896. 消えた天才


「いやいやいやいや……まぁちょーっと聞いてくれや、お嬢ちゃん。その廣瀬ってヤツが山嵜高校に通っている、これはもう確かな情報なんですわ。嬢ちゃんもそこの生徒だろう? こんなところでバイトしてるんだから……」

「知らんッ! 知らんモンは知らんっ!」

「へえ~、世良さんって言うんだ。いやねぇ、コッテコテの関西弁が聞こえて来たモンで、おじさんビックリしたんだよ……ソイツぁ大阪じゃあ有名だからね。天才サッカー少年、廣瀬陽翔……聞いたことあるだろぉ?」


 カウンターへ行儀悪く寄り掛かり、胸元の名札を下心満載の薄汚い目で凝視するその男。確定だ。まぁまぁデカい声でフルネーム出しやがって。


 例の不審者はコイツで間違いない。俺を……廣瀬陽翔の現在を探るために、学校近辺をうろついているんだ。



「もしかしたらソイツの知り合いかと思ったんだ……なんでも聞いた話じゃ、可愛い彼女さんがいるそうでねえ」

「あんなぁ……! なんべん同じこと言わせんのや、知らへん言うとるやろがいタコがッ! アァン!? ええ加減にせなポリさん呼ぶでっ!」

「おっと! それは勘弁してよ~!」


 強い語気で威嚇する文香だが、たかが女子高生と舐めて掛かっているのか、男はまるで微動だにしない。


 モールは閉店間際だが、騒ぎを聞きつけた買い物客が少しずつ集まって来た。店長らしき男性も奥から出て来る。文香に代わって応対を始め、やはり似たような質問を繰り返す不審者。


 帰り支度を済ませ早足で店を離れようとする文香を、男はまたも呼び止めた。



「お嬢ちゃん。これ、おじさんの名刺。なにか分かったら連絡してちょーだい。色々サービスしてあげるからさぁ……ねっ?」

「……へッ。ちょうどトイレットペーパーが切れ掛けとってなあ……ホンマ助かりますわっ!」


 乱雑にソレを奪い取りこちらへとやって来る。曲がり角のすぐ先に俺がいたもので、文香は目を見開き酷く驚いた様子であった。



「にゃにゃっ!? はーく……」

「静かに! 離れるぞ……!」


 しーっと指を立て、その手で彼女を掴みモールの外へ出る。男がすぐに追い掛けて来る可能性も考え、傘も差さずにアパートへ一直線。


 モールの裏を流れている小川と小学校との間を走る道路は、街灯が少なく人影が目立たない。スマホのライトを広げ誰もいないことを確認し、アパートの階段を駆け上がる。


 二階の通路は細い裏路地と一軒家の外壁に面しているので、ここまで来れば誰にも見つからない。もう安心だ。



「……はーくぅぅぅぅ~~ん!!」

「よしよし、怖かったな……」


 途端に涙を浮かべ顔を埋めて来る。何かと威勢の良い彼女でもあれだけ下品な男の相手は辛いだろう。撫でた頭はぷるぷると震えていた。


 みんなまだ部屋に残っているようだ。一先ず文香宅へお邪魔し、状況を整理することとする。

 ようやく落ち着いてくれた文香は、例の名刺を俺に渡しベッドへ腰掛けると、先の経緯をこのように語り出した。



「廣瀬っちゅう高校生を探しとる言うて、急に話し掛けて来てな……駅近におる高校生やらに聞き込みしとる言うとった」

「次に近くでバイトしている奴、ってわけか……ありがとな、黙っていてくれて」

「当たり前やんっ!? アイツ、はーくんことよう知っとった! 怪我でセレゾン辞めたんも、その前に謹慎処分になったんも……景気の悪い話は全部やっ! あと、ウチのフットサル部の選手やってことも!」


 必死に訴える彼女の顔は、またも張り裂けそうな恐怖と不安でいっぱいになっていた。

 隣に座って抱き寄せ、背中を撫でてやる。癖の強い巻き毛が雨でしっとりと濡れていた。身体を温めた方が良い。



「このままや風邪引いちまうな……シャワーを浴びて少し待っていてくれ。みんなを連れて来る」

「はーくん……っ」

「心配すんな。こういうときのためのチーム、家族だよ。お前のこともみんなが守ってくれる……ほら、行ってきい。それとも一緒に入るか?」

「……ちょっとアリ」

「えっ」

「でもええ。一人で入る……っ」


 ほんのり顔を赤らめた文香、そさくさと準備を纏めシャワールームへ。

 一瞬、正統派のラブロマンスが成立しそうでドキドキした。気休めには勿体なかったか。



(文香に絡んだのはホンマの偶然やな……)


 長いこと俺の追っ掛けをしていた文香の顔と名前は、セレゾン関係の連中にもそれなりに知られている。クラブ広報の榎本も彼女のことを覚えていて、冬に舞洲で再会した際に少し話をしたそうだ。


 幼い頃から俺を知っていて、尚且つ距離の近かった人間は、必然的に文香の存在にも気付く。

 例の不審者は彼女の顔と名前にピンと来ていなかった。つまり奴はセレゾンの関係者ではない。


 まぁ、雨で文字の霞んだ名刺にすべての答えが載っていたわけだが。週刊芸能プラス、スポーツデスク担当安斎アンザイ


 名前はともかくこの週刊誌。

 聞き覚えがあるような、無いような。






「廣瀬さんが狙われている……っ!?」

「ド三流の芸能記者ってとこやな。どっから話が漏れたかなん見当も付かへんけど……ウチらが大会に出ることも知りよっとった」


 全員が文香宅へ合流し、改めて事の顛末を説明。狼狽する有希を筆頭に、流石に空気が重たい。


 やっぱ有名人は大変っスねぇ~……と暢気に呟く慧ちゃんの惚け顔が唯一の救い。深い事情を知らない彼女は、俺のせいでマスコミが大挙して押し寄せるのではないかと、大方そのような心配をしているようだった。


 って、そうか。聖来は例のGPSアプリのおかげで色々と知っているし、ミクルも前に被害に遭ったからなんとなく察してはいるのか。

 いよいよ慧ちゃんだけ知らないというのもなんだかな。わざわざ打ち明けるような話じゃないけど……まぁそれはともかく。



「この安斎という方と、なにか因縁が?」

「なにかって?」

「……貴方の昔話は文香さんを始め、皆さんからそれとなく聞いています。しかし、今となっては一般人。普通の高校生です。芸能人のゴシップならまだしも、執拗に狙うほど旨味があるとは……」


 名刺を見つめる琴音は首を捻りそのように話す。まぁ、トップレベルで結果を残せなかった元世代別代表選手なんて日本全国そこら中にいるわけで、俺だけが追い回されるのも理不尽な話だ。


 だが理由ならある。俺が何かとマスコミ云々の話を持ち出すのは……ここだけの話、あまり仲が宜しくないから。犬猿の間柄と言っても良い。



 本当に小さかった頃はまだマシ。天才少年だなんだと持て囃す連中ばかりで、鬱陶しくは思えど邪魔な存在ではなかった。

 が、ジュニアユースへ飛び級昇格を果たした頃からか……実家や学校にまで押し掛けたりと、次第にしつこくなって。


 世代別ワールドカップに出場してからは更に酷くなった。未曽有の天才サッカー少年を深掘りしたいだけの芸能記者や、三流ゴシップ雑誌かどこかのガラの悪い記者も訪ねて来た。財部をはじめセレゾンの大人が守ってくれたのだ。



「くすみん知らんの? ハルって色んな意味でめっちゃ有名人なんだよ。ナイジェリア戦のインタビューとかもう伝説だし。てゆーかWi◯iあるし」

「瑞希、ホンマやめてくれその話。いっちゃんの黒歴史やねんアレ……」


 去年の文化祭でも彼女が話していた。というか未だに残っている。偶に思い出したように削除申請を出すけど、全然消えない。


 試合後のインタビューを全部英語で答えて、勝手に切り上げてロッカールームへ帰ったのだ。初っ端からしょうもない質問をされたのと、試合の出来に不満だったこともあり結構苛付いていた。


 おまけに最後、英語と言えど『もっとマシなこと聞けや』と喧嘩を売ってしまい、翻訳された結果『なんだあの態度は』とネットを中心に大炎上した。らしい。財部と大場が教えてくれた。実物は見ていない。



「はぁ。Wi○iならノノの両親も載ってますが?」

「金持ち自慢はええねんて……まぁ、せやねんなぁ。あん頃のはーくん、むっちゃ生意気やったしなぁ~……」

「自分も昔の記事とかネットで読んだことあるケド……なんていうか、ビッグマウスが過ぎるよね。いかにも社会を知らないクソガキってカンジ」


 呆れた面で鼻を鳴らす真琴。彼女に生意気呼ばわりされるのは心底納得いかないが、つまりそういうことだ。


 マスコミ連中に辛辣な態度を取り続け、挙句の果てに大怪我で表舞台から放逐された『消えた天才』。それが世間一般における廣瀬陽翔の総評。後ろに(笑)が付いているタイプのアレ。



「今のハルトの姿を世間に広めて、笑いものにしたいだけなのよ。昔はあんなに凄かったのにって……ホント、ばっかみたいっ……!」

「落ち着いて愛莉ちゃんっ……うん、でもそうだね。陽翔くんは暫くの間、目立たないように動いた方が良いと思う。少なくとも大会が始まるまでは……変なことを記事に書かれちゃったら、陽翔くんも文香ちゃんも辛いもんね」


 怒りを滲ませる愛莉を宥め、比奈は穏やかな口振りで提案する。他に防衛手段も無いだろう。クソ、この大事な時期に皆へ迷惑を掛けるなんて……。



「No hay problema! cariño、ウチガマモル! ミンナ、ミカタ!」

「シルヴィア……」

「そーですよセンパイ! あんまり気を病まないでくださいっ! いざとなったら慧ちゃんコーハイがボコボコにしてくれますから!」

「えっ、アタシっスかッ!?」

「あれ? 地元じゃ負け知らずの筈では?」

「どこのアミーゴっスか! 武術の心得なんてちょっとしか無いっスよ!」

「ちょっとあるんですね」


 健気な二人と慧ちゃんのキレキレなツッコミに釣られ、みんなも少しずつ笑顔が戻って来た。優しい瞳が一身へと集まる。


 流石に慧ちゃんだけには頼れないが、俺一人で悩んでいても仕方ない。こんなときくらい助けて貰ってもバチは当たらない……か。



「……ありがとな、みんな」

「当然です。貴方一人だけを苦しませるようなことは……とにかく、なんでも相談してください。私に限っては頼りないでしょうが」

「んなわけねえやろ。ありがとな琴音…………なら早速やけど、みんなが怖い目に遭わないように計画を練ろう。取りあえず今日は……」

「泊まれば良いんじゃないですか?」


 そのまま琴音に話を振ろうとしたところ、ノノに遮られる。みんなポカンとした顔で彼女を見つめていた。



「今から帰ったら後を付けられるかもじゃないですか。センパイの家を知っている可能性もゼロじゃないですし」

「まぁ、それは……」

「なんだかノノ、不安になって来ちゃいました。怖くて夜も眠れなさそうです。あとオシッコ漏らしちゃうかも」

「はい?」

「つーわけで今晩は、陽翔センパイの部屋で、全員で寝ましょう」


 何故そうなる。


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