977. 押して駄目なら
(ど、どうしようっ……これじゃいつ失点してもおかしくない……!)
後半早くも二度目の決定機。左サイドで受けた愛莉が一歩切り込んで弾丸ミドルをお見舞いする。
シュートはポストを直撃、スタンドはどよめきに包まれ、アウェーサイドのファビアンら子ども応援団は頭を抱えた。
豹変した山嵜フットサル部の破壊的オフェンスに、東雲学園の女性エース、山本美桜も一抹の焦りを隠せずにいた。あれだけ粘り強く戦えていた守備組織が、個人技による打開に手も足も出なくなっている。
コートの清掃が行われている間、美桜は前線で立ち尽くす皆見へ歩み寄った。ポジションの指示を行うためだ。
「ソータ、攻めたいのは分かるけど……今は耐え時だから、相手の5番さんをしっかりケアして……ソータ?」
美桜の提言をわざと無視するように、皆見は腰を落とし靴ひもを結び直した。だが結ぶフリだ。鋭い視線は山嵜の絶対的支柱、陽翔へと向けられている。
「ちょっとソータ、聞いてるのっ!?」
「……うるせえな。お前如きに言われなくたって分かってるよ……!」
「如きって……! なにその言い方!? わたしだって、ポジションが悪かったらそれくらい分かるよ! 今の位置取りじゃ絶対に……!」
「俺に指図するなッ! 調子乗んな素人が!」
苛立ちを隠そうともせず、乱雑に言い返す皆見に流石の美桜も顔を顰めた。この手の言い争いは昨今初めてでもなかったが、面と向かって『素人』などと罵倒されては、想い焦がれる幼馴染と言え心中穏やかではいられない。
結局、文香の言い放った虚言を否定出来ないまま試合を迎えてしまった。その一件も皆見には大きなストレスだったのだろう。
だが美桜は気付いている。彼が抱える苛立ちと焦燥の原因は、更に根深く目に見えないところにあった。
「美桜、もう良いって! ほっときなよ!」
「舞ちゃん……でも!?」
「いくら言っても聞かないって! どうせ『別枠』なんだから、ソイツ!」
4番の鈴原舞が肩を掴み、強引に彼から引き離す。一年の頃から仲の良かったチームメイトだ。だがこの半年、美桜との関係はやや冷え込んでいる。
鈴原だけでなく、美桜を除いたほぼ全員が皆見の存在を快く思っていない。それもその筈。彼を含めた男子三人は、完全なる外様。
(別枠って……そんなの、無いよ……っ!)
東雲学園は正式には女子フットサル部である。それが昨冬、混合大会の開催を理由に皆見と二人のサッカー部員が突然チームへ加わった。後に聞けば、サッカー部を退部し暇していた彼らを監督が招き入れたのだという。
女子フットサル部はそれなりに強いチームだった。発展途上ではあるが、コーチライセンス保持者の新任監督に率いられ徐々に成績を上げ、成人大会でも上位に食い込めるのではと、選手たちも淡い期待を抱いていた。
「おい皆見っ! 守備は良いから、死んでも決めなさいよ! アンタのために私たちが犠牲になってるの、ちゃんと分かってんでしょうね!?」
ところが混合大会の開催をきっかけに、監督が方針転換。皆見をエースへ据え、女性選手たちで粘り強く戦う守備的なスタイルへ舵を切ったのだ。
掴み掛けていた主役の座を部外者に追われては、元いた少女たちは面白くない。それでも『全国に行けるのなら』と、監督の指導を信じ今日までトレーニングを重ねて来た。
「うるっせえなァ!! 一点取っても、お前らがヘボじゃ負けんだろうが!」
「現実見ろって言ってんのよ! こっちはまだ一失点、アンタはゼロ! 美桜におんぶ抱っこで、一人で何も出来ない癖に!」
「んだとォ……!?」
「ちょっと、やめて二人ともっ! 試合中だよ!? 喧嘩してる場合じゃない!」
皆見と鈴原が激しく言い争い、美桜は慌てて間に割って入る。口喧嘩は日常茶飯事。両者と板挟みになることも多く、美桜は頭を悩ませる日々。
フォアザチームで動いてくれる8番とゴレイロはともかく、皆見は何かと女性陣の実力を見下している。
だが昔は違った。少し前まで女子との会話さえ覚束ない純情な青年であったことを、美桜は誰よりもよく知っていた。
(やっぱり、あの人の影響なの? ソータ……)
試合が再開されると、すっかり頭に血が上った皆見は守備の約束事を無視し、前線から猛プレス。しかしあっさりと躱される。
飄々とした佇まいで皆見を翻弄する陽翔を目前に、美桜の心中は形容しがたい真っ黒な何かで染まっていく。
『凄げえんだよ、廣瀬陽翔……! ドリブルもパスも、シュートも全部やべえ! 誰にも似てないオンリーワンの選手って言うかさ……!』
『プロになって、廣瀬のいるセレゾンに勝ちたいんだ……いや、それよりまず、あの人と同じピッチに立ちたい。勝ちたいけどさ、でも、凄っげえ楽しいんだろうなって……!』
いつの日か語ってくれた将来の夢。
美桜は今も覚えている。
そして、彼が笑顔を失ったあの日のことも。
『最悪だ、廣瀬が怪我した……靭帯切ったかもしれねえって……! どうしよう美桜、オレ……!』
きっとあの日から皆見は、突然いなくなった憧れの存在に、自ら成り替わろうとしたのだ。ますますサッカーに熱を入れ、それ以外はすべて無駄なことだとまで言い切った。
だが現実は非情。上昇志向と言えば聞こえは良いが、チームプレーを唾棄し徹底的に遠ざける彼の存在を、サッカー部の面々は受け入れなかった。
居場所を失い、流れるままにフットサルへとやって来た彼は今、将来の展望はおろか現実さえも見えず。暗中模索のなかを孤独のまま進み続けている。
「クソッ!!」
皆見の激しいスライディングでファールが宣告される。削られた瑞希は顔を歪ませるが、陽翔の手に引っ張り上げられ、すぐに笑顔を取り戻した。
その瞬間、彼女を覆っていた暗闇も幾ばくか晴れ渡る。瑞希を心配し痛めた箇所を労わる彼の、暖かな眼差しに心を奪われた。
(……違うよ、ソータ。あの人はソータが思ってるような……目指しているような選手じゃない。全然違う……!)
彼に近付くため、すべてを切り捨てた筈だったのに。今の皆見は、彼とまるで正反対の選手に見える。
もし仮に、彼も現在の皆見のような選手だったとしても。今の姿を手に入れるために、何か大きな手掛かりを掴んだ筈だ。
でも、何かは分からない。
それだけが、二人には分からない。
審判へ執拗に抗議する皆見。
チームメイトは誰も同調しない。
美桜もまた、その姿を静観していた。
彼女自身、既に気付いていたからだ。恐らくその手掛かりは、彼が自らの力で引き寄せ、手に入れなければならない。自分に出来ることなど、今となってはなにも……。
「はい。どうぞっ」
澄んだ声色と共に肩を叩かれ、美桜は驚いて飛び上がる。だがすぐに気付いた。触れたのは誰かの手ではなく、冷えた給水ボトル。
「倉畑さん……」
「も~、比奈で良いって言ったでしょ? ほら、これからもっと疲れるんだから、今のうちに休憩しとかないとね」
ボトルを手渡すと、比奈は額の汗を拭いにこやかに笑い掛ける。再びコートの清掃が行われ、試合は止まっていた。
偶然の出来事だったとは言え、正真正銘のライバルへ重大な悩みを打ち明けてしまったわけだ。チームへ戻ったあと、皆見だけでなくチームメイトにもこっぴどく怒られてしまった美桜。
だが今となっては、皆見やチームメイトより彼女に頼りたくもなる。水を一口だけ含み、美桜は拙い声色で切り出した。
「……どうすれば、勝てますか?」
「えー? それを相手に聞いちゃうの?」
「だって、分からなくて……っ! このままじゃソータも、みんなも……!」
「おっとっと……落ち着いて美桜ちゃん」
無意識のうちに震える肩を、比奈は背後から優しく抑え込んだ。少しだけ力を込めてギュッと握り、耳元で囁く。
「ダメだよ。忘れたら」
「……忘れる?」
「そう。彼のことも、チームメイトのことも、もちろん大事だけど……一番は自分でしょ?」
「わたしの……こと?」
「本気で何かを変えたいのなら、傍観者のままじゃダメ。美桜ちゃんから動かなきゃ……どっちかに良い顔をするんじゃなくて、美桜ちゃんのやりたいこと、信じていることを、真っ直ぐに伝えるんだよ」
抽象的な物言いに美桜は首を傾げる。
更に笑顔を弾ませ、比奈は続けた。
「あのね美桜ちゃん。男の子ってすっごく複雑で、面倒な生き物なんだ。女の子以上にね。美桜ちゃんの気持ちはよく分かるよ……でもね。ただ寄り添うだけじゃ、愛にはならないの」
「あっ、愛……!?」
「押して駄目なら押し倒す……貴方が彼を引っ張るの。あの人が見たことの無い景色へ、知らない場所へ、美桜ちゃんが連れて行くんだよ……んふふっ。じゃあまずは……経験豊富なお姉さんが、お手本見せてあげるね♪」
コートの清掃が終わり、頑張ろうね、と去り際に一言。真剣な面持ちへと戻り、陽翔とセットプレーの打ち合わせをする比奈。
(……わたしが、ソータを……っ)
言葉が脳裏から離れない。美桜はその真意を咀嚼し切れないまま、再開したゲームへと飛び込んで行った。
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