911. 頼りになる
体育館の利用時間ギリギリまで猛練習に励み、流石の慧ちゃんもすっかりお疲れのご様子。
なのに『先輩ん家でメシ食いたいっス!』と我が儘を言い出し、愛莉の作った炒飯を二口食べただけで寝落ちしてしまった。
「というわけで、引き渡しに来ました……ッ」
「済まねえなぁ余計な仕事させちまってよぉ、ったくコイツは身体ばっかデカくなりやがって……いよっと!!」
「軽々と運んでくれるな……」
「あれが慧ちゃんのお父さん……? なんか、イメージ通りって感じね……」
「聞こえますよ愛莉さん」
背中で熟睡する彼女を慧ちゃんパパへ引き渡す。重かった。超重かった。腰砕けるかと思った。バーベル背負って歩いたようなもんだ。
お姫様抱っこで部屋まで連れて行くかと思いきや、施術室へ適当に投げ捨てられる。仮にも女の子だというのに。そういう雑な扱いをするから逞しく育ち過ぎちゃうんだって。
すると慧ちゃんパパ。割と離れたところで話を聞いていた二人を目ざとく見つけ、こちらへと呼び寄せた。
「なんだぁクスミの先輩じゃねえか! あれから身体の調子はどうよぉ!」
「あっ……ど、どうも、ご無沙汰しています。えぇ、すこぶる快調で……」
「おぉそりゃあ良かった! そっちの姉ちゃんも今度連れて来いよ! なぁんだそんな怖そうな顔すんなってぇ俺じゃなくてアイツにやらせっからよぉ! ガッハッハッハ!!」
夜遅くだというのにお構いなしの声量で絡む慧ちゃんパパである。って、あれ、なんだ。随分と親しいんだな。
琴音が保科家の療院へ顔を出したのは、ジムの帰りに慧ちゃんを送ったあの日以来の筈だが……。
「よく琴音のこと覚えてましたね」
「アァ? 覚えてるもなんも、ほとんど常連みてぇなもんだぜ? 最近は忙しいみてぇだけど、先月は週一ペースで来てくれてんだわ。まぁ施術は慧に取られちまうんだけどなァ~」
「えっ……そうなの!?」
初耳過ぎる。あまり知られたくない情報なのか、彼女はササッと愛莉の影に隠れてしまった。
まぁそれもそうだ。だって慧ちゃんの施術、痛気持ちいいどころから気持ち良すぎて実質性感マッサージなんだもの。
あんな恐ろしいマッサージを琴音が進んで受けに行っている……? しかも俺やみんなには内緒で?
「おっ、そうだそうだ! こないだ来てくれた時に渡しそびれちまってよぉ、ほれ持ってけ! スタンプ溜まった客にサービスで配ってんだわ!」
懐から細長い箱を取り出し琴音へ手渡す。スタンプ溜まったって、そんなに通ってるのかよ。いったいいつの間に……。
「また部活の話聞かせてくれよ! 慧も褒めてたぜぇ? 小っこいのにめちゃくちゃ上手くて、すっげぇ頼りになる先輩だってよぉ!」
「そっ、そうですか……っ」
「俺のせいで中学ん頃は苦労させちまったからよぉ、先輩に甘えるのも出来なかったみてぇだからなぁ……! これからも慧のこと頼むわ! なッ!!」
「……はい。分かりました」
すっかり上機嫌の慧ちゃんパパ。俺の知らぬ存ぜぬところでちゃっかり信頼度を稼いでやがる。琴音も心なしか嬉しそう。
俺や比奈がいなくても慧ちゃんパパ、つまり赤の他人である男とそれなりにコミュニケーションが取れている。というか、他の男と喋っているシーンすら初めて見たかもしれない。成長したなぁ……。
「おい廣瀬、ところでよぉ……!」
「……な、なんスか?」
「あっちの姉ちゃんもエライべっぴんじゃねえか……! 例の部長さんか?」
「そうですが……」
「どっちが本命なんだよぉ~! 今度ジックリ聞いてやっからさぁ、そろそろお前も受けに来いよ……!!」
「ま、前向きに検討しておきます……」
「そうすりゃ慧には手を出せねえしなァ……?」
「勘弁してください……ッ」
大振りで肩をバンバン叩かれる。どっちも本命です、などとは口が裂けても言えない。圧が強すぎる。
この人を敵に回そうものなら……俺が慧ちゃんに遠慮してしまう理由が、少しでもお分かりいただけただろうか。分かれ。
それからもう一言二言交わし保科家を後にする。もう終電が近い。
この時間から帰すのは危なっかしいので、愛莉と琴音はそのまま泊まって行くことに。
先日のお泊まり会を境に一層抵抗が無くなっている。今となっては俺以外の部員も大勢住んでいるのだから、他の部屋で厄介になれば良いところを『だって一番ベッド広いし』『気を遣わなくても済むので』と取り付く島もない。
「愛莉さん、先にシャワーを浴びてください。保科さんの食べ残しを片付けておきます」
「えっ、良いの? 大丈夫?」
「お皿を洗うくらい私でも出来ます」
「それが一番不安なんだけど……まぁ良いか。じゃあお願いね。洗剤切れ掛かってるから、ついでに代わりのやつ棚から出して補充しておいてくれる?」
「分かりました。任せてくださいっ」
後片付けは専ら愛莉か比奈の仕事だが、珍しく彼女がやると言い出した。俺より洗剤の残り具合を把握しているって。もはや誰が家主か分からぬ。
水回りから景気の良い音が聞こえて来る間、手持ち無沙汰の俺は翌日の授業で使う教科書類を鞄へ詰める。
その最中、以前配られた進路相談の案内用紙がポロッと出て来た。昼時の会話を思い出す。そう言えば愛莉に結局聞いていないな。
「なぁ琴音。進路相談の話やけど」
「あぁ、せっかく洗ったのに汚れが……! あ、はいっ、なんですかっ!?」
「ごめんなんでもねえわ」
たかが皿洗いひとつでエライ苦戦している。変に慣れないことするから……琴音の進路も聞いておきたかったのだが、まぁ後でもいいや。
夏の大会が終われば、あとは受験に向かってまっしぐら。優等生である彼女は進学が既定路線だとして、いったいどこの大学へ行くのか。
遥か昔に『近くて偏差値高いから市大が良い』みたいなことを言っていたっけ。あんまり覚えてねえや。当時から考えが変わったかも分からないし。
「ふぅっ……やっと終わりました」
「なんで皿洗いでそんな疲れてんだよ……言えば代わってやったのに」
「良いんです。長い人生において必要不可欠なスキルですから」
「皿洗いにスキルもなんもねえて」
冷水で冷えた手をスリスリ擦り合わせ、今度は散乱したベッド上の布団を丁寧に敷き直す。いっつもこの手の準備は人に任せっきりなのに、珍しく甲斐甲斐しい彼女だ。
「それで、なんのお話でしたか?」
「あぁ。進路相談。どういう話したのかなって」
「……色々と、です」
「ふんわりやな」
「人に聞かせるような大した話でも……むっ?」
愛莉のエナメルバッグをベッドから退かそうとした際に、チャックに引っ掛かっていた用紙がペラっと落ちて来た。
中身を整理していない証拠だ。紙の一枚くらいファイルにちゃんとしまえよ。なんでそういうところだけガサツなんだよあの女。謎。
「……調査票?」
「えっ。それこないだ出したやつよな?」
「その筈ですが……」
進路相談の前に提出しなければいけない書類だ。ということは提出せずに面談へ臨んだか、字を間違えてボツったかのどちらかとなる。結構大事な書類らしいし不思議なことも無いが。
「おいおい、盗み見は趣味悪いで。聖来やあるまいし…………琴音?」
「…………っ……」
手に取るや一心不乱に読み耽る彼女。
なんだ、そんなに面白いことが書いてあるのか?
いや、そうでもなさそうだ。まるで俺からセクハラでも受けたかみたいに、見る見るうちに顔が真っ赤へ染まっていく。口元がぷるぷる震えていた。
「え、なに? なんて書いてあっ……」
「――だめですっ!」
腕を伸ばすと大慌てで素早く回避し、書類を胸へ抱えてしまった。その必死な表には、お前だけには絶対に見せないという強い意思さえ。
なんだよ、自分だけ盗み見しておいて。確かに愛莉は俺に話すのを渋っていたけれど、たかが調査票にそんな変なこと書いたりしないだろ。
「……これは私が預かります」
「いや、なんで?」
「どちらにせよ必要の無いものです。貴方にも、そして愛莉さんにも……しっかりと処分しておきます。ご安心を」
「お前の手に渡る意味も分からんが」
「とにかく、ですっ!」
随分とご執着だ。そこまで言うのなら無理に奪い取ったりしないけれども。
いや、でも、そこまでされたら逆に気になる。何が書いてあったんだ……?
「すみません。やっぱり今日は帰ります」
「はっ? 今から? もう遅いっつうか、泊まるって連絡したんやろ?」
「だったら市川さんの部屋に……」
「今日はいねえぞ。荷物取りに実家帰った」
「なら文香さんの厄介に……!」
「おい、琴音っ」
パパっと荷物を纏め玄関へ。書類の一つ守るためならわざわざ帰らなくたって良いのに、そこまで慎重にならなくても。あまりに大袈裟過ぎる。
先日と同じ光景だ。あっという間に戸を締め部屋から出て行ってしまった。なんだよ、一緒に寝たかったのに。進路の話も聞きたかったし……。
(……まぁ、良いか)
また自分磨きのヒントでも見つけたわけではなかろう。明日は忙しい、余計な心配はしないことだ。
……愛莉、そろそろ出て来るかな。
偶には俺からも誘ってみよう。
ちょっと寂しくなったとか、そんなんじゃないけど。
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