912. ブーメラン
「ほんで血相変えて飛び出て来たっちゅうわけな」
「すみません。ご迷惑お掛けします……」
「泊まるのはええねんけどな。姉御も似たようなモンやし。で、なんやねんあーりんのおっかない進路て。ウチにも見してえな」
「あれれ~? 文香ちゃ~ん、また陽翔くんが動かなくなっちゃったよ~!」
「せやからキャラメイク凝りすぎやっちゅうに」
深夜突然の来訪にも関わらず、文香さんはさほど驚いた様子も無しに、快く私を受け入れてくれました。
最新型のゲームに没頭する比奈の相手よりはマシなのでしょう。ぶいあーる、という機種らしいです。詳しくは分かりません。
文香さんしかこの機種を持っていないので、暇を見ては遊びに来ているのだとか。
「あれ、琴音ちゃん? 来てたの?」
「ついさっきです……私の誘いは断るのに、文香さんとは遊ぶんですね」
「えぇ~? だって琴音ちゃん、最近陽翔くんにベッタリなんだも~ん。だからわたしも画面のなかで陽翔くんと遊ぶの~」
機械を頭から外し、なんてことないいつも通りの笑顔で釈明します。
だからわたしも、以降の文脈はサッパリ分かり兼ねますが、当たらずも遠からずな彼女の指摘にこれといって反論も出来ない自分。
そう。比奈は私のために敢えて距離を置いているだけ。特に彼との関係においては、過剰な介入はせず適切な位置から見守ってくれている。
人として、女性として本当の意味で自立したいという私の意志を汲み取っているからこその立ち回り。彼女なりの優しさなのです。
早い話、そんな比奈の思いやりや長年培って来た無言の信頼さえ忘却してしまうほど、今の私は動揺していたのでした。
「は~ん、にゃ~るほど……そら焦って飛び出すのも無理無いわなぁ……」
「……これ、進路調査票だよね? 愛莉ちゃん、勇気あるなあ……」
「まぁ提出せんかっただけマシやろ……」
例の用紙を前に二人は顔を突き合わせます。呆れと微笑ましさを足し合わせたような、なんとも言えない引き攣った笑顔が印象的。
『第一志望:子ども欲しい』
『第二志望:お嫁さん』
『第三志望:専業主婦』
(どうして書く前に思い留まらなかったのですか、愛莉さん……ッ!)
文字はお世辞にも綺麗とは言えず、インクが所々擦れています。恐らく書き終わってから我に返り、必死に消そうと努力したのでしょう。
それでもどうしても消えなかったが為に、峯岸先生から二枚目の用紙を貰い再度提出した。こんなところでしょうか。
いったい誰を主人に見立てているのか……勿論、考えるまでもありません。当人はあれで、必死に好意を隠しているつもりのようですが。
特に修学旅行を過ぎてからは、何に対して意地を張っているのかまったく分からないほど。隙さえあれば目で追い掛け、一分に一度は彼の話題を出し、本人が現れるや否や露骨に頬を緩ませ。
度々瑞希さんが口にする『くすみん、よく見ててな。あれがメスだよ』という冗談に、私も黙って頷くばかりでした。もはや愛や恋慕などとうに通り越した、執念染みた何かさえ感じるほどです。
……まぁ、愛莉さんばかり責める資格は、私には無いでしょうけれど。直近の不可解な言動に際し、彼がなにも感じていないとは到底……。
「別に悪く言うつもりやないねんけどな……あーりん、はーくんと出逢ってまだ一年かそこらやろ? 普通こんなんなるか?」
「まぁ陽翔くんだからねえ」
「それが理由になってまうのが怖ろしいところやな……ったく、ウチにあんだけ言うといて、結局脳内真っピンクやないか」
「あはははっ。昔はそういうところ、もっと慎重な子だったんだけどねえ」
(比奈、それはブーメランというものでは……)
とは言え、流石にここまでとは予想外でした。進学や就職もせず、一日でも早く陽翔さんとの……こっ、子どもを望んでいるなんて……っ。
「で? ことちーは?」
「……はい?」
「焦ってこんなん持って来た言うことは……おんなじこと考えとるんやろ?」
「ふぇっ……!?」
淀みない一撃に思わず言葉が詰まる。やっぱりそうか、と言わんばかりに目を細め温いため息を漏らす文香さん。
「なっ、なんでそうなるんですかっ!? 私はそんなこと一言も……!」
「え? 違うの?」
「比奈ぁっ!?」
さも当たり前のことのように宣う。
ま、まさか比奈も……っ!?
「なんや。姉御も高卒でママさんか?」
「あはははっ。今すぐにってわけじゃないけどね、でも、ずーっと先の遠い未来の話でもないし……今のうちに考えておいて損は無いかなって」
「ウチにはピンと来うへんなぁ……」
「大丈夫だよ。初めてだってまだなんだもの、色んなこと段々分かって来て、夢とか理想とか、いっぱい湧き出て来るから……いつかは欲しいでしょ?」
「にゃはははっ……」
照れくさそうに唇を尖らせます。口ではああ言いますが、彼女も心の内では似たようなものを望んでいるのです。
するとどうでしょう。酷く動揺していたのが自分だけのように思えて来て、途端に居心地の悪さを覚えてしまいます。
私だけが彼との『将来』を真面目に考えていなかったのだと、そんな風に思えて来て……。
「琴音ちゃん。わたしたちしかいないんだから、正直に話そ? これくらいならアドバイスの範疇でしょ?」
葛藤にも満たぬ自己嫌悪。比奈は即座に見抜いてしまいます。隣までやって来ると、手を重ね穏やかな微笑と共にこう語り掛けました。
「ごめんね。みんなからちょっとずつ聞いてるんだ。お洒落とメイクの勉強をしたり、普段の練習も今まで以上に頑張ったり……もっと陽翔くんに見て貰いたくて、いっぱい努力してるんだよね」
「あっ……うぅ……っ」
「ちゃんと分かってる。いっつも見てるよ。誰に言われなくても、自発的に努力して……勉強以外のことにも興味を持って、自分のためにも、相手のためにも頑張ってる。うん、とっても偉い!」
幼子の相手をするように優しく頭を撫でて来ます。私が落ち込んだり嫌悪に苛まれているときの常とう手段。
「でも、まだ足りないんだよね。ううん。足りなくなんてないけど、琴音ちゃんは納得出来ていない。最初のスタートラインが他の人よりも低いって思ってるから、どうしてもそう感じちゃうんだよね」
「…………はい」
「だから愛莉ちゃんの調査票を見て、ビックリしちゃったんだよ。まだ陽翔くんにすべてを捧げられるほど、準備が出来ていないって……そう思ったんだよね」
「…………かも、しれません」
「うーん。ちょっと難しいお話だよねえ。愛莉ちゃんは結構特殊って言うか、ああ見えてすっごく依存しいだから……わたしも同じようなものだけどね。でも、琴音ちゃんはそうじゃない」
決して否定せず、私が本当に望むもの、行くべき道を示してくれる。いつどんなときも、彼女は肯定してくれるのです。
それが甘えでも妥協の産物でもないことに、この一年でようやく気付くことが出来ました。
欲していたのは、愛と優しさ。
比奈と、そして彼に教えて貰ったもの……。
「だからね。一緒くたにする必要は無いと思うんだ。確かに陽翔くん、琴音ちゃんが『赤ちゃんが欲しい』なんて言い出したら、飛び上がって喜ぶだろうけど……少なくとも『今』ではないよね。大会も近いんだし」
「はい……それは、分かってます」
「愛莉ちゃんも勿論分かってる。だから陽翔くんには言ってない。きっと紙に書いて気持ちを発散したかったんじゃないかな」
彼女はそのように推察します。確かにそうかもしれません。何かと色々なモノを溜め込みがちな愛莉さんが取りそうな行動です。
では、私はどうすればいいのでしょう。一口に悩みとも言い切れぬ、内側から溢れ出る衝動が何かを突き動かし、一切れの理性がそれを拒んでいる。
「うん。じゃあ、琴音ちゃんもそうしよっか」
「……発散する、ということですか?」
「そうっ! いっぱいお洒落して、頑張っている姿を見て貰って……いま、とっても充実しているでしょ? でもそれだけだと、また不安になっちゃうかも。欲しがりや無いものねだりじゃないんだよ。これも今の琴音ちゃんに必要なこと」
「必要な、こと……」
「不安な気持ちや埋まらない寂しさは、他のものじゃ代用出来ないから……だから、同じもので埋めて貰うの。紙に書くだけじゃなくて……」
とっておきの秘策を思い付いたと書いてあるよう。快活で悪戯好きな幼少期の彼女が、この頃頻繁に顔を覗かせます。話を聞いていた文香さんも『程々にな』と引き攣った目で見守っている。
比奈が話してくれた秘策は、あまりに突飛で馬鹿馬鹿しいものであると同時に……やはり私が望んでいたものと、そう大差はありませんでした。
「日曜だね。誕生日。ついに琴音ちゃんも18歳かぁ…………んふふっ♪ ちょっとだけ大人っぽい、最高のプレゼント、貰ってみない?」
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