905. キミに決めた


「先輩先輩センパイッ! ヒロセ先輩ッッ!! マジでイチカワ先輩の曾おじいちゃん、あのICHIGEIグループ作った人なんスかッ!?」


 提出期限の近付いている課題を済ませ遅れて八中体育館へ。到着するや否や慧ちゃんが全力ダッシュで駆け寄って来る。バレとるやん。早速。



 あまりに例の騒動がアッサリ下火になってしまったせいか、慧ちゃんはどうしても気になってしまったようで。

 名刺に載っていた週刊誌からICHIGEIとの繋がりを見付け、ついにノノの名前へ辿り着いたらしい。聖来に調べて貰ったそうだ。


 慧ちゃんが大慌てでベラベラ喋るので、結局ノノの素性は皆に知れ渡ってしまった。が、やはり予想通りと言うかなんというか。



「言うてなんでもアリの市川やしなぁ〜」

『今更ノノがなにを言い出しても驚かないわ』

「たかが先輩の妹にスキーグッズ一式プレゼントして、宿代も交通費も全部出すような奴が一般市民なわけないでしょ」

「二人でメシ行くとだいたい奢ってくれるし、めっちゃ金持ちだなーとは思っていた。うむ」

「えっとねノノちゃん、もしかして株主優待券とか持ってたりする? 実は最近気になってるシリーズがICHIGEIのレーベルで……」

「あれぇっ!? 思ってたのと違う!?」

「お前だけだよ予測出来なかったのは」


 欲望に忠実な比奈を除き、概ねこのような微妙過ぎるリアクションであった。

 基本アホの集まりであるフットサル部においてもICHIGEIの知名度は計り知れないが、それ故に実感が沸かないという面もあるのだろう。


 まぁ、俺はそうは思わないけれど。事件を現場で見たんだ。気にしないと言ったら嘘になる。

 暫くは迂闊に彼女の実家へ足を運べない。すべてが明かされたとき、俺の五臓六腑はエリトリアの大地へ還るのだ。



「琴音もあんま驚いてへんのな」

「えぇ、まぁ……ICHIGEIグループは勿論知っていますが、アニメや漫画にはどうにも疎いので。精々比奈から教えて貰ったものくらいです」

「ドゲザねこは?」

「全然違う会社です。常識ですよ」

「んなわけは無い」


 シャザイーヌのキャラクターグッズを欲しがる慧ちゃんに囲まれ『こんな筈では……』と肩透かしを食らうアホ面のノノであった。何か変化があるとしても精々これくらいだ。甘んじて受け入れろ。



「あの。陽翔さん」

「おん?」

「私の父は弁護士です」

「……えっ、それはつまり遠回しな脅迫?」

「早くセクハラで捕まってください」

「当て逃げみたいなフリートークやめろ。おい」


 さっさとその場を離れた琴音。

 比奈を捕まえウォームアップを始める。


 って、なんだ今のムーブは。親ガチャの成果でも見せびらかしたかったのか。よりによって俺へ。だとしたら嫌味にも程があるよ。ギリ可愛いけど。


 本懐を窺う暇も無くトレーニングが始まり、この日も夜遅くまでハードなメニューが続く。いよいよ大会まで二週間と少し。余計なことに気を取られていた分、本番に向けてしっかり切り替えなければ。


 だから、この日のうちには気付けなかった。それも当然。彼女もまた自らの仕掛けた罠へ、気付かぬうちに嵌まっていたのだから。






「堪忍なぁ。わざわざ来させてもうて」

「また変な奴に絡まれても困るからな……いつまで週五でやんの?」

「今週いっぱい。ちゃーんと休み貰うたさかいに、こっからはパーペキ部活モードっちゅうわけや! あとはーくんモードな?」

「ハッ。どういうこっちゃ」

「こーゆうこと~~♪」


 ご機嫌な文香に手を引かれ、明かりの灯るアパートへの帰り道。徒歩三十秒圏内のバイト先へ迎えに行く暇潰しは、安斎の一件から毎日の恒例になった。


 日に日に数を増していく空っぽの笑顔がやけに眩しい。なんとなく、なんとなくな感想だが、この一か月で文香はますます女の子らしく、より可愛くなったような。そんな気もしている。思い違いでもないだろう。



「おっ。見てみいはーくん。撮っとるで」

「毎日やっとるな……ネタ尽きひんのか?」


 今週から本格的に拠点を移したノノだが、練習後の体育館→晩飯兼ホームパーティーの流れがすっかり定着し、また一年勢に引っ越しの事実を知られてしまったということもあり、目論見通りの甘い夜ともいかないこの頃。


 彼女の部屋は生活区というより専ら動画用の撮影スタジオと化していた。馬鹿騒ぎがアパートの外まで聞こえて来る。


 始めは見学組だった瑞希も気付いたら演者として参加している。やっぱ楽しそうだし、と彼女らしい雑な動機が返って来た。まぁカメラと大袈裟なリアクションが増えただけで、結局はいつも通りの日常だ。



「ネタ帳にビッシリ書いとったで。なんか持ち歩いとるらしいな。すぐにギャグ出来はるように」

「んなんやから誰にもお嬢様扱いされへんねん」

「にゃははっ。ホンマになぁ市川はなぁ~。あ、なぁなぁはーくん。せやったらウチの新作も見とく? 見とくかっ!?」

「ほう。やってみろ」

「シュシュッ! シュッ、シュシュ、シュッ、シュシュッ! ガャーハッハッハ!! ポスティングはア○ュラマンの天職やわぁぁ~~!!」


 嫌いじゃねえ。



 入れ替わりで帰宅する慧ちゃんと聖来を自宅まで送り、この日三度目の帰宅。今日は誰も泊まって行かないみたいで、珍しく家はすっからかん。大会が近付き遠慮でもしているのか。


 ノノは撮影で部屋をかなり汚してしまったそうで、掃除に時間が掛かるから今日はこのまま自室で寝るとのこと。いったい何を撮った。怖い。



 しかし急に暇だ。最近みんなとワイワイ過ごす時間が多すぎて、すっかり一人で居るのが苦痛な寂しがり屋になってしまった。


 明日は三限からで朝に余裕があるし、文香とゲームでもするか、有希が借りている映画でも見ようか。ミクルの部屋を片付けるのも良い。一向に段ボールハウスのままだし。気乗りはしないが。まぁまずは風呂だな。



「んっ」


 上着を脱いでユニットバスの扉に手を掛けると、ちょうどそのタイミングでインターホンが鳴る。着直すのも面倒なので上裸のまま出迎える。


 みんな『いつも開いているから』とノックもせず入って来るし、わざわざインターホンを押したとなれば生真面目な彼女で決まりだろう。



「ひゃっ?!」

「あら琴音。帰ったんやないの」

「わっ、忘れ物をして……! そ、それより服を着てくださいっ!?」

「んなモンとっくに見慣れとるやん」

「良いから、着てくださいっ!」


 いつも律儀に履物を揃えている琴音に珍しく、ローファーをポイっと適当に脱ぎ散らかす。顔を掌でギュッと抑えながら、逃げるように部屋へ駆け込んだ。どう考えても絵面が逆。


 やたらアワアワした様子で布団に手を伸ばし、何やら探索している。忘れ物はすぐに見つかった。スマホを握り締めホッと一息。どちらかと言うとカバーケースが本命か。



「大事にせえやドゲザねこ」

「えっ……あ、はい。そ、そうですねっ。無事で良かったです。また悪戯でもされたら、この子も可哀想ですから」


 大事な分身を見付け、すっかり安心してしまったのだろう。振り向きざまにまたも真っ白な肌が赤面へと染まる。



「あっ……! ぁ、ぁぅ……っ」

「なに? どした? 意地でも着ないよ?」

「そんな無意味でどうしようもないプライドは今すぐ捨ててください……っ!」


 よほど上裸なのが気になるらしい。なんとか見えないようにと、首を曲げ視線を外し続ける琴音。可愛い。結局チラチラ見ちゃってるのが特に可愛い。



 なんだか久しぶりというか、もはや新鮮さすら覚える。この数か月、特に春休みを越えてからの琴音は、愛莉やノノに負けず劣らずの甘えん坊で。


 恥ずかしがりなのは変わらずとも、意地を張ったり好意をひた隠しにするようなことはしなくなった。度の過ぎたセクハラや悪戯はしっかり抵抗されるが、それもあくまで校内での話。二人きりのときは……。



「……なんかツンツンしてへん?」

「…………してません」

「しとるやん」

「してませんっ……!」


 ベッドにちょこんと座りそっぽを向く。これは非常に分かり易いケースで、意地を張っていたり恥ずかしさに堪え切れないときの常とう手段。


 秀才の面影一つ無いレベルまで語彙力がガクンと下がり、似たような言葉を繰り返すのだ。同じ傾向のある愛莉と比べると、回復は早いがちゃんと素直になるまでは結構時間が掛かる。


 とは言えやることは一つ。それが最も効果的だと知っているし、彼女にしても俺からのアクションを待っている節はどうしてもある。



「……琴音っ! キミに決めた!」

「はっ?」

「まきつく攻撃!」

「むんっ!?」


 所謂ルパンダイブの餌食となり、背後から捕獲された琴音はあっさり動けなくなった。仏頂面が見る見るうちに羞恥と動揺の色へ染まり、悪ノリも更に加速する。文香のしょうもないギャグを見たせいだ。そうだそうだ。



「今夜は帰さへんでぇ~~」

「ふぇぇっ……!?」

「あ、ちゃうな。監禁しよ。永遠に」

「はっ、犯罪です!?」


 期待した通りのリアクションが返って来て、鼻の下が伸びる伸びる。ぐでんぐでんだ。そのまま床へ突き刺さってミクルに貫通するかもしれない。



「怪しい思うたんよなぁ……正直に言えよ。ケースのドゲザねこより、他のこと気にしてへんかったか?」

「……な、なんのことだか……っ」

「さては貴様、比奈から貰ったえっちい写真でも見ていたな! 俺にも見せろ!」

「あっ……!」


 スマホを強引に奪い取る。ドゲザねこの名前を出したときにやや反応が鈍かったから、中身を見られるのが嫌であんなに慌てていたんだ。間違いない。



「かっ、返してくださいっ!」

「や~なこった……ん、誕生日やないんか。そーいやもうすぐやなぁ」

「お願いですっ、後生ですから……!」

「んな日本語は知ら~ん」


 すったもんだの子ども染みた格闘を繰り広げ、ついにパスワードの解除に成功。したのだが、0308。まさかの、俺の誕生日。



「…………危っぶねえ。心臓止まるとこやった」

「……あぁ、あぁぁぁぁっ……ッ!!」


 諸々の羞恥心が限界を突破したのか、ぷるぷると小刻みに震えながらベッドへ突っ伏す琴音さん。あとでちゃんとフォローしよう。


 拒んでいた理由がよく分かった。動画が途中で停止されている。流行りモノに疎い琴音がYou○ubeを見ているだけでも驚きだが、もっと意外だったのはその動画の内容。最近よく見掛ける顔と名前だ。



「来栖まゆのメイク動画……興味あるのか? んなんせんでも世界一可愛いのに?」

「…………殺してください……ッ」

「んな落ち込まんでも」


 ノノに続いて影響を受けたのだろうか。何度かのデートを除き滅多に私服を見せてくれないほど無頓着な彼女だというのに、外面を気にするなんて。


 もしかして、先日図書館で話していた『努力したいこと』って……これ?



「琴音?」


 拘束を緩めていたので簡単に離れられてしまった。ベッドからふらふらと起き上がり、覚束ない足取りへ玄関へと向かう。



「……帰ります」

「え、スマホは?」

「明日返してください」

「なんで? さっきまでの抵抗は?」

「どうでもいいんです。もう」

「…………あの、ごめんな?」

「お気になさらず。市川さんの部屋に泊まるので、見送りも結構です」


 背中越しに阿修羅が見えるようだ。

 流石に怒らせてしまったか……?



「…………明日」

「へっ?」

「三限からでしたよね」

「せやけど……琴音もやろ?」

「その前に来てください。いつもと同じ、本館の渡り廊下です。良いですね」


 振り返ることもせず一方的に宣告する。わざわざ言われなくても毎朝のルーティーンなので、断る理由も無いのだが。


 ど、どういうこと? 会う約束をするってことは、別に怒ってはいないと? え、なに? 逆に怖いんだけど? 目的は?



「……おやすみなさい。陽翔さん」

「…………んっ。お、おやすみ?」


 最後まで顔を見せず部屋から出て行ってしまった。一階に降りればノノの部屋にいるわけで謝ろうと思えば簡単だが、そう軽率に動いて良いものか。


 取りあえず、スマホの電源は切っておこう。良心の叱責という側面もあるが。なんとなく見るべきではないと、そう思った。


 いや、分からん。

 でも考察のしようがねえ。


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