909. 撮らないでください


 当然ながら午前の狼藉について謝罪申し上げるつもりではあったのだが、練習後も琴音は皆に取り囲まれ、二人きりになる暇が無かった。

 主に瑞希と有希が放してくれない。恐らくメイクと髪型の話をしたくて溜らないのだろう。


 結局この日は最後までタイミングが無く、翌日へ持ち越しとなる……が、機会は思いのほか早々に巡って来た。



「お疲れ。どんな感じやった?」

「別にフツー。志望校がどうこうって感じ」

「偏差値200足りないとか言われた?」

「どこ大よそれ」


 仮にも三年生である俺たち、そろそろこの手の話題も増えてくるわけだ。一人ずつ担任に呼び出され進路相談が行われる。教室から出て来た愛莉は少し疲れた顔でこのように打ち明けてくれた。



「正直さ、進学する気あんまり無いのよね」

「なんでまた」

「だってお金掛かるし、特別学びたいこととか無いし。そもそも勉強したくないし……アンタの次、琴音ちゃんだって」


 廊下に置かれた待機椅子へ入れ替わりでドカッと座る愛莉。どうやら似たようなことを峯岸に話してちょっと怒られたようだ。



「んだよ。やりたいこととか無いのか?」

「……まぁ、あるっちゃあるけどさ」

「そのために進学するんやろうに。仮に叶わなくても色んな道を模索するって意味で、保険でも通っといた方がええわな」


 俺も冬先に似たようなことを考えていた。峯岸からは『大会が終わったらサッカー部に合流して最短でプロを目指せ』的なことを言われたな。というかこの後どうせ言われるのだろうが。


 正直なところ、俺も何も決まっていない。オープンキャンパスでレイさんに相談したときは『早く自立したい』と言ったけれど、その結果みんなと距離が出来ては本末転倒。バレンタインの悲劇を繰り返すわけにはいかない。


 とは言え、愛莉の人生は愛莉のモノ。みんなと一緒に、なるべく俺の近くで……は大前提としても、叶えたい夢や目標があるのなら俺も応援したい。



「ほんでやりたいことって? 女子サッカー選手とか? それともフットサル?」

「…………え、言わないとダメ?」

「無理にってわけちゃうけど、なる早で聞いてはおきたいな。そしたら俺もみんなも都合合わせられるし、愛莉もそっちの方がええやろ?」

「あー……まぁ、そうなんだけど」


 やたら歯切れが悪い。加えて挙動不審でもある。いつもの愛莉と言えばそれまでだが、周囲を警戒するような目の配り方から察するに。



「ここでは言い辛い?」

「……うん。ちょっと」

「ほなまた今度でええわ。家来たときにでも教えてくれ。じゃ、行って来る」

「ん……いってらっしゃい」


 気を遣ったつもりだが、今度は逆に寂しそうな顔をして、力無さげに頷く愛莉であった。

 なんだ、無理にでも聞いて欲しかったのか。相変わらず扱い方が分からん。甘えん坊モードのときを除くが。


 ふむ。みんなの将来の目標とかやりたい仕事って、今まであまり聞いて来なかったな。

 ノノがインフルエンサーを目指すとか言い出し始めたせいで、ちょっと気になって来てしまった。


 愛莉の夢、みんなの夢……何なんだろう?






「平均評定4.6、学習態度ゴミ、素行不良、女の敵。よし、進路はヒモと……」

「おいこら。ちゃんとやれ」

「はあ。至って真面目だが」

「貴様……ッ」


 予想した内容とさほど違わず、俺の進路相談は五分足らずで終わった。

 真面目に相談したかったのに『お前はもう良いよ』と軽くあしらわれた。なんでだよ。



「前にも言っただろぉ? 行けるところまでプロ目指して、駄目だったら語学力活かせるとこでもなんでも就職すれば良いんだよ。ほれ、行った行った」

「頼りにならん恩師がいたもんや……」

「へぇ~恩師なんだぁ。サンキュ~」

「だりぃ」


 頭痛の種だった不審者騒動が片付き、すっかりいつも通りの幽霊顧問だ。これを信頼と放任のどちらで捉えるかによって、貴様の命運はどうとでもなる。エリトリアへ行け。



「あ」

「むむっ」 


 心のなかでビンビンに立たせた中指をしまい教室の戸を開ける。と、待機椅子に琴音がお行儀よく座っていた。


 前もって呼び出したのは俺なので、彼女がここにいることを予想できなかったわけではない。ないのだが。


 改めて顔を合わせると、こう、なんか。なんか困る。違うところがビンビンに立ちそうで。この話はやめよう。比奈のことを言えない。



「珍しいな。黒タイツ」

「……不審者対策です」

「えっ?」

「なんでも校内に痴漢が現れたとか」

「うんごめん。その件についてだな」


 キュッと目を細めて脚をピッタリ閉じる。やっぱり怒っていた。怒らない方がおかしい。痴漢どころじゃない、やったことただのレ○プだもの。そりゃそうだ。


 土下座の一つでも噛まさなければ話も進むまい。何だかんだで久しぶりにやるなぁ、とか馬鹿に暢気なことを考えながら、目線を下へ降ろす、と。



「見たことないローファーだ」

「…………なんで分かるんですか?」

「そりゃもう日頃から琴音の脚を凝視しているからに他ならな……」

「むんっ!!」

「フゴ゛ホォ゛ッッ゛!?」


 頭を無理やり押さえ付けられる。強制土下座。うん、今のは俺が悪かった。反省の欠片も見えなかった。実のところ自己嫌悪していただけであんまり反省していないのは秘密。



 普段は学生準拠のコインローファーを使っている琴音だが、今日はお洒落な金具の付いたヒールの高いものを履いていた。通りで座っているのに脚が長く見えると思った。


 山嵜は制服を始め身だしなみ、髪型に関する校則が緩々なので、この手の物も許されるのだ。流石に瑞希愛用のペアリングやノノの着けているチョーカーは『そもそも必要無いもの』なので没収対象だが。でもコッソリ着けている。


 閑話休題。隙を縫い地面から見上げる先には、真っ黒のタイツに隠されたむっちむちの脚。おぉ、これは中々のアングル……!



「ふんっ!!」

「ボほァ゛ッ゛!?」


 速攻バレた。

 手で押し潰さないで。廊下と一体化しちゃう。



「こんなことだと思いました……! まるで反省の余地がありません……!」

「うぐぐぐっ……! そうは言うがなお前、昨日のアレは誘っている以外の何物でもなかったぞッ!」

「さ、誘う……っ?」

「なに色気付いてんだよ! 無防備に寝てんじゃねえぞ! おらっ! この世の可愛いを搔き集めた萌えの化身めっ! 悪戯したくなって当然やろがッ!」

「ふぇっ……!?」


 開き直りなんてレベルではないが、でも他に方法が無い。誠心誠意謝ったところで彼女は許してくれないだろうし。


 だいたいいっつもそうだ。暫く時間が経つとなにも無かったかのように忘れてしまうから、ここまで来たら謝らない方が良い気がする。


 

「そのローファー、どうやって拵えた!?」

「……み、瑞希さんに貰ったものです」

「ほれ見たことかっ! 昨日はノノ! 今日は瑞希! 二人と結託して、俺を誘惑しようとしているに違いないっ! どうや答えてみろッ!」

「ちっ……違いますっ、そんなわけ……!?」


 明らかに彼女の方が有利な状況、というか俺が余計な口を挟める余地すら残っていない筈なのに、何故か圧されている。つまり図星だ。



「貴様のことはすべてお見通しやッ……その黒タイツは今朝、自分の意志で履いて来たな! 家を出る前に昨日のことを思い出して!」

「なっ……どっ、どうして……!?」

「だがしかしッ! 瑞希から貰った以上、そのローファーも履いて来ないわけにはいかない! このクソ真面目さんめ! 意志が弱いッ!! その気にさせるのか普段通りを貫くのかハッキリしろッ!!」


 さっきからどういうテンションなんだろう。俺は。でももう無理だ。止まらん。この際全部喋っちゃおう。



「申し上げます! 楠美琴音さんっ!」

「……へっ?」

「勘弁してくれッ!! これ以上お前が可愛くて、魅力的になったら……俺はもう人間を辞めるしかないんやッ!!」

「ふっ……ふぇぇ……ッ!?」

「我慢出来なくなって、昨日みたいなことを何度も繰り返す! 間違いなく!! 場所も時間も考慮しない、性欲の鬼になってしまう!! だって好きなんやもん! エロ過ぎんねんお前っ!!」

「ぁ……ぅぅ……っ」

「分かるかっ!? ちょっと化粧したりお洒落に気を遣っただけで、一人の人間を狂わせてしまうような、そういう女なんだよお前はッ!!」

「……ぁ、あぅ……っ」

「頼むっ! 少なくとも大会が終わるまでは、大人しくしていてくれ! 終わったら何してもええから! 好きなだけ可愛くなってええから!! むしろ大歓迎やっ! せやから今は、今だけは頼むゥゥッ!!」



 渾身の謝罪。謝罪なのだろうかこれは。とにかく言いたいことは言い切った。そしてここから、長い長い沈黙。


 全力土下座中なので様子は見えないが、既に頭を抑える手は離れていて、何かしらの葛藤が続いていることだけは分かる。

 まぁ、馬鹿正直に俺の提言を聞き入れている時点で既に何かがおかしいが。それはともかく。



「……なあ、さっきから何やってんの?」


 ガラガラと戸を開け峯岸が登場。声色からして相当呆れている。

 表を上げられないので見えないけど。また全部知られちゃった。もう良いやなんでも。



「……すみません、先生。お待たせしてしまって」

「いやそれは良いけどよ。あのさお前ら、そういう痴話喧嘩はせめて校外で……」

「進路について詳しく聞きたいことがあります。先生、どうぞ中へ」

「えっ、お、おん……」


 スタスタと俺の横を通り教室へ。やはり見えてはいないのだが、先の狼狽した様子からは考えられない落ち着き払った声だ。


 一昨日もこんな感じで、急に平常心を取り戻していたな……えっと、つまりなんだ。理解はしてくれた、ということで良いのか?


 もう土下座は解除して良い感じですか?

 俺はどうすれば良いんですか?



「見てひーにゃん。ハルが廊下で土下座してる」

「本当だ。なにしてるのかな?」

「ヨコーレンシューだな。間違いない」

「みんなのご両親へ挨拶するときの?」

「取りあえず撮ろーぜ」

「いいねぇ~♪」


 違います。撮らないでください。



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