954. 構いやしない
【後半02分11秒 長瀬愛莉
山嵜高校5-0葉山中央高校】
追加点は早々に生まれた。もはや葉山中央のディフェンスは、愛莉のフィジカルを前になんの抑止力にもなっていない。
単純な縦パスから振り向きざまに突き刺す。男性ゴレイロは辛うじて触れたが、ゴールマウスから弾き出すには至らなかった。
「いっててて……ッ!」
「あらあら、ガッツリ踏まれちゃってかわいそーに。ダイジョーブ長瀬?」
「平気よヘーキ。こんなの唾でも付けておけば……あーもう、やられたっ!」
どうやら撃つ瞬間、マーカーに軸足を踏まれたようだ。足首を気にする愛莉は厳しい目で主審を睨みつけるが、抗議の意思は届きそうにない。
今のもファールに相当するレイトタックル。だがゴールが決まったことで見逃されてしまった。
本来なら得点に至ったとしても、守備者に『今のは危ないプレーだった』と一言添えるのが普通なのだが……。
「駄目だこりゃ、埒が明かねえ…………すみません、タイムアウトを。廣瀬、皆への伝言は頼んだ……審判団、ちょっと話が!」
ブザーと共に両軍がベンチへ引き上げる。山嵜のタイムアウトだ。峯岸は後半のファール基準について抗議すべく、主審と副審を呼び寄せた。
代わりに戦術ボードと作戦、交代策を受け取った俺は、マグネットを動かしみんなへ指示を伝える。
疲弊の増加が顔色を見るだけでも分かる。ボディコンタクトが増えたことで肉体的疲労も溜まっているのだろう。
「みんな痛めとるな……時間も無いし冷やしながらでええ、聞いてくれ。まずは……」
試合はほぼ決まったも同然。両チームの実力差を考慮しても、精々ラッキーゴールで一点返される程度が関の山。
だがそのせいで、葉山中央のモチベーションがグっと低下しているのが、それはもう目に見えて明らかだ。交代で入った選手もロクに走れていないし、ノープレッシャーでもパスミスを連発していた。
特に気になるのが10番の瀬川と8番の吉岡。葉山中央は彼らに攻守の多くを依存しているので、その分負担も大きい。
故に瀬川と吉岡が自己責任を全うしようと、結果的に危ない守備を繰り返す悪循環へ陥っている。
「10番の瀬川はプレータイムの制限でそのうち下がるけど、8番は暫く残る筈や。女子のなかでは抜けとるからな」
「8番を避けて攻めろと?」
「極端には。もっと言えば、もう無理して攻めなくてもええ。もう向こうはファールが四回や。勝手に第二PKを与えてくれる」
「つまり、ノノの出番ってわけですねっ!」
「ああ。死ぬほど大袈裟に倒れて、馬鹿みたいに痛がれ。そうでもしないと主審の気を惹けない。峯岸が抗議してくれとるし、多少はマシになる筈や……」
さっきから何度も派手に転んでいるが、痛がっていないどころか疲労も全く見えない唯一のプレーヤー。ノノのマリーシアは大きな助けとなるだろう。
尤も、あの天邪鬼な審判団を相手にどこまで通用するか。一度でも演技だと気付いたら、今度は前半のしつこさが顔を出すかもしれない。
『まったく、どうしようもないレフェリーね……! わたしたちがなにをしたって言うのよ! 相手のレベルも問題だわっ!』
『落ち着けシルヴィア、通じなくても滅多なこと言うな。悪気は無いんだよ、ただ本当に、普通に下手クソだってだけで……』
「誰も分かんないからってバレンシア語で愚痴るハルさんマジ悪人っす」
「うるせえ」
瑞希相手には反発するが、内心かなり苛付いている。まさか審判と相手の実力にこっちの意味で悩まされるなんて、想像もしていなかった。
これも新設大会、男女ミックスという特異な状況がもたらす弊害というわけか。しゃらくせえ。余計なこと考えさせんじゃねえよ……。
「少しはマシになったか……?」
「まだ分からないさ……お前、よく前半抑えられたな。あの主審いったいどうなってんだよ。監督の私にも初っ端からタメ口の喧嘩腰だったぞ」
「まぁその辺にしとけって……」
試合再開。痛みの引いた真琴をはじめ、面子は再びセカンドセットへ。ミクルはともかく、有希の起用はもう難しそうだな……シンプルに危なすぎる。
文香のロングシュートが枠を逸れ、相手のゴールクリアランスでリスタート。
後半始まってからロクにチャンスの無い葉山中央、ここでゴレイロがパントキック。ロングボール主体の攻めに切り替えたか。
「グゥっ……!?」
「真琴!!」
自陣で同じ8番の吉岡と激しく競り合った真琴。と言っても、パスの精度が悪く真琴が構えていたところに、吉岡が無理やり飛び込んだ形だ。
ガチンッ、と鈍い音が響いた。どうやら真琴の肩と接触したか……あ、危な過ぎる。ちょっとズレたら頭と頭でぶつかっていたぞ……!
「アー痛ったぁぁーー……ッ! あー、ごめんごめん、そっち大丈夫?」
「ったたたた……まぁ、一応は……」
頭を抑える吉岡。どうやら傷んだのはあっちの方だったか……これもこれで心配だな。脳震盪を起こしてやいないだろうか。
当然ながらこれはファールの判定。このような無理のあるプレーが続いているせいで、スタンドからも不安げな声が度々聞こえるほどだ。
「――ファール! 山嵜8番! プッシング!」
「……はぁぁぁぁーーッ!?」
ベンチ・スタンド両方からどよめきと怒りの声が。当事者の真琴も珍しく大声を挙げるほどだ。
意味が分からない。ホールディングって、真琴は吉岡に対し一度もプレーしていないし、飛び込んできたのは向こうなのに!
「おいおいレフェリー! さっきの話は無視か!? ちょっとは真面目にやってくれよ!! それとも目ェ付いてねえのかァ!?」
流石の峯岸も熱くなりベンチから飛び出して行く。だが例の主審、今し方の態度が不服だったのか。左胸へ手を伸ばし……。
「警告だ! 提案は受け入れるがそれは過剰な介入だぞ!」
「なっ……あ、あの野郎……ッ!!」
「アホ落ち着けって!?」
「駄目です先生っ、それ以上は!?」
山嵜フットサル部史上初めてのイエローカードは、まさかまさかの峯岸監督であった。青筋を立て震える彼女を、俺と愛莉で必死に抑え込む。
どうやら峯岸の懸念も的中か。あくまで『冷静にジャッジして欲しい』という提案が、彼には不信感を持っているように映ったらしい。先の話し合いが完全に裏目へ出てしまったな……。
「聖来、アイシング! 急げ!」
「へ、へえっ!?」
「おいアンタらも!! 頭や頭!! 何かあってからや遅いんやぞッ!!」
聖来は大慌てで救急バッグ片手にコートへ。俺が指を差し怒声を飛ばすと、葉山中央のベンチメンバーも急いで駆け出した。脳震盪は本当に怖い、なにをチンタラやっているんだまったく……!
「クソがッ……! 下手なだけならまだしも、最低限のコントロールすら出来ねえのかよ……!」
「ハルトも落ち着いてって……! 大丈夫、真琴は大丈夫だから! ほらっ!」
愛莉が指し示す。聖来の手当てを受ける真琴は、右手を掲げて『自分はヘーキ』とグーサインを送っていた。
対する吉岡も大事には至らなかったようだ。主審がチェックを行っているが、特に問題はない様子。ああ、良かった……。
「……すまん。私としたことが……ッ」
一方、ベンチに座り激しく落ち込んでいる峯岸。彼女にしては珍しく取り乱していたが、それも真琴をはじめみんなを想ってのことだ。咎めるわけにはいかない。監督に累積停止も無いだろうし。
実のところ、あまりに新鮮な顔をしているもので、眺めているうちに怒りも少しずつ引いてしまったのだ。隣に座り彼女の肩を叩く。
「気にすんなよっ……あんなん誰やって怒るに決まっとる。アンタは悪くねえ」
「そこでカードなんて貰っちまうのが私の甘さだよ……はぁぁぁぁ、最悪だ……次の試合に影響出ないでくれよ……ッ!」
思っていた以上にかなり落ち込んでいる。ほ、本当に珍しいな……ちょっと可愛いとか一瞬考えたのは、墓場まで持って行こう。うむ。
「ありがとな、峯岸」
「……あぁっ?」
「なにが『俺のプレーを見たい』だよ。ここまで本気になって怒ってくれるのに、嬉しくないわけねえやろ。アンタが言ってくれなきゃ俺が代わりに退場するところや……サンキューな」
「そうですよ先生っ……真琴のために怒ってくれて、ありがとうございます。一緒に戦ってくれて、すっごく嬉しいです」
愛莉も肩を撫で優しく語り掛ける。意外そうに俺たちを見つめる彼女だが、暫くするとフッと息を漏らし、お馴染みのニヒルな笑みが戻って来た。
「……よりによってお前ら二人に窘められるとな。嫌でも切り替えねえといけねえから、大変だわ」
「おい、皮肉飛ばしとる場合か」
「分かってる分かってる…………すまん、助かった。気ィ取り直すわ」
立ち上がりジャージの襟を直す。良かった、引き摺らないで済みそうだ。そうそう、お前には常に余裕たっぷりの顔でいて貰わないと。
二人の治療も終わり再開。
遺憾ながら葉山中央のフリーキックだが……。
「――ふぬっ!!」
瀬川の強烈なシュートは壁をすり抜ける。しかしここでようやく、我らが頼れる守護神の出番がやって来た。右手一本でボールを掻き出してみせる。
「うわっこれもダメなの!?」
「市川さん、セカンドボールです!」
「はいはいはいはいはいはーーい!!」
渾身の一発を止められ動揺する瀬川とは対照的に、倒れながらもノノへ指示を飛ばす琴音。こんなところにも意識の差は現れる。
サイドを一人でグングン駆け上がるノノ。急転直下のカウンターに葉山中央の足並みは揃わないまま。逆サイドにはゴールデンコンビの片割れが。
「ノノ! コッチ!!」
「頼みますよぉーっ!!」
右脚を振り抜きアーリークロス。これをシルヴィア、走りながら巧みに胸トラップしてみせた。そして!
「フミカ!」
「――ここやぁっ!!」
飛び出たゴレイロを嘲笑うかのようなループショット。だがこれはシュートではない。同じく走り込んでいた文香へのラストパスだ。
やや難しい体勢ながら、文香は果敢にもコートを蹴り出し高く飛び上がった。
勢いのまま振り下ろした左脚は、無回転のボールにジャストミート!
「だらっしゃああああ!!!! ふみふみ伝説の始まりじゃああああい!!」
「意味分からんないすけどナイスです世良さん!」
「ヨウヤッタデ、フミカ!」
(すっご……デモやっぱ、馬鹿みたいなゴールしか決めないなこの人……)
会心のボレーが突き刺さった。
これで6-0。ここまで来れば安全圏だ。
お得意のダイナミックなプレーにスタンドも湧き上がる。観客の掲げるスマホへ謎のパフォーマンスを披露し、終始ご満悦の世良タヌキであった。
「ったく、すげえやっちゃ……なあ見ろよ峯岸。これが俺とアンタと、みんなで作り上げたチームや。全員でファイトして、もぎ取った一点だよ」
「…………フッ。あぁ、そうみたいだな」
えくぼには安堵と笑みが広がる。
心配無さそうだな。最初からしてなかったけど。
そうだよ、峯岸。生徒も先生も関係ない。全員で戦って、互いに高みを目指し藻掻くチーム。それが山嵜フットサル部だ。
負けないさ。負けるものか。たかが理不尽な仕打ち一つで、俺たちを惑わせられると思うな。フットボールの神に嫌われたって構いやしない……!
【後半05分59秒 世良文香
山嵜高校6-0葉山中央高校】
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