900. 発言には気を付けろ


「いやいやいやいや……探したよぉ廣瀬くん! ボクのこと覚えてるかなぁ? 三年くらい前に取材させて貰ったんだけど……!」


 改め正面から見据えた芸能記者、安斎はなんというか、とことんイメージ通りの男だった。


 禿げ上がった前頭部、目の下の弛み。絵に描いたような中年太り……恐らく四十代後半くらいなのだろうが、もっと老けて見える。


 全身黒尽くめのコーディネートは実に似合っていない。無理して若者を演じているような滑稽さが滲み出ていた。故に若者から嫌われるというか。



「アァ? 廣瀬? 誰のことだ?」

「いやいやいや……誤魔化すのはいけませんなぁ。その目つきと癖っ毛、当時のまんまだねえ。お嬢さんもフットサル部の子かな?」

「チッ…………あぁ、お世辞は結構。本気で言っているのなら老眼鏡を買った方が良いな。眼科ならそこの角を曲がったところにあるぞ」

「はっはっは……これは失礼」


 一先ず白を切る峯岸だったが、これは流石に看破される。強い語気にも安斎はニタニタと薄気味悪く笑うだけ。



「何もするな。一言も話すなよ……おい菫、残りの連中に体育館から一歩も出ないよう伝えろ。良いな……!」

「は、はぁっ……? 分かりました?」

「早く行けッ! 説教は後だ!」

「えぇ~ッ!? なんでぇぇ!?」

「分かんだろッ! お前より質の悪い、そういう奴だよ! さっさと行け!」


 大慌てで体育館へと走る川原女史。峯岸の物言いが引っ掛かったのか、安斎は眉を顰め低い声でこう切り出した。



「その言い分は困りますなぁ先生。まるでボクが不審者みたいじゃないですか」

「不審者だよ。どっからどう見ても」

「いやいやいやいや……こう見えて真っ当な仕事に就いているんですよ。こう見えて。あぁ、申し遅れました。ボク、こういうものでして。廣瀬くんはもう持ってるよねぇ?」


 懐から名刺を取り出し、校門越しに峯岸へ渡す。一瞥し乱雑にポケットへしまうと彼女も反撃を開始。



「芸能誌のスポーツデスクねえ。聞けばこの世で最も卑しい職業に分類されるんだとか。生徒にもそう教えているところでね」

「おやおやおや……聖職者ともあろうお方が、そのような言い方は……?」

「馬鹿言ってんじゃねえ。教師の仕事は子どもを守ること、そして生活における火の粉を振り払う術を教えること。それだけさね」

「はっはっは……それはそれは。素晴らしい教育理念をお持ちのようで……」


 舐め回すような不快極まりない視線にも狼狽えず、峯岸は毅然とした態度を崩さない。強い敵意を露わにし安斎を睨みつける。


 一方の安斎も、余裕綽々の憎たらしい笑みを見せ一歩も引く様子は無い。

 女だからと舐めて掛かっているに過ぎないのだろうが……いやしかし、小降りの雨も相まって本当に薄気味悪い。こっそり通報してやろうか。



「まっ、構いませんわ。貴方にどう思われようと知ったことじゃあない。彼の承諾さえ取り付ければ……」

「そうはいかねえ。この子はウチの、私の生徒だ。例えどんな過去があろうと、まだ17歳の子どもなんだよ……ハイエナの世話になるには早過ぎる」

「ははっ! ハイエナ! そこまで言いますか! いやいや、発言には気を付けた方が良いですね! 職業病でしてねえ、全部録音しているんですわ……」

「教育委員会でもなんでも好きに持ってけ。お前のやっていることと私の発言、どちらが汲まれるか見物だな」

「ボクのやっている? 何か問題が?」


 ネチネチとしたスケベったらしい言い方で、安斎はこのように語り出す。



「廣瀬陽翔。大阪・堺の生んだ天才レフティー。幻の最年少デビュー記録を持つ日本サッカーの至宝。一方、素行には若干の疑問視が……それもたった一度の怪我を理由にクラブを退団した……今は何処で何をしているのかも分からない」


「気になるじゃないですかぁ? ユニフォームを脱いだ彼は、それはもう札付きの子どもだった……もしかしたら悪いことに手を染めているかも? それとも引き篭もりになった? みんな知りたいんですよ、廣瀬陽翔の今を」


「そしたらもう……いやぁビックリしましたよ。まさかフットサルに転向していたなんて。それも今度出場するのが、最近話題になっている男女混合の大会! あの栗宮胡桃と対戦するかもしれない! こんなビッグニュースは早々……!」


「……キミがいったいどんな過程を経て、山嵜高校へやって来たのか。何故フットサルに転向したのか。そこでどんな出来事があったのか……ねぇ、どうかなぁ廣瀬くん。いっそのこと、全部話してみない?」


「悪い話じゃないと思うよぉ? 競技に戻ったってことは、また選手として注目されたいんだよねぇ? プロへの道、諦めてないんだろぉ? だったらこれはチャンスだ……悪名は無名に勝る! そうだよねぇ?」


「……ボクはね。なにも意地悪をしたいわけじゃあないんだ。廣瀬くん。キミの人生の手助けをしたいんだよ……何か一つでも話してくれれば、キミの沢山のサポーターが振り向いてくれる。世界中が耳を貸してくれる……!」


「その手伝いをするのが記者であり、マスコミの使命なんだ……今なら分かるよねぇ? あの頃と違ってさ……!!」



 長い。聞き飽きた。


 要するに『雑誌を売りたいから全部喋れ』ってことだろ。なにを正義の味方みたいな顔してのうのうと。面の皮が厚いにもほどがある。 


 当たり障りのないことを話したとしても、面白おかしく脚色されて悪意マシマシで広められるだけだ。メリットはなに一つ無い。


 それを信じた烏合の衆は俺だけでなく、周囲の人間をも容易に傷付ける。情けの無い言葉という名の刃物で……。



「……正式な取材なら学校に申請を出しな。通るかはともかく。お前が今やっていることは、生徒を不安にさせ怖がらせているだけだ」

「先生ぇ~……貴方にとっても良い話なんですよ? あの素行不良で有名だった廣瀬陽翔を更生させた美人教師……話題になりますよぉ! それに、こんな何も無い街で働いていたって楽しくないじゃないですかぁ、お綺麗なんだから」

「……アァ?」

「ボクね、少し前まで芸能デスクだったんですよ。うん、スタイルも良いしグラビアでもやってけそうだなぁ」

「んなん欠片も興味ねーよ……アンタこそ、発言には気を付けろ。なにも無い街だぁ? アホ抜かしてんじゃねえよ……。ここでようやく高校生らしい生活を手に入れたこの子を、侮辱しているも同義だと……分かるよな?」


 どうにか平行線を保って来た峯岸だが、流石にここへ来て堪忍袋の緒が切れ掛けていた。激しい憎悪を募らせ拳を強く握る。


 何を言っても安斎は聞かないだろう。俺のコメントを引き出すのが目的なのだから、峯岸の反論はそもそも意味を成さない。



 もう遅い時間だ、一先ず連絡先だけ渡して帰させるのが吉か……だが峯岸は何もするなと言った。彼女の奮闘を無碍に扱うような真似も避けたい。


 でも、辛い。せめて一言。

 峯岸もフットサル部の立派な一員だ。

 彼女だけを苦しめるなんて……ッ。



「――あぁ。貴方が安斎さんですね?」


 突如、予想だにしない第三者の声が西門付近へ響き渡った。


 体育館から傘を差して現れたのは……ノノ!?



「おいっ、出て来るなって言っただろ!」

「すいませんセンセー。ノノが個人的に、この人に用があるんです。センセーとこちらのお兄さんには関係無いので」


 制服姿のノノは俺と峯岸に深く頭を下げると、校門を隔てているとは言え、臆せず安斎の元へと歩み寄る。



「へぇぇ~~……! お嬢ちゃん、もしかしてフットサル部の子かい!? 可愛いねぇ~!! 背は小さいのに良いカラダして……!」

「自分、ノノって言います! 山嵜高校フットサル部の絶対的エースにしてアイドル! どうですか? こっちのお兄さんよりノノの方が取材する価値あると思いませんっ? んふふふっ♪」

「んー、そうだねぇ~……。こんなに可愛いなら栗宮胡桃にも引けを取らない、いやもっと……彼女には無い武器もあるみたいだからねぇ……!」


 胸元を下心丸出しで凝視する安斎。普段は俺以外の男に観られるのをあれだけ嫌がるのに、ノノはまったく気にする素振りを見せない。


 まさかコイツ、俺への注目を下げるって……そういうことだったのか!? とんでもない、それだけは絶対に……!!



「……まぁ、取材出来るならって感じですけどね。んははっ♪」


 傘をクルリと回し肩に沿えると、俺を一瞥し軽快なウインクを決める。あまりにキュートで頼りがいのある姿に、思わず息を呑んだ。


 ……なにをする気だ、ノノ……?



「改めて自分、市川ノノです。はじめまして、週刊芸能プラス、スポーツデスク担当安斎アンザイ孝仁タカヒトさん。ところでその雑誌、ウチの系列ですよね? おじいちゃんも言ってましたよ。さっさと廃刊にしたいって」



 はい??


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