886. だりぃ


 梅雨入りの公式な宣言はまだ出ていなかったが、今日は朝から晩まで降り続けるそうだ。


 窓が無いので外の様子は分からずとも、風を伴わない真っ直ぐな粒が、B本館四階の屋根をひっきりなしに叩いているのが分かる。


 この様子では新館裏コートは使えそうにない。元々はテニス用のオムニコートと聞いているが、水捌けが悪くしかも滑りやすい。

 派手に転べば怪我の一つか二つは抗えず、公式戦まで残り一か月ともなれば無理もさせられない。他の場所を探さなければ。



「雨かぁ~……だりーなー。ウチのグラウンド水捌け最悪なんだよな~」

「谷口にでも相談すれば?」

「これくらいじゃ中止にしねえって。アイツ案外脳筋だしよ……」


 五限は選択科目の書道。顔馴染みはサッカー部のエースもとい色ボケこと葛西武臣ただ一人。

 部の三年組は揃って違う科目だ。まぁ学年が上がって選択授業も増えたし、もはやどうしようもない。寂しくはある。



「室内で練習するとかは?」

「それな。大吾にも言ったんだけどさ、アリーナは基本バスケ部とバレー部が滅多に開けないから無理だって」

「せやなぁ…………なに書いてんお前」

「『橘田』」

「怒られるぞ色んな方面から」


 記念だよ記念。と新しい半紙を取り出すし、空きテーブルに生乾きの『橘田』をセット。

 こういうボケか本気か絶妙に分からんことやって来るのがオミのキモポイント。嫌いじゃねえ。



 そんな話は超心底どうでも良いとして。雨天時の活動場所は、フットサル部にとっても喫緊の課題である。


 昨日グループ通話で開催された上級生会議により、大会まで毎日練習が行われることが決まった。が、その矢先の梅雨入り接近。


 安定した練習時間・場所の確保がそのままチームの実力へ直結するのは言わずもがな。

 加えて我々は、ハードコートでのプレー機会が圧倒的に足りていない。公式戦の会場は体育館等のフローリングコートなのだ。



「そっちも室内のコート探してんだっけ?」

「せやねんけど、この辺り体育館付きの地区センターが無くて、ちと困っとる。土曜は少し遠出したんけどな。毎回そこってわけにもいかへんし」

「金も掛かるしな~」


 創部当初は『校内の広い場所』なら何でも良かったのと、大会に出場するしないの話自体が存在しなかったので、コートにはこだわりが無かった。流れでずーっと新館裏コートを使い続けている。


 町田南を始め、全国クラスの強豪はそもそもの練習場所がフローリングコート。

 奴らとの大きな差を埋めるにあたって、少しでも本番に近い環境を整えるのは必須条件。なにかアイデアがあれば良いのだが。



「なぁ、これ見た?」

「……美男美女フットボーラー特集?」


 書道に飽きたオミがスマホを広げネット記事を見せて来る。一面には栗宮胡桃の顔写真が載っていた。


 偶に見掛けるけどさ。この手の特集記事。なんでアスリートをわざわざ顔で判断するのかね。実力が伴っていないと意味無いだろうに。



「やっぱ可愛いよなぁ、くるみん」

「くるみんって」

「え、流石に知らんことないよな?」

「まぁ人並みには……」


 知ってるよ。色んな意味で。

 知り過ぎてしまったよ。嫌な意味で。


 どうやらその記事は、混合大会に出場する全国の高校生フットサル選手を特集しているらしい。常葉長崎の羽瀬川も男性組のページに記載されていた。


 栗宮胡桃、羽瀬川理久の両名は育成年代の男女ツートップとも呼べる知名度を誇っている。

 実力だけでなく、サッカー・フットサルを兼業している特異性。両者の整った顔立ちも大いに拍車を掛けているようだ。


 サッカー界隈でも二人の参戦はまぁまぁなビッグニュースだそうで、SNSや匿名掲示板でも少しずつこの話題が増えて来ているとか。まぁ詳しくはない。全部瑞希とノノから教えて貰ってる。


 お。砂川明海と来栖まゆと載っているのか。まぁアイツらも美人と言えば美人だが……うん、この記事はノノには見せないでおこう。



「なんだ、山嵜の子はいねえんだな」

「そりゃまぁな。知名度ゼロやし」

「長瀬ちゃんとか全国出たら絶対有名になんだろうなー。ていうか、全員?」

「さあ。どうだかね」

「山嵜の各部門ナンバーワン美少女が全員集まってるみたいなもんだからなぁ、フットサル部…………フッ。甘いぜ廣瀬。どうやら委員長部門から一人取り逃してしまったようだな……!」

「だりぃ。コイツ」


 今更だがオミもオミで変な奴だ。普通彼女の話なんて恥ずかしくて出来ないものだろうに。ましてや男子高校生なんて。俺の友人に相応しいことよ。



「よし、完成。葛西、かっこ、橘田っと」

「婿入りすんの?」

「終わったらそのまま帰って良いんだっけ?」

「せやけど詳しく聞かせろその話」


 超気になる。根掘り葉掘り聞こう。


 下手に背筋を伸ばしていたせいか、ワイシャツはじんわりと汗で滲んでいる。これだけの大振りなら尚更。取りあえず更衣室でシャワーでも浴びるか。


 雨音が耳鳴りのように絶え間なく頭の奥を叩いていた。気持ちボンヤリとして来て、色んなことを思い出す。



 雨、か。あの試合も降っていたっけ。


 懐かしいな。

 もう一年も経つのか。


 沢山のものが変わり始めて、新しく生まれて。無くしたり忘れたものもあるかもしれないけれど。諸々含めて今日まで転がり続けて。


 次の一年は、どんな日々が待っているのだろう。屋根を打つ雨粒はみんなの笑い声みたいで、まるで肩を叩かれているような、そんな気がして。自分でも気付かぬうちに、廊下を進む脚も早くなった。



「おーい、早いんですがぁ~」

「待つ気無いし。はよせえ」

「詳しく知りたいんじゃなかったのかーいというか喋らせろ~~」

「聞く気なくなったわ~」


 どうしてこんなときに限ってオミが隣にいるんだよ。お前の惚気なんてあと十年分くらい興味無いわ。台無しか。


 なんて。まぁ、悪くもない気分ではある。




*     *     *     *




「いちおー交渉してきたけど、やっぱダメだって。向こうもインターハイ近いらしいしさ」

「ともすれば、先日のように地区センターの体育館を借りるのが最善かもしれませんね…………あの、お二人とも。何故ハグを」

「寒いんやも~ん。ね~瑞希~~」

「ねぇ~ハルぅ~~♪」

「うぇぇっ……」


「愛莉センパイ、黙ってないであの三馬鹿上級生なんとかしてくださいよ」

「琴音ちゃん数に入れるのは可哀そうでしょ」

「断らないあの人もあの人ですって」

「……まぁ確かに」


 みんな練習する気で着替えて談話スペースへ集まったまでは良いが、雨は一向に止む気配が無い。これだけの大振りでは仕方なかろう。


 しかしウェアがベタベタする。琴音の汗だな。そうに違いない。誰かさんたちがジト目で睨んでいるがきっと無関係だ。そうだそうだ。



「今から予約って出来るのかな……あー、でもそっか。この雨で電車乗って移動しなきゃいけないのか」

「お金もどうしても掛かっちゃうからねえ。一回の分はそんなに高くないけど、毎回使っていたら大きな出費だし」

「みんなやる気いっぱいなのに、もどかしいですよね……」


 窓際でコートの様子を眺める真琴と比奈。昼から授業に出ずソファーで居眠りを続けているミクルの頭を撫でながら有希も続く。

 本当にそう見えるのか。有希。お前がいなかったら引っ叩いているところだぞ。



 そう、これが問題。体育館を借りること自体は構わない。地区センターの利用料は格安。しかし、数が嵩めばその分みんなの負担も大きい。


 金持ちのシルヴィア、小金持ちのノノや有希はともかく、長瀬姉妹など好き勝手散財出来ない子もいる。で、その姉妹も『自分たちが負担になるくらいなら他の方法を考える』とやや強情だし。


 もっと前から真面目に考えていれば良かった。少なくとも今日の練習場所に困るような事態になるまで放置する事案ではなかったなぁ……失敗した。



「時にナガセ部長! こういうのって部の予算でなんとかならないんスかっ?」

「無いこともないんだけど、アウェーユニ代を全員揃えたら結構使っちゃって……あとは遠征費ね。全国大会は集中開催らしいから、それだと宿代も掛かるし、出来るだけ出費は抑えたいのよ」

「はー、なるほど~…………え、あれっスか? お金が掛からなくて、しかも近い場所がベスト、ってことっスよね?」

「慧ちゃん、当てがあるの?」


 何やら慧ちゃんにアイデアがあるらしい。

 スマホを取り出しどこかへ電話を掛け始めた。


 まさか慧ちゃん、キミまで『自前の体育館があるっス!』とか言い出しちゃうような富豪キャラなのか? だとしても良いよそこまでしなくて? ノノのポジション無くなっちゃうからほどほどにして?



「もしもーし! どーもどーも、お久しぶりっス! 今日なんスけど、体育館使えたりします? …………え、マジっスか!? バレー部は!? ……わは~。いや~世知辛いっスねぇ~……! ほんじゃ挨拶がてら、今からお邪魔するっス!」


 あっさり許可を取り付ける。

 いったいどんな当てだって言うんだ……?



「ちょっと駅から歩くっスけど、言うて近いんで! てゆーかウチの近くなんで、全然アリだと思うんスけど、どーっスか?」

「……どこが?」

「アタシの母校っス!」


 なんだそのお手軽ウルトラCは。


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