965. 私にとって何よりも重要です


 あっという間に予選グループも折り返し。残る二試合は来週の土日にやはり府中のアリーナで開催される。一週間弱の僅かな休息。


 朝は梅雨明けを予感させる空いっぱいの入道雲と、それらを突き抜ける眩い光線が広がった。制汗剤とタオルが手放せないのは練習中とそう変わらず、週末から身体は火照ったままだ。



「あーあー。せっかく昨日避けて帰ったのに」

「ニュースになっちゃいましたからね……っ」

「満更でもないやろ。アホエルやし」


 スクールバスを降りて昇降口へ向かう途中、ミクルは押し寄せる人並に攫われていった。スマホを滑らせる有希の手元では『栗宮胡桃の実妹、5ゴール衝撃デビュー』の大見出しが躍る。スポーツジャンルのトップ記事だ。


 なでしこジャパンの時期エース(しかも美少女)と持て囃される栗宮胡桃の知名度は既に全国区だ。下手したら内海を含め、その辺の男子選手よりよっぽど有名だと思う。


 何かと曰く付きの俺よりミクルの方が世間の関心もとい、一般学生たちの食い付きは良いのだろう。心中複雑ではある。若干。



「ガッコの中くらい静かに暮らしたいモンやなぁ……まっ、注目されんのは嫌いやないけどな! にゃふふふっ♪」

「あんま調子乗んなよ」

「ええやん偶にはぁ。ウチかて『超高校級美少女ストライカー』言われるくらいのポテンシャルはあんねんで! あーりんにやって負けてへんもんっ!」


 無い胸を突っ張り誇らしげ。まぁ確かに、愛莉に負けず彼女も大層なべっぴんだとは思う。疑問を呈したいのは文言の前半部分だ。



「超え過ぎて落っこちんなよお前。誰もその話せんけど、もう一週間後やで」

「にゃん? なにがっ?」

「試験」


 沈黙を埋めるが如く、定刻のチャイムが虚しく鳴り響いた。そう、七月は年度に三回ある定期考査の一回目だ。



「……一週間、後?」

「しゃあで。なあ有希」

「えへへっ。実はわたしも、お母さんに言われるまですっかり忘れていて……登録メンバーが発表されてから、やっと対策始めましたっ」


 受験項目だった小論文が死ぬほど苦手なだけで、成績はそこまで悪くない有希。優秀な真琴が付いているし、彼女は心配いらないだろう。


 一方、油の足りないロボットみたいにガゴゴゴと首を揺らす文香。完全に忘却していたなコイツ……。



「文香さん、あんまり自信無い感じですかっ?」

「自信もなんもこのタヌキ……いや待て。そう言えばお前、編入試験はどうやってパスしたんだ? そもそも」

「……しっ、小論文と面接だけや……っ!?」

「あー終わった……」


 通常、私立高校への編入は生徒数の欠員が出ない限り受け付けていないのだが。山嵜の場合、定期考査の比重が大きい故に勉学面で堕落する人間も多く、毎年留年する奴がまぁまぁ出現するそうで。


 そのまま退学してしまう者も稀にだが存在するため、文香はその枠に飛び込んだわけだ。どうやら編入時に学力の低さはバレなかった模様。



「今更やけどお前、普段の授業着いて行けとんのか? 青学館の普通科って偏差値40ちょっとやろ」

「えっ!? 山嵜より20も低いんですかっ!?」

「進学コースは同じくらいやけどな。アオカン言うたら馬鹿の受け皿で大阪や有名なくらいやし……おーい、生きとるか~」


 顔面蒼白のまま固まっている。どうやら愛莉とのスターター争いやトップ記事を目指す前に、やることが山ほどありそうだな……。



 放課後。身体を休める目的も込みで、最寄駅から一つ離れた付近の図書館にて急遽勉強会が開催された。


 留年云々は置いておいて、赤点を取ると夏休み中に補習へ出なければならない。しかも全国大会のスケジュールと見事に被っていたからさあ大変。さて、問題集を広げ頭を抱えているのはこの三人。



「ふええぇぇぇ~……っ!! 50点も取らないといけないなんて聞いてないっスよぉぉ~~!!」

「なんこれ……日本語……?」

「ヨメネェ……ッ゛!!」


 上から慧ちゃん、文香、そしてシルヴィアだ。なんと言うか、めちゃくちゃ納得出来る面子だ。イメージ通り過ぎて笑える。


 問題文の読解に時間の掛かるシルヴィアは仕方ないとして、慧ちゃんに至っては推薦合格だったから受験対策も一切していないそうで。机へ向かうのも久々とか抜かしやがった。授業サボんな。


 唯一の救いはミクルの面倒を見ないで済んだこと。なんでもアイツ、普通に一般入試で合格している程度に学力はあるらしい。不服だ。なんとなく。



「すいません、ノノまで見て貰っちゃって。それはそうと、三年の皆さんは大丈夫なんですか?」

「うん、授業によっては試験が無くてレポートだったりするから。この時期に大変になるのは分かってたし、そっちを優先して取ってるんだ」


 こちらはノートパソコンを広げる比奈。最上級生ともなると進学が優先されるので、希望すれば試験を免除される授業も結構多いのだ。最初の二年を切り抜けたご褒美みたいなものだろう。


 とは言え、試験よりレポートの方が簡単かと言われるとそんなこともない。あまり考えたくなくて忘れたフリをしていた。馬鹿がもう一人いた。



「ほほー。では愛莉センパイは違うと?」

「あははっ。陽翔くんと同じの取っちゃったから」

「なるほど自業自得」


 テーブルに積み重なる本のほとんどが単語帳。半分ほど魂が抜けている愛莉に代わりペンを走らせるのは、やはりどうしても俺の仕事である。


 超高難易度で知られる英語表現Ⅲは一万字のレポート提出を求められている。お題はなんでも良いが全文英語が条件なので、この有様だ。


 交流センターで日本語教師の真似事を始めて、多少はマシになったかと思っていたが、甘かった。愛莉は愛莉だった。



「はぁ~、疲れた……マジでキッツイわ。おい、手ェ止めんなよお前のやぞ」

「…………死にたいッ……ッ゛」


 しかもこの女。何を血迷ったかレポートの内容を『私の好きなもの』に設定し、サッカーとフットサル部、そして俺のことを書こうとしている。既に一割ほど進めてしまっているので、期限を考えるともう後戻り出来ない。


 要するに『俺のこんなところが好き』という話を俺自身が英訳して書いているという、地獄みたいな状況が発生していた。下書きの日本語ですら読むの超恥ずかしかったのに。二回殴られている。



「『彼はいつも優しく私を受け入れてくれます。彼の存在なしに、今の私はあり得ません。私は今、とても幸せです。彼と添い遂げることが、私にとって何よりも重要です』……あの、これ、本当に提出するんですか?」

「気持ちは分かりますケド……あの琴音先輩、読み上げるのはやめてあげてください。妹しか味方いないんです今」

「知らんセンセーにまでアピールするってなんなん? どーゆー目的?」

「聞かないでぇぇぇぇ……!!」


 ドン引きしている瑞希を筆頭に皆の視線からついぞ逃れ切れず、涙ながらにテーブルへ突っ伏す愛莉であった。なんて斬新な羞恥プレイなんだろう。琴音の日記を朗読したアレに匹敵する勢いだぞ。


 先日の進路調査票と言い、欲求が溜まると文字に書き起こしたくなるタイプなのだろうか。禁止令のせいで変な方向に開眼してしまっているな……。



「休憩?」

「んっ。飲み物買って来る」

「わたしも行こ~」

「では比奈、おしるこ缶を」

「ねーよこんな時期に自分で拵えろ」


 集中が切れてしまった。というかもう書きたくない。部活の話も終わっちゃったし、ここから『何故ハルト(俺)を好きになったのか』を延々と語り出すパートなんだもの。絶対自分で書かせる。


 比奈と一階へ降り出入り口に設置されている自販機を目指す。館内は冷房が効いていたが、外はすっかりカンカン照りだ。


 自動ドアが開くと熱風が一気に飛び込んで来て、そろそろ夏だなぁ、なんて暢気に考えていた。考えるしかない。英文ラブレターのことを忘れたい。



「暑いねえ~」

「なっ。はよ冬にならんかね」

「そーお? わたしは夏の方が好きかなあ」

「変わりモンやな」

「だって、わたしたちが始まった季節だもの」


 ガランコロンと転がって来たスポーツドリンクを取り上げ、ぴょこんと立ち上がりスカートを躍らせる。


 眼鏡の奥に広がる瞳は、今日も人一倍の慈しみで溢れていた。最近部活中以外はコントタクトをしない、ちょっと懐かしい装いの彼女である。



「好きになった、のかな。暑いのはちょっと苦手だけど、でもそれが良いのかも。あの時の気持ちも、こうして今、みんなと過ごしている時間も、簡単に思い出せるから。これから生きている間、ずーっと……」

「詩人やな。相変わらず」

「陽翔くんは? 違う?」

「んっ。一緒」


 一人ひとりと向き合った秋。全員で絆を育んだ冬。繋がりを結んだ春。どれも大切だ。でも遠い未来、高校生活へ想いを馳せるとき……最初に思い出すのはこの暑さと皆に出逢った夏の記憶なのだろうと、なんとなく思う。


 まったく、恵まれた身の上だ。打ち込めるモノ、すべてを捧げられるモノが全部一緒くたになって、それでいて不満らしい不満も無い。隣に可愛げしかない小悪魔まで揃えて、世界一幸せな高校生かもな。



「出逢ったと言えば、ノノと最初に絡んだのも自販機の前やってん」

「そうなの?」

「ん。ほら、夏休みの大会で」

「あぁ~、あのときの……じゃあ今日も、ここで新しい出逢いがあるかも?」

「アホ言え。これ以上増えてどうすんねん」

「そう? あの子は違うの?」

「えっ」


 顔を乗り出し、出入り口の奥へ目を凝らす。すぐ先に区庁舎があり、比奈は建物の角辺りを覗いていた。


 白ベースのジャージを纏った小柄な女性が、建物の陰へ隠れるよう身を寄せている。俺たちの視線に気付いたのか、慌てて飛び出し変わったばかりの横断歩道を走り去って行った。そそっかしい子だな。



「陽翔くんのファンかなあ?」

「勘弁してくれや……」


 注目を浴びるのはもう仕方のないこととして、川原女史みたいな子が量産されるのは非常に困る。まだ他校の選手が偵察に来た方が有難い。


 ……偵察?



(あのジャージ、どっかで見た覚えが……)


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