914. 好きなように遊ぶのが良いと思います


 皆が近所の銭湯へ向かうなか、俺は『バイト先に呼び出された』琴音は『両親と話がある』と尤もらしい理由を付けその場を離れる。

 日頃稼いでいた信頼度の賜物かはともかく、誰に疑われることも無かった。


 てっきり俺の家に来るのかと思ったらそうではないようだ。なんでも『準備がある』らしく、指定した時間に上大塚駅へ来るよう指示があった。


 一旦帰宅し余所行きの格好に着替えてから電車へ乗り込む。なんてことないように言うが、あれだけ走ったあとに出掛けるのは辛い。服を着る・脱ぐの動作だけで腕がバキバキ鳴っている。超キツイ。



(取りあえず持っては来たけど……)


 手ぶらでも構わないとは言っていたが、念のため拵えておいた誕生日プレゼントと着替え一式だけは用意してある。


 後者に関しては本当に念のためだった。仮に夜遅くまで時間が掛かるとして、それを行うなら俺の家である方が明らかに都合が良いからだ。


 明後日の誕生日とまったくの無関係ではないと思われるが……はてさて、いったい何に付き合わせるつもりなのだろう。

 またドゲザねこのコラボカフェでもオープンしたとか。だったら行きたくないな。ギリギリ。



「お待たせ……なんで制服?」


 改札を抜けてすぐ目の前の柱に寄り掛かり、琴音は待っていた。わざわざ練習着から着替えたようだ。土日を控えたこのタイミングで。謎。



「で、なにすんの?」

「……着いて来てください」


 スマホをしまい早足でツカツカと歩き出す。差し出した手はスルーされた。駅ビルでのんびりデート……ではなさそう。


 疲労によるものか、足取りはぷるぷると震えている。生まれたての小鹿みたいだ。可愛い。


 構内を抜け住宅地を進む。覚えがあった。楠美家へ真っ直ぐ繋がるルートだ。



「なあ、まさかご両親と……」

「二人とも出張です。誰も居ません」

「あれ?」


 楠美家を目指すと分かった時点で『家族と一緒に誕生日を祝って欲しい』的な微笑ましいお誘いなのだろうと高を括っていたのだが、当てが外れる。


 両親不在? だったら尚更だ。二人きりになるならわざわざこっちに来なくても良いのに。ますます意図が読めなくなる。



 会話も無く早足で歩いたせいか、思ったよりずっと早く到着した。相変わらず生活感の無いモデルルームみたいなリビング。


 でも、食洗器に入れっぱなしのコップと皿が幾つか重なっていて、ちゃんと一緒にご飯食べてるんだな、と一人しんみり。



「……少し待っていてください。ラインを送るので、それまで絶対にドアを開けないように……良いですねっ?」

「全然教えてくれへんやん」

「とにかく、大人しくしていてください……!」


 二階へ上がるや否や待機命令。半開きのドアからひょっこり顔を出し、勢いのままにバタンと閉める。この光景、春休みにも見たな。



(え、ホンマに分からん。なに?)


 何度も言うように、二人きりになるなら楠美家でも琴音の部屋である必要も無いのだ。

 がしたいのだとしても、それこそ俺の部屋が一番適している。ベッド広いし。


 もっと分からないのが、わざわざ制服に着替え直している点。いやまぁ、彼女の生脚は毎時毎秒見ていたって飽きやしないので、それ自体は別に構わないのだが。


 ……しかし長いな。まだ掛かるのか。



「んっ」


 ようやく通知が来た。御用達の使い道が分からないドゲザねこのスタンプだ。つまり、入って来いと。だったら文面で送れよ。分かり辛いな。


 まぁ、良いか。この期に及んで真面目な別れ話というわけでもなさそうだし、素直に渾身のサプライズを待ち焦がれるとしよう。

 そもそも世間一般の括りから見て、付き合っていると言えるのかは甚だ疑問だが。



「お邪魔しまー…………え?」

「いっ……いらっしゃい、ませ……っ!!」



 絶句。



 以前と変わり映えしない殺風景な部屋。片隅のベッドにちょこんと座り、琴音は待っていた。ネコミミを着けて。



 ネコミミを着けて。



「ちょっ……!? え、エッ!? なに!?」

「どっ、どうぞこちらへ……っ!」


 リンゴを食べ過ぎたとしてもあんなに真っ赤にはならないだろう。ほぼ涙目だ。長い待機時間から察するに、相当の覚悟を要したと考えられる。


 馬鹿丁寧な敬語は今に始まったことではないが、いつも少しニュアンスが違う。


 接客だ。

 俺に対して接客をしている……何故!?



「待て待て待て、ストップ、一旦ストップ!!」

「えっと……よっ、48時間コースのお客様で、おっ、お間違いありませ……」

「コース!? なんの!? 長いなッ!?」


 ワケが分からない。そもそも予約をしていない。

 何かの業態を模しているのか……?



「聞きたいことは山ほどあるッ! まずネコミミ! どこで仕入れた!?」

「……比奈に貰いました」


 思い出した。ハロウィンのときに着けていたネコミミだ。まさかあれからレイさんのお店に返していないのか……? 或いは買い取ったのか?


 それはともかく、この摩訶不思議な空間をハッキリと定義して貰わなければ……あー、でも、ちょっと分かって来ちゃった……。



「……良いだろう。まずはやりたいようにやらせてやる。どうせ比奈の入れ知恵や…………あー、すいません。自分、初めてなんですけど」

「はい」

「どういうお店なんですか?」

「…………じぇーけーりふれ? です」

「よし、許さんッ!!」


 確信した。絶対に比奈だ。来週ブッ飛ばす。


「ただのじぇーけーりふれ、では、ありません。陽翔さんを癒すために、この週末限定でオープンした……特別なお店です。従業員は私しかいません」


 手元のスマホを見ながら棒読み。

 めちゃくちゃカンペしてる。



「お前、意味分かって言ってんのか……?」

「もちろんです。オーナーから一通りの、説明は、受けました。保科さんのご実家と同じようなもの」

「余計な知識植え付けやがって……ッ」


 カンペを読み過ぎてカタコトの外国人みたいになっている。無駄にリアリティーがあって怖い。

 いや、行ったことないけど。分からないけれども。でも分かるよ。リフレと療院は全然違うよ。一緒にするな可哀そうに。



 謎はすべて解けた。この一週間における不可解な言動の最終目的地がこれ。よりによって最後に比奈へ相談したのが運の尽き。


 俺の理性をブチ壊すとっておきの秘策というわけだ。クソ真面目優等生・楠美琴音×制服×ネコミミ。可能な限りのいかがわしさを演出する完璧な組み合わせ。やられた。ちょっと好きだ。



「オーナーから、伝言があります」

「ほう。聞いてやらんこともない……」

「『わたしも詳しくないから、陽翔くんの好きなように遊ぶのが良いと思います』……だ、そうです」

「なんて余計な気遣いを」


 良かった。実体験に基づいたレクチャーじゃなくて本当に良かった。でも怒る。来週絶対に怒る。マジで許さん。


 ここからはカンペが無いようだ。スマホをしまいベッドに座り直すと、何をどうしたものかとあちこちキョロキョロ。

 すると何か発見したのか、机に置いてあった細長い包みを持ってこちらへ寄って来た。あれは確か、昨日慧ちゃんパパに貰った……。



「飲んでください。恐らく栄養ドリンクかと」

「ボトルサービス……? まぁええけど…………んっ、二本入っとるな。ついでに琴音も飲むか?」

「では、せっかくなので」


 海外からの輸入品のようだ。でも読めない。語学力だけは自信のある俺が読めないって、いったいどこの国から取り寄せたんだ。


 まぁ慧ちゃんパパのお墨付きだし、身体に悪いことは無いだろう。蓋を開け一緒に飲んでみる……うむ、苦い。物凄く不味い。栄養素しか入ってない感じ。



「うえぇっ……」

「全部はよした方がええな……じゃあ、始めるか」

「そ、そうですね……よく分かりませんが」

「だと思ったわ。ったく、やりやがったな比奈…………あー、なら取りあえずさ、マッサージとかどうや? あんだけ走って疲れとるやろ」


 好きなように遊べ。つまり俺がやりたいようにやれば良いわけだ。

 ならこうするしかない。至って普通のマッサージであれば変な雰囲気にもならないだろう。



「陽翔さんがするんですか?」

「お互いに。俺もマッサージは詳しくないし、その辺はまぁ適当で」

「……分かりました。では、最初は私にやらせてください。保科さんに少しだけ教わったことがあるんです」


 ようやく場が落ち着いた。落ち着いたなんてことは無いのだが、落ち着いた。こう、相対的に。


 謎にピョコピョコ動くネコミミをゆらゆらさせながら、こちらへどうぞとベッドをポンポン叩く。ただのマッサージにしては絵面が危なすぎるぞ……。


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