890. You○uberになります
この数か月で改めて分かったのだが、市川ノノは非常に早起きさんである。俺より後に目覚めることは滅多に無く、布団に潜り俺が起きるまでお掃除をしていることが多い。
ペットのお務めですっ。なんていつか嬉しそうに話していた。二人が初めて及んだ行為だし、特別な思い入れもあるのだろう。俺にとっても彼女と迎える朝の楽しみの一つ。なのだが。
「ふむぅ~……っ」
早朝五時半。今日は『滅多に無い』のなかでも少し珍しいパターンだった。
やはり服は着ていないが、隣でスマホを開き何やら動画を観ている。
「ありゃ、起きちゃった。おはよーございますっ。ではでは失礼して……」
「ええよそんな律儀にやらんでも……ずっとなに観てたん?」
「いやぁ、ちょっと……」
布団の彼方へ旅立ってしまったので、枕元に放置されたスマホを覗いてみた。これは……。
「モーニング・ルーティーン?」
「ふぉらっ、じょしりょふがふぁりらいって、ひほうはなしたらないれふか」
「咥えながら喋んなって」
「……きもひよふらい?」
「気持ちいいけど、この動画にそんなモーニング・ルーティーンは無いぞ」
「むっ……じゃあやめときます」
一応綺麗にだけしますねっ。としっかりあちこち舐め回し枕へ戻って来た。昨日語っていた『来栖まゆ(の女子力)が羨ましい』という話か。
モーニング・ルーティーンとはその名の通り、朝起きてから行う習慣のこと。なんでも自身のルーティーンを動画サイトに投稿する人が沢山いて、人気のジャンルなのだそうだ。瑞希もよく観てるとかなんとか言ってたっけ。
「やっぱダメですね……ノノの朝、全然イケてなかったです。起きて一発目で化粧水塗るとか、ノノにはハードル高すぎて」
「んなんせんでも綺麗な肌しとるよ」
「まぁ実際そうなんですけどぉー。やっぱこーいうところから意識しないとなのかなぁって」
「普段は? 休みの日とか」
「んー。顔洗ってオシッコして歯ァ磨いて、ワンコのお散歩して……」
「別に普通やん」
「○○ってもう一回寝ます」
「……まぁギリ普通か」
「本気で言ってます??」
要するに『だらしない自分をなんとかしたい』ということか。元々のポテンシャルが高過ぎるから、今までは無縁な悩みだったのだろう。取りあえず朝一で自家発電はやめてほしい。普通に。
そんな矢先、来栖まゆや川原女史の存在を目の当たりにし危機感を持ち始めたと。
別に気にするようなことだろうか……こんな赤ちゃんみたいな柔肌と可愛い顔で、手入れもなんも無いと思うけどな。
「しっかりしたいって気持ちを持つのはええけど、ノノらしさが無くなるのはちょっと困る」
「むぅ~……それ、ノノが普段からダラダラしてるみたいに聞こえますっ」
「ええやん。そういうノノ好きやで」
「…………んぅ~~~~!! 嬉しいけど納得いかないぃ~~!!」
俺をホールドして布団を巻き込みながらゴロゴロ。この瞬間こそ最高のモーニング・ルーティーンだと思うのだが。もはや何も言うまい。
でもまぁ、そもそもの根源は『俺のために可愛くなりたい』っていうことだもんな。勿論ノノがもっと可愛くなったら俺も嬉しいし。そういうことなら協力してみたいかも。
「んっ、この声……」
ゴロゴロしている間にノノのスマホを触ってしまったらしく、新しい動画が再生され始めた。なんだか聞き覚えのある声だ。
「…………来栖まゆ?」
「はっ? なんですと?」
二人揃って画面へ食い入る。なんとその動画でモーニング・ルーティーンを紹介していたのは、他でもない町田南の14番、来栖まゆだったのだ。
寝起きからお肌の手入れ、髪型のセットまでアテレコ付きでこと細やかに解説している。中々に凝った編集だ。というか……。
「ノノ。この数字ってチャンネル登録者数ってやつよな? 多くないか?」
「いやいやっ、多いどころか30万ってメチャクチャ大手ですよ…………はぁ~。そんなことやってるんですねあの人。まぁこの内容は嘘ですけど」
「分かんの?」
「いやだって、朝ごはん食べるまでにオシッコ行かないとかありえないですし」
「流石に省くやろトイレシーンは」
更にチャンネルを調べてみる。どの動画も何十万、何百万再生という凄まじい人気ぶりだ。確かに容姿端麗で愛嬌もあるし、女子高生というブランドも加われば納得の範疇ではある。あるのだが。
「ぶりっ子やなぁ……」
「ぶりぶりですねぇ……」
俺たちは知っている。動画や男の前で見せるキュートな笑顔の裏に、恐ろしい素面が隠されていることを。ノノに至っては真正面から悪意を飛ばされたわけで、あまりの変貌ぶりに揃って呆れ顔。
内容は女子御用達のメイク動画を中心に、ウェア姿でボールを蹴っているものも多い。
中にはコスプレのような恰好でプレーしている動画まで……男を釣ることに命を懸けているようなチャンネルだな。
「あー……せやからアイツも特集されとったんやな。元々有名人ってわけか」
「特集?」
調べるとすぐに出て来た。オミに教えて貰った、大会に出場する美男美女プレーヤーを特集したネット記事。やたら真面目な顔で読み込むノノ。
「……ウチの選手がいない!?」
「そりゃそうやろ」
「何故!?」
「公式戦出たことないし、誰も知らへんて。俺が山嵜にいることも、みんなの存在も。全国まで行ったら流石にやけどな」
「な、納得いきません……ッ! まったく、相変わらず傘下のクソ雑誌は仕事をしませんね! いい加減に全部ぶっ潰しちゃえば良いのに……ッ!」
「どういうモチベーションでキレてんだよ」
よく分からないポイントも含め悔しそうなノノ。まぁそうだ。記事の女性選手より山嵜のみんなの方がよっぽど綺麗だし可愛い。まるで比較にならん。
オミも言っていた。山嵜フットサル部は様々なジャンルの美少女を搔き集めた超容姿端麗軍団なのだ。傍から見れば『アイドルグループですか?』と言われても不思議ではない顔面偏差値の高さ。
無論、男の俺を除いての話である。いやでも、羽瀬川より良い面してる自信あるけど。みんなのおかげで余計な自己肯定感高まっちゃった。
(せやなぁ。全国まで行ったら……)
謎のイケメン選手現る、などと馬鹿な妄想をしているわけではない。みんながいるのにわざわざ女性ファンを集める必要も無い。
が、決して無視できない現実。
廣瀬陽翔。まぁまぁ有名人である。
特にサッカー界隈では。
「あー、そっか。センパイも……あんなファンがいるくらいですもんねえ」
「変に注目されるのもなぁ……」
同期である内海や南雲の活躍を特集する記事に、未だに俺の名前が出て来るくらいだ。プロデビューこそ出来なかったから、一般層やライトなファンに見つかることは無いだろうが。
知ってる奴は知っている。それこそ峯岸や川原女史をはじめとするコアな層。同世代のプレーヤーなど。町田南の連中もそんなリアクションだった。
というか、俺の経歴を知って尚、飄々としているみんなやサッカー部の連中がおかしいのだ。尊敬してくれているのは谷口と克真くらいで、他の知り合いは『へーすごーい』の一言さえ言わない。
単純に興味が無いのか、色眼鏡で見ていない証拠でもあるのだろうが。一方で校外の人間やマスコミ各位が同じ反応かと言うと……。
「なるほど……もしセンパイがまたマスコミに注目されると、ノノたちの関係が世間にバレちゃう可能性も……」
「それがホンマに困る。平和に暮らしたい」
「こんな不純極まりないハーレム建設しといて平和な日常は無理ありますって」
「だとしても。俺一人ならともかく、みんなに迷惑は掛けられねえ」
これまで通りの平穏な学校生活が望ましい。だが同時に、全国の舞台はチーム一番の目標であり、我々がフットサル部足り得た最大の理由でもある。廣瀬陽翔の存在を理由に諦めて良いようなものではない。
「ふむう……ともすればやはり、どうにか陽翔センパイを目立たなくする方法を見つける必要がありますね……」
「せやなぁ……」
「そしてノノも特集記事に……!」
「別にそれはええやん」
「ダメですっ! センパイが良くてもノノの気が済みません! なーにが来栖まゆですかっ! 絶対ノノとみんなの方が可愛いでしょうに!!」
「そこかよ気になってるの」
「良いですかセンパイっ! つまり、客観的にも『市川ノノ>来栖まゆ』の構図が完成すれば、ノノも変に不安になったりしないで済む筈なんですっ!」
グワっと目をかっ開き興奮気味に語るノノ。どうやら来栖まゆに相当な対抗心を持っているらしい。ライバル視する気持ちも分からなくもないが。
「取りあえずノノ、You○uberになりますっ!」
「なんでだよ」
「センパイのペット系You○uberにっ!!」
なんでだよ。
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