913. 根性


 翌金曜日は久々に晴れ間が広まり、折り畳み傘を持って行く必要も無かった。毎週恒例の脳筋デーに相応しい恰好のコンディションだ。



「が゛ああああ嗚呼アアァァァ゛ァ゛ーー!! 死ぬウウゥゥ嗚呼ァァァァ゛ーー!!」

「泣き言ゆーなチビ助ェ! こっからだっつうの!」

『はぁっ、はぁっ……す、すごいミズキ、泣きながら笑っているわ……!?』


 今日のフィジカルトレーニングはいつもと一味違う。瑞希とノノの提案で、最寄駅から歩いて数十分の海浜公園で行うことになったのだ。夏祭りで有希と一緒に訪れた場所でもある。


 仕上げは100メートル×30本の短距離ダッシュ。死屍累々と称すに相応しい地獄絵図が広がっていた。みんな走り抜けると同時に砂浜へ倒れ込む。


 まともに立って構えているのは俺とノノ、愛莉、慧ちゃんくらい。かく言う自分もそろそろキツくなって来た頃だ。



「止まるなッ! しっかりしろ慧ちゃん!」

「ひいいいい~~~~ッ!? ふくらはぎが総辞職しちゃうっスよぉぉ~~!!」

「余裕そうやな! もうワンセット行くか!」

「だわァァ!? 嘘ウソ冗談っスからぁぁ!?」


 メニュー自体はいつものフィジカルトレーニングとさほど変わらない。が、みんな気付いて来た。砂浜で走ることがどれだけ辛いのか。


 平場よりも『脚を上げて走る』ことを意識しなければならないので、単純なランでも自然と疲労は溜まっていく。明日は全員筋肉痛だろう。



 無論、ただ負荷を強めて皆を泣かせることだけが目的ではない。普段のプレーにもにも大きく影響をもたらすものだ。


 砂浜で素早く動くので、強制的に脚の回転を上げる必要がある。これはそのままプレーのスピード感へ直結する。

 フットサルのようなハイテンポのスポーツにおいては、プレースピードの平均値は高ければ高いほど優位に働くから。


 一度限界を知る。可能な限り脚の重い状態を覚えておくのだ。そうすることで、いつもの練習や実際のゲームで『あれ? なんだか身体が軽い!』という感覚が増え、自然と動きが良くなるというわけ。



 過度な無理は厳禁だが、ここで追い込めば追い込むほどリターンも大きい。要するに『今日くらい気張って走りまくれ』という話。


 が、残り十本を切ったところで流石にかなりダレて来た。峯岸がホイッスルを鳴らすが、全力ダッシュを維持しているのは俺だけ。みんなヒョロヒョロの足取りで、歩くだけでも精一杯。


 一足先に到着し、心を鬼にして怒声を飛ばす。普段は甘々の彼氏や兄貴でも、練習中だけはそうもいかないのだ。



「脚止めるなッッ!! 痛めとるわけちゃうやろッ! 辛いだけならまだ走れるッ! 妥協すんな!!」

「分かってる、分かってるケド兄さん……ッ!」

「分かってねえ! お前が引っ張るんだよ真琴! 一度くらい俺に勝ってみろクソ雑魚がッ!!」

「……ぁぁァァああ嗚呼アアア゛アァァー゛ーッッ!! クッソオオォォォ!!」


 綺麗な顔は汗と涙でとっくにグシャグシャ。それでも死に物狂いで着いて来る。既に消化したビーチフラッグさながらにラインへ飛び込んで来た。



「えっ……琴音っ!?」


 一着オレ、二着が真琴。そして三着は、なんと琴音だった。息を整えるのも覚束ず、ラインを越えるや否やすってんころりん。だが、すぐに立ち上がった。


 部で一番体力が無いのが琴音だ。長距離ランで有希と最下位を争っている姿も記憶に新しいが……。



「はぁ、ふぁあ、ハアぁぁ……っ!!」

「す、すげえ……マジかよお前……ッ!」

「……ど、どうですかっ……これでも春から、時間があるときにちゃんと走っているんです……っ! ゴレイロにも体力は必要でしょう……!」


 纏めたポニーテールを何度も振り乱し、呼吸を揃えようと必死に藻掻いている。とっくに体力の限界は超えているだろうに、なんという根性。



「おいっ、みんな見たか!? 琴音がここまでやっとるんやぞッ! 負けっぱなしで悔しくねえのか!! あと八本やぞ、死ぬ気でやろうぜッ!!」


 晴れ間を切り裂くような絶叫に、皆も声は出ずとも頭を振って応える。すぐにホイッスルが響き渡った。先のダラダラした数本とは明らかに違う。



「やります、やってみせますっ! ぜっ……ったい負けませんからああああ!!!!」

「ええで、ええで有希ッ! その意気や!」

「ふぉりゃああ嗚呼嗚呼アアアアーーッッ!!」

「だわあああああああああ!!!!」

「わああああーーーーッ!!」

「マケヘンデエエエエェェーー!!」

「これがICHIGEIの底力じゃああアア!!!!」

「ニャアアアア嗚呼アアァァーーーーッッ!!」

「我がペガサスだああああアアアア!!!!」

「一年に負けてられるかぁぁぁぁーーっ!!」

「ううぉっ、急に速ッ!?」


 各々思い思いの奇声を上げラインを目指す。もう誰が誰だか分からない。でも凄い、ここに来てみんな横一線。


 琴音の頑張りを見て、更にもう一段階ギアが上がった。彼女のひたむきな姿が、チームを押し上げてくれている……!



「サンキュー琴音! あと七本、やり切ろうな!」

「……はいっ!!」


 無理やりにもほどがある笑顔はホイッスルと共に消えてしまった。

 肌寒さなど欠片も残っていない六月の海浜公園に、再び割れんばかりの奇声が飛び交う。






「燃え尽きたな……」

「明日明後日は完全オフやしな。これくらいがちょうどええやろ……悪い、手ェ貸してくれ。攣った」

「よくやるぜ。少しは力抜けよ」

「こういうときくらい男の俺がやらへんとな……ア゛ァ゛~~キッツぅ~……」


 砂浜の新たな漂流物と化した十二人プラス死に掛けのオレ。ピンピンに張った右脚を掴み、峯岸は呆れ顔で呟いた。



「ん、あんがとさん……さて、どうしたものか。これやと溺れちまいそうやな」

「溺れる?」

「明後日、琴音の誕生日やねん。比奈も一週間後。水ぶっ掛けて海にブン投げよう思て、瑞希とノノで打ち合わせしとってよ」

「溺死待ったなしだな。間違いなく」

「うむ。やめておこう」


 練習後に軽く遊ばせてやろうとは思っていたのだが、この調子では流石に無理があろう。大人しくクールダウンしてさっさと帰るのが吉だ。



「ったく、仕方ねえな……なあ、銭湯ってこっから歩いて行ける距離だっけ?」

「駅前の? まぁまぁ近いで」

「おーい、偉大なる綾乃ちゃんの奢りで風呂とサウナ入りたい奴はいるか~。〆のラーメンも受け付けるぞ~」

「お風呂っ!? サウナッ!?」

「ラーメン! ムサボル!!」


 即座に反応した慧ちゃんとルビーを筆頭に、みんな少しずつ元気を取り戻し始める。なんて現金な奴らだ。途中から普通に寝てやがったなアイツら。


 さっさと足伸ばして用具片付けろ、と峯岸の号令も待たずキビキビ動き出した。疲労とメンタルの回復には持って来いか。俺も付き合うとしよう。



 すると。片付けを始めた皆を見て、比奈と文香がそさくさと琴音の元へと歩み寄った。何やらヒソヒソと内緒話に花を咲かせている。


 それが終わると琴音、二人に背中を押されこちらへとやって来た。一瞬だけ俺に目配せし、峯岸へ声を掛ける。



「結局全員かよ……金足りっかな」

「あの、先生。私と陽翔さんは用事があるので、ここで失礼します。その分保科さんにいっぱい食べさせてあげてください」

(えっ?)


 突然のご指名に面食らう俺を、琴音は手を引いて皆から少し離れたところへと連れ出した。無論、用事もなにも無ければ約束もしていない。



「なに、どした?」

「……少し付き合ってください。明日明後日は練習も休みでしょう」

「まぁせやけど……誕生日なら忘れてへんで」


 二人の誕生日パーティーは来週の土曜に合同で開催する予定。日の近い奴が多いのでここ最近はお決まりのパターンだ。

 だが様子を見るに、個人的なパーティーの開催を強請っているようにも見えない。


 ……ちょっと待て。


 今日の夜だけならともかく、明日明後日の予定を確認する必要はあるのか?

 それ、土日の間ずっと付き合えって言っているようなものじゃ……。



「とにかく、良いですねっ」

「……お、おん。分かった」


 ぎこちない了承を取り付け、再び比奈と文香の元へ戻っていく彼女。い、いったいなんだ。また何か画策しているのか……?


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