947. 勝利の歌を


 コートの出入り口へ向かう。サッカー場みたいにメインスタンド側の真ん中から入場する形でなく普通の体育館と同様、一方から入れる構造だ。


 公式戦とは言えまだまだ予選のグループリーグ、それも初戦。良いアリーナではあるが、これまで味わって来たスタジアムの高揚や臨場感と比べれば物足りないか、と勝手に高を括っていた節はあった。



「……っ」


 思わず息を呑んだ。開けた視界の先に映る広大なコート。青を基調としたスタンドは空席も目立つが三割ほど埋まっている。ほとんどが参加校の選手。


 第二試合の応援をしている両校の生徒の姿もある。通路を通ってやって来た子どもの大群は、もしかしてファビアンたちだろうか。


 いや、どこに誰がいるかなんてどうでも良くて。

 隣で立ち止まる愛莉も、同じことを考えている。



「……スタンド、高いわね」

「あぁ……こんなに広いんやな」


 目の錯覚だろうか。サイズ自体は山嵜や八中の体育館とさほど変わらないし、プレー経験のある川崎英稜のアリーナの方が大きかった。人の数は比較にもならないのだから、むしろ狭く感じる筈なのに。


 不思議だ。左胸の隙間を無理やりこじ開けられているような。そして、得体のしれない何かがそこへ入り込もうとしている、そんなむず痒い感覚。



「おーい、なにボサッとしてんだお前らー。十分しかねえんだぞー!」


 峯岸に呼び掛けられ、俺たちは慌てて駆け出した。そうだ、呆気に取られている場合じゃない。

 ハーフタイムはコートの感触やフィーリングを確かめる数少ない機会。一秒も無駄に出来ない。


 琴音と慧ちゃんがゴールマウスに立ち、早速シュート練習が始まる。俺の番が回って来て、峯岸が落としたボールを左脚ダイレクトで振り抜く。


 低い弾道でネットへと突き刺さる。

 良し、フィーリングも悪くない。


 大丈夫だ、緊張なんてしていない。このフワフワした感覚はきっと、久しぶりの公式戦で昂っているだけ。まさかビビっているわけ……。



「おい、アイツさ……」

「あの高校、男子一人だけなんだね~」

「あー、そうじゃなくてよ……」

「見覚え……あるよな?」

「いやいや、そんなわけが……」


 スタンドがにわかにざわつき始めた。他校の選手たちだ。どちらかと言うと男子の方が煩い。どうやら俺の存在に気付き始めたか。


 注目が集まろうと関係無い。全国へ行くまでもなくいつかはバレるんだ。俺は俺のプレーをするだけ、他にやることなど……。



「ニャーーーー゛!! 決まらんッ!!」

「ああ、もうっ!」

「あれぇ~……?」


 上から文香、真琴、そして比奈だ。続けざまに浮かしてしまい、ゴールポスト遥か頭上を抜けて行った。


 シュート練習は止めどなく続く。俺と愛莉は順調だ、すべて決めている。一方、みんなの様子がおかしいことにここでようやく気付いた。



「な、中々飛んできませんね……」

「気合入りすぎっスかね~?」


 交代で守るゴレイロの二人は顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げた。


 そう、シュートが枠へ飛ばないのだ。

 普段の練習の半分も決まっていない。


 だいたいバーの上を越えることが多い。調子が良さそうのはミクルくらいで、あとは悉く外してしまっている……みんな、どうしちゃったんだ? さっきまであんなに良い雰囲気だったのに。



(呑まれとるのか……?)


 他に原因は考えられない。よくよく考えれば、俺が今まで『緊張していない』などと自問自答するようなことが一度でもあったか? 無かっただろう。そうだ、俺でさえこうなるのに。



「……ストップ!」


 あまりの惨状に峯岸はついぞホイッスルを鳴らす。シュートを撃ち掛けていた瑞希は慌ててトラップし、器用にボールを拾い上げ言った。



「なに!! 時間無いんじゃないの!?」

「落ち着け金澤。脚、震えてるぜ」

「えっ……うそ、マジでっ?」

「お前らも。五分前の方が動き良かったんじゃねえか? ちょっと身体解せよ、硬くなってっから」


 おっかなびっくりといった様子で地面を見下ろす瑞希。確かに若干だが、膝が小刻みにプルプル震えているようにも見えた。おいおい、無自覚とは言えあの瑞希すらこうなるのかよ。


 他の面々も釣られて足腰の柔軟を始める。これじゃあ騒がしくアップをしている葉山中央の方がリラックス出来ているかも分からないな……。



「すっかり忘れてたよ。お待ちかねの公式戦だってのに、挨拶も無しにアップ始めちまったわ」

「挨拶?」

「もう来てるぞ。サポーター」


 峯岸に連れられゾロゾロとアリーナの麓へ移動。

 まずは葉山中央の応援に来ている生徒たちへ。



「長瀬、号令。部長だろ」

「あっ……は、はい! よろしくお願いします!」


 一礼と共に惜しみない拍手が木霊し、今度は反対サイドへ。いつの間にか見慣れた顔が揃っている。それも大勢だ。



「ヒローー!! ガンバレヨーー!」

「ファビアン、やっぱりお前やったか」

「ミテコレ! チッチャイハタ! ツクッタ!」

「へぇ、校章を……上手いもんやな」


 コートからアリーナへの高さは一メートルにも満たない。まだ前試合の観客が前方にいるので後部座席に固まっているが、お喋り自体は簡単だ。


 ファビアンは交流センターの仲間と、同じ小学校の友達と思わしき子を何人も連れて来ていた。総勢二十人ほどか。



「慧ーーーー゛ッッ!! 絶対ハットトリック決めろよーーーーッッ゛!!」

「だからっ、アタシはゴレイロだってずっと言ってるでしょーが!!」

「先輩の足引っ張んじゃねーぞォ! しっかりオフサイドをボランチしてジーコだからなァ!!」

「知ってる単語テキトーに言うなッ!!」


 そして予告通り、慧ちゃんパパを中心とした父兄の応援団だ。先日はいなかった長瀬姉妹の母、愛華さんも来ている。


 山嵜の生徒もチラホラ。併せて五十人は下らない大所帯だ。こんなにサポーターを連れている高校は他にいない。



「き、気付かなかった……いつの間に?」

「頑張って真琴! 有希ちゃんも! 愛莉、廣瀬くん、いっぱいゴール決めてね!」

「はいっ! 頑張りますっ!」


 愛莉の号令で一礼。割れんばかりの拍手と歓声に包まれ、再びコートへと戻る俺たち。最中、峯岸は背中越しにこんなことを話すのであった。



「どうよ。緊張は解れたか?」

「いやはや……逆にプレッシャーっすよアレ」

「んだよ、だらしねえな。みんな楽しみにしてんのに、ガッカリさせんなよ?」

「……楽しみ、ですか?」


 素直に喜んでいるのは有希や慧ちゃんをはじめ少数。困り顔のノノを筆頭に、みんなどう応えて良いものか困惑しているくらいだ。これでは逆効果なのでは、と口を開く前に、峯岸はこう切り出す。



「すまん、私も悪かった。下手に相手の話とかするんじゃなかったな。完全にアレだわ。勝手に自滅するパターンだった」

「先生?」

「フッ。今は監督と呼べ倉畑……良いかよく聞けお前ら。確かにリラックスするのは大切さね。いつも通り、普段の練習と同じ……そのマインドも忘れちゃいけない。本来の自分を見失ったら元も子もないからな」


 やたら自信たっぷりに語るもので、みんなすっかり聞き入っていた。鳴り止まない子どもたちの声援を背に、彼女は更に続ける。



「が、しかし。適度なプレッシャーも大切なんだよ。サブアリーナから移動して、実際にコートへ立ったとき……何か感じなかったか? 金澤」

「……うん。ちょっと。なんか、メッチャ気合入ってたのに、ゴッソリ持ってかれる感じしたかも」

「倉畑は?」

「わたしは……やっぱり普段の練習とは、雰囲気がちょっと違うなあって」

「そう。公式戦なんだよ。いつもと同じ心構えじゃ何か違和感があったり不測の事態が起こったとき、脳が正常に働かなくなる。そういう小さな取っ掛かりが重なって、大きな穴になるんだ」


 チームに突如蔓延り始めた悪い空気を、峯岸は機敏に感じ取っていたようだ。俺も心当たりがある。恐らくその原因と責任は、自分たちに無いもの。



「このアリーナを包んでいる摩訶不思議な空気……ズバリ、重圧さね。他の連中が知っていて、お前たちが知らないもの。なーんだ?」

「……公式戦の経験、ですね」

「正解、楠美。だから無自覚のうちに呑まれそうになっている。さて、そんなお前たちに監督が魔法を掛けてやろう…………スタンド、もっかい見てみな」


 揃って振り返る俺たち。まだ前試合のハーフタイムだというのに、気の早いファビアンたちは練習して来たというチャントを歌い始めた。


 どこかで聴いたことがあるメロディーだ。子どもたちの力強い歌声が、アリーナのあちこちへ響き渡る。



『Bianco verde ale~! Bianco verde ale~! Bianco, bianco, bianco!! Bianco verde ale‼』



 目立ちの良い大旗も無ければスネアドラムのリズミングも無い、少し気の抜けた拙いチャント。

 日本語の不慣れなファビアンが音頭を取っているから、スペイン語の歌詞をそのまま流用したのだろう。発音も音程も中々に酷い。


 でも、子どもたちは楽しそうに歌っている。肩を組み飛び跳ねている姿は、まるでプロチームのウルトラスのよう。



「ビアンコ、ヴェルデ……瑞希、どういう意味?」

「白と緑。あたしらのユニフォームカラーだよ…………へー、カッコいいじゃん!」

「ポパイじゃないですか! 懐かし~!」

『まあ素敵! やるじゃないファビアン!』


 熱烈なサポーターだった幼少期の思い出が蘇るのか、ノノとシルヴィア、瑞希はニコニコ笑いながらスタンドを眺めている。

 呆気に取られていた愛莉もやがて、重荷が外れたみたいに自然と笑顔を溢した。みんなも似たようなものだ。



「アイツらの望みは精々一つか二つ。お前たちの勝利。そして、素晴らしいプレーを魅せて欲しい。それだけさね……出来るよな? 勿論」

「にゃふふっ。よーするにセンセー。プレッシャーも力に変えろっちゅう話やろ?」

「だいたいな。いつも通りのお前らなんて誰も期待しちゃいないさ…………120パーセント、出せよ。足りない分はスタンドから貰え」


 文香の頭を乱暴に撫でて、少しだけ俺へ目配せ。するとすぐに運営スタッフがやって来て、ハーフタイムが終わるから撤収するよう通達があった。結局、シュート練習はあまり出来なかったな。


 まぁでも、もっと良い収穫があったか。

 こんなの見せられちゃな。

 もう言い訳出来ねえよ。



(いつも通りやない、いつも以上に……)


 どう足掻いたって普段とは違う。それは受け入れるべきだ。だったら受け入れた上で、更に良いものを目指すしかない。


 忘れていたな。練習で出来ないことは試合じゃ出来ない……でも、試合でしか出来ないこと、味わない興奮って、どうしてもあって。

 そんな曖昧で不確定な、フットボールという歪な世界に。俺はいつの間にか魅了されてしまった。


 それと同じくらい、不思議な世界を愛し抜いて。ここまで走って来た。そして今日このコートへ、チームへ辿り着いたんだ。


 

 良いだろう。やってやるよ。


 予選グループ? 初戦? 関係無いね。

 なにもかも曝け出して、魅せ尽くしてやる。


 そして、あの素晴らしいサポーターたちと。必ず勝利の歌を歌ってみせる。


 これから一か月半、何度だって――。


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