889. キャスト・オフ


「もうほんとっっ、いつでも連絡して貰って大丈夫なので……!! 大会まで体育館ずっと開けときますし、慧ちゃんのこともあるし学校みんなで応援するっていうかさせていただきたいしなんなら大会も観に行かせていただきたい……!!」

「あ、ありがとうございます……ッ」

「あと本当にこれはよろしかったらなんですけど次の練習で綾乃先輩ともお会いしたいんで少しご協力して貰えればっていう、いやほんと我が儘言ってごめんなさいマジお願いします……ッッ!!」

「それも言っておきます……」

「ぁぁああああ嗚呼゛アアアア推しが優しいいぃぃィィ~~……ッッ!!」


 忘れた頃にやって来る。

 限界オタク、川原菫。


 約二時間半キッチリ練習をこなし、その後上級生は川原女史と相談……するまでもなかったのだが、取りあえず大会まで八中の体育館を練習場所として提供して貰えることになった。


 ありとあらゆる私物に慣れないサインを頼まれ、最後にもう一度握手をしたところで涙腺が完全崩壊。手がビチャビチャ。


 頼もしい存在に違いはないが、今後体育館の諸々は愛莉に管轄して貰おうと固く心に誓う。やはり自衛の延長である。



「サインあるのね。ちゃっかり」

「作れって言われたんだよ。デビューしたら必ず必要や言うて、家で宿題までやらされて……手が覚えとったわ」


 遠く先で手を振り続ける川原女史を、愛莉は折れ掛けの安っぽい傘の中から半笑いで眺めている。皆も同様。

 聞けば『あの領域まで行くとライバルって感じもしない』と早々に脳内戦線から脱落したようだ。嫉妬しいの愛莉にこうも言わせるとは。



「では周知した通り、月・火・木と土日はここで練習です。荷物の用意等でミスが無いよう気を付けてください。特に未来さん」

「グっ……!? きっ、今日は偶々、裸足でプレーしたい気分で……!?」

「駄目です。怪我の元です。次忘れたら参加させません。良いですね」

「あ~~い……」


 夜も深まりこのまま現地解散。琴音にこってり絞られたミクルは意気消沈。有希、聖来、慧ちゃんに慰められつつラーメン屋へ連行された。

 最近流行っているらしい。有希のバイト先だから行きやすいのだろうが。食べ過ぎんなよ、特に慧ちゃん。



「姉さん。雨も止みそうにないし、こないだの映像観ようよ。兄さんが町田南の人に貰ったやつ」

「それ昨日も観てなかった?」

「先輩たちにも確認して欲しいんだ。向こうがどれくらいの強度で、どういう選手がいるのかとか。比奈先輩、琴音先輩、このあと良いですか?」

「良いよ~。琴音ちゃんは?」

「そういうことならお付き合いします」


 四人は土曜の町田南戦の鑑賞会をするそうだ。昨日7番の兵藤から動画が送られて来て、まだ長瀬姉妹にしか共有していない。

 トップレベルの生きた教材は比奈と琴音にとっても良い刺激になるだろう。みんな家も近いしそのままお泊りかな。ちょっと羨ましい。



「文香は?」

「ん~。今日はバイト無いんよなぁ~。言うてやることもあらへんし……」


 なら俺たちもどこかで晩飯食って帰るか、と言い掛けた手前。一人暇そうにスマホを弄っているノノを見て何やら首を捻る文香。



「ミズキチ家遠いんやっけ?」

「おー。一時間半掛かる」

「言うて帰ってもヒマやろ?」

「まーね」

「遊びに行ってあげてもええで」

「なんで上から目線? いーけど。¿Va a venirシルヴィアも también来る?? Noche de女子会 chicasだってさ.」

「¡Sí! オンナダケ! ムサボル!」


 さっさと駅へ向かう三人。なんだ今の不自然極まりないムーブは。あとシルヴィア、間違っても女は貪るものじゃない。変質者の言い分だぞ。


 という具合に、いつの間にか俺とノノの二人だけ取り残される。まるで俺たちだけになるよう予め仕組んでいたかのよう。


 ……まさか、嵌められた?



「ぼっちですかセンパイ。可哀そうに」

「自分を数に入れろよ」

「良いんですっ。どーせノノは誰からも誘われないキョロ充ですよ~」


 休憩中に三年女子が固まって何か話していたし、どうやらその間に結託したようだ。みんなノノの機嫌が悪いことに気付いていたらしい。


 あとで礼を言っておかないとな……俺もノノに話したいことがあった。というかコイツ、まだいじけてやがる。



「んっ……なんですか?」

「構って欲しいんだろ? 付き合えよ」

「……ふむう。仕方ないですねえ」


 手を握ると少し驚いた様子で、俯きげに視線を逸らす。かったるそうに返事してみたは良いが、明らかに頬が緩んでいた。なんて単純な。


 今日は誰からも夜の約束をされていない。そもそもコイツは自称俺のペットである。好き勝手振り回したところで問題は無い筈だ。

 連日のハードワークとなるかは彼女の気分次第。まぁ、それより他に気になることもあるのだろう。



「疲れたわ。ノノ。癒してくれ」

「…………むふっ♪」


 面倒を取るのは飼い主の役目。

 世界一可愛いペットなら尚更である。

 





 フットサル部専用寮と化したアパートには今夜、俺たちを除き誰もいない。

 部屋前まで到着し財布から鍵を取り出すが……ノノはもう我慢出来ないみたいだ。



「なんだよ」

「センパイはやくぅ……っ!」


 腰回りにしがみ付き、背丈とまるで釣り合いの取れぬ豊満なソレをムニュムニュと押し付けて来る。声も心なしか甘ったるい。


 戸を開けると後ろからグイグイ押されて、あっという間にベッドまで到着。そのまま押し倒される。ズボンへ手を伸ばし……って、おい。



「ちょっ、待て待て」

「待ちません。っていうか待てませんもう……早く脱いでくださいっ!」

「そんなにしたかったのか?」

「センパイよりマシですっ……!」


 そう言う彼女はとっくにキャスト・オフ済み。汗染みのウェアをポイっと投げ捨て、スポーティーな装いをした淡い水色の肌着が露わとなる。


 ここまではいつも通りの流れ。自宅で二人きりの場合、ノノは基本的に服を着ない。身に着けるのは誕生日にお互い渡し合ったチョーカーだけ。


 言葉遊びの延長ではない。ノノは俺からペット扱いされるのを本気で気に入っている。なにも二人の時間はソレだけが目的ではないのだが、曰く『真っ裸の方がペットっぽくて良い』とのことで、すぐこの恰好になってしまう。


 どう足掻いても変態チックな絵面でしかないので、時折気後れしてしまう自分も居るには居るのだが……俺より彼女がそうしたいと言うのだから、わざわざ止める理由も見つからない現状。



「デカけりゃ良いってモンじゃねーんですよ、まったく……センパイは分かっていません! 愛莉センパイみたいにツンと張ってるならともかく、あんなだらしない形じゃ女としてですね……っ!」

「なぁノノ」

「はいっ? なんですかっ!?」


 鞄からチョーカーを取り出し装着。豊満なふくらみが水風船のようにプルンと弾け、忠犬ノノ公のご登場。

 あれだけ多くの色を知った今でさえ、あまりに刺激的な光景だ。まだ触ってもいないのに、すべすべした感触が伝わってくるよう。


 このまま流されるのも一向に吝かでない。が……やはりその前に一つ確認しておきたい。ネガティブな感情はすべて忘れて貰わないと。



「一応言うとっけど、川原先生ならちっとも気になってねえからな」

「……いいや、ウソですねっ! だってギューってされてたとき、めちゃくちゃ鼻の下伸びてましたしっ! ノノは見ましたよっ!」

「あんなんされたら男はみんなそうなるんだよ……お前より可愛いとか気に入ったとか、絶対に無いから。ホンマに」

「……むむむむっ……!」


 やっぱりだ。川原女史があまりにも好意を隠そうとしないから、自称ペットとしての立場が危ぶまれていると感じているらしい。


 今朝も町田南の来栖まゆについてアレコレ話していたが、先の一件で変な方向へ頭が回っている。文香に対するやさぐれた態度もこれが原因だろう。



「ほら、こっち来いや」

「…………脱いでください」

「取りあえず上だけな」

「……じゃあそれで良いですっ」


 トテトテ覚束ない足取りで歩いて来て、ベッドへ膝を付き身体を預けて来る。


 力いっぱいに抱き締めてやると、一瞬で酒に酔ってしまったかのような甘い吐息を漏らし、それこそ本物の犬みたいにコロコロと喉を鳴らした。普段のテンションの高さからは想像も出来ない汐らしい姿。


 このギャップこそ彼女最大の魅力なのかもしれない。素直に甘えて来るノノは本当に可愛らしくて……市川邸での一件から、すっかり魅了されっぱなしだ。いや、もっと前か。出逢ったときからずっとそうだった。


 

「…………言ったじゃないですか。余所見しないでって。あーいうの、ダメです。不安になっちゃいます……っ」

「ごめんな、ノノ。許してくれる?」

「……いっぱい可愛がってくれたら、許します。許すって言うか、ちゃんと飼い主やってください……ノノ、寂しいです」

「ご飯と遊ぶの、どっちが良い?」

「……こっち」


 ピッタリ重なった唇。互いの理性を少しでも吸い取ろうと、何度も何度もキスを繰り返す。柔らかな彼女に包まれ、雨で冷やした身体も芯から温まるようだ。


 僅かなインターバルを挟み、縺れるようにベッドへ倒れる。もう少しお喋りしても良い気はするけど、まぁ、やめておくか。俺も彼女も限界だ。



「遊んでください……ノノの、ご主人様……っ」


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