888. そういう生き物


『ねえcariño。仮にもケイの恩師にこんなこと言いたくないけれど、流石に気持ち悪いわ。どうして泣きながら笑っているの?』

『そういう生き物として納得するしかない。そして俺にだけは聞くな』


 パイプ椅子に座り練習を見学する川原女史だが、時折こちらへ視線を寄越しては涙を流している。シルヴィアは本気で気味悪がっていた。


 むしろ『気にしたら負けだ』と、逆に良い方向へ作用したのか。みんな余計な口も挟まずトレーニングへ集中している。


 ええねんけど。

 なんか怖い。こう、雰囲気が。

 あとで正式に謝罪しよう。



 さて。現在行われているのは実戦を意識した4on4のパスワーク。攻守が入れ替わるたび琴音はコートを忙しそうに移動している。


 一旦離脱した俺と若干名で、端っこでノートを広げ皆の動きを細かくチェック。

 土曜日に打ち立てた、ポジションとファースト・セカンドセットの選定作業を本格的に始めることにしたのだ。



「珍しいな。文香がキレへんて」

「にゃん? ウチが?」

「ああいうのいっつも嫌がるやんけ。人前でイチャイチャされるの」

「んなんもう気にせんわ。言うてあん人も部外者やしな……いっぺんのハグくらいサラッと流すんが、ええ女の証明っちゅうもんや」

「おー……そっか」

「にゃふふっ。照れとるやんっ」

「照れるよ。そりゃ」

「素直でよろし~~♪」


 ちゃっかり隣に座り、実にご機嫌なタヌキ面でそのように話す文香。頭撫でるな。嬉しいけど。恥ずかしいから。



 ところでその文香だが、箱根での一件を境に大きく変わった点がある。他の面々とのやり取りへあまり茶々を入れなくなったのだ。なんというか、ドンと構えるようになった。


 恐らく『最後はお前のところに戻る』という例の浮気発言が大方の根拠なのだろう。

 やり取り自体は以前とさして変わらないが、所々に余裕が垣間見えるとでも言うべきか。


 町田南戦でもその流れが見て取れた。真琴の健闘を誰よりも喜んでいたし、チームに馴染む努力をしっかり続けてくれている。

 ド派手な失踪劇も結果的には良い方向へ転んだわけだ。有希と並んで良い傾向と呼べるだろう。


 

「ったく、なーにイライラしとんねん市川。あんな出オチみたいな姉ちゃんに負けた気かいな」

「そーじゃないですけど……仮に苛付いているとしたら、世良さんが生き生きしてるからだと思います。むしろ」

「な~んでウチのせいやねん」

「その無い胸に聞いてくださ~い」

「ウチのチャームポイントはお尻やも~ん!」

「へーへー。ノノが悪うござんした~」


 一方、もう一人の待機組であるノノが露骨に不機嫌。そりゃもう不機嫌。


 川原女史の暴走を間近で見ていたのもあるだろうが。文香に対してもやや棘がある。なんだよ、週末は仲良さそうに肩並べて試合観てたってのに。


 ……まぁ良い。俺から切り出しておいてなんだが、そろそろ真面目な話題へ戻らないと。

 部でも有数のフットボールマニアである彼女に残って貰ったのには、ちゃんと理由があるのだ。



「ほんでノノ。見ててどう思う?」

「え。あーっ、そうですねえ…………まぁやっぱり、マコちんはフィクソですね。球出しも動き直しも早いし、何より淀みが無いですから。ああいうタイプが後ろにいると全体も安定しますし」

「比奈と比べるとどうや?」

「んー。面子が完全シャッフルなのでなんとも言えませんけど……スイッチを入れる縦パスは比奈センパイの方が多い気はしますねえ」


 

 メンバーの再編成。とは言うが、ファーストセットの面子は事実上もう決まっている。ゴレイロは琴音。アラに俺と瑞希。そしてピヴォが愛莉だ。


 元より山嵜は攻めっ気の強いチーム。俺が高い位置を取ることで攻撃への比重は強まるし、個の力でゴールを奪えるこの三人はやはり主軸となる。


 故に着目すべきはフィールドプレーヤーの最後尾、フィクソ。これまでの試合はほとんど自分が務めて来たポジション。

 上述の通り、俺はアラでのプレーをメインにしていきたい。ここだけポッカリ空いてしまうのだ。



『リズムを作れるマコトと、パス一本で局面を変えられるヒナ……どっちを優先するのかってことね』

『あぁ。シルヴィアはどう見る?』

『難しいわね……背の高いマコトの方がバランスは良さそうだけど、単純なディフェンスならヒナの方が上手いわ』

『そう、仰る通りでな。タイマン勝負なら真琴やねんけど』

『まぁでも、三年生で固めた方が連携は良い筈よ。ヒナがファーストチョイスで、屈強な男がピヴォのチームなら、マコトと貴方が引き気味に構える……これがベストなんじゃない?』


 こちらも世界有数のサッカー処で育ち、名将チェコを父に持つシルヴィア。生まれ持った観察眼と知見は群を抜く。


 俺もそう思う。比奈は三人のパスワークへ十分着いて来れるし、真琴より劣るとはいえ前線への飛び出しも中々のモノがある。同じ女子相手なら守備もさほどネックにはならないだろう。



「というか、なるべく隠しておきたいんだよ。真琴の存在自体を」

「まーくんを? なんでまた?」

「オフェンスの仕事も勿論やけど、それに加えて、対人守備のスペシャリストに育てたいんや」

「あぁ~。栗宮の姉ちゃん対策で?」

「奴に限らず。女子にも一人、守備でガッツリ『闘える』選手が欲しい。愛莉はピヴォ専門やし、俺もフルタイムは出られへんからな」


 まだ公式ルールがすべて発表されていないので、あくまで関連記事に載っていた情報ではあるのだが。なんでも今回の混合大会、男性選手にはプレータイムの制限があるのだとか。


 女性陣のみで試合をこなさなけばならない時間帯が出て来る、というわけだ。そこで真琴には俺の代役を務めて貰いたい。



『それ、ケイじゃダメなの?』

『考えたけど、そもそものスキルがどうしても足りん。となるとあの身長はピヴォかゴレイロで活かしたい。フィクソの仕事までは……』

『あぁ、確かに。今からだと時間も限られているし……一年生はなんて言うか、ピーキーな子が多くて大変ね』

『ホンマにな』


 更に頭を悩ませているのが一年組の扱いだ。オールラウンダータイプの有希と真琴はともかく、残る三人がとにかく計算しにくい。


 パワーは一番だが技術の無い慧ちゃん、抜群に速いが慧ちゃんより下手な聖来。そして守備のアラートがちっとも効かないミクル。


 良く言えば一芸タイプ。悪く言えば使い勝手が悪い。勿論、それぞれの長所を効率良く引き出せば、確実に大きな武器とはなるけれど……。



『ねえ貴方。大会の登録メンバーって十二人なんでしょう? 誰を外すかの見当は付いているの?』

『…………ちっとも』

『気持ちは分かるけど、ギリギリまで悩めば悩むほど苦しくなるわ……パパも試合に帯同するメンバーは早い時期に決めているわよ』


 そして、遂に露呈したこの問題。

 一人がメンバーから外れてしまう。


 正確には、途中で怪我人等が出た場合のために『ラージリスト』となるものを提出し、そこからベンチ入りする十二人を選ぶことが出来る。代表大会でも採用されているシステムだ。


 このラージリストは十五名まで登録出来るそうで、計十三人の山嵜高校は少なくとも、全員で大会へ臨める。臨めるのだが……。



「…………まぁ、今すぐ決めることでもないしな。予選の登録期限まで三週間くらいあるし……まだ様子見や。峯岸とも相談しねえと」

「ほんであん人はどこで何しとんねん。今日学校でも見掛けへんかったで?」

「な。俺も気になっとった」


 土曜の一方的な『コート使えない』通知を皮切りに、六月へ入ってから峯岸の姿を見ていない。上旬も上旬ではあるとはいえ。


 今日の数学の授業は自習で顔を出さなかった。何やら忙しそうにしているみたいだ。ここに来てかつてのサボり癖が出たわけでもなかろう。


 

「しゃあな。頭捻るのはこれくらいにして、俺らも動くか。文香は慧ちゃんと、ノノは聖来と交代してくれ。シルヴィア、コータイ、ユキ」

「あいよ~!」

「ガッテンショーチン!」


 元気モリモリでコートへ走って行く文香とシルヴィア。二年組の二人もベンチ入りが安泰というわけではない。しっかりアピールして貰わないとな。



「おい、交代やって」

「……あ。はい。すんません」


 一人ボーっと座ったままのノノ。

 ……なんか、いじけてる?



「ノノだってそーいう話、ちゃんと出来ます」

「おう。知っとるよ?」

「……全然話振ってくれなかった」

「いや、むしろ待っとったんやけど」

「…………構って欲しいです。もっと」


 怒っているとも違う。取りあえず頬をプクーっと膨らませている時点で、そこまで深刻な悩みでないことは分かる。



「ふーんだ。センパイの意地悪っ。ノノが昔みたいにマネージャーに戻れば、ちょうど十二人でピッタリですもんね~!」

「おいおいっ……」


 スクっと立ち上がりすたこらコートへと逃げていく。理由を聞く暇も無かった。


 ノノがここまでいじけるのは珍しい。というか、間違いない。今朝話していた、結構引き摺っているな……。


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