978. 男を見せろ
「ったく、足裏見せやがって……ッ」
『ちょっとレフェリー! さっきから一人だけ荒いのよアイツ! カード出しなさいよカードっ!!』
瑞希の縦パスが引っ掛かりフォローへ入ると、五分五分の際どいところに皆見のスライディングが飛んで来る。脚ごと刈り取られホイッスルが鳴った。東雲学園は後半早くも三つめのファール。
そのすべてが皆見によるものである。ベンチへ下がったシルヴィアが必死に抗議にしているがバレンシア語では通じまい。それに今日の傾向から見て、おそらく最後までカードは出ないだろう。
「悪くない角度ね……狙ってみても良い?」
「まず先に俺の心配をしろ」
「だったら痛がるフリの一つでもしときなさいよ……よいしょっと!」
愛莉に手を引かれ起き上がる。
やや敵陣に入った中央からの直接フリーキック。
現在ゴレイロは女子、愛莉のドッカンミドルなら枠に飛べば一点モノだが……。
「ああっ、惜しい!」
「ボール一個分ってトコか……」
バーを掠め、ゴールマウスの上を通過する。
交代準備中のユキマコは頭を抱えた。
このように流れ自体は悪くないものの、少々フラストレーションの溜まる展開。シュートが枠へ飛ばない。
東雲学園は相当疲弊しているが、やはり第一にポジショニングが良い。受け身ながら最後の最後で身体を張り、必死に耐え凌いでいる。
偏に最後尾のフィクソ、山本さんの功績だ。彼女が4番と男子8番を的確に操り、自身はシュートコースを的確に切っている。例の指揮官にとって山本さんは、この鍛え上げられた守備戦術における一番の体現者でもあるのだ。
「ハルっ、もっと前出て来てなよ! そんときはあたしが下がるから!」
「頼んだ! 右寄りで行くぞ!」
相手ゴールクリアランスから再開と同時に、俺が高い位置を取り瑞希が引き気味に構える。俺が8番、瑞希が4番を見て出し処を徹底的に潰す。
山本さんを攻略するのは簡単ではない。
だったら、外堀から埋めていく。
皆見がいよいよ組み立てに降りて来ないので、パスさえ出させなければ奴は居ないも同然。数的優位で進められる。
ミスが出て山嵜のキックインに。瑞希が琴音まで一気に下げ、自陣でポゼッションをリスタート。
「へッ。余裕ねーなぁ~」
「黙ってろブスがッ!!」
瑞希のテクニックと比奈の冷静さが加われば、男子と言えど一人で奪い切るのは難しい。周りが見えておらず、ヒートアップしたままの皆見なら尚更。
二人とも前半のミスを反省したのか、二人とも無理なチャレンジはせず皆見を可能な限り消耗させるよう、かなり慎重にパスを回している。
厭らしい悪戯に掛けては天下一品の瑞希だ。わざと足に当ててキックインにしてみせると、皆見は言葉にならない雄叫びを上げた。ストレス指数は凄まじいことになっているな。
(そもそもタスクを振られていないのか……)
彼だけハイプレスを続けていて、構えて守る他の三人と明らかに息が合っていない。なのにコートへ残っている。
つまりこの状況を覆せるだけの、デザインされたオフェンスの形が無いということだ。いざという時は皆見の一発に賭けるしかない。それが今。
守備組織の構築に多くの時間を割いている分、指揮官も有効な手を打てないのだろう……チーム力の差が少しずつ露わになって来たな。
(ん。交代か)
4番が代わりまた6番が出て来た。ふと自軍ベンチへ目をやると、立ち上がりこちらを見ている峯岸と視線が重なる。
……なるほど。手が無いわけではなかったか。6番と8番の組み合わせ。さっきと同じなら、指揮官の狙いは恐らく。
「比奈。来るぞ」
「大丈夫。任せて……あ、琴音ちゃ~ん」
力強く頷くと、琴音の元へ駆け寄り耳打ち。
自陣でのキックイン。一度愛莉に当てて受け直すと、瑞希は少し中に持ち込んでから、やや大振りなフォームでバックパスを繰り出した。
目的はペナルティーエリア前で構える比奈。
そして、その瞬間――。
「行けッ、潰せ!!」
「頼んだぜひーにゃん!」
相手指揮官、瑞希の鋭い声が重なる。
やっぱりだ。瑞希の『温いパス』が比奈に渡る瞬間を狙っていた。あの野郎、食い付かせるために敢えて……やると思ったけどさ!
しかし上手く嵌めてみせた。
格好の餌とばかりに群がりやがったな。
舐めるんじゃない。俺たち自慢の司令塔が、同じようなミスを何度も繰り返すとでも? 見ろ、あの自信に満ちた顔を。企んでやがる。
良いぜ、比奈。好きなようにやってみろ。
どんな期待も無茶振りも。すべて応えてやる。
そして見せつけてやよう。
俺たちの信頼ってやつを。
「琴音ちゃんっ!」
恐らく6番は『掛かった』と思っただろう。比奈がこれと言ってフェイクも混ぜず、正直に前へ蹴ろうとしていたから。
カット出来る。奪い切れる。確固たる自信が彼女の猛プレスを加速させた――――それが罠とも知らずに。
「あっ……!?」
「陽翔さんっ!」
強引に繰り出したようにも見えたその縦パスは、6番にカットされる。されたのだが、そのまま後ろの琴音まで転がって行く。
キャッチするや否や、琴音は即座にスローインの如く、ポイっと反対サイドの俺へ投げ捨てる。勢い余った6番と8番の頭上を越えるように。
そう。さっきの瑞希と同じ。
比奈はわざと当てたのだ。
ゴレイロはバックパスをキャッチ出来ない。だが比奈はあくまで『前に蹴ろうとした』ので、当たった時点でボール保持は相手側へ移る。
「やった! 大成功!」
「二人とも戻って! ソータっ!!」
両フィクソの対照的な声がコートへ響く。それも当然、東雲学園は二人も敵陣へ釣り出されており、そもそも数が足りない。
しかも琴音は前向きの状態で、前を向いている俺へ投げ入れたわけだ。一気にテンポアップした相手を、ネガティブトランジションの状態から対処しなければならない。それがどれだけ難しいことか。
なんと言っても、その先鋒が廣瀬陽翔だ。
間違ってもリトル廣瀬ではない。
「え……」
「嘘っ、ソータ!?」
コートへ尻餅を着く皆見。
正面から馬鹿正直に潰しに来たからだ。
ダブルタッチで簡単に往なすことが出来た。背後から叫ぶ山本さんの悲哀に満ちた表情は、もはや痛々しいまである。
困ったな。どうしてこの二人を相手取ると、俺が悪役みたいになってしまうのだろう。悪いのは面だけだってのに。
終わらせよう。
俺もシンドイし、彼女も可哀そうだ。
「愛莉っ!」
「サンキュー!」
二人のどっちかしかマーク出来ないわけで、優先すべきは当然ドリブル中の俺。山本さんは捨て身で前進。
となれば、あとはフリーの愛莉へ渡すだけ。
プレゼントパスを冷静に流し込み……。
「――あっ」
外した。外しやがった。
いや、ゴレイロに上手いこと防がれたのだ。限界まで腕を広げコースを制限してみせた。グラウンダーのシュートはあろうことかポストへ直撃。文香じゃねえんだからしっかりしろや。
真っ直ぐ跳ね返ったセカンドボールはペナルティーエリア外まで転がって行く。幸い、山本さんより俺の方が近い。
仕方ない。今日は愛莉の日じゃなかったのだろう。だったらこの一連の美しいカウンター、そして縦への圧力を見事に演出してみせた彼女へのご褒美ということで、ここは一つ大目に見るか。
「――比奈っ!」
「任せて!」
いつ見ても淀みの無い、美しいキックフォームだ。右脚に掛けては俺よりセンスあるんじゃないかって、ちょっと羨ましいよ。
インサイドの狙い澄ました一撃。ゴレイロは体勢を崩したままで、流石に間に合わなかった。今度こそゴールイン。
「……ぁぁぁぁ良かった~……ッ!!」
「おい、しっかりしろやエース」
「ごめんねえ愛莉ちゃ~ん。横取りしちゃった♪」
冷や汗をダラダラ垂らし呆然としていた愛莉を二人で迎え入れ、程なく歓声が広がった。多少苦労はあったが、これで勝ち越し。
パスミス擬きからここまでノンストップで敵陣へ駆け上がっているのだから、なんとなく『零れて来るかも』という予感もあったのだろう。演出家気質の彼女だが、主役もすっかり板に付いてきたな。
(……さて。で? こっからどうするよ?)
翻弄された選手たち。作戦丸潰れのベンチ。
東雲学園のダメージはあまりにデカい。
あれだけ味方のミスを糾弾していた皆見も、今はただ口を閉ざし、唖然と立ち尽くすばかり。だから言ったのに。今のままじゃ『手遅れ』だって。
「これで終わりってのもなぁ」
「とーぜん! 次はあたしが決めっからな!」
「んっ……せやな」
「なにムズイ顔してんだよ! 長瀬の説教ならあたしも手伝ってやっから!」
「超助かる」
ハイタッチを要求する瑞希に、少し素っ気ない態度を取ってしまった。気付いていないようで安心した。
まったく俺という奴は。興味が無いなどと言っておいて、少し余裕が出て来たら余計なことに頭を回してしまう。
でも、プレーヤーとして当然の感情の筈だ。俺はいつどんなゲームも楽しみたいし、その上で勝ちたい。それには相手の協力だって必要なわけで。
(どっちが先に気付くかねぇ……)
比奈に煽られていた山本さんでも良いが、個人的にはこっちを期待してしまう。リトルでもなんでも、俺に似た奴は気になるんだ。どうしても。
ツレになんちゅう顔させてやがる。
少しは男を見せろよ、皆見壮太。
【後半04分54秒 倉畑比奈
山嵜高校2-1東雲学園高校】
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