901. 怖い
「……け、系列? おじいちゃん?」
「名刺を見てピンと来たのです。週刊芸能プラス……ICHIGEIホールディングス株式会社の連結子会社が発行している、クッソ下品な雑誌ですよね。グループ内でもメチャクチャ評判悪いって、おじいちゃんも言ってましたよ」
スンと気取った面でペラペラと単語を並べるノノ。当然ながら知ってはいる。だがあくまで名前だけだ。だってその会社……。
「あ、あのねぇお嬢ちゃん……そういう冗談はボク嫌いだなぁ? ICHIGEIホールディングスって言ったら、日本の出版業界に映像、ゲーム、Webサービスをほとんど総取りしているような……」
「はい、そのICHIGEIホールディングスです。ノノのひいおじいちゃんが起こした会社ですよ。今は両親も働いています。ここ数年はシアトルの支部で暢気にスロー社畜やってますけど」
「……へ、へぇぇ~……!?」
「調べてみては? お母さんネットリテラシーとかあんま無い人なんで、ノノの名前ブログに書いちゃったりしてるんで。ノノが創業者のひ孫だってことくらいはすぐ分かると思いますよ。親世代までWi○iに名前載ってますし」
あんぐりと口を開け安斎は傘を落としてしまう。ひもじい前頭部が雨に濡れ更に悲惨なことに……って、そんなことより。
社会常識に疎い俺でもICHIGEIの名は知っている。比奈がよく読んでるラノベの出版元だったり、有名な動画サイトの大元だったり……。
日本のサブカルチャー関連には全部関わっているとか言われている、あの会社……!?
「ノノ、お前……えぇ……ッ!?」
「すいません黙ってて。でも、大したことないんですよ。おじいちゃんも筆頭株主辞めちゃってるし、お父さんも至って普通のサラリーマンです。そりゃ創業者の孫なんで多少は融通利くみたいですけど。まぁ言っても三男ですし」
「いやいやいやっ……」
「ノノが生まれる前に一族みんな経営から離れちゃったらしいんですよねえ。だから全然、今は普通のお家です」
普通なわけあるか。
えっ……なに? どういうこと? 確かにノノの家はアホみたいに大きかったし、凄い金持ちなんだなぁくらいには思っていたけれど。
そんじょそこらの金持ちお嬢さんが霞むレベルの大ご令嬢ってこと? あろうことにコイツが? 頭ノートルダムの市川ノノが?
「……知ってた?」
「いや、まったく……出版社勤めとは調査票を読んで知ってはいたが……」
峯岸さえも知り得なかった驚愕の事実。ドン引きもドン引きだ。こんな卑怯過ぎる後出しじゃんけんがあって堪るか。
「さて安斎さん。出版元の連結子会社……名前なんでしたっけ? まぁいいや。今年いっぱいで紙媒体の芸能エンタメ部門は全部お取り潰しって噂ですもんねえ。いやぁ時代っすねぇ……」
「……まさかとは思うけど、お嬢ちゃん、ボクを脅しているのかい……ッ?」
「いえいえ。たかが創業者のひ孫であるノノにそんな権限はありませんよ。まぁ、おじいちゃんに相談くらいはしましたが」
「それを脅しと言うんじゃないのかなッ!?」
「じゃあ訂正します。脅しです。おじいちゃんは今もグループの相談役です。大企業の権威を笠に好き勝手やってるだけの零細出版社が、あろうことに創業者のひ孫へ迷惑を掛けるなんて……どうなっちゃうんでしょうねえ?」
愛嬌たっぷりの純正スマイル。が、今ばかりは心底怖ろしい。コイツ、アニメ漫画でしかあり得ないレベルのことを平気な面で実行している。
……って、ちょっと待て。
いま、相談『しました』って言った?
「おじいちゃん今朝は香港にいてすぐ動けなかったので、色んな人にご協力いただきました。提携を切るかの瀬戸際な子会社の、そのまた下の下っ端の記者の名前に辿り着くまで、結構時間が掛かってしまいまして」
「……もう、終わってる?」
「はい、終わってます。本当は午後一でご報告する予定だったんですけどね……そろそろ電話でも掛かって来るんじゃないですか?」
予想的中。いや、予め仕組まれた運命か。どこからか着信音が鳴る。安斎は慌ててガラケーを取り出し応答する……。
「おっ、お疲れさまです……ッ?」
『安斎テメェこの野郎、とんでもないことしてくれたな……ッ!!』
相手は上司か誰かだろうか。顔を真っ青に染め電話越しに謝り倒す安斎。スピーカー越しに提携解消が云々と穏やかでないフレーズが聞こえて来る。
ノノが名刺の名前と出版社を確認してから、たった一日足らずでこんなことに…………え、やば。怖い。怖くない?
『取りあえず、即廃刊だけはどうにか許して貰えた、が……その為にお前を差し出した。良いか安斎。お前は……外信部に異動だ……!』
「外信部ッ!? 日本から出て行けと!? そもそもウチにそんな部は……!」
『ついさっき立ち上げた……立ち上げざるを得なかったんだ……!! 安斎、お前には……エリトリアへ行って貰う……ッ!!』
「エリトリアァァァァ!?」
闇夜に響き渡る安斎の絶叫。
エリトリアって……どこ?
「アフリカ北東部の世界最貧国さね……悪名高い独裁国家で、テロや誘拐は勿論のこと軍事衝突も日常茶飯事……というか、普通は行けない。仕事でもない限り入国すら出来ないヤバい場所だ」
「そ、そんな国が現代社会に……?」
「更に言うと、世界でもトップレベルでインターネット普及率が低い。SNSの閲覧はほぼ不可能。独裁国家だからな、検閲は相当厳しい。日本への通信なんてロクに出来やしないだろうさ……」
頬を引き攣らせ、乾いた笑いを溢す峯岸。
なんだその生き地獄みたいな場所は。
凄いな独裁国家。逆に興味湧いて来た。
ともかく、安斎はエリトリアへ強制的に飛ばされてしまうらしい。謎の権力によって。
ならば当然、俺を追い掛け回し中傷記事を書くなんて出来なくなるし……インターネットが使えないのなら、噂を流すことさえ叶わない、ってこと?
「かっ、勘弁してくださいよぉッ!? ボク、未だにスマホも使えないし、芸能とスポーツ以外の記事なんて書けな……!」
『拒否権は無いッ! 何故なら、異動命令だから……! こんなところしか働き場の無いお前が、仕事を失ってどうやって生きていける……ッ!』
「そんな……馬鹿な……ッ!!」
『馬鹿はお前だ……ッ!! グループトップの御嬢様へ手を出すなんて……! いったいどんなルートを使いやがった……!?』
「ち、違うんですッ!? ボクはただ、廣瀬陽翔の隠された今を暴こうと……!」
『知らん、そんな奴は……ッ! この際だから言っておくが、お前の特ダネはとにかく古い、古臭い……! もうとっくに令和だぞ……!? 昭和染みたスクープが通用する時代じゃないんだ……ッ!!』
ガラケーをボトっと落とし、小降りの雨に打たれ悲壮に暮れる安斎。完全に人生が終了しちゃった人の顔してる。
なんだかこっちが悪者みたいだ。いや、ゴリゴリに地位と権力を使って人の人生を捻じ曲げたわけだから、普通に悪者か。俺ら。というかノノが。
「おーい廣瀬ぇぇ! 慧はまだ帰らねえのかァ!? あんまり遅いもんで迎えに来ちまったぜ!! がッハハハハハハハ!!」
「うわ、よりによって!?」
ここで更なる刺客。慧ちゃんパパが傘を差しズンズン足音を立てやって来た。そうだよ、慧ちゃんの実家がすぐ近くじゃないか。
すぐに俺たちと、地面へ膝を付いている安斎の存在に気付き怪訝な表情を浮かべる。あー、これはもう任せちゃってもアリか……。
「おい廣瀬、この冴えねえオッサンは……」
「こんばんは慧ちゃんコーハイのお父さん! ノノ、市川ノノって言います! 慧ちゃんのセンパイなのですよ!」
「おーっ! アンタが小っこくて可愛いって噂の市川先輩か! 名前も可愛いんだなぁ! 慧が世話になってるよぉ!!」
「まったまた~♪ あ、ところでそこの絶望しちゃってる人なんですけどぉ。最近フットサル部のことを付け回っている不審者さんみたいでぇ~……」
「アァッ!? なんだとォォ゛!?」
「噂に違わぬ変態さんみたいで……ノノのおっぱいをガン見してたし、きっと同じくらい大きい慧ちゃんコーハイにも酷いことを……!?」
「テメェこの野郎ォォォォ゛ーー゛ッ゛ッ!! うちの慧になにしてくれやがったァァァ゛ァー゛ーーー゛ッッ!゛!!!」
警察だ警察ゥゥッッ!! と馬鹿デカい声を轟かせ、安斎の首根っこをフン掴み最寄りの交番へ連行する慧ちゃんパパであった。迎えは良いのかい。
(…………えぇ~~……?)
雨は小降りの筈だが、とんでもない大型台風が喉元を過ぎ去り、噓みたいに晴れてしまったみたいだ。
俺が一番懸念していた、長いこと頭を悩ませていた大きな問題が。ノノ一人のおかげで全部解決してしまった……。
「……だから言ったでしょ? ノノが守ってあげるって……陽翔センパイっ♪」
肩へちょこんと寄り添い、満面の笑みを浮かべるノノ。否、俺のペット。否、市川お嬢様。
どうしよう。なんだこの感情は。
嬉しいし、怖い。とても怖い。
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