980. まだまだ楽しもうぜ


 峯岸がベンチから出て本部へ通達をしている。タイムアウトを取るつもりのようだ。浸る汗を拭い、電光掲示板を確認。



(あと二分半……いや、そんなに無いか)


 このままのスコアで進めば、東雲学園は終了間際にパワープレーを仕掛けて来る筈だ。その時間に俺がコートへ立っていないのはリスクが高い。次のアウトプレーで一旦交代する必要がある。


 とは言え、残りの時間をひたすら『耐える』ために費やすの方が危険だ。やはり必要なのは三点目……。



(どこまで効いたかね)


 俺以外の男とはロクに会話もしない愛莉だ。嫌がられると思っていたが、思いのほかすんなりと受け入れてくれた。

 そう言えば先日『一発殴ってやりたい』とかなんとか言っていたっけ。まぁ動機はともかく仕事はしてくれた。


 勿論親身なアドバイスなどではない。あの言葉を受けて、皆見がどのようなリアクションを取るか。或いは何もしないのか。


 それ次第で、残り五分強の戦況はいくらでも変わって来る。無論、起こり得るすべての事象に、対処し切る自信があってこそだ。



「兄さんっ、こっち!」


 最後尾の真琴へ簡単に戻す。ここに来て東雲学園はブロックを敷き直した。皆見もパスコースを切る動きのみに留まっている。


 その間に6番が下がり9番がコートイン。山本さんに細かく指示を伝えている。タイムアウトまではリトリートで耐え凌ぐつもりか。


 だったら……このタイミングだ!



「真琴~。遊ぼうぜ~」

「ハッ!? なに急に!?」


 自陣コーナーアーク付近までダラダラと後退し、逆サイドに構えていた真琴を呼びつける。攻めっ気を欠いた温いプレーイングだ。特に声がキモイ。


 挑発的な態度はともかく、これには連中も反応せざるを得ないだろう。

 ボールを外に出さず、インプレーのまま時間を消費されては溜まったものではない。



「ライン上げて! 取り切れるよ!」

(来たな!)


 山本さんの号令を合図にチーム全体、そして対面の皆見がフルスピードで突っ込んで来る。


 さっきより幾らかマシな顔になったな。破れかぶれではない、コースを切った適切な守備だ。


 だがしかし。

 その献身性こそ、大きな落とし穴。



「行け真琴、持ち出せっ!」

「ああもう、知らないよ!!」


 すかさずフォローに来ていた真琴へ横パス。11番が食い付いていたが、先に呼び寄せておいた分の余裕はある。


 11番を力づくでブロックし、強引に逆サイドへ進んで行く。前には左へ流れていた愛莉。流石だ、俺のやりたいことをちゃんと分かっている。



「ごめん姉さん!」

「ナイスキープ!」


 今度は9番を背負いポストプレー。時間を作ってくれている。その間に俺も左サイドへ走り込み……。



「姉さん、逆!」

「っ……ハルト!」


 真琴のフリーランが効いた。反対サイドへ大きく開く彼女に9番と皆見が釣られている。真琴のマークは9番、右サイドのケアは皆見の領域だ。そちらに気が向いてしまうのも仕方ない。


 ここを狙っていた。

 俺が唯一フリーになれる場所。

 ミドルサード左、タッチライン際。


 

「――――文香ッ!!」


 ラインを沿うバックパス。トラップは要らない、左脚を振り抜く。アーリークロスはゴール前へ飛び込んだ彼女の元へ。


 正確には、文香はそこには居なかった。ずっと右サイドに張っていたからだ。傍からは山本さん目掛けて一直線にパスが飛んだようにも見える。


 

「――あっ」


 呆気に取られたような山本さんの呟き。それもその筈、視界から消えていた文香が突然、目前へ飛び込んで来たのだから。


 真琴がサイドに流れたことで、文香は必然的に中へポジションを移すこととなった。その道中、いきなりクロスが上がったのだ。


 今この瞬間、コートで誰よりもゴールに飢えている彼女なら。決して見逃すことは無いと――――信じていた!



「……だらっしゃああああァァああい!!」

「それや文香っ!!」


 ネットへ豪快に突き刺さる。


 稲妻の如き素早いランニングから、ヘディングで見事に合わせてみせた。しなやかな水平ジャンプは塀と塀を飛び移る猫のよう。


 目前でコースが代わり、男性ゴレイロは一歩も動けなかった。コートを滑った勢いのままベンチへ駆け出す文香。



「ナイスゴール、フミカ!」

「やーっと仕事したな! こんにゃろォ!」

「ホントですよまったく! なんでこーいう難しいのしか決めねーんですか!」

「ちゃんと褒めろやァァァァ!!」


「スランプ脱出ってとこかしら」

「言うほどやろ」


 ベンチで揉みくちゃにされる彼女を眺め、こちらはコート内で静かに追加点を祝う。ともあれ一安心。やっと良い場面でゴールが生まれたな。


 あれこれ余計なことを考えているせいで、簡単なシーンほど外してしまうのだ。馬鹿なんだから本能で動いた方が良い。馬鹿なんだから。


 嗅覚と反射神経なら誰にも負けない彼女。あのような五分五分のパスに突っ込ませることで、無駄な悩みを全部消してやったわけだ。まったく、どこまでも期待に応える女だよ、お前は。



「決まったかもネ。これ」

「まだまだ分からねえよ。ナイスキープ、真琴」

「頼りすぎ。一年に」

「アホ言え。真琴やから預けたんだよ」

「ふん。調子乗っちゃってサ」


 タイムアウトのブザーが鳴る。あと五分だ。


 さあ、五分で何が出来る。皆見壮太。

 俺は一分も掛からなかったが。


 出来るよな? 今のお前なら。

 この試合、まだまだ楽しもうぜ。



【後半10分02秒 世良文香


 山嵜高校3-1東雲学園】



 決定的な三点目を奪われ、東雲学園ベンチはこれ以上無いほどに意気消沈していた。ただでさえ実力では上回る相手だ。


 ここまで幾多の采配で抗って来た女性指揮官も、いよいよ打つ手が見当たらずボードを抱えたまま黙りこくっている。



「……ごめんなさい。私が……取りに行けるって、言っちゃったから……っ」

「いや、美桜は悪くないよ。廣瀬陽翔ならともかく、あの8番なら潰し切れると思ったんだけど……流石に甘くなかったね」


 落ち込む美桜に声を掛け、指揮官はチーム全員の顔を一人ずつ見渡した。

 ここからパワープレーへ移行するのは予定通りだが、とても成功するとは思えない。モチベーションの低下は見るに明らかだった。


 そんななか、一人の選手が目に留まった。


 この試合、いや、チーム発足時から一度だって見せることの無かった、激烈な闘志を瞳へ宿し。ゲームの再開を落ち着かない様子で待ち焦がれている。



「壮太。良い寄せだったよ。今のは」

「……意味ねーよ。取れてねえんだから」

「それでも。美桜の声に反応したのは分かったからね……なあみんな。今日の壮太を見てどう思う?」


 指揮官の問い掛けに、誰もが口を噤んだ。4番の鈴原舞を筆頭に、恨めしそうに彼の背中を睨むだけ。


 男女間、延いては皆見と女性陣の確執を指揮官が気付いていない筈もない。それでも彼女は『全国に行きたい』という皆の要望を聞き入れ、デメリットに目を瞑り今のチームを作り上げて来たのだ。



「分かってる。正直に言えば、私も……ちょっとやり過ぎたんだよ。チームである以前に一人の人間、年頃の男女なんだからね……」

「……監督?」

「この半年間、みんなよく着いて来てくれた。特に女子はね。まぁ、壮太の存在も大きかったんだと思う。アイツにだけは負けない、ここは自分たちのチームだって、ある意味ではそれが、みんなのプライドだったんだろう」


 饒舌に語り始めた指揮官を前に、美桜は息も絶え絶えに首を傾げた。練習中は戦術面の解説がほとんどで、この手の内向的な話は滅多にしない。



「私も自信は持っている。この半年で、東雲学園フットサル部は……戦えるチームになった。いや、元々そうだったかもしれないけど……でも、一つだけ足りないモノがあった。私はそれを、壮太に求めたんだよ」

「……どういう、ことですか? 皆見がいないと勝てないチームだって、そう言いたいんですかッ!?」

「違うよ、舞。そうじゃない……そうじゃなかったんだ。どちらかを優先すれば、少なくとも一方は手に入れられる……その考え方こそ間違いなんだ」


 興奮する鈴原を宥め、指揮官は反対サイドの山嵜ベンチへと目をやった。

 監督の指示を待つまでもなく、全員が意見を出し合い耐えなく話し続けている。


 そこには男女の隔たりも、学年の差も上下関係も無い。まさに自分たちの目指すべき姿であると、研究を進めるたび指揮官は痛感するばかりだった。


 

「見てみなよ。あの廣瀬陽翔だって、マネージャーの子にポジショニングを指摘されている。それが終わったら14番と話して……」

「私たちだって、そうしようとして来ました! でもコイツが……ッ!!」

「聞き入れてくれない。なら今はどうだ? 壮太」


 全員の視線が彼へと集中する。

 大きく息を吐き、皆見は小声で言った。



「……俺がゴレイロに入る」

「ソータが?」

「このチームでボールを持てるのは、俺と美桜だ。二人でラインを組めば簡単には奪われな……」


 言い切る前に4番の鈴原が勇み出て、皆見の胸元へと押し入った。酷く感情的な様子で、今にも泣き出してしまいそうだった。



「なによッ! 今更チームプレー気取ってんじゃないわよ! アンタがちょっとでもこっちに協力してくれたら、こんなことには……っ!!」

「だったら残り五分で、証明してやる! 俺だって、勝つために戦ってんだよ!!」


 皆見は目を逸らすことなく、倍の威力を持って鈴原へ言い返した。

 あまりの迫力に息を呑む鈴原を尻目に、皆見はチームメイトを見渡し更にこう続ける。



「俺のことどんだけ嫌ったって良いけどよ……試合を諦める理由にはなんねえだろ……ッ!? ああそうだよ、俺だってお前らが嫌いだ! たりめぇだろうが! どれだけ良いチーム作ったって、勝たなきゃなんの意味もねえんだよ!」

「……ソータ……ッ」


 ブザーが鳴り響く。早々にコートへ散らばった山嵜とは対照的に、誰もその場から動けず審判は忠告へやって来た。


 元よりパワープレーのメンバーは決められている。指揮官はなにも言わず、選手たちをコートへ送り出した。プレータイム制限のため、まだ試合には戻れない皆見らベンチの様子を眺めている。


 同様に出場機会を待つ鈴原も、隣に蹲るよう座る皆見を複雑な面持ちで見つめていた。だがすぐに立ち上がると、エリアのギリギリまで飛び出しコートの仲間たちへ声援を送り始める。



「――あと五分、五分もあるんだよ! 落ち着いて、冷静に回して! 必ずチャンスはあるから! 絶対に……勝てるからッ!!」


 鈴原を皮切りに、コートサイドから次々と激励の声が飛ぶ。その声に誘われるよう、皆見もまた重い腰を上げ、ベンチから飛び出した。


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