのは去年の夏合宿以来一年ぶり。琴音とはプールも行ったけど……久々過ぎて関係無いな。先月のお泊まり会ともまた違う、ハッキリと露出のある皆の姿は嫌でも扇情的に映ってしまう……。



「ちょっと、真面目に掃除しなさいよっ!」

「ヒャッフーーーーっ!! 世良さんっ、これパフォーマンスの練習し放題ですよっ! めっちゃ滑ります!!」

「にゃっほおおおおーーーー!!」

「アタシもやるっスーー!!」

「行っくよーマコくーん!」

「わっ!? やったな有希!」

『やれシルヴィア! ターゲットはくすみんのおっぱいだ! 当たったら100億点な!』

「ロックオン! チチ、エグリトル!」

「わっぷ!?」

「だから掃除しろぉぉーーっ!!」



 違った。全然青春じゃない。

 余裕で18禁だこれ。


 濡れたシャツの先に透ける身体のライン。陽射しに当てられた健康的なおみ足。ぱちゃぱちゃと弾ける雫。なんもかも気になる。不健全の極み。


 よくよく考えたら、水着って肌に一枚しか着ていないわけで実質下着みたいなものだ。女はそうは思わないかもしれないが。俺は男だ。異論は認めぬ。


 そんなペライ格好で、指折りの美少女たちが人目も気にせず遊んでいる……もしかして海とかプールとか、実は青少年の育成に物凄く悪影響なアクティビティーなんじゃないか? どう? 間違ったこと言ってる?



「ひええっ!?」

「おっと!?」


 背後から誰か突っ込んで来る。この特徴的な甲高い声は、聖来か。足元を取られ滑ってしまったようだ。


 シャツを引っ張られ一緒に倒れてしまう。危ない危ない、膝でも打ったら大怪我だ。上手く身体を回転させ尻餅を着くが……。



「だ、大丈夫か聖来……ンン゛!?」

「ううっ、シャツがべたべたになってもう……ほげええ!? にぃに!?」


 馬乗りにされてしまった。

 誤解を恐れず言うと、騎〇位。



「ごめん聖来!? 怪我とかしてないか!? 或いは心の傷という線は!?」

「へっ、平気じゃ……けど……はううううぅぅっ……!」


 慌てて起き上がる聖来だが、頬は羞恥で真っ赤に染まっている。なんてこった。お子様体型の妹分さええっちく見える。落ち着け。犯罪だからマジで。


 ヤバイ。これじゃ他の連中と似たようなハプニングでも起ころうものなら……違う意味で大事故になってしまう。


 不慣れな環境が故、本来の自分を見失っている。我慢しろ、家じゃないんだぞ学校だぞプールだぞ……駄目だ暑過ぎて思考が纏まらねえ、クソめなにが禁止令だ。やることやったろかこんにゃろう……ッ!!



「は、る、と、く~~ん♪」

「近付くなッ!! 特に貴様だけは!!」

「えぇ~~!? ひどぉ~い!」


 体育座りのままするする滑って来る。

 しまった。一番ヤバイ奴に目ェ付けられた。



「おっとっと……えへへ、今コンタクトしてないから、ちょっと周りが見えにくいんだよねえ。手が変なところに伸びちゃうかも……」

「禁止令! 禁止令が出とるぞっ!!」

「え~ちがうよ~。偶々当たったり、触っちゃったりしても、それはただのハプニング。青春の延長線上にある、ちょっとしたアクシデント……!」

「意図した時点で罪やっ! 手をワキワキするな!?」






 辛うじて魔の手から逃れた頃には掃除も粗方終わり、プールもいっぱいの水で覆われた。みんな好き勝手泳いでいる。


 琴音が水泳上手なのは知っていたが、意外にも有希とシルヴィアがめちゃくちゃ速い。途中から体力強化という名目で競争が始まって、俺はプールサイドでのんびり様子を眺めていた。



「陽翔くんも泳ごうよ~!」

「嫌で~~~~す」


 その手には乗らない。入った瞬間余計なハプニングを起こすつもりなのは分かっている。ああ最悪だ、ノノに耳打ちしてやがる。絶対近付かんとこ。


 縁に座って脚をバシャバシャしているだけでも、程良い負荷が掛かってトレーニングにはなる。本当はちゃんと泳ぎたいけど、今日はこれで良いか。



「なにクール気取ってるのさ。兄さんの癖に」

「お前ははしゃぎ過ぎ」


 真琴が隣に座って、真似するみたいに脚をバシャバシャ。コイツもコイツで油断ならない。ちゃっかり二人のタイミング見計らいやがって。


 ううっ、普段が男の格好だから競泳水着でも変に意識してしまう……髪が濡れて美人度がありえんレベルまで上がってやがる……。



「あれ。瑞希先輩は?」

「あっちおるけど」

「なにしてるんだろう」

「さあ。ラインの返信とかじゃね」


 荷物を纏めてある奥のほうで、タオルを被り屈んでいる瑞希が見えた。さっき手洗いに行って戻って来て以降、プールに戻らない。


 なんなら一番楽しみにしていたくらいなのに。遊ぶ時間を投げ打ってまでスマホに熱中するような奴じゃないだろう。どうしたのだろうか。



「なんかあった?」

「…………ハル。やばい」

「なにが?」


 近付いて声を掛けると、瑞希はタオルの隙間から顔を覗かせ、少し上擦った声色で俺の名を呼ぶ。


 驚いているような、或いはそれを無理に落ち着こうとしているような。どっちづかずな装いで疑念は膨らむばかり。



「誰のライン?」

「…………アレ」

「アレ? ……え、お母さん?」

「……パパから返事帰って来たって!!」


 興奮冷めやらぬ様子でスマホを押し付けて来る。確かにメッセージ欄の最上位には『親』と馬鹿に簡素な名前が載っていて。



「良かったやん。半年ぶりくらいか?」

「そうっ! 初めてだよ、こんなにすぐ返事くれたの! 今朝、ポストに入ってたって!!」


 離婚しスペインへ留まった元父親と、瑞希は手紙でやり取りをしていた。だが帰って来たのは最初の数枚だけで、暫く返事が途絶えていたそうだ。


 すると三月。久々に手紙が届いて、現地で再婚するという報告があった。また頻繁にやり取りをしたいと返事をしたみたいで。



「どうしようっ、ヤバイ……!! ねえねえハルっ、夜に持ってくから一緒に読んで!?」

「え、ああ。それは勿論ええけど……」

「夏に大会出るって、前の手紙に書いたんだ! ねえ、どういうことか分かる!? このタイミングだよ! ねえねえっ!」

「……どういうこと?」

「もしかしたら試合観に、日本に来てくれるかもっ! その報告だよ、絶対にそうだって! パパ、そーゆーサプライズ大好きだもんっ!」


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