979. 脅しみたいなモン
「あーーーーッ! なんで撃たねーんだよバカがッ! おい廣瀬、あんな木偶の坊に華持たせてやる義理ねーぞー!!」
(なんて単純な子だ……いや木偶の坊って)
前列まで身を乗り出し、明海は声の鞭を耐えなく放ち続ける。さっさと帰りたいだなんだと言っておいて、山嵜が攻勢に出たら。
いや、廣瀬陽翔が本来の輝きを取り戻した途端、これだ。兵藤は陰ながらため息を溢し、前列の観客へ『すみません』と明海にバレぬよう一言詫びを入れ、眼鏡を外し曇りを拭った。
(流石に崩れて来たか……7番のカバーリングでどうにか凌げても、両アラが一人で対応出来ない以上は時間の問題。とは言え、だ)
本調子を取り戻した予選最大のライバルへの思慮はもはや不要として、兵藤の関心は相手校のある選手へ傾き始めていた。
兵藤に限った話でもない。会場中の多くが同じように思っているし、その選手の行く末に心を砕いていた。
ある者は同じ背番号5番を纏う陽翔と重ねていたようだが、少なくとも兵藤にはそうは見えない。利き足を除き何もかも違う。
(一応、彼もチェックするように言われていたけれど……どうかな。この状況をひっくり返せるのなら、評価を改める必要があるね)
目下では山嵜の波状攻撃が続いている。
次こそゴールをと愛莉が右脚を豪快に振り抜けば、瑞希は自在にボールを引き出し対峙するアラを翻弄している。
勝ち越し弾を叩き込んだ比奈も決して驕りを見せず、虎視眈々と隙を伺う。陽翔は言わずもがな。優位性は動かない。
一方、東雲学園はよく耐えていた。失点後すぐにタイムアウトを取り両アラを交代。守備位置を修正したのが効いているのだろう。
「チッ、さっさと決めちまえよこんな試合……! グズグズしてっと5番にやられちまうぜ」
「なんだ明海、珍しく評価が高いんだね」
「あん、まぁな。相手が廣瀬陽翔ともなりゃあ、そう簡単にはいかねーだろうが……白い方じゃ、一人だけモノが違げーな。見りゃ分かんだろ」
同じオフェンシブな選手として、明海も彼の才能を機敏に感じ取っていたのだろう。そう、彼女の言う通り。山嵜には三点目、ダメ押しが必要だ。
東雲学園ベンチは一向に皆見と美桜を代えようとしない。二人の存在が唯一の突破口であり、頼みの綱。
無論、山嵜もよく分かっている。右サイドへポジションを移した皆見を出来るだけ孤立化させるよう、瑞希が高い位置を取りパスコースを与えない。
だが、通れば一点。
元よりカウンターの応酬が醍醐味とも言えるフットサルではあるが、それにしたって山嵜の重心は前掛かりになり過ぎていた。
恐らく『三点目を奪い試合を決めてしまおう』というベンチからの指示もあるのだろうと、兵藤は考察するが。
「ちぇっ。交代しねーのかよ。なあ兵藤、アタシの言った通りだろ?やっぱ9番はダメなんだよ! デカいだけじゃな~んの役にも立たねーぜ」
「先制点決めてるだろうに……まぁでも、疲れは見えているね。10番とセットで使いたいのかな」
やれやれと首を振る明海を穏やかに制し、兵藤は山嵜ベンチを眺めた。
瑞希に代え文香、比奈が下がり真琴も投入され、更に縦への意識を強めるようだ。
東雲学園もゴレイロを男子へ交代、11番が久しぶりにプレーする。裏抜けの得意な選手だ。こちらはやはりカウンターを狙っている。
(8番は前半不安定だったけど、もう問題無さそうだな。背後のケアもしっかり出来ている。あの11番じゃ出し抜くのは難しいか……)
贔屓目無しに良い試合だ。空中戦に競り勝った真琴へ拍手を送ると、兵藤は深々と頷き、コートサイドに立つ二人の女性指揮官を交互に見比べる。
個の力に依存したテクニックの応酬ではない。緻密な戦略と大胆な博打で象れたハイレベルな頭脳戦。互いに頭が痛くて仕方ないだろう。
似たようなタイプの指導者だ。最低限の規律と戦術は仕込んでいるが、どうしても拘りたいところがある。
そして恐らく、この試合。
より拘りを貫き、突き抜けた方が勝つ。
エースがエースであると、結果を持って証明した人物。真のスペシャルワンを抱えたチームだけが、今日の難しいゲームを制する。兵藤は不敵に微笑んだ。
(まだまだ分からないな。もしこのコートのどこかに、彼の重圧を解くカギが転がっているのなら……廣瀬くん、油断は禁物だよ)
後半8分が経過し、ゲームは終盤へ。
トーナメントへの生き残りを賭けた一戦は、ますます競り上がるスタンドの熱狂と共に、美しい幕切れへと近付いていた。
【in/out 金澤瑞希→世良文香
倉畑比奈→長瀬真琴】
(あと三分しか……クッソ……ッ!!)
着々とダウンを続ける電光掲示板。皆見壮太は焦りに焦っていた。大会のルール上、男性選手は一試合で20分しか出場出来ない。
残された時間は極僅か。それまでに同点、いや、逆転まで持って行かなければならない。引き分けでは敗退だ。得失点差に開きがあり過ぎる。
「おい、寄越せッ!!」
「ソータ……っ!?」
守備に追われている場合ではない。ゴールクリアランスのタイミングで、皆見は自陣へと舞い戻りパスを要求した。
あまりの迫力に根負けし、女性ゴレイロは素直にボールを譲り渡す。もっと動揺しているのは美桜だ。
後半の間、皆見へは決して深い位置での組み立てに参加しないよう、ベンチから指示が出ていた。
「ソータ、下がって来ないで! 私が……!」
「だったら一回でもパス出せよ、下手くそが!」
インプレー中にも関わらず言い争いを始める二人。これでももう一人のアラを含めパスを回しているのだから、両者の技術力にはスタンドの観客もある意味で関心するところだが。
「隙ありぃっ!」
「あっ!?」
ファールすれすれの際どいタイミング。文香の素早いチェイシングに美桜のボールタッチはついぞ乱れる。
ラストタッチは文香のようで、辛々キックインへ逃れたものの。思うように前へ進めない状況に、皆見は更に苛立ちを露わにした。
「ちゃんとやれよ美桜ッ!! ダイレクトでシンプルにやれって! 俺の実力舐めてんのか!?」
「そ、そういうわけじゃ……!」
「だったら出せよ! ビビってんじゃねえぞ!」
二人が言い争っている間、山嵜は足早に時計の針を動かした。文香がすぐ後ろへ戻し、真琴が逆サイドへ展開。
比較的余裕を持って受けた陽翔は、足裏で舐めさっさと右脚を振り抜く。コート中央からのミドルシュート。
「危っぶな……!?」
アリーナ中へ響き渡る悲鳴。皆見が叫んだと同時に、シュートはクロスバーを直撃した。ゴール裏へと転がるボールを見つめ、皆見は肩を撫で下ろす。
流石にあの廣瀬陽翔と言えど、利き足でない右でのシュートはこのレベルか。そんな皆見の考えは、文香の飛ばした檄で早々に吹き飛ばされる。
「はーくん! いま、わざと外したやろっ!?」
「あら。バレた?」
「アホッ! とんちき! 何年はーくんのプレー見て来た思っとんねん! 舐めプ噛ましとる場合ちゃうでボケ!!」
ええ感じに当てたんやけどなぁ、と暢気に声を伸ばし、愛莉に一声掛けてから自陣で戻っていく陽翔を、皆見は背中越しに見つめている。
試合中とは思えないやり取りという意味で、先ほどの自分たちと似たようなものではある。だが皆見の脳裏はその一言を境に、恐怖心でいっぱいになった。
(当てたのか……!? 右脚で、あんな細いポストに、狙って……!?)
20メートル近くも離れた位置から、僅か8センチしかないバーへ狙い通りに当てるキックの技術。それも試合中。一点差で、まだまだ先の分からないこの展開にも関わらず、わざと外したという事実。
皆見はいつの日かネットで見た、彼のプレー映像を思い返していた。稀にではあるが、廣瀬陽翔はこの手の舐めプをやってのける。
珍しく彼が饒舌に語った、数年前のインタビューに答えが載っていた。『いつでも決められるっていう、脅しみたいなモンです。そうすればミドル警戒してくれるし、スペースも勝手に出来るんで』。
(やられる……仕留められる……ッ!!)
その瞬間、皆見はようやく気付いたのだ。廣瀬陽翔は変わってもいなければ、落ちぶれてもいない。当時の牙は残ったまま。
それもあの頃より暴力的に、鋭利に尖っている。そしてその恐るべき才能は、他でもない自身へと刺し向けられている。
――届かない。
彼のようにはなれない。相手のメンタルまで削り取る、あんなプレーは自分には出来ない。見様見真似では決して至らない領域。
ベンチの指揮官は、何度も前線へ戻るように皆見へ声を飛ばしていた。だが皆見は動けない。本能が、それを拒んだ。
「ねえソータ、お願い前に出て……っ!」
「うるせえ……ッ!!」
自陣深い位置で繰り返される、攻めっ気に欠いた怠惰なポゼッション。またもアラが文香に捕まり、ショートカウンターを喰らう東雲学園。
これも枠を外れ難を逃れるが、秩序の崩壊は目に見えて明らかだった。そう遠くない頃、山嵜に決定的な三点目が生まれる。誰もが確信していた。
「――ふんっ。ビビってんのはどっちよ」
振り返った先には愛莉がいた。
サイドへ流れ皆見をマークしていたのだ。
女性にしては高身長の愛莉と、160センチ後半の皆見では背丈がほとんど変わらない。他の男子も決して上背というわけでもなく、愛莉のフィジカルと空中戦の強さは東雲学園を大いに悩ませていた。
8番の粘り強い守備を活かし、愛莉のポストプレーを潰しカウンターを狙う……そんな作戦も用意されていたが、あまり役には立っていない。
それもその筈。今日の愛莉はスコアラーになることより、ターゲットマンとしての責務を果たそうと自分なりに知恵を絞っていた。
それがチームのためになると、誰に言われるまでもなく理解していたからだ。
「悪いんだけどアンタ、これから外でハルトの名前出したり、絡んだりするのやめてくれない? すっごい迷惑なの」
「……あぁ?」
「リトル廣瀬かなんか知らないけど……アイツが可哀想なのよ。アンタみたいな奴と比べられて」
「んだと……!?」
挑発的な台詞に歯を食い縛る皆見。
陽翔を除き大の男嫌いである愛莉が、見ず知らずの人間に自ら絡むのがどれだけ珍しいことか。勿論彼は分かっていない。
「だいたい、ハルトは技術があるとか無いとか、そういう括りで語れる選手じゃないわ。どれだけハルトを真似したって……」
「うるせえな……んなの分かってんだよ……ッ!」
「だったらこの試合、このまま私たちの勝ちね。こっちは毎日ハルト相手に練習しているんだから……二番煎じに負ける筈無いわ」
二番煎じ。
その言葉に皆見は酷く動揺した。
彼が最も毛嫌いし、遠ざけて来た存在。
「そうよ。アンタはハルトになれないわ。ハルトになろうとしている時点で、もう負け。先が見えてるの」
「黙れよ……ッ!!」
「ホント、山本さんも可哀そう。アンタみたいな男に捕まって、チームの雰囲気も最悪で、よく気丈に振る舞えるわね……尊敬するわ」
「なっ…………美桜が、なんだよ……!?」
「さあ。どういう意味でしょうね?」
試合が再開される。裏を狙った美桜のパスは、すぐさま対応した愛莉に処理された。すかさず琴音まで戻し、愛莉は振り返る。
その表情はどこか晴れやかで、それでいて少し無理をしているような、なんとも複雑な形をしていた。無論、一連のやり取りを陽翔に仕込まれたことなど、いっぱいいっぱいの皆見が察することもできず。
「――オンリーワンになりたいのなら、責任を負いなさい! 結果の一つも残せないで、ワガママばっかじゃ……エースの資格なんて無いんだからっ!」
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