987. 心に住まう


 昼まで軽く身体を動かしご飯を食べて、五限にある唯一の試験を終わらせ琴音と再度合流。その足で職員室へ向かった。水曜が期限に設定されている、英語表現Ⅲのレポートを提出するためだ。


 人間関係駄々漏れ英作文を作ってしまった愛莉を反面教師に、個人的なことは書かなかった。

 ひたすら『セレゾン大阪のここが駄目』と散々に扱き下ろした似非コラム。財部だけ褒めておいた。結構上手く書けたと思う。



「なに書いたん?」

「良い機会でしたから、フットサルの歴史について調べてみました。とても一万字では足りませんでしたが」

「ほーん。どんな感じやった?」

「ブラジルとスペインが本場、ということはよく分かりました。瑞希さんが上手なのは、環境による影響も大きいんですね。シルヴィアさんも」

「生活に根付いとるからな、あっちやともう」


 瑞希とシルヴィアの出生地であるスペイン第三の都市、バレンシアは地中海沿いのリゾート地。

 芸術科学都市とも呼ばれ、自然と人工物が調和した非常に景観の良い街だ。そして、国内有数のサッカー処。


 代表する二つのクラブがあり壮絶なライバル関係を築いている。長らく優勢だったのは白とオレンジのユニフォームだが、最近はすっかり低迷しているな。オーナーが変わったのもかなり前だっけ。


 同様にフットサルやビーチサッカーが盛んで、瑞希も幼い頃から海岸沿いでボールを蹴るのが日課だったらしい。

 フットボールが生活の一部とは、なんとも羨ましい環境だ。大阪はメディアも野球の話ばっかりだし……。



「しかし大変やったろ。英語で専門用語も多くて」

「それくらいでないと、勉強になりませんから」

「わお。流石は琴音……ん、愛莉か」


 職員室の戸を開けると先客がいた。

 愛莉が先生から判子を貰っている。


 金曜の時点でまだ完成していなかった筈だが、終わらせたのか。昨日だって夜遅くまでウチにいて終電ギリギリで帰ったのに、いったいいつの間に。


 俺たちが来たのに気付いたようで、提出を済ませ職員室を出ると外で待ってくれていた。

 なんだかいつもより目が小さい。よく見たら隈も出来ている。もしかしなくても徹夜したな。



「無茶しやがって。お疲れさん」

「ありがと……今日中に出しとかないと練習も集中出来ないしさ」

「無いぞ。今日。試験休み」

「…………え、うそ!?」

「お前が決めたんやろ部長、おい」


 ふらふらの彼女を琴音と支えながら、目指すはスクールバスの停留所。

 自宅で昨日の試合映像を見返しつつ、反省回の続きをするつもりだったのだが、この調子だと寝かせた方が良いか。



「休めるときはしっかり休まんとな。比奈と瑞希がメシ作って待っとるみたいやから、それ食ってすぐ寝な」

「瑞希が作るの?」

「なんかやる気出しとったで」

「えー、不安過ぎる……まぁ比奈ちゃんがいるなら大丈夫か。昨日今日と瑞希には至れり尽くせりね……あんま借り作りたくないけど」


 バスを待っている間、愛莉は眠たそうに首をぐらぐら揺らし、何の気なしにお喋りを続ける。やたら瑞希が話題に上がるな。至れり尽くせりとは?



「最後の1,000字だけどうしても埋まらなくてさ。なんか良いネタないかなって、瑞希に聞いたの。バイリンガルだし」

「なんやその雑過ぎる理由は」


 慧ちゃんと同じ理由で頼ってやがる。だからアイツ、スペイン語だけで英語はゴミクソやって。勝手にハードル上げてやるな。


 よりによってお題を『廣瀬陽翔』に設定してしまった愛莉。陽翔くんのことなら百万字でも足りないんじゃな~い? と心に住まう比奈が顔を出したが、グッと堪え残りの内容を聞いてみる。



「そこまでずっと趣味関連だったから、そういうのにしようって流れになって……映画ってことにしといた」


 サラッと俺を趣味扱いしやがったな。


「欠片も興味無いやろお前」

「でも金ローとか観るわよ」

「なにが『でも』やアホ。アレ観て映画好きです言う奴なんこの世で最も価値の無い人間やからな」

「いや、言い過ぎ」

「で、なんの映画?」

「メリーポピンズってやつ」


 好きなやつをそのまま薦めたようだ。最近やたら縁がある。瑞希に劇中歌を教えて貰って、大会が終わったらDVDを一緒に観ようと約束した。


 だから実は、本編はまだ知らない。古いミュージカル作品で、主人公が傘を持っているジャケットしか分からない。

 この手の映像趣味は比奈の専売特許かと思っていたが、瑞希もかなり詳しいんだよな。



「ってことは、夜の間に観たのか?」

「ううん。あらすじと、なんか歌みたいなの教えて貰って、それ丸写し」

「軽蔑するわ」

「なんで!? そこまで言わなくて良くない!?」


 違法のファスト映画で満足してる奴も曲のサビしか聴かない若者もみんな死ねばいい。譲らない。クリエイターの魂を何だと思ってやがる。


 まぁ愛莉のド腐れ根性はともかく、瑞希から流行りの音楽や映画・ドラマを教えて貰う機会は結構多い。聞いてもないのに喋って来る節はあるが。


 ところがしかし、俺の好みと似通っていてそこそこ盛り上がるのだ。ノノにゴリ押される変なバンドよりかは興味深い。これは悪口。



「良いから座りましょう、お二人とも。暑過ぎて立っているのもやっとです」

「愛莉のせいで頭も沸騰しそうやわ」

「ハルトのキレるポイントってホント謎よね……」


 それも瑞希のおすすめしてくれるものは、なんと称すべきか……確かに人気作も多いのだが、そのなかでも『おっ、分かってるな』という気分にさせてくれる、ちょっと凝った作品が多いというか。


 芸術都市バレンシアで磨かれた美への感性が、そのまま瑞希の独特な性格に繋がっているような、そんな感じ。


 そんじょそこらのパリピとは違う。凡人とは一線を画すセンスが彼女にはあるのだ。アホだけど。



「その映画なら私も見たことがあります。比奈に教えて貰いました」

「まぁ好きやろな。アイツも」

「瑞希さんも好きだと知ったのは、それより後です。お父さんと一緒に観ていたと話していました」

「……そっか」


 それ以上は返さず、進み出したバスと冷房の風に揺られ、窓の外をジッと眺めている。流れ行くアスファルトは熱射に当てられ苦しそうだ。


 こんな茹だるような暑い日。欲しいのはそれすら軽々と吹き飛ばす瑞希のパッションと、陽の光で輝く海面みたいな、能天気な笑顔。


 よりによって陰キャ気質の三人が集まると、余計に彼女が恋しくなる。こういうところは一年前から変わらないな。多分、これからも。



「お父さんの話、琴音にもするんやな」

「ええ。最近多いですね」

「私にもしょっちゅうして来るわよ。まぁ、アレね。ハルトよりは詳しくないけど……やっと思い出話になったみたいで、良かったわ」


 二人も穏やかな口振りでそう語る。


 少し前まで、瑞希のスペイン時代の話はタブーとまでは行かないまでも、積極的には出さないようする不文律みたいなものだった。俺の過去と一緒で。


 でも、冬休みを過ぎた頃からか……彼女も半ばネタみたいに扱い始めて、みんなも気兼ねなしに当時の話を聞けるようになった。春休みに自ら語っていたように、ある程度の区切りは付いたのだろう。



(……わざわざ触れるのも、良くないのかな)


 少なくとも今の瑞希は、過去の辛い出来事に足を引っ張られるような弱い存在には見えない。母親との関係改善を望むのは彼女とて同じだろうが。


 こちらから干渉し過ぎるのも、ちょっと違うような気もする。手伝えることはなんでも協力したいが、やはり重要なのは本人の意思。



「それに比べて、お母さんの愚痴が酷いこと酷いこと。ハルトも付き合わされたりしない?」

「えっ……あぁ、まぁ偶に」

「そうですね。瑞希さんは面白がっているような素振りですが……あれだけ話題に出すということは、気にしている証でもありますから」


 これは少し意外だった。アイツ、みんなに母親の愚痴をそんなしょちゅう話しているのか。俺には滅多にしないのに。



「そんなに頻繁なのか?」

「更衣室で着替えているときに、なんとなく始まったりします。エスカレートしたら、比奈がよく窘めていますね」

「そうそう。悪口が増えると心もおブスになっちゃうんだよ~、って」

「ですね。そうすると静かになります」


 やり取りが脳裏に蘇るのか、二人ともおかしそうに笑う。へえ、俺の知らないところでそんなことが。こういうの知ると女になりたくなるわ。


 ……ふむ。確かに日常会話のダシに使えるくらい、抵抗が無くなっているのは良いことなのかもしれないが……。



「取りあえずは良いんじゃない? ほどほどに垂れ流しておく方が健康よ。精神衛生上」

「難しい言葉を知っていますね、愛莉さん」

「いやそれ、バカにし過ぎ。瑞希じゃあるまいし」

「はい。馬鹿にしました」

「うわっ、ひっど」


 つつがないお喋りを繰り広げ、バスは最寄り駅へと真っ直ぐ向かう。瑞希の話をしていたせいか、愛莉も琴音もいつもより口が悪くて面白い。


 心に点在する瑞希が、色々なモノを軽くしてくれるのだ。それが俺たちみたいなメンヘラの集まりにとって、どれだけ有難いことか。


 でも、だからこそ。偶に不安になる。

 当の本人は大丈夫なのかって。


 なんとかしてあげたいとか、そんなんじゃないけど。早く瑞希に逢いたい。とは思う。


 さっきも逢ったけど。

 全然足りない。とも思う。


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