983. 餞別
静まり返るアリーナ。
聞こえるのはネットの擦れる音のみ。
急造ゴレイロの彼では、いったい何が起こったのか理解するのも難しいだろう。我ながら良いコースへ飛び過ぎた。アレは止められない。
「やっ……やったーーーーッッ!!」
「すっご……! さっすが兄さんっ!」
大喜びで駆け寄って来るノノと真琴を、俺はホッと胸を撫で下ろし迎え入れた。時間差で沸き上がる山嵜ベンチと、水を打ったような東雲学園。
再開早々、連中が前から狩りに来るのは勿論分かっていた。一点差まで追い詰めたとはいえ、グループリーグ突破には勝利が必要な東雲学園だ。リスクを負って攻め続けなければならない。
しかし、そもそも守備主体のチームで攻め慣れていない彼ら。時間帯による疲労も考慮すれば、どこかでバランスを崩すのは明白だった。
「んなの撃てるなら最初からやりなさいよ……ッ」
「馬鹿言え。とっておきさ」
愛莉からの横パス。
ワンステップで、ズドン。
山本さんが愛莉に食い付いてゴール前を空けていたから、コースを狙うのは簡単だった。あまりにも余裕があり過ぎた。
パワープレーでゴールがガラ空きになるのを、ずっと狙っていた。残念ながら意図した形ではなかったが、決め切った勢いでゴレイロを皆見のまま交代しなかったのが運の尽き。
実のところ、そうなるように仕向けた。東雲学園ベンチがすぐに動けないよう、即座に再開を要求したのだ。向こうからは『とにかく早く終わらせたい』と山嵜が焦っているようにも見えただろうが。
逆だ、逆。
たかが一点で喜ぶとこうなるんだよ。
目的は最初から変わっていない。
危なげなく勝つこと。俺が俺であること。
搔い摘めば、たったそれだけだった。
「さっきの失点、帰ったら反省回な」
「分かってるっつーの……なによ、楽しそうにしちゃって。こっちはってか、みんなどんだけ焦ってたと思ってんのよっ」
「焦ってたよ。さっきまではな」
どことなく不服げな愛莉だが、それはあくまでベンチに居た俺だ。コートへ立てば考えることは違う。やはり峯岸の指摘通りか。
いやでも、ドキドキはしていたかも。
あんなゴール、中々お目に掛かれないし。
良いもの見せて貰ったよ。皆見壮太。
でも、残念だ。本当に残念だ。
あと十分前。いや、前半のうちに。いや、試合前にすべて気付けていたら。こんな結末にはならなかったかもな――。
【グループF最終節 試合終了】
長瀬愛莉 山本美桜
倉畑比奈 皆見壮太
世良文香
廣瀬陽翔
【山嵜高校4-2東雲学園高校】
再度パワープレーに打って出た東雲学園だったが、琴音を中心とした粘り強い守備で最後までゴールを割らせず。ようやくタイムアップ。
ラスト五分は肉弾戦が続いたこともあり、ブザーと共に俺以外の選手はみんなコートへ倒れてしまった。みんなお疲れ様。帰って銭湯行こうな。
「はぁぁぁぁ……シンドイ試合だった……」
「お疲れさん。首は治ったか?」
「まだ痛てえ……」
「良い医者紹介してやるよ。保科療院っつう凄腕のマッサージ屋がおってな」
「うるせえ整列しろ整列」
「はいはい、分かっとる。っと、その前に……」
スタンドは割れんばかりの拍手と温かい声援に包まれた。あれほどの激闘だ、観客も大満足だろう。まったく天邪鬼な連中め。
主審がホイッスルを鳴らし整列を促しているが、ベンチ組に支えられすぐ立ち上がった山嵜とは対照的に、東雲学園の選手は中々起き上がらない。
というか、皆見だ。
似合わねえなあ、ゴレイロのユニ。
「立てるか」
「……………………」
蹲ったまま反応を見せない。肩が小刻みに揺れていた。もしかして泣いているのだろうか。アホらしい、コイツにそんな資格があるものか。
「キャプテンっつうのはな、自分の感情押し殺してでもチームメイトを気遣うモンなんだよ。見えねえのか、ベンチで泣いてる子たちが」
普通ならここで『お疲れ様、良い試合だった』と労うものだが、この男にそんな優しさが必要かとも思う。
彼女たちが泣いているのは、負けた悔しさも勿論だろうが……自分たちの真の実力を発揮出来ないまま、大会を去ることになった無念さも大きい筈だ。
そしてその原因の大半は、ラスト五分を除き自己中心的なプレーに終始したこの男にある。
責任は重い。本当の意味で、彼はエースとしての責務を果たせなかった。失格も失格だ。
無論、男しても。な。
こんなことまで言わせるな。
「良かったな、皆見」
「…………え?」
「来年、俺らいねえぞ」
「……どういう、ことだ?」
「決まっとるやろ。俺は三年、お前は二年生。この野郎、最後まで敬語使わなかったな……あぁ、いやまぁ、んなのどうでも良いんだけどよ」
ようやく見せてくれた負けっ面は、涙の跡でグシャグシャのボロボロになっていた。敗者にお似合いの醜い姿だ。
でも、お前には必要だろ。この経験が。
「つってもどうなんかねえ……予選の段階から不備も多いし、来年は女子の部も出来るのかどうか……」
「…………っ」
「まぁ要するに、お前は負けた。この先あるかどうかも分からない、俺に勝つ千載一遇のチャンスを逃したんや……仮にいつかリベンジ出来たとしても、今日この日、このチームで負けた事実は覆らない。せやな?」
「……そう、だな」
「ところがしかし、今日の敗北を綺麗サッパリ忘れられる方法が一つある。なんだと思う?」
嗚呼、なんて厭味ったらしい言い方を。やっぱりオレ、後輩の扱いが下手くそみたいだ。克真にも気を遣わせてばっかりだし。
でも許して欲しい。俺は俺だ。
いつまで経っても、どんな経験をしても、死ぬまで根っこは変わらない。こんな言葉を面と向かって吐くようになっただけで、自分としては成長しているつもりなんだ。
だからさ、皆見。
受け入れようぜ。全部。
そしたらきっと、受け入れられるから。
必ず前へ進めるから。
「……受け入れろよ。そして学べ。今日の敗北から。これまでの失敗から。俺に勝つんやなくて、自分自身に勝てよ。もっともっと、これから何度だって」
「…………自分自身、に?」
「少なくとも俺はそうして来た。勿論、色んな人に迷惑掛けて、怒らせて、失望させて……なんも簡単やなかった。でも出来た。俺みたいな性悪でも、こんな風になれたんや。だいたい、お前の方がよっぽど恵まれとるわ」
自らの脚でブチ壊したのだ。良く覚えているし、しっかり見えていた。最後の最後で、ようやくチームの一員としてプレーし始めたお前の姿が。
きっと理解したのだろう。過ちに気付けたのだろう。ならそこがスタートだ。この大会が終わっても、お前の人生はまだまだ続く。
一度は失敗した人間関係だって、やり直すくらいワケないさ。今のお前なら、必ず受け入れてくれる。チームメイトとして。仲間として。そして何より、友達として……一人は違うみたいだけどな。
「ソータ、起きよう。整列だよ…………あっ」
一足先に立ち直ったようで、心配して駆け寄って来た山本さん。隣に立っているというのに、今更俺の存在に気付く。酷いな。恋は盲目とは言え。
「すっげえパスやったな。最後の。フットサル始めたの高校からって聞いたけど、ホンマか? 才能あるでアンタ」
「えっ……あ、ど、どうもっ……!」
「ただまぁ、受け手は選ぶべきやな。あんな鬼パス、コイツくらいしか取れへんやろ。知らん間に基準が上がっちまったみたいやな……その辺の気遣いが出来るようになれば、もっと良い選手になる。このチームもな」
よし、良い具合にカッコよく纏まった。あとは彼女に、チームメイトに任せておこう。お節介は程々に済ませるのがコツだ。
……あ。いや、ちょっと待て。
忘れていた。あーあ、カッコつかねえ。
「聖来、アレくれ」
「アレ……アレか?」
「そう、アレ」
ベンチに留まっていた聖来を呼びつけ、例の代物を受け取る。
結局ユニフォームは『これ以上部費の無駄遣いは出来ない』と退けられてしまった。あくまで代案だ。でもまぁ、コイツにはちょうど良いだろ。
「ほらよ。餞別や」
「…………レガース?」
「脚に合わなくてな。使ってへんと家にほっぽっといたやつやけど。サインは書いてねえ。あっても邪魔やろ使うとき。次に俺とやるまでに、精々使い潰しておくんやな」
「……次って、お前!?」
「お前じゃねえ。廣瀬さん若しくは廣瀬先輩や。二度とタメ口聞くな、まだ若干嫌いやぞお前のこと」
「あっ……す、すいません……ッ」
生意気で、人の気持ちが分からない、残念な男だ。だが面白い。俺を見ているようで、本当に面白い。こんなこと、愛莉に言ったら怒るかな。
俺と似た奴には、世話焼きたくなるんだよ。
んでもって、自分も気分良いんだから。
どうしたってやめられない。
「心配すんな。今はこのチームが俺のすべてやけど……きっといつか、それだけや駄目なときが必ず来る。俺も一緒や。卒業する準備だけはせえへんとな」
「せやかて、卒業してもOBや。繋がりが切れるわけやない……俺がそうするように、お前も進め。きっとその先に、俺もいる筈やから。なっ」
レガースを山本さんに渡しておいて、皆の待つ整列へと向かった。彼から見える背番号5番は、いったいどんな風に映っているのだろうか。
ほんのちょっと。ちょっとだけで良いから、憧れの廣瀬陽翔を取り戻せていたら良いな。なんて、心底しょうもないことを考えていた。
でも、本当にそうだったら。
不味いな。結構嬉しいかも。
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