908. 随分とご執心
「どうして生きているんだろうオレ」
「に、にぃに……? 今日はいったいどうしてしもうたんじゃ……?」
「俺が死んでもしっかりやれよ、聖来」
「ほんまにどねーしたッ!?」
隣でミニゲームを見学する聖来は目をかっ開き慌てふためく。心のお医者さんをどうこう叫んでいたが、詳しくは聞こえなかった。聞く気も無かった。
バレはしなかった。その手の知識に乏しい様子の慧ちゃんは『二人を驚かそうと思った』というクソみたいな言い訳を丸々信じてくれた。ミクルは怪しんでいたが、どうにか乗り切った。
当然そのような雰囲気ではなくなり、三人を残し俺は一人更衣室へ。
冷水を被り硬いタイルにヘッドバットを喰らわせ文字通り頭を冷やしたが、まったく意味は無かった。降り注ぐのは自己嫌悪の雨ばかり。
いくら同意の上とは言え、学校で分け目も振らず襲い掛かるとは恐るべき藻屑以下の理性。流石にアレは無い。ゴミ過ぎる……。
(よう切り替えられるわホンマ……)
八つ当たりにもほどがあるが、視線はゴールマウスを守る彼女へ自然と向いてしまう。
練習中はポニーテールに纏めていて、そのおかげか数時間前の光景が蘇ることも無かったが。だとしても。だとしてもだ。
初めてのナチュラルメイクは部員たちからも大好評。眉を顰めたのは『なんかリップ薄くね?』と無駄に鋭い瑞希だけだった。
意外と言えば意外なのは、あれだけ散々褒め千切られても特に赤面すること無く素直に受け流していたこと。下手に謙遜しなくなったのは実に良い傾向だが。それ故に納得いかない。俺だけが。
「流石に前髪は崩れて来たな」
「え……あ、おん」
「ハッ。随分とご執心だことで」
「うっせ……」
隣にやって来た峯岸が半笑いで冷やかす。目で追っていたのが分かったようだ……いつまで引き摺っている場合じゃない。練習は練習だ、集中せねば。
「面白いことを教えてやろう。廣瀬クン」
「んだよ。掘り返すな」
「ゴレイロの複合練、お前が考えたんだろ? あれは良いメニューさね。セービング一つはともかく、どうしても立ち上がりが遅いからな。楠美の課題がよく分かっている……が、バービージャンプを入れる必要があるのかどうか」
「なにが言いたい」
「見過ぎなんだよ。いっつもいっつも。ベランダからでも分かるレベルでガン見してるんだわ……よく嫌われねえよなぁ~」
「マーージで黙ってろ……ッ!」
ニヤニヤと意地汚い笑みが止まらない。戦術ボードで頭をパンっと叩きその場を去る峯岸であった。いつか殺してやる。
(この大事な時期にアイツ……ッ)
やはり八つ当たり以外の何物でもないのだが、気になるものはどうしても気になる。目を離せない。
「琴音ちゃんナイスセーブ!」
「お構いなくっ! 愛莉さん、真琴さん、コースはしっかり切ってください! 世良さんも! ポジションが中途半端です! カウンターか、下がって受けるかハッキリしてください! 疲れているのは全員同じですっ!」
「おっけー! ほら二人とも、あと一分よ! 最後まで気ィ抜かないでッ!」
「だ、そうですケド文香先輩!」
「ニャーーッッ!! 気を付けますゥゥ!!」
最後尾から絶え間なく檄が飛ぶと、ビブス組も汗を拭いながら真摯に応える。厳しさのなかにも心遣いが見える良いコーチングだ。
そんななか、一人余計なことを考えている自分に酷く幻滅してしまう。今までこんなこと早々無かったのに。
ばるんばるんに揺れる胸元、ショートパンツを押し退け飛び出しそうな臀部。宝石のような汗雫がぬらぬらと張り付き、その価値を否が応でも知らしめている。
卑猥だよ。えっち過ぎるよ。琴音さん。しまった、激キモ五・七・五が完成してしまった。伊○園に送って突き返して貰おう。
「うんうん、分かる分かる。薄い格好だと特にそうだよねえ。全身からえっちいオーラが溢れ出てる……みたいな?」
「まるで口に出したかのように言うな」
「思ってはいるんだね」
「黙れ」
「なーんて冗談冗談っ。陽翔くんはお口よりも」
「本当に黙って欲しい」
今度は比奈が冷やかしに来た。共にコトネスキー一派である以上、性癖もまったくもって同じ彼女には誤魔化しが効かない。最悪だ。それも毎度のことながら酷い。下ネタが。自重しようよ練習中くらい。
「不思議だよねえ。琴音ちゃんのこととなると、色んなものが我慢出来なくなっちゃうんだよね、陽翔くんって」
「なにも喋らない」
「それってやっぱり、みんなより好きとか愛が深いとかそういうのじゃなくて……単純に好みのタイプだからってことなのかな?」
「黙秘する」
「でも分かるよ、その気持ち。いっつも無表情でツンツンしてばっかなのに、自分にだけ『陽翔さん、陽翔さん』って甘えて来るんだから……可愛いよねぇ~」
「…………」
「わたしも一緒なの。昔っからあんなに口下手で人付き合いも苦手なのに、わたしにだけは呼び捨てなんだよ? 信頼してくれてるんだなぁっていうのが、すっごい伝わって来て……もっともっと甘やかしたくなっちゃう」
「…………分かる」
「ねぇ~~♪」
頬を抑えニマニマ、デレデレ、うっとり。愛着が窺えるというもの。やはりこの幼馴染コンビ、主導権は圧倒的に彼女が握っている。俺が横槍を入れようと関係無い。友情を越えた何かで結ばれているのだ。
「いいなーいいなー。羨ましいなあ。わたしも男の子になりたいなぁ~」
「そりゃあ面白いアイデアやな。俺がいかに鋼の理性の持ち主であるか、さぞお分かりになることだろう」
「最近の鋼って柔らかいんだね」
「貴様の脳天を貫くに不足は無い」
「わ~、怒ったぁ~♪」
茶化すだけ茶化して帰って行った。なんだよ。いつもならここで『本当に大事なことは……』と哲学めいた演説ターンが始まるところだろ。ただただイジって終わってんじゃねえよ。せめて打開策くらい置いてけや。
峯岸のホイッスルで紅白戦も終わり、ここからは仕上げのシュート練習。ポスト役を置いてひたすたフリーで撃ちまくる。
皆のシュート意識・精度を高めるシンプルながら効率的なメニューだが、琴音を鍛える意味合いも大きい。フィールドプレーヤーと違い実地での経験を積みにくい彼女には、日々の練習一つひとつが本番のようなものだ。
「ちぃっ! 良いポジショニングじゃねーか!」
「良いわよ琴音ちゃん! 続けて続けてっ!」
一切プレッシャーが無いので、各々の単純なシュートテクニックが手に取るように分かる。愛莉とノノは九割方決めているが、瑞希と文香、シルヴィアがちょこちょこ外す。比奈と真琴は半々、残りはほぼ入らない。
確かにゴールとの距離は恐ろしいほど近いが、同じくらいゴレイロの圧力も感じるわけで、そう簡単には決まらないものだ。トータルでも決定率は六割程度。二割は枠外、あとは琴音が身体を張って止めている。
(上手くなったなぁ……)
一年前は目の前の静止したボールすら空ぶっていた琴音が、次々飛んで来る矢のような弾丸シュートを片手一本で防ぐようになるとは。日々の練習でも実感するところだが、改めて外から見ると尚更感心してしまう。
今し方愛莉の放った地を這うキャノン砲は、右足で巧みに防いでみせた。これには一同からどよめきが。
「わっは~! すげ~クスミ先輩……!」
「あねーなきょーてーシュート、顔にでも当たったら大変じゃ……いっつものんびりしとるんに、ゴレイロのときは別人みてーなぁ」
慧ちゃんと聖来も目を丸くして驚いている。普段とのギャップという意味でもそうだし、今日の琴音はなんというか、鬼気迫るオーラみたいなものがあるな。昨晩や朝の一幕とはエライ違いだ。
(んっ)
ずっと凝視されていることに気付いたのか、一瞬だけ視線が重なった。流石に練習中は余計なことを考える余裕も無いのか、すぐに目を逸らしてしまう。
「……さあ、どんどん来てくださいっ!」
両手を合わせ構え直す。体育館中に響く今日一の大きな声だ。主張下手で目立つのも不得意、一年前は比奈を引き連れすぐにでも退部しようとしていた彼女が、ああやって皆を鼓舞するようになるまで成長するとは。実に感慨深い。
そうだ。その調子だ。頑張れ琴音。
あと二か月くらいはこっちに集中しろ。
慣れないメイクの練習は後にしておけ。
そうでもないと、俺が集中出来ないんだ。
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