986. 大きな声で歌ったら


「いくら何でも暑過ぎます……ッ」

「すっかり梅雨も明けちまったみたいやしなぁ……あー、汗だる」

「……なんですか。ジロジロ見て」

「エロいなぁて。うなじ。琴音大好き」

「…………ついに壊れましたか」

「えぇ~元々こんなんやし~」

「なら尚更問題です」


 試験の比率が大きい山嵜高校は、テスト期間に限ってスクールバスが馬鹿みたいに混み合う。

 普段授業に出席しない生徒も顔を出すからだ。大学っぽいシステムだよな、とか今更思っている。


 さて、ここに来て試験の割合を極限まで減らしたのが功を奏した。

 遅めに来たおかげでバスは空いていて、乗り合わせた琴音と冷房の利いた車内でのんびり。


 していたというのに。


 地上へ降り立った途端、アスファルトを焼き尽くさんばかりの灼熱地獄。

 長過ぎる黒髪をポニーテールに纏めたは良いものの、流れる汗までは止められず琴音もふにゃふにゃしている。なんか、溶けちゃいそう。可愛い。



「結局試験あるんやっけ?」

「レポートだけです。今日は提出だけ済ませに。四限の間に教室へ行かないといけないんです」

「あー、村井のバケ学か……試験の時間にしかレポート受け取らないって、ホンマ性格悪いよな。早ければ早い方がええやん」


 シャキッとしない脳内回路に導かれるよう、取り留めない話題を廊下へポロポロ溢しながら進む。周りは試験中で実に静か。


 昨日までの白熱した戦いが嘘のようだ。試験期間とあって、先週のミクルみたいにウチの選手がギャーギャー囲まれることも無い。

 どこまで行っても学生らしい日常と言えば、それもそうかという感じではあるが。



「珍しいですね。先生の愚痴を言ったり、進んで学業の話をするなんて」

「そう?」

「色々な意味で、貴方は大人び過ぎていますから……学生服でも着ていないと、とても高校生とは信じられません。スラックスでようやく認識出来るほどです」

「へーへー。どうせ老け顔ですわい」

「……まったく、もう」


 そろそろ目的地というところ、彼女は俺の前に立ち塞がる。ほんのりと穏やかな微笑を垂らし、首元へ手を伸ばしてきた。


 シャツの第二ボタンが外れていたらしい。少し背伸びをしながらボタンを付け直す。人のを締め直すのは難しいのか、ちょっと時間が掛かった。



「……できました」

「ん。サンキュ」

「どれだけ暑くても、人として身だしなみは大切です。ちゃんとしてください」

「でも外してたら琴音が着けてくれるんやろ?」

「……気付いたら、してあげます」

「んはは。ありがと」


 間抜けな二人の笑顔にツッコミでも入れるみたいに、がらんとガラスが叩かれた。


 奥で開けっ広げの窓。揺れるカーテン。吹き込んだ温い風。その匂いはなんとも甘酸っぱい。誰が味見すれば『いや甘過ぎる』なんて言うのだろうか。


 大会が土日開催で良かったな、なんて人知れず思う。勝負の厳しい世界へ身を投じるのも一興だが、節々に注ぎ込む青春の心地良さが、熱くなり過ぎた頭を冷やしてくれているみたいだ。


 

「いつもの陽翔さんですね」

「俺は俺やで。いつだって」

「……はい。だから、安心しました」


 ちょこんと小さな歩幅で距離を詰め、胸元へお凸をそっと添える。


 コートの上ではすっかり守護神として君臨する彼女だが、なんせ初めての公式戦、最後の大会。目に見えない疲れも溜まっているだろう。


 意識せずとも、こんな時間がもっと欲しかったのかもしれない。俺にも、勿論彼女にとっても一番大切なモノだ。



「……いけません。のんびりしていると、受付時間が終わってしまいます」

「ん。いってらっしゃい」


 試験時間内に提出すればオッケーらしい。その間、先生はレポートが来るのをずっと待っているそうだ。変なシステム。


 すぐ近くの教室へ飛び込んで行って、十秒と経たず戻って来た。小走りで駆け寄り、猛暑に晒されたとは思えないサラサラの掌で、空いた手を掴む。



「実を言うと、私もあの先生は好きじゃないんです。教え方が論理的でないので、授業も退屈で仕方ありません」

「珍しいな。そういうこと言うの」

「……そうですね。人の悪口は言わないよう、両親から厳しく躾けられました」

「言うとるやん」

「良いんです。貴方と同じ気持ちを共有することの方が……ずっと大切です」


 クスクスと悪戯っぽく笑う。

 あまりに魅力的で、思わず狼狽えるほど。



「……なんか、賢くなったな。琴音」

「ずる賢くなった自覚はあります。誰のせいかは分かりませんが」

「ハッ。いったい誰の仕業やろなぁ」


 試験真っ只中なので、今日は練習もお休み。なのに自然と、二人の足は談話スペースへと向かった。


 戦いの最中には、有り余る優しさと聖性が必要だ。お互い欲しくてたまらないものを、俺たちは分かち合う。


 時に聖性と言えば、ノータリン聖母と呼び声高い彼女。机へ向かうのを諦め、レポート中心の期末だったと記憶している。いつものようにソファーでのんびりしているだろうか。





 

「なんや、自主練か」

「んー。まーちょっとね!」


 新館は冷房が届かないから、無駄にぐうたらしていると逆に暑いとかなんとか。瑞希は練習着に身を包み、一人でボールを蹴っていた。


 俺も早速ウェアに着替え戻って来る。琴音は『試合は室内なのだから外で練習する必要が無い』と、それっぽい正論を宣い付き合わない。


 窓ガラスの奥で手を振っている。可愛いけど。やろうよ一緒に。暑いけどさ。可愛いけど。



「来週って準々だけだっけ?」

「せやな。むしろ肝は再来週や」


 互いに地面へ落とさずパスを交換し合う宛ら。額の汗を拭い、新たな戦いとその対戦相手へ思いを馳せる。


 次の試合は土曜日。この準々決勝を勝ち抜くと、翌週に準決勝、日曜に決勝、或いは三位決定戦という流れだ。試験期間と丸被りしている山嵜には有難いスケジュール。


 関東ブロックの出場枠は3.5枠。準決勝まで進めば、そこから連敗しない限り全国へコマを進めることが出来る。とは言え。



「やっぱグループリーグの順番だったね。ちょっとツラめっぽい?」

「こればっかりは運次第やからなぁ……」


 早朝に決勝トーナメントの組み合わせが発表された。想定された通り、準々決勝の相手は同郷の藤村俊介擁する、東京の西ヶ丘高校に決定。


 彼らを退けると、準決勝で町田南と当たる計算だ。出来れば全国出場に関係の無い決勝戦で戦いたかったが、もはや避けられぬ運命。


 ちなみに弘毅のいる川崎英稜は、堀の所属する埼玉美園高校といきなり当たるようだ。

 フットサル専門チームと、サッカー部の連合軍である埼玉美園。どちらが勝ち進むのか、こっちもこっちで興味深い。



「まっ、どこが相手でも勝つけどなっ!」

「おい。途中やったやろが」


 華麗なボールリフトから、雑に設置されたゴールへ弾丸ボレーを叩き込む。暫く八中が活動拠点だったし、久々の仕事でゴールマウスも嬉しかろう。


 あぁ、そうか。専門チームと即席チームの対戦と言う意味では、ウチと西ヶ丘も似たようなものか。男女ともに実績もあるようだし、予選序盤のように簡単には行かないだろうな……。



「ちょーっとヤな感じだよなー。向こうも試験かぶってたら助かるけど、変に鈍ったら昨日みたいになっちゃいそうだし」

「だから自主練?」

「それもある、あるのだがっ! テストの話を聞きたくないのだよあたしは!」


 頭のてっぺんにボールを乗せ、巧みにコントロールする。よう分からん愚痴を溢しながら。

 相変わらず凄いバランス感覚だ。まず雑談する余裕があるのも凄い。



「ケイがさぁ、勉強教えてってうるさいんだよ! あたしバカだからムリって、ずっと言ってんのに! 当てつけかっ!」

「信頼されとるんやろ。知らんけど」

「アレだよアレ! スペイン語話せるからって、英語まで得意って思われてんのかも! でも言いたくないっ! それが信頼とゆーやつであるのならばっ!」

「意地張る必要ある?」


 そう言えば先週、図書館で勉強会を開いたときも……慧ちゃんと聖来に教えて欲しいと頼まれていたな。比奈と琴音が愛莉に付きっきりだったから。


 見た目のチャラついた感じはともかく、人当たりも良いし頼りになるチームのキャプテンだ。お鉢が回って来るのも頷ける。でも本当にアホっていう。



「あうちっ!」


 バランスを崩し真後ろへ転倒。そのまま芝生の上に寝転がる。動かなくなったので、ボールを回収しに彼女へ近付いた。


 身体を大の字に開き、雲の流れをジッと見つめている。懐かしい光景だ。

 というか、二人きりだとしょっちゅうやっている気がする。空を眺めるの、好きなんだろうな。



「……いーよなー。頼れる奴がいるって」

「俺もみんなもおるやろ」

「そーだけどさぁ。なんか、そーゆーのじゃなくて……もっとこう、なんも考えずに、言える相手ってゆーか」

「……それも俺じゃ駄目か?」

「ダメじゃないけどさぁ~! いいなーって、思っちゃうんだよねえ~……」


 隣にしゃがんで話を聞いてやると、瑞希は力の無い微笑を垂れ流し、視線をはるか上空へと戻した。なんとまぁ思わせぶりな。


 ……察していないわけではない。つい先日、自宅の狭い風呂で似たような話をしたばかりだ。実は共感するところも多くて。



「俺も大概やったなぁ……教材だけは揃えてくれたけど、分からんとこあったら担任に聞くしかなかったし。休みの日は財部にも頼んだわ」

「……まー、いるだけ良いじゃん。あたしなんて『知るか面倒掛けるな』で、それで終わりだよ」

「言いたかねえけど、ホンマにクソやな」

「ね。それ」


 勉強を教えて欲しくても、無碍に突き放された経験が何度もあるのだろう。彼女の言い分しか聞いてない、否、聞くつもりもないのだが。本当にロクな話が無いんだよな、瑞希の母親。


 結局、今日日に至るまで母親との関係は改善されないままだ。最近はノノの部屋に泊まることも増え、実家へあまり顔を出していない。


 全国大会を観に名古屋まで来て欲しいという、春休みに建てた彼女の目標は、果たして叶うのだろうか……。



「……全国決まったら、どっかで時間作るわ。一緒に言いに行こうぜ」

「えー、いいよ。一人でやるって」

「俺が逢いたいんだよ。保護者会あんな盛り上がっとるのに、一人だけってのも気になるし」

「無理ムリ。絶対仲良く出来ないから。顔合わせた瞬間ケンカになる」

「それでもええ。一度くらい逢って、ちゃんと話してみたい。そしたら俺も、理解は出来なくても……納得は出来ると思う。一緒だよ、瑞希」

「…………ん。じゃあ、予定空けとく」


 先日のやり取りを思い出したのか。ちょっとむず痒そうに鼻を掻き、反対側へ寝転んでしまう。可愛いな。偶に見せる汐らしい顔、本当に好きだ。



 ただ、悠長なことも言っていられない。部内では一切素振りを見せない彼女だが、母親との関係は瑞希にとって一番のネックであり、ある意味で時限付きの爆弾みたいなモノ。


 今でこそチームの頼れるキャプテンとして、問題無く大会へ集中出来ているが……いつどこで弾けるか分からないのも、やはりまた事実。


 どれだけ充実した時間を過ごしていても、たった一つのキッカケで心まで引き裂かれてしまう。その瞬間を、俺はこの目で見た。



「……一人で抱えんなよ」

「ん。分かってる」

「なら文句は無いな?」

「…………じゃあ、一緒に来て」

「約束な」


 ごろんと転がり直して、照れくさそうにはにかむ顔を見せてくれる。

 拳を軽く合わせると、すぐにいつもの彼女らしい笑顔が戻った。うん、こっちも同じくらい可愛くて、やっぱり大好きだ。



「ねー。あれ覚えた?」

「覚えた。Supercalifragilisticexpialidocious……めちゃくちゃに聞こえる言葉」

「おっ、やるね~。その次は?」

「でも、大きな声で歌ったら……きっと素晴らしい歌になる」


「「スーパーカリフラジリスティック、エクスピアリドーシャス!」」


 顔を付き合わせ、俺たちは大きな声で歌う。


 いつどんなときも、笑顔を忘れない。幸せであることを恐れないお前なら。俺たちなら。どんな望みだって、きっと叶えられる。そう思う。


 はあ、暑い。しかし暑い。

 心拍数まで上がっては、そりゃ尚更。

 

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